01-02.地上の楽園
「あああッ!!」
チェザーレは、絶叫とともに瞳を開いた。
その視界に映るのは、石造りの壁もなければ燭台もない、見慣れた馬車のなかだ。
(夢、か……)
ゆっくり息を吐き安堵するチェザーレだったが、恐怖の余韻で身体が小刻みに震えていた。
「寝るのはいいけれど」
ふいに声をかけられ、喉がひゅっと音をたてた。声の方向に顔を向けると、不満そうに目を細めている青年と目があった。
おさまりかけた鼓動が早くなる。
チェザーレの瞳に映ったのは、さきほどの夢に出てきた漆黒の青年。
チェザーレはとっさに額をおさえた。痛みはない。そのはずなのに、なぜだかとても疼いて仕方がない。
(夢のせいだ……)
チェザーレが動揺するのも仕方がない。夢は夢でも、先ほどの光景は現実にあった悪夢なのだから────。
「まだ寝ぼけてるの?」
「……き、きみが。アメヤに殴られた傷跡が……」
腕がふいに伸びて、チェザーレはびくりと肩を揺らした。かたく目を瞑るチェザーレを気にした様子もなく、アメヤは手のひらでチェザーレの髪をかきあげた。じっと見つめてから手を離し、アメヤは淡々と告げる。
「大丈夫、治ってる」
ただ返事もせず、身体を硬直させたままのチェザーレに、アメヤは眉を歪めて大きく溜め息をついた。
「何度も言っているけれど、見知らぬ土地で、外国人に囲まれていたら身の危険を感じるのは当然だ。あれは正当防衛であり、不幸な事故だ」
呆れたように吐き捨てたアメヤは、それだけ言うと手もとの本に目をうつした。すでにチェザーレに興味はないようだ。
(アメヤの言い分は間違ってはいない)
あれは、正当な理由をもって行われた儀式だ。しかし、突然異世界から召喚されれば当事者は混乱し、身の安全を守ろうとすることはチェザーレも納得できる。
(けれど……)
鉄製の燭台で無抵抗な人間を殴っていく行為は、正当防衛をはるかにこえる残虐な行為だった。
なによりもおぞましいのは、暴力を振るいながらアメヤは笑っていたのだ。
アメヤの狂気を思い出して、チェザーレは背筋がぞっとするのを感じた。
────次の瞬間、鈍い金属音がチェザ─レの背後で響いた。
驚いて尻餅をついたチェザーレに、続いて地面の振動が襲いかかる。
「ひぃっ!」
頭を抱えて床に伏せているチェザーレとは対照的に、アメヤは楽しそうにチェザーレを眺めていた。
「アメヤ! こ、ここは危険です!」
「大丈夫。ほら、見てごらん」
アメヤの視線の先では、窓の外、景色が切り取った絵画のように現れた。それがゆっくりと下方に流れていく。
そこでチェザーレはやっと理解した。馬車がなぜか上昇しているのだと。しかし何が起きたかわかっていても、怖さは薄れない。
「なぜ馬車が浮いているのですか!?」
そこでチェザーレは思い出した。アメヤ一行が向かっていたのは天空都市。
(天空に向かう最中なのか!?)
チェザーレは、自身がうたた寝してる間に最初の目的地にたどり着いたことを悟った。
しかし、理由はわかっても理屈はわからない。重金属がこすれる轟音と謎の浮遊感。不安は増すだけだ。
「アメヤ!今どういう状況ですか!?」
「都市に向かってる」
チェザーレの焦りとは反対に、アメヤはいつものように最低限のことだけを答えただけで本に目を向けたままだ。
焦ったチェザーレは、仲間の最後のひとりに助けを求めた。馬車を操る御者席へと通じる窓を叩く。
「ジュータロー!」
「聞こえてんよ。今は天空都市に向かう上昇機構に乗ってんだ」
答えを聞いても、轟音がチェザーレの安心を許さない。
「そ、それは安全なのですよね!?」
「そりゃそうだろ?いま、たくさんの人が鎖を引っ張って部屋ごと引きあげてるらしいから」
部屋を人力で引きあげる。
力尽きた人が手を離し、部屋が落下する映像がチェザーレの脳裏に浮かび、彼は悲鳴をあげた。
「ア、アメヤ!やはり危険です!落下したらどうするのです!?」
「落ちたとしても、俺なら問題ないからね」
(アメヤはそうかもしれないけれど……)
助けを求めるように御者席に目を向けると、
「大丈夫だって。落ちたら着地と同時にジャンプすりゃいい」
口角をあげてジュータローは自信満々に告げた。
さすがのチェザーレでも、上手くいくわけがないとわかる。最悪の想像が頭から消えずチェザーレは顔を真っ青にした。
「きみは本当に面白いよ」
アメヤはくすりと笑ったあと、窓の外に控えていた身なりの良い初老の男性に話しかけた。
「この仕掛けは王都にはなかったけれど、事故が起きたことは?」
「いいえ、一度もありません。万が一機構に不具合が起きても落下防止の装置がついております」
「それは素晴らしいね」
落下防止にひとまず安心したチェザーレだったが、次の瞬間に疑問が浮かんだ。
