公園にて
---その日の帰り。僕は、直接家に帰らず、気分的に、近くの公園に寄ることにした。ブランコがあって、その下には砂場がある、ごくありふれた公園。僕は、何か思い悩んだりすると、ついそこに寄ってしまう。前に来たのは、僕が低音パートのパートリーダーを任された日だ。三人の後輩を従えて、果たして自分はやっていけるのかと、一人で悩んでいた。結局ここでは方針が決まらなくて、諦めて家に帰ったら夜九時を回っていた。家に帰った後も必死に考えたのに、駄目だった。最終的にパート練の時間を使って、大まかな方針を固めた。あの頃の自分は焦っていた。
今日は、その公園に先客がいた。誰かと思ったら、崎ヶ原二高の制服を着ている女子生徒。よく見れば、僕はその人のツインテールに見覚えがあった。少し背が低めの、崎ヶ原第二高校吹奏楽部員。織部美紅。今日は部活に姿を見せなかった、最近休みがちになっている、その本人だ。ブランコに深く腰掛けて、背も曲がり、完全に無気力に見えた。遠くから見てもよく分かる。相当悩んでいるのだ。放っておくのが正しいと分かっていながら、放って置けなかった。少しでも話しが聞きたかった。
僕は、ゆっくりと自転車を公園の入り口に走らせた。
公園の入り口に自転車を停めると、向こうはすぐに僕の存在に気づいた。そしてその存在が僕だと分かると、またブランコに深く腰掛けた。俯いているから、表情が分からない。でも、笑っているはずはない。僕は、彼女の隣りのブランコに腰掛けた。
意外にも、向こうから話しかけてきた。
「…先輩。」
「ん。」
「…私って、駄目ですよね。」 彼女の声は、震えていて、苦しそうだった。
「なんで急にそんなことを。」
「だって私…、コンクールがすぐだって言うのに、全然曲が吹けてない。音も出てない。音色だって悪い。何一ついい所が見つからないんです。先生から注意ばかりされて、何も合奏が進んでいかないじゃないって、友達に言われるんです。だから私、もうこの部活にいない方がいいんじゃないかって思うんです。人に迷惑ばかりかける訳にはいかないし…。」
「でも、そうしたら自分に悔いが残るんじゃないか?」
「…確かに、そうです。でも、自分さえいなければ…他の人達はもっと効率よく練習できると思うんです。」
「人のためなら、自分はどうなっても構わないってことか?」
「…そうです。それが、今の自分に出来る最大限のことです。その結果、大会で少しでもいい結果が出たなら、私はそれでいいんじゃないかって思います。」
「…そうか。でも、明日からの合宿は来るんだよね?」
「はい。合宿に行って、それで、今後自分がどうするか決めようと思ってます。」
「うん。それでいいと思う。焦ることはないよ。」
選択を焦ることはない。選択を間違わないためには、十分な思考が必要だ。それは苦しい事だけど、努力しなければ、反動は自分に返ってくる。選択を誤った場合、それを正すのは難しい。
彼女は、自分が思っている事をありのまま、少しずつ語っていった。普段明るい彼女が、ここまで深く悩んでいたとは全く気づかなかった。
彼女をこのようにしてしまったのは、彼女自身のせいではなく、部活のせいだ。楽器がうまく鳴っていないなら、上手くなるまで、分かる人が教えるのが普通だ。でも、今の部活で部員を見ていると、自分だけが上手くなろうと、必死に練習して周りとの関わりが薄くなってきている。パート練でも、仲のいい部員は、技術的に遥か上にいて、とても追いつけない存在になってしまった。でも、それに気づかないメンバー。最終的に、技術が劣っていると批判される。これでは、パート練の意味が無い。彼女の居場所が無くなるのも必然的だ。
それでも彼女は明日からの合宿に行くと言うのだから、上達したい気持ちは十分にあるのだ。今回の合宿で、トランペットパートが彼女の事について、気づいて、しっかり対処してくれることを願おう。
それが出来ないならば、僕がなんとかしよう。
「あの…、ありがとうございました。」
「何が?」
「その…、私の話。聞いてくれたので。」
「いやいや、当然だよ。それに、僕もいろいろ考え事があって、頭の中ぐちゃぐちゃだったんだ。だからこの公園に来たんだけど、先客がいたから、仕方ない。家に変えってじっくり考えることにするよ。」
「ふふ。」
「どうした?」
「いえ、先輩に悩み事なんて不似合いですから、ちょっとおかしくて。」
「僕だって、悩みくらいあるさ。部活の事しかないけど。それよりもよかったよ。少しは気が紛れたみたいで。」
「はい。言葉に出してしまうと、頭の中てもやもやしていたものがすっかりした感じがして、少し元気がでました。」
彼女が少し元気を出してくれたので、なんか安心した。彼女が悩んでいることに比べれば、自分の悩んでいたことなんて、なんて小さなものだろう。と思うと、なんか考えるのがばかばかしくなってきた。明日からのことなんて、明日の行きがけに考えれば十分だ。
「先輩。」
「ん。」
「おかげさまでやる気が出てきたので、私、帰ります。まだ明日の支度、整ってないんです。」
「そうか。じゃあ僕も帰るとしようかな。実は僕もまだ支度、整ってないんだ。」
「それでは、また明日ですね。先輩。」
「うん。そうだね。明日からきつくなると思うけど、負けないで頑張って。」
「わかりました。」
「さようなら。美紅さん。」
「さようなら。先輩。私の名前は呼び捨てで構わないですよ。」
「そうか、じゃあ、さようなら、美紅。」
「はい。」
こうして、僕達は別れた。