合宿三日目 -3.5-
「……起きてる訳ないよね」
そう呟きながらも、部屋の扉を開く。目の前に寝ているのは、私の最愛の人。
今は、フリータイムの時間。生徒各々が、自由に時間を使える時間。大抵の生徒は、暑さを少しでも和らげようと、川辺へ行っている。私も亜由美から川へ行くことを誘われたけど、先輩と会う約束があるからと言って断った。
でも、その先輩は体調を崩して私の目の前で眠っている。その表情は、苦しそうでもある。
「先輩……」
相当無理をして合奏に臨んでいたのだろう。額には汗が浮かび、すごく暑そうだ。申し訳程度にタオルが乗っているが、既に乾燥していて、何の役目も果たしていない。
ひとまず、タオルを湿らせてあげることが今の私に出来る精一杯と思い、水が溜められそうな物を探す。幸い、水道場に行くと桶があったから、借用した。
湿らせたタオルを額に乗せると、先輩の顔は少し楽そうになって、それまでよりも静かに寝息を立て始めた。
「こんなことを先輩にするなんて、考えてもいなかったなぁ」
こんな風に看病していると、自分達がまるで夫婦みたいだ。
夫婦、という響きに私は胸が高鳴る。いつかそんな関係になれたなら、私はどれだけ幸せなんだろう。そんなことを、まだ相当先の事なのに想像してしまって、かあっと顔が熱くなる。もしかして先輩よりも暑いんじゃないかというほど、私は興奮してしまっていた。
「……み、く?」
ふいに、先輩が私の名前を呼ぶ。でも、目が覚めたということではないようだ。
「はい。私ですよ、先輩」
そう答えると、先輩はちょっとだけ優しい顔になって、
「……ありがとう」
と言ってくれた。その一言で、私は何もかも、全て報われたような気分になる。普段、使おうと思ってもなかなか使えない、“ありがとう”という言葉。言った相手への最上級の感謝を表す。
「先輩を看病することは、先輩の彼女として、当然の事ですから」
そんな、自分でも恥ずかしくなってしまうような言葉をさらりと言えてしまうあたり、どうかしてしまったんだと思う。これも、先輩を愛して止まないから。
部屋の外から、騒ぎ声が聞こえる。こんな暑い中、皆は河原で遊んでいる。きっと、夜の合奏までに疲れ切ってしまうだろう。
「先輩、本当に気持ちよさそうに寝てるなぁ……」
この調子ならば、きっと夜の合奏には出てこられるだろう。こうして見ると、先輩の寝顔はちょっとだけ可愛い。
もう一度、タオルを湿らせ、額に乗せる。さっき汲んだばかりの水はすでにぬるま湯になっていたから、汲みなおしてきた。単純な作業だけど、とても大切なこと。
先輩の気持ちよさそうな寝顔を見て少し安心してしまった私は、いつの間にか眠りに落ちてしまっていた。
再び目を覚ました時、すでに太陽は沈みかけていた。時計を見て時間を確認すると、そろそろ合奏の時間が近づいていた。
もっとここに居たいけど、文句ばかり言っているわけにもいかない。そもそも、先輩と私が付き合い始めたということは内密事項。不用意に合奏に遅刻して、変な詮索を掛けられるのは嫌だ。
それに、特訓もある。と言っても、それは私が勝手にお願いしたことだけど、案外先輩も乗り気みたい。
借用した桶を返し、後ろ髪を引かれながらも、私は一人ホールへ向かった。