学歴という壺
「本日は作品の持ち込み、ありがとうございます。……ところで大学はどちらの出で?」
「高卒ですが……」
同僚は作者の前で原稿を破いた。散らばった紙切れを男はかき集め、涙目で同僚を睨む。これで何人目だろうか。
「Fラン以下の作品が面白いわけないだろ」
カカカと嗤う同僚は一工出身のエリートだ。
「おい、千葉大。片付けとけよ」
俺に散らばった紙切れを指差し、顎をしゃくる。
ここはK出版社。
学歴のない作者の作品は、世に出す価値のないと見限る会社だ。そして俺たちもここでふるいにかけられた人間でもある。
俺はちりとりと箒で掃除をする。紙切れの中には逃げた男がアナログで描いたであろう主人公が「こんな世の中、間違っている」と叫んでいた。
「茶とか出さなくて正解だったろ? やっぱ一橋出だからかな。顔見たら低学歴ってわかったわ」
「ははぁ、さすがですね」
これ以上、同僚に関わりたくない。俺は適当に一橋の同僚を褒める。気を良くした同僚は自分のデスクに戻り、担当に連絡をとり、ゴマをすり始める。
「今回の話、めちゃくちゃ面白いです! さすが、東大出身は違いますねぇ。発想が僕とは違います!」
ああ、いやだ。
でも、出版業界は思った以上に忙しく、転職活動なんて夢もまた夢。
「千葉大くん、また一橋に絡まれたん? ほんま余裕のないやつはすぐ見下すなぁ」
「京大先輩」
糸目で京都弁なんて漫画の見すぎだとは思うが、彼は京大出身の先輩だ。
「まぁ、高卒の子の作品はさすがに見る価値なしやろうけど、片付けは自分でせなあかんよな。自分で破いたんやから」
「いいんです。俺は千葉大ですし」
京大先輩は指を額にあてて、ため息をつく。
「あかんよ。そないな態度やから調子乗るねん。……まぁ、ボクから注意はするから、安心し」
余計なお世話だ。いや、わざとか。
先輩は以前にも一橋に俺への態度を注意したが、同僚へのあたりは強くなる一方だった。先輩の細い目が湾曲するのを俺は見逃さなかった。
「……ありがとうござい、ます」
俺はこの会社では最底辺だ。従わざるを得ない。
千葉大学だって、難関大学のはずだ。でも、この会社では努力不足だとなじられる。
「俺は社会に出てからも学歴に縛られるんだな」
吐いた言葉はコール音と雑踏に消える。
高卒の、あの男の目が忘れられない。
「えっ、ハーバード大学ですか!」
一橋の大きな声が部署内に響き渡る。
顔を上げると、同僚の期待に満ちた目と、上ずる口角が脳に焼き付く。周りもパーテーションに注目し、編集長が立ち上がった。
「一橋くん、わたしが代わろう」
「いえ、この案件は僕が」
「いや、わたしが」
いや、いいえと椅子取りゲームが始まり、東大くんが場を収め、最終的に東大の勝ちとなった。編集長は上智だ。
「あの、私は誰でもいいので、私の作品を読んで判断してほしいのですが」
ハーバードの女が困った顔で封書を出した。
東大はニコニコ笑顔でそれを受け取り、確認もせず答える。
「いいんですよ。海外の、それもハーバードのご出身なのですから、自分が担当します。単行本の帯にはどの先生のコメントを希望します? ウチだと早稲田先生とか、おすすめですよ」
「いや、だから作品を――」
「大丈夫です。わかってます。僕は東大法学部出身ですから」
「…………」
こんなやり取りを一橋や上智編集長が指を加えて見ていた。
K出版社きっての高学歴の作者とあって、ウェブや月刊誌に短編を掲載し、単行本をかなり強気に三万部刷った。本屋には一番いい棚に置くように指示を出したようだ。
「えっ、ハーバー先生の本ですか……。あんまり在庫抱えたくないのですが」
「いーえ! これは売れます! 売れなければ世の中がおかしい」
東大くんの言葉が熱を帯びる。
読者のコメントは読んでいるのだろうか。
