01-04.孤児院
古びた木製のトレーに、冷めたスープと硬いパン、それからブドウが三粒置かれている。これを一回の食事として満足できるかは人によるが、ラァにとっては果物が食べられる半月に一度の当たりの日だった。たとえ三粒だとしても、その甘さを想像するだけでラァの気分は上昇していく。
(楽しみは最後にとっておこう)
ブドウを指先でひと撫でしてから、パンを手にとったとき、顔の横を何かが通り過ぎた。とっさに振り返ると、左手で杖をついたスゥが嫌な笑みを浮かべてそこに立っていた。その右手は何かを握りしめている。
急いでトレーをみると、さっきまであったブドウがない。
「やめて! 返して!」
「やだ、三粒じゃ足りないもん」
スゥの嫌がらせはいつものことだった。誰か味方をしてくれないかとラァは周りを見回すが、食堂にいる誰もが視線を外して目を合わせようとしない。心配そうに見つめる友人もいるが、席が遠く駆けつけられそうにない。
するとスゥは、ラァに見せつけるように、ブドウを口に入れようとする。その身体を、ラァは腕をのばして突き飛ばした。左足のないスゥの身体は簡単にバランスを崩し、床に尻から落ちていく。その衝撃で潰れたブドウを見て、ラァは悲鳴をあげた。
「なんてこと!」
唯一無事なブドウを拾おうとして、ラァは転がるように這いつくばる。指先がブドウに触れたとき、
「うるさい! なにしてるんだ!」
騒ぎを聞きつけた職員の声が届いた。
(最悪だ……)
ラァはこっそりとポケットにブドウをしまいながら、カツ、カツと音を立てて近づいてくる職員を見上げた。
「どちらが悪い?」
床に転がる二人を見ながら、職員は不機嫌そうに問いた。
「悪いのはラァ! あたしを突き飛ばしたの!」
「悪いのはスゥ! 私のブドウを盗んだ!」
「そうか、悪いのはラァだな」
悩むそぶりもなく断定し、職員は非情に宣言を下した。
「罰として、昼食後の洗濯一週間を命じる」
それだけ言うと、職員は二人に背を向けた。
「ああ、それから」
振り返った職員が、ラァを指さした。
「ポケットの中身も出しなさい。残りの食事も没収だ。染みがついていてみっともないから、それも洗うように」
「最悪、本当に最悪」
ラァはぶつぶつと呟きながら、洗濯物をすすいだ。薄汚れた灰液が、荒れてささくれた指にしみる。ラァの心もささくれだらけだった。
スゥがラァに意地悪をするのはいつものことだ。そして、職員がスゥを優遇するのもいつものことだった。
理由はわかっている。スゥは、黄色い髪と緑の瞳を持っている。それに比べてラァは、赤錆色の髪と瞳。年齢、身長、左足の欠損まで同じ二人なのに、容姿の違いでこうも差別されるとラァの心も挫けそうになる。
だが、いくら不満があっても、ラァ達には他に行くところなどない。
ここは貴族が出資する孤児院であり工場だ。
親がおらず、身体に欠損のあるラァたちは、都市の外に出たら仕事もなく飢えて死ぬのだと教わった。運よく仕事を得ても物のように扱われ、長くは生きられないと聞く。
それに比べれば、雨を気にせず毎日わら布団で寝られて、食事が与えられるだけでもラァは幸運に恵まれた。
(そう、あたしは幸運なんだ)
そうやって自分を慰めようとしても、やはり心に刺さった棘は簡単に抜けない。
こんな時、ラァにはとっておきの方法があった。
自分だけの王子様を妄想するのだ。この国には皇太子がいないことすら知らないラァだが、絵本で読んだ見目麗しい王子様を想像することはできる。
ある時は金髪の王子様、ある時は妖精の王子様、獣人の王子様を空想するときもある。
「いつか王子様が、迎えにきてこう言うのよ『きみを幸せにしにきたよ』って」
想像のなかのラァは、綺麗なドレスをまとって王子と並び、ご馳走に囲まれている。すると、ぐうと音をたてて腹が鳴った。空腹感を感じてラァは現実にあっという間に引き戻される。
「ブドウ、食べたかったな……」
口にだすと、悔しさがこみあげてきて視界が滲んでいく。涙がこぼれぬように立ちあがり空を見上げると、どんよりした灰色の雲が目に映った。
空ですら、ラァの心を励ましてはくれない。
また込み上げる涙を乱暴にふくと、ラァは振りあげた腕のいきおいで重心を崩した。
(わ、倒れる……!)
