3.そして俺は生活保護の申請を出してみる。
そこはパーティションで仕切られた、ほんとに小さな部屋だった。真ん中に机がひとつと、向き合うようにパイプ椅子が2脚づつ置かれている。それだけで一杯になる部屋だった。
俺はその相談室で、藤井と名乗った若い女性と向き合っている。
相談室には二つの扉があり、俺の入ってきた扉は閉じられているが、彼女の後ろの事務所に通じる扉は開け放たれていた。それは、何かあった時事務所にいる人が直ぐに対応できるようにと、用心のためなのだろうか。
そんな事を頭の片隅で考えながら、俺は今の状況を話していた。
「それで、両親を……」
俺は全てを包み隠さず話した。離婚の事。失業した事。両親が立て続けに亡くなった事。生きる気力さえ無くしかけていた事まで。俺は話し出すと、止まらなくなっていたのだ。
それは淋しさ……いや、誰かに話す事で安心感を得たかったのかも知れない。
その話の間、彼女は痛ましいものを見るように、俺を眺めていた。
「分かりました……ご両親を亡くされ大変でしたね。これなら大丈夫でしょう……あっ、ご兄弟はおられますか」
「兄がいましたが、五年……六年前に病気で亡くなりました」
「そ、そうですか……少しお待ちください。申請用の書類を整えますので」
彼女は事務所内に戻り、俺は個室にひとり残された。後から知ったのだが、親や兄弟などがいると生活保護の受給はかなり難しくなるらしい。以前では、もう少し制度の適用が緩やかだったようだが、今はマスコミなど世間に糾弾され厳しくなったらしいのだ。
要は、親兄弟が援助して食べさせろというわけだ。
しかし、実際は生活困窮者の多くは、すでに勘当され絶縁同然になった者が多い。それは本人の不行跡、日頃の素行の悪さが招いた責任なのだが、保護がなければ生活していけないのも事実である。
俺はぼんやりとした不安を抱えたまま、彼女が戻ってくるのを待つ。
先ほどからお腹が、別の生き物のように騒がしく食べ物を要求している。果たして、申請は受理してもらえるのか、ひとりになるとどうしても不安になってしまう。
暫く騒ぐお腹を押さえて待っていると、彼女が書類を抱えて戻ってきた。
「それでは、こちらの書類の内容を書き出して、お名前と判子をお願いします。それとお父様の最後の年金の受取があるはずなので、年金事務所で手続きをお願いします」
その書類は、家族構成や今までの職業など、多岐に渡る聞き取り調査のようになっていた。
「あっ、はあ」
生返事をしながら俺は、書類に記入していく。
亡くなった父親の年金は、その亡くなった最後の月の分まで、俺が受取人となってもらえるらしかった。
彼女が何を言いたいかというと、これから入る財産やお金などがあるなら、全て明らかにして書き出さなくはならないらしい。
彼女が言うには、今現在も家や車バイクなど、財産と呼べる物があると申請できないようだった。まずは財産を処分して生活費を作るのは当たり前といえば、当たり前の話である。
俺には財産と呼べるようなものは何もない。
財産もなし。家族もなしと記入していく。
全てを書き入れ確認すると、彼女に書類を渡した。
「はい、それでは金融機関への確認など、審査に三週間ほど掛かります」
「えっ、三週間……」
どうやら申請したからといって、直ぐに貰える訳ではないらしい。当然といえば当然の話なのだが……今、俺の所持金は38円しかない。
「……恥ずかしい話ですが、もうお金もなく昨日から何も食べてないのです」
「えっ、そうなのですか……以前なら緊急の貸付制度もあったのですが……」
俺のような状態で駆け込む人は、意外と多いようだった。そのため以前は審査にもそれほど時間をかけず、緊急時にはお金を貸し出し、後から支給される保護費から差し引くとかいった制度もあったらしいのだ。
しかし、色々と問題が取り沙汰されると、審査は厳しく長く掛かるようになり、貸付制度も廃止されたようだった。
確かに不正を行う人はいるかも知れない。しかし多くは本当に困窮して、藁にもすがる思いで役所に駆け込んできたのだ。
俺も以前は社会の底辺、生活弱者については考えた事もなかった。しかし、自分が初めてその立場に立ち色々と考えさせられてしまう。
「今はある程度の食料の支援しかできません」
「あっ、それでも今は有り難いです」
彼女の言葉に俺はほっと安堵する。どうやら俺みたいな人のため、食料支援はしてくれるようだった。
「といっても災害時用に備蓄されている食料なのであまり大した物はありませんが。取り敢えず一週間分、一週間後にまた取りにきてください」
「大丈夫です。食べれる物なら」
こうして俺は、紙袋一杯もある一週間分の食料を持ち、市役所を後にした。まだ正式に決まった訳ではないが、ひとまずは一息つけそうだった。
この食料は災害時のため備蓄されていたものから、消費期限が一週間を切れそうな物を俺に回してくれたようだった。
しかし、大量に備蓄されているであろう食料は、消費期限が切れると何処に行くのだろうか。まさか、そのまま処分されるとは思わないのだが……。
そんな益体もないことを考えながら家に向かって歩いていると、すぐ前を歩いていた男が駅前のパチンコ屋へと入っていく。
その男は、あの待合室のカウンターで、相談員と就職活動で揉めていた男だった。
漏れ聞いた話では、この男はすでに生活保護を受けていたはずなのだが……パチンコ屋に消えた男を見て俺は、何ともいえない複雑な想いに包まれた。