単行本の帯には『ハーバード大出身の期待の新人、あらわる!』『――これは面白い!』なんて煽ったようだが、他の作家はコメントを残そうとしなかった。
メディア、SNSに取り上げてもらい、発売直後はあたたかい声も……あるはずもない。感想動画や短文SNSの声はかなり厳しいものだった。
『話がとっ散らかってる』
『支離滅裂で言いたいことがわからない』
『画力ない』
東大くんはその声を無視しているようだ。
「あー、先生ですか? え、ネットでエゴサ? 良くないですよ。悪い意見が目立っているだけで……。ちゃんと読んだのかですって? もちろん、面白かったですよ。写植の時も感心しましたし!」
嘘だ。
写植作業も俺に振っている。
「ちょぉっとお待ちくださいね。――おい、千葉大くん。ハーバー先生の漫画の感想を端的に教えてくんない?」
――飛び火してしまった。
「ええっと、主人公よりも脇役のほうが目立っていて、その」
「なに? こんな簡単な質問にも答えらんないの? ……っち、使えねーな」
東大くんも一橋の性格が感染ったのかもしれない。ハーバー先生の件以来、イライラすることが増えていった。
「あー、先生? 名バイプレーヤーたちが魅力的でしたね! はい? いえ、はい……」
数ヶ月後。本屋からの追加注文が止まった。
そして返品を希望する本屋も増えた。
「……ここまで売れないのは、前代未聞だよ、東大くん」
「申し訳ありません」
「メディア戦略も徹底したんだぞ」
「絶版、になるということですか?」
「そうなるな」
東大くんの小さな背中を、一橋はニヤリと目線を送っていた。
「こんなことで鼻を明かせるなんてな」
本当にこの会社は蠱毒だ。
蠢く虫たちが這い上がろうと会社という壺の中でのたうち回っている。弱みを見せた虫の腹を喰い破る。
「それに、写植を千葉大くんに任せていたよな。ちゃんと読んだのか、漫画」
「……いいえ」
「お前なぁ……。わかった。わたしもキミに任せっぱなしにしていたし、改めて先生の漫画を読みなさい」
在庫から先生の本を俺が持ってきて、編集部で読み合うことに。
「……これは」
「素人以下、だな」
上智編集長がつぶやき、東大くんが相槌を打つ。
「読者の声は……かなりひどいな。報告と違うじゃないか」
編集長は老眼鏡を外すと、苦虫を潰した顔で言う。
東大くんは意を決したように、口を開く。
「彼女、ハーバード大卒でもきっと、落ちこぼれだったんですよ。だいたい、そんな学歴の人が漫画家になろうだなんて、気が触れています」
「……そうだな。ハーバー先生には悪いが、今後仕事を振るのはやめておこう。会社の損失でしかない」
俺はその言葉に待ったをかけた。
「待ってくださいよ。なんでもっと作家を育てようとしないんですか」
周りの目が光る。
「は? 千葉大のくせに何言ってんの? 作家を育てるなんてコストなんてないのわかんない訳?」
一橋の発言に皆が頷く。
「漫画なんて読むようなバカ相手なんだ。売れればそれでいいんだよ。それに作家なんて湧いて出てくるだろ」
俺は拳を握り、スーツの内ポケットから退職届を叩きつけた。
「……辞めます」
「ふーん、そうなの。上智編集長、千葉大が辞めるんですって」
一橋のニタリ顔も今日限りだ。
編集長も俺の退職届を受け取り、手で俺を追い払う。
「わかった。今までご苦労さん。まぁ、他でやっていけるなんて思わないことだね」
「わかってます」
……清々した。
こんな気持ちは学生以来だ。
段ボールに私物を入れて、俺は足取り軽く会社をあとにする。
こんなことでもなければ、勢いなんてつかず、ズルズルと在籍し続けただろう。決断は早いほうがいいに決まってる。
お昼のメトロは混雑もなく、座れた。
日差しの眩しさに俺は目をしかめる。
道行く人の顔がいつもより晴れやかに見えたのは、きっと気のせいじゃない。
俺の名前は岡田修平だ。
千葉大なんかじゃない。




