01-05.孤児院(2)
その夜、ラァはわら布団の中で青年からもらった球を握りしめていた。本当は月明かりに照らしてながめたいけれど、ほかの子どもには知られたくない。大事に包むように握っていると、驚くことが起きた。手にべたべたとくっつきはじめたのだ。
(なんで……? せっかくもらったのに……)
大事にとっておこうと思った球だが、それは許されないらしい。しかたなく口に頬張ると、強い甘みにラァは幸福を感じた。
(明日のお昼がたのしみ……)
名前も知らぬ、美しい青年。転びそうになったラァを抱き止め、優しく微笑んでくれた。
絵本の物語でもなく、妄想のなかでもないラァの身に起きた出来事。夢かと疑いそうになるが、口内の甘みが現実である証拠だ。
何度も何度も、たった数分の出来事を繰り返し思いだし、ラァは人生で一番幸せな夜を過ごした。
翌日、午前中の仕事を終えたラァは上機嫌で食堂に向かっていた。あと少しで青年に会える。それだけでいつもの風景が輝いて見えた。
「やめて! 返して!」
それが聞こえたのは、廊下をつきあたりを右に進んだときだった。背後から聞こえた声に、ラァは振り向いた。
「お願いします、返してくださいでしょー?」
「調子にのってるよこいつー」
「あははははは! きも!」
廊下の端で、スゥと取り巻きが騒いでいた。スゥ達にかこまれて床に座り込んでいるのはヅェだ。ラァとは反対の右足を根本から欠損した年下の少女。ヅェは、杖となぜかスカートを剥ぎとられて下着姿でいる。
「なんか下着にシミついてない?」
「うわ、きっもー」
「あはははははっ」
下卑た笑い声に、醜悪ないじめ。
いつもなら、ラァはそのまま無視して食堂に向かっただろう。ヅェはきのう食堂で隣の席に座っていたのに、ラァを助けてくれなかった。
しかし、今日のラァはいつもと違った。
ラァは靴を脱ぐと、スゥの顔めがけていきおいよく投げつけた。横顔に突然の衝撃を受けたスゥは、ぎゃあと悲鳴をあげながら横の二人を巻き込んで床に倒れた。
ラァは杖をうまく使いはや足で駆け寄ると、スカートをつかんでヅェに放り投げた。
「あ、ありがとう」
「あとは自分でなんとかして」
ぎゃあぎゃあと文句をいいながら立ちあがろうとするスゥの杖に自分の杖をぶつけると、またスゥを転がった。
そのうちにラァはその場を離脱し、食堂に駆け込んだ。スゥたちが文句をいいにくるかと身構えたが、杞憂で終わった。ラァをにらみつけて、こそこそと話しあってるだけで近寄ってはこない。
ラァは安心して食事を食べきると、はやる気持ちを抑えながら洗濯広場へとむかった。
きのうの場所には、すでに青年が待っていた。
「こんにちは。元気そうだね」
「……うん! 元気!」
青年は微笑むと、ポケットから二枚きれいな布を出して芝生のうえに敷いた。
「どうぞ」
するりとラァの手をとり、そのうえに座るのを補助してくれる。
はじめてのエスコートにどきどきしながら、ラァは青年の滑らかな手を握った。青年は、ラァの隣に座ると懐から白い包みをだした。
「今日はパンを持ってきたよ」
「えっ、パン?」
青年に会えたことは嬉しい。しかし、『明日はもっといいものを』を言っていたからラァは期待してしまった。きのうは食べられる宝石というとても貴重なものをもらったものだから余計にだ。
(パン……パンかぁ……)
テンションを下げながらもラァは青年から包みを受けとり、なかをひろげると、そのパンは白かった。
「これパンなの!?」
青年は笑みを浮かべて頷いた。
ラァが知るパンは黒いものだ。そしてとても硬く、スープにひたすか、時間をかけて前歯でガリガリとけずりながら食べるしかない。
おそるおそるラァがパンに歯をあてると、あまりの柔らかさに驚いた。口に含んで噛むと、じゅわっと甘みが溢れ出した。
「んん!」
きのうの球に負けぬ、強烈な甘み。しかし、ラァにはこの風味に心あたりがあった。
「なかにブドウのジャムとバタークリームがはさんであるんだ。ブドウ好きでしょ?」
ラァはこくこくと頷いた。
(覚えててくれたんだ……!)
顔があつくなり、なぜか涙が浮かんでくる。ラァはそれがこぼれぬよう必死にこらえながら、ゆっくりとパンを食べきった。それを見届けてから、青年はゆっくりと立ちあがった。
「そろそろ行くね」
「え」
「明日また同じ時間に。最後になるけど────」
「い、嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だ!」
最後という言葉に、ラァは大きな声をあげて拒否した。けれど青年は微笑むだけだった。
「最後の贈り物は、きみが自由になるための道具をあげるよ」
その夜、ラァはわら布団のなかで嗚咽をもらしていた。
「ねぇ、うるさいんだけど!」
同じ部屋の子に注意をされ、ラァは声を押し殺して泣き続けた。
私だけの名前も知らない王子様。
引き止めたい。ずっとそばにいて欲しい。けれど、ラァにもわかる。ラァは孤児で、足りないのは左足だけじゃない。彼を引き止めるものが何もないのだ。
けれど、青年は言った。
『最後の贈り物は、自由になるための道具をあげるよ』
(自由ってなんだろう……)
孤児院は不自由だ。働かねばならず、職員に監視され、いじめがあちこちで横行している。
(もしかしたら、ここから連れだしてくれるのかな……)
ラァの頭に浮かぶのは、青年と歩む外の世界。職員から聞いた孤児が苦しむ現実ではなく、絵本で読んだキラキラとした世界だ。
きれいなドレスに、美味しいごちそう。大きなお城と舞踏会。そこで手をとり踊る、ラァと青年。
ラァは幸せな夢を思い描きながら、泣き疲れて眠りに落ちた。




