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『人を殺していい世界』について思考実験してみるお話

掲載日:2026/04/06

「どうして人を殺したらいけないの?」


 どこにでもある都内の一軒家。そのリビングでそんな問いが響いた。リビングには二人いる。

 一人は少年。少し生意気そうな10歳ほどの子供だ。リビングの絨毯の上に寝転がり、マンガの雑誌を開いている。

 一人は青年。どこか鋭さを感じさせる顔つきの、17歳くらいの青年だ。ソファに身を預け、スマホをいじっている。その手には薄手の手袋をつけている。スマホの操作に支障がない様子からして、静電タッチパネルに対応したもののようだ。

 

 二人は兄弟ではない。少年の両親は今、子供の面倒を見られる状況にない。そのため青年が、子守りとして少年の世話をしているのだ。

 青年は顎に手を当て、ふむ、と考えた。

 

 少年の開く雑誌。そのページの絵には見覚えがあった。最近人気を集めている殺し屋が主人公のマンガだ。それに感化されて出てきた質問らしい。

 青年がこの少年の面倒を見るのは今日が初めてだ。この家では両親が共働きで子守りを雇うことが多いことは知っている。少年のどこか得意げな顔からすると、初対面の大人にこうした応えづらい質問を投げかけては困らせているのかもしれない。

 

 どうして人を殺したらいけないのか。


 その理由は簡単だ。人道から外れている。社会的に許されていない。人を殺せば恨みを買って復讐される、などなど。答えはいくらでもある。頭ごなしに「ダメなものはダメ」としかりつけるのも、しつけとして正しいことだろう。こうした基本的なルールは、理屈をつける必要もない。

 だが青年はそういう当たり前の対応をしたくはなかった。

 

「それじゃあ、ちょっと思考実験をしてみようか」

「しこうじっけん?」

「そう、思考実験。実際にやってみるんじゃなくて、頭の中だけでどうなるかって想像して試すことだ」

「なんだか難しそう……」

「そんなことないさ。『もしもこうなったらどうなるか』って考えてみるんだよ。『もしも太陽が西から昇ったらどうなるか』、とか、『もしも物を落としたら上に昇るようになったらどうなる』って考えてみる。そういう実験だよ。今回は、『人を殺してもいい世界になったらどうなるか』って考えてみるんだ。そうすれば『どうして人を殺したらいけないのか』、その理由もわかるはずさ」

「なんだかおもしろそう!」


 少年は目を輝かせた。男の子には実験という言葉でワクワクする時期があるのだ。少年はまさにその時だったようだ。

 

「さて、それじゃあ始めようか。……たった今、『人を殺していい世界』になったとする」

「うんうん」


 少年は寝転ぶのをやめて、青年の隣に座った。興味津々といった顔をしている。

 

「君の前にはいっぱい罪を犯した悪人がいる。今も悪いことをしようとしている。そして、君の手の中には強力な武器がある。どうする?」

「悪者なら、やっつけてやるよ!」


 少年はおもちゃ箱まで賭けていくと、そこから剣を取り出した。ボタンを押すと光って音が出るおもちゃだ。それを勇ましく振り回した。

 

「そうやって、君は悪者を殺した」


 その言葉に少年は動きを止めた。『殺す』という言葉にはそういう重みがあった。

 青年は言葉を続けた。

 

「もちろん君は何も悪くない。なにしろ『人を殺していい世界』なんだからね。でもそれを見ていた人たちの中には、他の悪者がいた。悪者たちは集まって、君を殺すことにした」

「そんなの僕がやっつけてやる!」

「悪者はみんな大人で、10人くらい協力して君を殺すことにした。相手も同じくらい強い武器を持っている」

「そんなのずるいよ!」

「ずるくないよ。なにしろ『人を殺していい世界』だからね。そういうこともあるさ」

「そんなあ……」


 少年は肩を落として困り果てた。

 「どうして人を殺したらいけないのか」と問いかける者の多くは、自分が殺されるという可能性を除外して考える。なぜか自分だけが殺す立場にいられるという前提で物を考える。少年もその例に漏れなかったようだ。

 

「さあ、どうする? このままでは殺されてしまうよ?」


 弄ぶように青年は問いかけた。少年は下を向いて汗を流しながら考えていたが、やがてぱっと顔を上げた。


「僕も大人の人に助けてもらうよ! 悪者が殺そうとしてくるから助けてって言うよ!」


 青年はほう、と感嘆の息を吐いた。

 

「よく思いついたね。相手が数で押してくるなら、同じように数で対抗するというのはとても正しい考え方だ」


 褒められて、少年はえへへと照れ笑いした。

 そんな少年を眺めながら青年は話を続けた。

 

「君が仲間を増やすと、悪者たちも仲間を増やした。数で劣っていては勝てないからね。そうして君たちは、お互いに仲間を増やし続けた」

「うんうん」

「でも君は、途中で仲間が減ってることに気づいた」

「え? どうして?」

「仲間うちで殺し合いがあったからだよ」


 少年はぎょっとすると、すぐに首を左右に振った。


「仲間なのに、そんなことするはずないよ!」

「普通ならそうだね。でも今考えているのは、『人を殺していい世界』でのことだ。ちょっとイラッとしたとか、なんだか意見が合わないとか……その程度のことで、人を殺すこともありうる」

「うう~……」


 青年の言葉は正しいものだった。だから少年は言い返せず、唸ることしかできなかった。

 