とっさに目をつむる。しかし、想像していた衝撃がこない。
おそるおそる目を開けると、至近距離に見知らぬ顔がありラァの肩がはねた。
「大丈夫?」
優しく問いかけるのは、綺麗な服をまとった青年だった。
「王子様……!」
悲鳴に近いラァの言葉に青年は、否定せず微笑みを返した。
ラァはうっとりとその顔を見つめたあと、今の状況を思い出した。
「あ、ごめん!」
謝りながら、ゆっくりと地面におろしてもらう。
前髪を手で撫でつけながら、目の前の青年を観察する。艶のあるさらさらとした髪、シミひとつないきめ細やかな白い肌。孤児院にも若い男性はいるが、ラァはこんな美麗な男性を見たことがなかった。
青年はラァの隣に腰をかけると、
「悲しいことがあったの?」
と問いかけた。
「あ、ブドウが……」
つい本当のことを言ってしまい、ラァは羞恥で顔を赤くした。
(あたしったら、王子様に食い意地がはってると思われちゃうじゃない!)
心の中で弁明しても、思い出したブドウの悲しみに、また涙があふれてきた。
「手を出して」
青年の言うとおりに手を広げると、その中央になにかが置かれた。
それは薄い紫色の半透明の球だった。
初めてみるそれをラァは絵本で読み知っている。
(なんてこと! 宝石だわ!)
ラァの心は浮き足だった。
「ありがとう!本当にありがとう!大切にする!」
笑顔のラァに、青年はゆっくりと首をふった。
ラァはショックを受けるが、すぐに考え直した。宝石など、本来孤児のラァが持てるようなものではない。もし貰えたとしても、ほかの子どもたちに知られたら盗まれるだろうし、職員にばれたら没収されるだろう。
(こんな綺麗なもの、触らせてもらえただけでも凄いことだし……)
名残惜しそうにしながらも、ラァは青年に返そうと手のひらを差し出す。それを青年は白い指でつまんでラァの唇に押し当てた。
「口を開いて」
おそるおそる口を開くと、宝石だと思っていたものを口の中にいれられて困惑した。
「舌の上でゆっくり転がして」
硬直していたラァだったが、それが舌に触れた瞬間、強い甘みに痺れたような衝撃を受けた。
(なにこれ……!)
じゅわりと唾液があふれ、口内が初めての甘さで侵されていく。
(凄い! ブドウなんか比べものにならない!)
食べられる宝石など聞いたことがない。そんな珍しいもの、世界でも食べられる人は限られてるのではないかとラァは思う。もしそうでなかったとしても、この孤児院では食べたのはラァだけだ。
そう思うと、先ほどの憂鬱は吹っ飛び、おおきな幸福がラァの心を満たした。だが残念なことに、楽しい時間を吹き飛ばすラァを呼ぶ声が届いた。
(あのキンキン声はスゥだ……)
「呼ばれてる?」
げんなりとしたまま頷くと、青年は少し考えたそぶりを見せたのち、
「明日はもっといいものをあげる。また同じ時間にここで」
そう言って去っていった。
(夢だったのかしら……)
ラァはとっさに心配になるが、口の中にはまだ甘い宝石が残っている。
「スゥにだけは知られたくないわ!」
口から飴玉を出し靴下に隠すと、ラァはバレないように急いで洗濯を再開した。




