合宿四日目 -3- epilogue
午後四時を回っても、夏の日差しはまだまだ暑い。空に浮かぶ入道雲が、形を変えながらゆっくりと流れている。
太陽光で温められた生ぬるい風が、辺りを吹き抜け、木の葉を揺らす。
「もっと別の場所にすればよかったかな」
「でも、ここ以外に思いつきませんでした」
二人でやってきたのは、合宿前日も訪れた、学校の近所の公園。いつも来る時にはもっと暗くて、自分の心の中も暗いから、周りを見渡すことなんて殆どなかった。
四日前と同じように、ブランコに腰掛ける。
「なんか、新鮮だよ。普段から何回も来ている場所なのに、違う場所に見える」
いつもと全く同じ場所に座っているのに、そう思う。それは、二人で来たからということもあるし、自分の気分の問題でもある。美紅も同じようなことを思ったらしい。
「そうですね。普段来る時は一人でしたから。前回ここに来たのは、合宿の前日でしたよね?」
「うん。あの時の美紅は、すごい迷ってた」
「それは……、そうですね」
あの時、僕がこの公園に来ていなかったら、美紅は本当に部活を止めていたかもしれない。そんな精神状態だった美紅が、今はこうして僕の隣にいる。
「先輩」
「ん?」
「一つ、訂正しておきたいことがあります」
「訂正?何を」
「合宿の前日に私が悩んでいたことについて、です」
ブランコをゆらゆらと揺らしながら、美紅は話し始める。
「あの日、先輩には部活をこのまま続けていくかどうかを悩んでいると言いました。でも、それは違います。本当は、合宿中にどうやって先輩に告白するかを迷っていたんです。もちろん、演奏についても悩んではいましたが、理由は分かっていました」
さらっと言われて、一瞬思考が追いつかなかった。
「……僕に、どうやって告白するかを悩んでいた?」
「……そうです。でも、あの時にそのことを言える訳が無いので、仕方なく嘘を吐きました」
「なるほどね……」
普通、楽器が思うように吹けないからと言って、吹奏楽を辞めてしまうのはおかしい。特に美紅の場合、ピアノを習っているわけだし、楽器を演奏するセンスは備わっているはずだ。
「じゃあさ、なんで今日まで楽器を上手く吹けなかったんだ?」
楽器が自分に合っていなかったから、という考えも浮かんだけど、現実今はとてもうまく吹いている。
「これを言ってしまうと、先輩に嫌われないかどうか不安なんですが……」
と一瞬美紅はためらったけど、すぐに話し始めた。
「本当のことを話すと、楽器を上手く吹けなかった、という事自体が嘘です」
「……え? ってことは、今までの演奏は―――」
「すべて演技です」
きっぱりと断言された。
「なんで演技なんてする必要が?」
「それは―――」
そこで美紅が吃る。なんか、ちょっとだけ分かった気がする。
「もしかして、僕と多く接するため、とか?」
確信どころか、何の理由も無かった。でも、美紅が黙って首を縦に振ったということは、それが正解ということになる。
「なんでそんな……」
美紅はまだ言葉を継ぎ足し始める。
「先輩に初めて教えてもらったのは、まだ私が入学してから半年と経っていない日の夜でした」
「うん。その日のことは、僕も今でも鮮明に記憶してるよ。河川敷でのことだね」
「はい。その時から私が先輩の事を好きだっていうのは、先輩に告白する際に話しました。でもその時、同時に思ったんです。このまま順調に実力を伸ばしていってしまったら、もう先輩に教えてもらえる機会が無くなって、先輩との接点がなくなってしまうんじゃないかって。だったら、今のままの実力で、部活でもちょっと技術的に遅れている人の方が、先輩は寄ってきてくれるんじゃないかって」
そこまで言って、美紅は俯く。
「私、最低な人間です。先輩に迷惑をかけることしか考えてませんでした。先輩と接点を持とうとして……」
そう話す美紅のトーンは次第に下がってきて、すすり泣く音が混じる。
僕は、無意識的に美紅の肩を抱く。
「僕は嬉しいよ。そこまでして、美紅は僕の事を考えてくれていたんだから」
「嫌いに、ならないんですか?」
「なるわけないよ。むしろもっと好きになった。正直に話してくれてありがとう、美紅」
