合宿二日目 -3- その頃の美紅は
昨日の夜の時点で、同じ部屋だった三人にはすでに先輩への気持ちがバレていた。正確に言えば、私が言ってしまったのだ。気にすれば気にするほど、先輩の顔が頭から離れない。そうしてずっと悩んでいるから、周りの皆には私の体調が悪いように見えてしまっていて、無駄な心配をかけさせてしまっているのが本当に申し訳ないと思う。だから、午前の練習では頑張って、普段通りに皆と接した。でも、午後の自由時間では、もう逃げられなかった。
「それで美紅、悩んでることって何?今なら皆で話し合えるよ」
と、優しさのつもりで言ってくれたであろうパートリーダーの言葉は、逆に私を悩ませる。皆からの視線が痛い。ここで嘘を吐いてしまえばこの場は凌げる。でも、そうしたところでルームメイトの誰かが話すに違いない。
自分から言うのは恥ずかしいけど、誰かに言われるのはもっと恥ずかしい。どちにしろ、もう逃げ道は残っていないのだから、自分から打ち明けてしまった方が後が楽だろう。だから、私は話すことにした。
「私の悩みは……恋です」
普段なら別に何とも思わない恋という単語も、口に出した後は変な感覚として頭に残る。私は、顔を真っ赤にしながらも、今の感情を打ち明けることにした。
「私は、有岡先輩のことが、好きです」
皆が若干ざわつく。同時に、私への視線がさらに鋭くなったと感じた。
「いつからかは自分でも分かりません。でも、この感情に気づいたのはほんの数ヶ月前です」
「有岡君かぁ……。意外だね」
とパートリーダー。
「でも、美紅はもう気持ちが溢れそうなほど有岡先輩のこと想ってますよ。昨日だって、寝言で有岡先輩の名前が出てきましたから」
私の顔がどんどん熱く、火照っていくのがよく分かる。そんなこと、言わなくてもいいのに……。
「なるほど。美紅は、有岡君に一途か……。可愛いね」
「どういうことですか、先輩……。別に私は可愛くなんかないですよ」
と、少しいじけた感じで言ったのに、
「そういう所が可愛いんだって」
と言われ、皆も頷いているのに、私だけ理解出来ないのが悔しい。説明を求めても笑顔を返されるだけだから、自分で気づけということだろう。
「それで、美紅。美紅は有岡君に告白するの?」
「あ……、はい。するつもり……です」
急に聞かれたので、そんな返事しか返すことが出来なかった。
私が先輩に告白をする。考えただけで頭がどうにかなってしまいそう。
先輩のことが気になり始めたのは、この部活に入って五ヶ月くらい過ぎた、まだ夏の暑さが抜けきらない頃。その日私は委員会の仕事が入って、部活に行けなかった。やっとトランペットの音が出るようになってきた頃だったから、一日部活に行けないだけで悲しかった。
委員会が終わったのは、部活終了時刻の十分前。その時間から言ってもよかったけど、結局すぐに片付けることになるから、やめた。第一、その日の部活は休むと言っておいたし。楽器は自分の手元にあるし、吹こうと思えばどこでも吹けたから、ちょっと古典的だとも思ったけど、河川敷に行くことにした。
相変わらず人気の無い河川敷だと思いながら、芝生にトランペットのケースを置き、マウスピースだけを取り出す。この二週間前までは、マウスピースでバズィングすら出来なかった私にとって、これを鳴らすことが出来るだけでも内心嬉しかった。
マウスピースを楽器に取り付けて、音を出す。最初に出す音は、決まってB♭。高い音をうまく出せない私は、少しずつ低い音から上がっていって、限界に挑戦する。この日の最高音は、チューニングのB♭には程遠い、Fだった。
そうして何度も最高音の幅を広げようと、音質なんて気にせずに吹き続けていると、背後から誰かが私を呼んだ。その呼んだ人が、先輩だった。気がつけば時刻はもう七時を回り、日も完全に落ちていた。
その頃の私はまだ先輩の名前すら知らなくて、ただ男の先輩という認識しかなかった。でも、河川敷で色々教えてもらってからは、先輩への印象がどんどん変わっていった。頼れる先輩、気遣ってくれる先輩。そして、大好きな先輩。
別に、先輩の顔が特別格好いいとか、声がいいということではない。でも、先輩の傍にいる時にいつも感じる安心感に気づいた時、私は先輩が好きなんだということを悟った。それ以来、私の心の中にはいつでも先輩の存在があって、私に元気を与えてくれている。
そんな先輩に好きと伝えるのは、本当に怖い。振られるかもしれないということを考えると、どうしても怖気づいてしまう。このままだと何も言えないまますべてが終わってしまう。それは絶対に嫌だ。
でも、どうやって自分の気持ちを伝えよう。どうやって先輩に好きって伝えよう。手紙かメールか。でも、メールはちょっと感情がこもっていない気がするから、やっぱり手紙だろう。
「私、手紙で先輩に思いを伝えようと思います」
自分に言い聞かせるように言ったつもりだった言葉は、皆を驚かせてしまったみたいで、鋭い視線がまた突き刺さってくる。
「急に何を言い出すかと思ったら、まだ考えてたんだ、美紅」
皆の話題はとっくに別のものに変わっていたみたいだ。すこしも気づかなかった。
「ごめんなさい。なんか、お門違いな発言をしてしまったみたいです……」
とっさに皆に謝ったけど、逆に笑われてしまった。
「いや、全然お門違いなんかじゃないよ。ずっと恋の話してたし」
「そうなんですか……」
パートリーダーに言われて、ちょっとだけホッとした。
「手紙、か……」
「え?」
パートリーダーがブツブツと何かを呟いているが、全く聞こえない。そして、
「手紙は、駄目だ、美紅」
と言われた。
「どういうことですか?手紙で想いを伝えるのは、まずい事でしょうか……」
コクリと頷く。
「手紙は、卑怯。自分から逃げることになるの。口から言う勇気がないことも、手紙だったら文字で書くことができる。でも、それは本当の想いじゃない。作られた想いにしかならないんだよ、美紅。どうせ告白するなら、絶対自分の口から想いを吐き出さなきゃ駄目」
「先輩……」
言われて気づいた。
私はまだ先輩から逃げていた。どうせ駄目なんだって、諦めかけていた。その自分が馬鹿らしい。
どうせ駄目なら、せめて本気で伝えて終わらせたい。自分の気持ちに、嘘は吐きたくない。本気で告白して、それで振られた方が、きっと潔く終われるはずだ。
「……先輩、私、頑張ってみます」
コクリ、とさっきより大きく頷いた先輩は、
「大丈夫。美紅なら出来る」
と言ってくれた。今まで居心地が悪く感じていたパートが、今はなんだか、自分の家のようにとても心地よい場所に変わっていた。
今日の夜、先輩に告白しよう。
私は、心の中でそう誓った。