01-07.下層にて
ラァは夢を見ていた。
時間がせまる青年との別れも、孤児院の鬱屈とした日常もない穏やかな世界。
それが突然の痛みで壊された。
「痛!!」
下半身の圧迫感。突き刺すような痛み。
なにが起こったのかわからなかった。
「あれ? 起きちゃった?」
スゥの、鼻につく甲高い声が聞こえた。
ラァは身を起こそうとしたが、手足をおさえられて動かせなかった。スゥのいつもの取り巻きが両腕を、足はヅェが、三人がかりでのしかかっていた。
「あたしの上からどけ!!」
ほえるように怒鳴るが、スゥたちはケラケラと笑う。
「おまえが悪いんだろ? 先に手を出したのはおまえだ! ぶさいくで性格もわるいのに、わたしにたてついたんだから!」
そこでラァはきのうのことを思い出した。食堂で声をかけてこないからあの件は終わったと思ったが、スゥは時間をおいてラァが無防備になるこの瞬間を狙っていたのだ。
「いいからどけ!!」
ラァの抵抗もむなしく、ワラ布団から動けない。すると、また痛みが身体をつらぬいた。
「知ってる? ここ、穴があるの。この奥を壊すと、いっしょう子どもが産めないんだって! あはは!」
笑いながら、スゥはかたいものを股間に押し当ててくる。身をよじって顔をかたむけると、ラァの杖が股間にねじこまれようとしていた。
ラァはぞっとした。
尿がでるところに杖のはいるような穴はないはずだ。杖が股から脳天まで突き刺さる想像をしてしまい、とたんにからだが震えはじめた。
杖が押しつけられるたび、皮膚がつっぱられ痛みを感じる。血がでているかもしれない。なかに入らないように力をいれて耐えるが、いつまでもつかわらない。
薄明かりの中助けを求めるように声をあげるが、その努力もむなしくスゥたちの笑い声にかきけされた。
必死に身をよじるうちに、ラァは顔だけは自由なことに気づいた。ねらいは左腕をおさえる小柄な少女。腕に馬乗りになっている彼女の、無防備な太ももにかじりついた。少女は悲鳴をあげ、体勢を崩す。そのまま左手で、右腕にのった少女の太ももに爪をつきたてた。重心を動かした少女の股下から左手を引き抜き、両手でスゥの髪をつかむ。力のかぎりひっぱった。スゥは聞いたことのない耳障りなおたけびをあげ身をひいた。足の上で呆然とするヅェを突き飛ばすと、ラァは杖をひろいその場から急いで逃げた。
逃さないと手を伸ばす少女たちの腕をがむしゃらに杖をふりまわして拒絶する。
死に物狂いで杖をふりまわし、やっとのことでラァは就寝小屋から脱出した。
小屋のかげに隠れて、息をひそめる。
慄えるからだを抱きしめながら、耳をすまし様子をうかがった。
足音はしない。どうやら追ってきてはいないようだ。ラァはようやく安堵の息をついた。
いままでスゥのいじわるを何度も受けたが、このようなことは初めてだった。このあとどうすべきか考える。
ふと顔をあげると、遠くの当直部屋に灯りがともっているのがみえた。ラァは考える。
(職員はたいていスゥびいきだけど、さすがに今回のことはスゥが悪いよね……)
子ども同士だと、どうしても悪意がつよいスゥが勝つ。しかし、職員は大人で力もあり、工場をまわす職務もあって大事な線引きは守ってくれる。
そう考えると、ラァは当直部屋に向けて歩き出した。
部屋をノックすると、すぐに職員が扉を開いた。
「ん? ラァじゃないか。こんな夜中にどうした?」
普段より顔が赤いのが気になったが、この男は職員のなかでも比較的穏やかな記憶があった。ラァはこの男に殴られたことがない。安心して、状況を説明するため部屋にあがらせてもらう。
清潔な部屋のなか、職員は真摯にラァのはなしを聞いてくれた。
ことの発端は、ヅェがいじめられていたこと。それを助けたら、スゥが報復しにきたこと。声が震えるのを必死におさえながら、スゥが寝込みを襲い股に杖を刺そうとしてきたことまで話した。
やはり、とても重い罪なのか、股のはなしをした時点で職員の顔が変わった。
「大変だったな。いい軟膏があるんだ。怪我をしてるかもしれないからみせてくれ」
眉を八の字にして、職員はそう言った。
ラァはすこし戸惑いながらも、職員に言われるがまま横になりワンピースのすそをたくしあげ、ぎゅっと目をとじた。
「かわいそうに。すこし血がでているよ」
そういって、股間を指で触られる。ひりつく痛みにラァがからだを震わすと、「ごめん、いま軟膏を塗るから」と職員は謝った。
ひやりとした感触を感じる。鳥肌がたつのを感じながら、ラァは服を握った拳をにぎりしめてやりすごした。やさしく患部をなんどもこすられる。痛みはもうなかった。もう終わりかと思ったそのとき、ぷつりと指が差し込まれた。
「え……」
「なかも怪我しているかもしれないからたしかめるよ」
職員の声音は優しかった。しかし違和感がぬぐえず、ラァが目を開けると、職員はいつのまにかズボンを脱ぎ下半身をあらわにしていた。
「指だと届かないかもしれないからね、大丈夫、優しくするから」
ラァは全身が粟立つのを感じた。理由はわからない。職員はいままでにないくらい優しいはずなのに、不快感がからだ中にこみあげる。
「もう、くすりぬってもらったから、あ、あの、大丈夫……」
「だめだよ、なかを怪我していたらどうするんだ」
身をよじり、逃げようとするラァのからだを職員は両手でつかんだ。恐怖のあまり、あいた右足で職員の股間を思わず蹴りあげた。職員は鈍い悲鳴をあげ横にころがる。