「はい……」
美紅が、ぎゅっと抱きついてくる。
「……すいません、先輩」
美紅は、僕の肩に顔を埋めたまま泣き始めた。よほど不安だったんだろう、このことを話すのは。もし事実を話して嫌われてしまったら。それで、結ばれた気持ちに亀裂が入ってしまったら。それは、とても苦しいに決まっている。
そんな状況になるかもしれなかったのに、美紅は全てを話してくれた。
勇気、か。やっぱり僕には勇気が足りない。この先、どんな壁に突き当たるか分からないのに、勇気が無いんじゃ、何も踏み出せない。
美紅を、見習わなくてはいけない。
「なあ、美紅」
「なんですか?」
「さすがだよ、美紅は」
「……何がですか?」
10分経って、やっと泣き止んだ美紅に、僕は言う。
「勇気があるよね、美紅には」
「そうでしょうか。私はどちらかと言えば臆病な存在だと思いますが」
「そんなことないよ。少なくとも僕よりは、行動が早い」
「それは、先輩が絡んでくることだからです。そうでなければ、もっと遅いです。……でも、なんでそんなことを急に言うんですか?」
「僕もさ、変わらなくちゃいけないって思うんだ。教師になりたい。それは僕の本心だったけど、絶対無理だっていう感情が自分の中のどこかにあった。だから、気付けなかったんだと思う」
「だから勇気、ですか」
美紅は、納得したようだった。
「うん。もし僕に美紅のような勇気があったら、僕はもっと早く気づけてたと思うよ」
「何か、不思議な感覚です。私はただ思ったことを言っただけなのに、その何気ない一言が誰かの人生を変えるかもしれないっていうのが」
「そうか」
この世界には、誰一人として同じ思考を持った人はいない。だから、他人に何か言われたことに、何らかの感情を抱く。
それは、良いようにも、悪いようにも作用する。
僕が美紅と出会うのは、天文的数字の確率でしかなくて、さらに結ばれる確率は、ずっと小さな確率。
だから、すべてが奇跡。
多くの奇跡が積み重なって。今の自分がある。
「……どうしたんですか?」
「ああ、ごめん。ちょっと考え事」
「そうですか」
奇跡か、勇気か。直感的に考えると、この二つの言葉は対立しているように感じる。でも、勇気を出したからこその、奇跡。僕はそう思いたい。
「……奇跡、なんでしょうか」
「ん?」
「先輩とこうして出会えて、想いが繋がって、今、一緒にいます。これは、奇跡なんでしょうか」
一瞬噴いてしまいそうになる。
「……僕も今、同じようなことを考えてたんだ。美紅と会えたことは奇跡だと思う。でも、想いが繋がって、今ここにいるっていうのは奇跡じゃないと思うんだ」
「ということは、必然ですか?」
「それも違う。きっと、これこそが勇気なんだよ。奇跡は、そんな都合のいいところまで働いてはくれない。結局、最後は自分次第なんだよ。勇気を振り絞って、相手に気持を伝えられた人だけが、結ばれる」
なんとも押し付けがましい理論だけど、美紅は理解してくれたみたいで、相槌をうつ。
そして、美紅は僕に抱きつく。
「こんなことするのも、勇気が必要ですからね」
「……だな」
胸の中の美紅は華奢なのに、する事はとても大胆で。でも、本当は繊細で、弱くて。
そんな美紅だからこそ、これからも守ってあげたいと思う。
奇跡だって何だって、結果が良ければ全ていいのか。さっきと思ってることが180度違うと思いつつ、美紅を強く抱きしめる。
「……ありがとう、美紅。これからも、よろしく」
「……それは、こっちの台詞です。こんな私を好きになってくれて、ありがとうございました。そして、これからもずっと、よろしくお願いします」
小説を書いてみようと思って書き始めて、連載を初めて、初めて一作が終わります。
大学受験もあったので、一年近くかかってしまいましたが……。
実は、話が矛盾している部分がいくつかあって、修正しようかとも思ったんですが、やめました。これが、今の自分の実力なんだと分からせるためです。
ですから、この小説は練習、というつもりです。
もう、新作を書き始めていますが、纏まってきたら上げるつもりです。