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1.そして俺はどん底へと落ちた。


 その日遂に、俺の所持金は底をつき残金が38円となった。俺は40歳にして全てを無くした。


 去年の暮れ辺りから俺の運が尽きたのか、やること為すこと裏目裏目に出てついてなかったのだ。

 いや、元々が駄目人間の見本のような俺自身の所為せいなのかもしれない。そもそもが去年、無理をして仕事に打ち込んだのがケチのつきはじめだった。

 長年体を酷使したのが祟ったのか、遂に俺の体がぶっ壊れてしまったのだ。

 2ヶ月余りになる長期入院を経て仕事に復帰すると、既に俺の居場所は会社にはなかった。

 俺は営業の第一線でばりばりと働いていたのだが、俺の抱えていた顧客の多くは同僚や後輩たちに奪われ、体調に不安を抱える俺は慣れない事務方へと回された。

 最初はそれでも頑張ろうとしたのだが、外回りの営業を回っていた俺には1日中、事務所内で座っているのは辛かった。そして何よりも、嘗ての営業部の同僚達が、やれ今日は大口の契約をまとめてきたとか嬉しそうに話しているのが、妬ましくもあり居た堪れない気持ちにさせられた。

 そして俺は会社を辞めた。


 俺には妻と4歳になる娘がいたが、それまでは順風満帆、絵に描いたような幸せな家庭だった。

 だが、俺が妻に相談もなしに黙って会社を辞めたのが気に食わなかったのだろう。些細な事で喧嘩が堪えなくなり、遂に半年後には、妻が娘を連れて家から出て行った。

 残されたのは、判の押された離婚届けと残金50万の預金通帳のみ。


 しかし、全てを失い呆然とする俺への不運は、それだけではなかった。

 俺の事を心配していた母が、心筋梗塞で呆気なくこの世を去った。

 もしかすると、俺の失業や離婚問題で心労を掛けていた所為かもしれない。

 親孝行、しようと思った時には親は無し。とかよく聞くが、それは本当の事だと思った。悔やんでも悔やみきれない。


 しかもまだ俺の不幸は続く、古い言い方だが、正に天中殺。

 追い打ちを掛けるように今度は父親が胃癌で倒れた。それも末期だった。元気だった父が一ヶ月半の間にあれよあれよいう間に痩せ衰え、最期にはベッドから立ち上がることもできなくなった。

 そして父も、母の後を追うようにして亡くなった。


 親類縁者から金を借り、何とか両親の葬儀は執り行ったが、今の日本、何と葬儀にお金が掛かる事なのか。

 ちょっとした葬儀に50から60万。少し派手にすると、あっという間に100万。本当にお金をかけずに直葬にしても十数万は掛かる。

 香典にしても、香典返しの事を考えるとあてにも出来ず、ちょっと不謹慎だが、よく葬儀のお金がなく自宅に両親の遺体を放置などとテレビのニュースに流れたりするが、さもありなんと納得してしまう。

 何とも世知辛い世の中だ。


 立て続けの葬儀に、気が付くと俺の所持金は底をつき、借金だけが残った。

 このままでは駄目だ。早く正業に就き、持ち直さないとと思うのだが、何故か生きようという気力が沸いてこない。

 俺は離婚した後、両親の住む市営住宅に転がり込んでいたのだが、どうにもやる気もでなく葬儀の後、無為のうちにごろごろと過ごしていた。

 周りの人は頑張れとか簡単に言うが、どうにも気力がわかない。

 やる気をだせと怒る人などもいたが、どうしようもなかったのだ。

 本来は逆なのだが、両親に頼っていた甘えた気持ちがあったのか、何か心にぽっかりと穴が開いたようで、どうしても気力が沸いてこない。


 葬儀から2ヶ月後、家賃は滞納して遂には電気まで止められた。


 夜の暗闇の中、仏壇前で揺らめくローソクの明かりの元、俺はバルコニーに出ると最後の煙草に火を点ける。


 それは気の迷い。魔がさしたのたか、夜空の星の煌めきに誘われるようにして煙草の煙りを吐き出すと、俺はいつしか、物干し竿を吊るす金具にロープを掛け輪っかを作っていた。

 そしてそこに首を差し込むと、思いきってぶら下がる。

 しかし不幸中の幸いなのか、俺の体重を支えきれずその金具は根元からすっぽりと引き抜かれて、俺はもんどりうってバルコニーに転がった。


 強かに腰を打ち付け、痛みに右手で腰を指する。ふと気付くと、仏壇のローソクが風もないのにユラユラと激しくゆらめいるのが見える。

 それはまるで、不甲斐ない俺に両親が叱咤しているようであった。

 そして俺はいつしか、ボロボロと大粒の涙を流し、夜空に向かって慟哭の声を上げていた。


 こうして俺は、幸か不幸かまだこの時点では分からないが、取り敢えず生へと前に向かって進む一歩を踏み出すことにした。



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