ラァはその隙に、急いで杖をつかみ立ちあがった。
職員がなにか叫んでいるが意味はわからない。がむしゃらにその場を離れ部屋をでた。外はすでに明るくなっていた。
スゥの襲撃と、職員とのできごと。
ラァの頭のなかは気持ち悪さで埋め尽くされていた。
本来なら午前の就業をすべき時間、ラァは動く気も起きず生垣に隠れてやり過ごした。
寝てないのに目が冴えてしかたがない。気を抜くと、夜中のいやな光景が脳裏に浮かびあがる。なにも食べていないのに、喉になにかがつっかえているような不快感があり、お腹が気持ち悪さでずっとぐるぐると渦巻いている。
たったひとつの救いは、今日青年とお昼になれば会えることだった。
息をころし身を縮めて、近くをとおる人をやり過ごし、ラァはそのときを待つ。ながいながい時間がすぎ、太陽が天までのぼったとき、ラァは杖をもって駆けだした。
はやく青年の顔がみたかった。
今日で最後だというのはもういい。ただ彼はいつだってラァに幸福をくれた。あの嫌な記憶を忘れて、青年の笑顔で満たされたかった。
いつもの場所に到着したラァは、息をきらしたままあたりを見まわす。風で洗濯ものがはためいている。
青年はまだきていなかった。
いいようのない苦しさを覚えて、ラァはその場に座り込んだ。しばらくうつむいていると、芝生をふむ足音が聞こえた。
足音のほうに振り向く。
会いたくてしかたがなかった青年。しかし、そこにいたのは彼だけではなかった。ヤゥとジェ。ラァと同じく足を欠損した年下の少年たち。
(あたしだけじゃなかったんだ……)
青年はラァに気づくと、いつもの綺麗な顔で挨拶をし、ラァたち三人の手にちいさな紙のつつみをくれた。開けるとなかには、最初にもらった綺麗なあまい球があった。
(最後の贈り物って、これなのかな……)
嬉しい。そのはずなのに、あのときのような感動がない。むしろ失望さえあった。ラァがうつむいていると、遠くから声が聞こえた。
「アメヤ!!」
「チェザーレ、待っていたよ。そろそろくる頃だと思ってたんだ」
アメヤが振り返って言った。彼の視線の先、鉄柵のむこうに馬車がとまっているのがみえた。そこでチェザーレと呼ばれた男性が必死にアメヤに話しかけている。
(誰だろう……)
ラァが疑問に思っていると、チェザーレが突然宙に浮いた。
「うわああああああ!!」
彼は絶叫をあげながら柵を飛びこえこちらに飛んできた。不恰好な姿で地面に降りたつ。
アメヤに早口で文句をまくしたてていたチェザーレが、ふと思い出したようにこちらをみた。
「この子どもたちは……? ここは工場ですよね?」
チェザーレの疑問に、ヤゥとジェが答えた。
「そうだよ、ぼくたちがはたらくコウジョー」
「ちがうよ、コジインだよ」
そのとき、チェザーレが顔を歪めたことにラァは気づいた。チェザーレの苦いものを飲みくだしたような渋面が、へらへらとした笑い顔に変わるのを見て、ラァはへんな人だと思った。ぱんと、軽く手を打ち鳴らした音が響く。
ラァは、それていた意識をアメヤに戻した。
いやなことがたくさんあって吐き出したい思いが、アメヤの綺麗な顔をみると、すべて忘れていくような心地があった。
「杖をからだの前でついて」
ラァは言われたとおりにした。すると、握っていた杖が突然折れてしまった。
「あ」
倒れる。ラァは焦って目をつむる。しかし衝撃はこない。あのときのようにアメヤが抱きとめてくれたのか。そう思って目をあけると、そこに彼はいなかった。なのにからだは倒れない。ふと違和感を感じ左足をみる。
そこには折れた杖がくっついていた。
「一歩、踏みだしてごらん。きみたちは歩けるはずだ」
ラァにはその意味がわからず躊躇した。すると横から高い悲鳴が聞こえた。
ヤゥとジェがその場で小さく跳ねている。杖もなしに、まるで足があるように跳ねているのだ。
ラァの視界がかげった。視線をあげれば、アメヤがラァの視線に高さをあわせて微笑んでいた。
「いやなことを我慢するのも、それに立ち向かうのもきみの自由なんだ」
その声音は、どこまでも優しく聞こえた。軟膏をぬった職員とは違う、春のあたたかい陽気のような身にしみる声。
右手を差し出されて、ラァは震える手でそれをつかんだ。
「きみは自由に歩けるんだ」
アメヤの声かけに勇気をふりしぼり、一歩踏みだした。
生まれてはじめて、ラァはあるはずのない左足で地面の感触を感じた。とたんに涙があふれてくる。
にじむ視界のなか、ふと視界のはじにうつったチェザーレもなぜか泣いていた。やっぱり変な人だと思ったが、いやな気持ちはしなかった。
はしゃぐヤゥたちと手をつなぎ、ぐるぐるとまわる。なにが楽しいかもわからない。なのに笑いが込みこみあげて、おさえられない。
気がつくとアメヤの姿は消えていた。
たったの三日間。けれど人生で最高の三日間だった。最後まで幸福をくれたアメヤ。
ほんとうはここから連れだして欲しかった。絵本のような日々を暮したかった。けれど、叶わぬ夢だと知っていた。
いまは感傷よりも、ラァの心はやる気で満ちていた。
ラァにはやりたいこと、いや、やらなければならないのとがある。アメヤから足をもらったいまなら、それをやり遂げるのはたやすいだろう。
「……そう、あたしは自由なんだ!」
ラァは意志の宿った瞳で、宙をみつめた。




