2.そして俺は再生へと一歩踏み出す。
本日二話目です。
偶然にも死の縁から生へと立ち戻った俺は、今度は開き直ってとことん生に執着してみようと思った。
とはいってみても先立つ物は金である。現在の所持金は38円しかない。
これでは求職しようにも動きが取れず、それよりも今日の食べる物にも事欠く始末だ。
俺は死に損なった次の日の朝、空が明るくなった朝早くから動きだす。
まあ、電気の止まった暗い部屋にいると、気持ちまで暗くなってしまいそうで、気分転換に早朝から散歩に出ただけなのだが。
近くの公園のベンチに空きっ腹を抱えて座ると、これからどうしたものかと思い悩んでいた。
そんな俺の前を、犬の散歩をしていた男性が通り掛かる。
その男性は同じ団地に住む、二軒隣の佐藤さんだった。市営住宅はペットは禁止なのだが、何故か俺の住む団地にはペットの犬を飼う人が多数いる。
何とペットは禁止のはずなのに、四棟も立つ市営住宅の約ニ割の世帯は、何らかなペットを飼っているらしい。
ルールとか決まり事とかいった話はおいといて、それだけここに住む人の中には、淋しい人が多いのかも知れないな。
「木村さん、おはよう」
そんな事を考えていた俺に、佐藤さんが朝の挨拶をしてきた。
「ご両親は残念だったね。気を落とさず、頑張んなよ。んっ、木村さんどうかした?」
曖昧な返事を返す俺の中に、何かを察したのか、佐藤さんが心配そうに尋ねてくる。
マンションなんかと違って、こういった市営住宅なんかには、意外と親密な隣近所の付き合いが残っている。その為、今ではあまり見かけなくなったが、貰い物や作りすぎた料理のお裾分けや、不意に切らした調味料の貸し借りなど、昔の日本では日常的にあった風景が辛うじて残されてもいた。
そういう訳で、二軒隣の佐藤さんともそれなりに付き合いがあり、以前は気安く話をしたりしていた。
俺はその時、どうかしていたのかも知れない。昨日の夜にしたことが、気を滅入らせていたからかも知れないな。
普段は、こんな事を他人に喋ったりしないのだが、つい、職もなく困窮している事を吐露してしまっていた。
「……そうかあ、生活に困っているのか。何とかしてやりたいが、私もそれほど余裕が有るわけでもなし……そうだ、一度役所で相談すればいい」
「役所に?」
「そうだよ。日本は良い国でね、最低限の生活が憲法で保障されてるのだよ。そのお陰で、生活困窮者には、市がある程度は面倒を見てくれるのさ」
佐藤さんの提案は、最近何かと話題にあがる、生活保護の受給の事だった。
困惑する俺に、佐藤さんが照れたような笑顔を投げ掛ける。
「いや私もね、以前生活保護の受給を受けていたことがあってね。まあものは試しだ。一度相談に行ってみるといいよ」
流石に生活保護を受けるのには抵抗があり、曖昧に返答してその場を後にした。
だが結局、空きっ腹には勝てず、俺は一度市役所に顔を出してみることにした。
しかし、生活保護といっても、申請して直ぐに認可されて支給されるものなのか。
俺は残金の38円を握り締め、不安を抱えて市役所へと向かった。
市役所内は平日の午前中にも関わらず、すでに沢山の人が来庁している。特に住民票などの証明書類を発行する窓口は、順番待ちの人が多数並んでいた。
そんな市役所内を、俺は行ったり来たりしていた。
どこに話をしにいったらいいのか、分からないのだ。流石にそこらにいる職員に、生活保護について聞くのには抵抗があり、何よりも恥ずかしい。
10分ほど行ったり来たりしていると、さすがに見かねたのか、案内係の女性が声を掛けてくる。
「何かお困りですか?」
「いや、あの……」
ちょっと間逡巡したが、意を決して尋ねる。
「生活保護について、相談に来たのですが」
「それでしたら、二階の北側にある健康福祉課にある保護課ですね。そこの階段を上がって、右側に真っ直ぐ行った突き当たりです。分かりますか」
案内係の女性が、にっこりと微笑みを浮かべて教えてくれる。
「あっ、はい」
何故か、その女性の笑顔が眩しく感じ、恥ずかしさと少し後ろめたい気持ちとなり、逃げるように階段へと急いだ。
そもそも生活保護なるものは、病気なんかで働くても働けない人などが、受けるものではないのか。俺みたいな健常者が受けても良いのか。けんもほろろに、追い返されるだけではないのか。
益々不安となった俺は、足取りも重く二階にある、教えてもらった保護課なるところに向かう。
そして健康福祉課なる所に辿り着いたのだが、その保護課の受付にはすでに十人ほどが並び、更に奥にある待ち合いロビーのような場所には、ニ十人ほどがベンチに座っていた。
これは時間が掛かるかなと思い、後ろに並ぶが、意外と早く俺の順番がきた。
三人ほどいた受付はテキパキと、手馴れた様子で受付に並ぶ人を捌いていたのだ。
これは逆に、俺のような保護の相談にくる人が、それだけ多いということなのだろうか。
そんな事を考えていると、俺の順番がまわってきた。
俺がどう話をきりだそうか一瞬言葉に詰まっていると、受付の女性が物問い気な視線を投げ掛けてくる。
「えーと、生活保護の相談にきたのですが」
「それでしたら、こちらに住所とお名前をお書きください」
手馴れた様子で出された用紙に、住所と名前を書く。
「それではお名前が呼ばれるまで、あちらのベンチでお待ちください」
奥のベンチにはすでに二十人ほどが座り、俺の後からも訪れているので結構な賑わいだ。
この待ち合いロビーの前には横と衝立だけで仕切る、割りとオープンな相談窓口が四つあり、左右にはパーティションで仕切られた個室となってる相談室が五部屋ずつあった。
次々と呼ばれていく人達。漏れ聞こえる話はやはり、生活保護に関する話ばかりだ。
ここにいる全ての人が、そのようだ。改めて見渡してみると、半分ほどはお年寄りの人。年金だけでは食べていけず、生活保護を受けているようだ。
若い女性の人も多いようだ。どうも、シングルマザーのようだった。中には、赤ん坊をあやしながら相談している人もいた。
しかし、何人かは二十代後半から三十代前半の若い男性が、生活保護の相談をしているようだった。
今も目の前のオープンな窓口で、若い男性が相談員と話をしているのが少し聞こえてくる。
どうやらこの男性は、すでに保護の支給を受けているようなのだが、少し揉めているようだ。
求職活動について相談員とやり取りしているようだが、男性がのらりくらりと受け答えている。
俺には、この男性から働こうという意欲が欠片も感じられない。それは気のせいなのだろうか。
そんなやり取りを見ている間に、俺の名前が呼ばれた。
俺が通されたのは左側の個室だった。
「ケースワーカーの藤井と言います。えーと、生活保護の申請ですね。今、どういった状況なのかご説明をお願いします」
まだ三十代前半だろうか。若い女性がにっこりと微笑んだ。
果たして、俺は生活保護が受けれるのだろうか。俺はゴクリと生唾を飲み込むと、不安を抱えたまま話し出した。