「そうやって仲間はなかなか増えない。悪者の方も似たようなものだ。これではいつまでたっても決着がつかない。さて、どうする?」


 問われて少年は考え込んだ。たっぷり悩んだ後、きらりと目を輝かせて言い放った。

 

「人を殺しちゃダメっていうルールを作る! 破ったらとってもキツイお仕置きをするんだ!」


 この世の真理を告げるかのように、少年は実に堂々と言い放った。青年はクスリと笑った。少年はすこし恥ずかしくなったのか、顔を赤らめた。

 青年は穏やかな声で語りかけた。


「うん、そうだね。それが正しい答えだ。殺すことをやめさせて仲間を増やし続ける君たちは、とても強い集団だ。一方、悪者たちは仲間がなかなか増えない。やがて君たちは悪者に勝てるだろう」

「やったー!」


 少年は喜びの声を上げ、おもちゃの剣を高々と振り上げた。悪者を倒すことができて、少年はまさにヒーローになった気分なのだろう。ヒーローもののお話なら、そこでエンディングでも流れていることだろう。

 だが青年の話はそれで終わりではなかった。


「そうして君たちはどんどん仲間を増やしていく。やがて村ができて街になって、国になる」

「うんうん」

「そうして世界中が殺してはいけないルールの国ばかりになる。つまり……今とだいたい同じになるというわけだ」

「……あれ?」


 少年は首をひねった。


「『人を殺していい世界』だったのに、『人を殺してはいけない世界』になっちゃったの?」

「なっちゃったね」

「どうして?」

「どうしても何も、君がそういう選択をしたんじゃないか」


 少年は腕組みをして考え込んだ。ああでもない、こうでもないとぶつぶつ呟きながらあれこれ考えているようだが、これといった結論は出せそうにない。

 人を殺してはいけないという理由は様々だ。古代においては厳しい生存競争の中で生き残るためには数が必要だった。時代が進み、社会秩序の安定のために殺人は許されなくなった。現代においては道徳的、感情的なことも理由として大きいだろう。

 だが青年にとっては、この思考実験のような「必然的にそうなった」というのがしっくりする。

 

 青年にとって、『人を殺してはいけない世界』というのは絶対のことだった。少年にもそのことを理解してほしかった。

 これは子守りのバイトをしているという職業意識によるものではない。そもそも彼は、実は子守りのバイトではない。

 この青年は、殺人鬼なのだ。

 

 

 

 

 青年は普段からいろいろな町を訪れては、殺人に適した家を探していた。この家はそうして目星をつけた家のひとつだった。

 早朝、家に侵入した。共働きの夫婦は疲れ切っていて、夜は遅く早朝は深い眠りに落ちている。そこを狙って命を奪った。

 痕跡を消して部屋を出たところで、トイレに行こうとしていた少年と出会った。大声を出されては面倒なので、両親は急な仕事で出かけて、子守りである自分が留守を任されたのだと嘘を吐いた。事前の調べでこの家が頻繁に子守りを雇っていることは知っていた。

 

 少年はこの嘘を疑うこともなく信じた。こうしたことはよくあることのようだった。

 そこで青年はいたずら心が湧き出てきた。このまま子守りのふりをしよう。そして適当なタイミングで少年に両親の死体を見せよう。そんなサプライズをしようと思っていたのだ。青年にとっては殺人の余興のようなものだった。

 殺人を犯した家に長居するのは危険なことだが、たまにはそうしたスリルを楽しむのも悪くないと思った。それでも指紋を残さないよう、手袋は外さないように注意した。

 

 とりあえず適当に朝食を作ってふるまい、少し時間が空いた頃。そろそろ死体を見せに行こうと思ったところで、少年が問いかけてきた。


「どうして人を殺したらいけないの?」


 殺人とは道を外れた行為だ。青年にとって、だからこそ快楽を感じるものだった。『人を殺してはいけない世界』というのは揺るがない大前提だ。

 それなのに、こんな疑問を持って殺人の是非があいまいな子供に両親の死体を見せても台無しだ。だからと言って殺人鬼である青年が「人を殺すのはダメなこと」だとしかりつけるのは、なんともおかしなことで、ひどく格好が悪いことに思えた。だから思考実験と称して「人を殺してはいけない理由」を自分から導き出すように誘導したのだ。

 

 

 

 少年はまだうんうん唸って考えている。なにか答えを出したらそれを聞いてみたい。そうしたら、両親の死体を見せてやろう。人を殺すのがいけないことを理解した少年がどんな反応を見せるか……楽しみだ。あまり騒ぐようならすぐに殺そう。なにか話ができるなら、会話を楽しめる間は生かしてもいいかもしれない。

 いずれにせよ、この少年を殺すことに変わりはない。青年は殺人鬼だからだ。



終わり

※作中で提示された「人を殺してはいけない理由」はあくまで一例に過ぎません。これが一番正しい理由だと主張する意図はありません。大丈夫とは思いますが念のため。


子供に人を殺してはいけない理由を聞かれたどうやって納得させようかと考えました。

それで思考実験のまねごとをするという方法を思いついたのですが、実際に使う機会は訪れませんでした。

ある日、これをちょっといじればお話ができるのではないかと気づきました。

それでこのお話ができました。

ネタ切れに苦しむことも多いのですが、こういう意外なところからお話ができることがあります。

やっぱり創作というものは奥が深いなあと改めて思います。

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