『機構の不具合』『素晴らしい』───その言葉は、単に技術力のことなのか。それとも、この部屋をひっぱりあげる人力を準備していることなのか。
チェザーレは言葉の本質を捉えようとしたが、アメヤの表情からはなにも汲み取れなかった。
馬車のなかの会話が一旦途切れてから、初老の男性が口を開いた。
「これから皆さまが向かいますは、国内最高峰の地上百メートルの場にございます。周りを遮るものがなく、まるで宙に浮いた特別な場所であることから、天空都市と呼ばれております。
なお目的地の最上階は、貴族階級の尊い御方と一部の上級市民のみだけが入ることを許されますゆえ、国内一の治安を誇ります」
「上層……?」
口を挟んだチェザーレに、初老の男性はガラスごしに笑みを浮かべた。
「この都市は、三層に分かれた構造をしております。下層は下級市民、中層には一般市民がおりますが、階層ごとに検問が敷かれており、皆さまが彼らを目にすることはございません。滞在中は安心してお寛ぎくださいませ」
下級市民と一般市民。まるで悪しきことのように語る男性に思うことはあるが、ここでチェザーレが反論を唱えたところで状況は変わらない。チェザーレはもやもやとした気持ちを飲み込み、男性の言葉に耳を傾けた。
それからいくつかの解説を受けていると、「まもなく到着いたします」という声ののち、ひとつ大きな揺れとともに部屋は最上階へ辿り着いた。
「どうぞこちらへ」
そうして通されたのは、馬車ごと乗り入れる場とは思えない毛足の長い絨毯が敷かれた豪奢な部屋であった。入り口には関門開きの扉が開けはなたれており、外の様子が目に飛び込んできた。
広場の中央には、水神・アリアスが象られた大きな噴水がそびえ立ち、流れでる水がきらきらと陽の光を反射している。その後方に見えるのは、白一色で統一された石造の街並みだ。
アメヤの後ろを歩みながらチェザーレは目をせわしなく動かす。王宮勤めであったチェザーレは、数多くの贅沢を見てきたが、ここはそれと遜色のないほど贅がふんだんに使われている。先ほどの馬場も、広間も、上昇する部屋も。神官見習いとして生きてきたチェザーレからすると、生きる世界が違う場所に、緊張と好奇心でその心は掻き乱された。
広間には多くの人が行き交い、みな使用人を連れている。しかし彼らとは一定の距離を保ったまま案内されているようだ。
(これも、救世主の力か……)
そのまま、用意された馬車に三人で乗り込む。
馬車が動き出すと、「素晴らしい!」と声をあげたアメヤに驚いた。
もちろんこちらも豪華だが、特に変わった部分は見当たらない。
「わからないのか? この揺れのなさを! ほら、線路が敷かれているんだ」
アメヤの指摘で後部の窓から外を見ると、確かに金属製のレールが道路上に二本敷かれ、車輪が噛むことによって揺れのない走行ができるようだ。
「この世界で本当に残念なのは馬車だ。乗り心地が悪すぎる」
チェザーレにはそもそも馬車に乗る経験もなかったのでわからないが、アメヤは乗り物に関して不満がおおいにあるらしい。小言を聞きながら、窓からのぞく街並みを見ていると、先ほどの広場から見えた石造りの街並みがのぞいた。
しばらくすると景色はかわり、見慣れない木造の街並みが現れる。凝った装飾の目立つ建造物は石造りの街並みとも劣らぬ美しさがあり、そのオリエンタルな雰囲気が、まるで外国に訪れたかのような錯覚をいだかせた。ここからでは先ほどの白い街並みは見えず、余計に異国に迷い込んだような感覚を覚えた。
ゆっくりと馬車は進み、そのあいだ景色は何度か印象を変え、ようやく目的地へと訪れる。
門番が鉄柵の扉を開けて入ってすぐ、窓越しに広大な庭園が目に入る。神話にちなんだ造形のトピアリーが各所に配置され、花壇と水路が色のハーモニーを奏でていた。
進行方向に現れたのは広場にあったものより大きな噴水。そばのベンチに寝そべる女性たちが見えて目を向けると、ほぼ裸体なことに気づきチェザーレは慌てた。
「な! あの人たちは何なんです!?」
「絶景だ! ミューズだ! ここは楽園だ!」
鼻の下をのばす軽薄なジュータローはさておき、アメヤはいつも通り涼しげな顔で言った。
「まるでパノラマ島だね」
「パノラマ島?」
「地上の楽園の例えさ。空間を利用してまるで一枚絵のような景色をつくりあげているんだ」
王宮の豪華絢爛とはまた違う、どの部分を切り取っても一枚絵になるような風景に、アメヤの説明はしっくりきた。
「パノラマ島は破滅するんだけどね」
「え!?」
ぎょっとしてチェザーレはアメヤを見る。しかし、アメヤはいつもとおりの涼しい顔をしている。
「……この都市が滅ぶって言いたいんですか?」
「さあ、知らないよ」
不穏な雰囲気を感じたまま、まもなく馬車は目的地に到着した。




