ベーシックインカムの財源としての資源課税について
ジョン・ロックは『統治二論』で、自然状態では土地などの共有財産を労働によって私有化できるとしつつ、他の人々のために同じように良いものを十分に残しておく限りにおいてという条件(但し書き)をつけた。私の社会契約論でも、このジョン・ロックの但し書きを引き継ぎ、自然状態では誰の所有物でもない自然物を労働によって私有化できるとしつつ、私有化の条件として、人々は誰もが同様に十分で良質なものが残されており、かつ無駄になるほど多くのものを所有しない限りという但し書きを設けた。
この但し書きから土地や天然資源の私有化で他者が不利益を被る場合、その補償として課税すべきという議論が生まれる。ヘンリー・ジョージの地価税論やより現代的には土地価値捕獲税の理論的根拠とされることもある。また、これを現物資産一般に適用すると希少な資源を私有化することで他者の機会を奪っているから補償課税すべきという論理になる。
ところで、私は過去に書いた文章で、未来では自動化によって大量の雇用が失われると論じた。一般向けの懸念とは異なり、経済協力開発機構の2023年雇用見通しは、経済協力開発機構加盟国の平均で、およそ27 %の雇用が自動化の影響を受ける可能性がある、と推計しており、特に低スキル労働者にリスクが集中していると指摘している。また、国際労働機関は、労働者および自営業者が得るGDP(労働分配率)が、2019年の52.9%から2022年には52.3%に低下した、と報告しており、この傾向は自動化をはじめとする技術進歩が資本への配分圧力を高めていることを示唆している。そしてそれに対応するためにはベーシックインカムを配る必要があるが、そのためには財源をどうにかして確保する必要がある。しかし従来の財源では限界がある。まず、雇用が減れば所得税収は激減する。ただし、Frey&Osborneによる“45%リスク”説(2013年)は過大評価という指摘もあり、経済協力開発機構による最近の職務ベースの分析では、経済協力開発機構諸国平均で自動化リスクの高い職業は約9%にとどまるとして、構造的な雇用喪失のリスクは限定的であることが示唆されている。一方、国際労働機関の新たな研究では、先進国でも生成的人工知能の導入で職務の変容が進む可能性があり、労働の質・形態が再編される必要性が高まっているとされる。また企業利益は増えても、グローバル競争を行い続ける限り底辺への競争で法人税率引き下げ圧力は継続する。また消費税も所得減少で消費も萎縮する可能性がありかつ逆進性の問題もあり増税は難しい。
そういった状況では、現物資産課税がより現実的な選択肢として浮上する可能性がある。その理由は主に三つある。一つ目は、現物資産課税により自動化の恩恵の再配分が行われるからである。現物資産課税により、機械や人工知能や土地などの生産手段を所有する層が自動化の利益を独占するのを防ぐことができる。二つ目は、現物資産課税により労働以外の価値源泉への課税ができるからである。人間の労働価値が減少するなら、物的資産や知的財産への課税が合理的である。三つ目は、現物資産課税の技術的実現可能性が向上するからである。デジタル化により資産把握・課税執行の技術的障壁は下がるのだ。
その他の財源候補として、炭素税等の環境税、デジタル税というGAFAのような巨大IT企業への課税、ロボット税という自動化技術そのものへの課税があげられる。
しかし炭素税等の環境税にはベーシックインカムの財源とする上では問題がある。第一に、炭素税の環境税は脱炭素化が進むほど税収は減少するがベーシックインカムの需要は脱炭素化で減ることはないという問題がある。第二に、炭素税はベーシックインカムに必要な規模すなわちGDP比数%〜10%以上には到底及ばないという問題がある。経済協力開発機構の各国分析では、炭素税による税収は財政規模の1%にも満たない水準が多く、ベーシックインカムの財源としては不十分とされる。第三に、炭素税等の環境税は本来の目的が環境保護であることを考えると本来の目的と財源の使用方法が矛盾するという問題がある。
またデジタル課税にもベーシックインカムの財源とする上では問題がある。第一に、巨大IT企業などへの課税強化は、まさに自動化や人工知能技術の発展を担う企業への負担になるという問題がある。その結果、デジタル課税は技術革新のスピードを遅らせる可能性がある。故にデジタル課税は長期的には社会全体の生産性向上を阻害する。第二に、デジタル課税は対象企業が限定的で、ベーシックインカムの財源としては不十分という問題がある。第三に、デジタル課税を行う上で重要な国際協調が困難で、企業の拠点移転を招くという問題がある。つまりデジタル課税には、実体として対象企業が限定されており、世界規模での強固な国際協調が必要なため、財源の安定性や規模に限界があるという批判も存在する。
またロボット税にもベーシックインカムの財源とする上では問題がある。第一に、ロボットや自動化技術は物理的に移転しやすいためロボット税を導入しても企業は製造拠点を海外に移すことで課税を回避できるという問題点がある。この問題に対して関税で対処しても、WTO体制下では限界がある。第二に、ロボット税は生産性向上技術への直接的なペナルティになるという問題点がある。そのため、ロボット税は長期的な経済成長を損なう可能性がある。経済協力開発機構は、自動化の恩恵が現物資産所有層に集中する傾向、を警告し、資産課税による再配分の重要性を示唆している。
それに対して現物資産課税には主に五つのメリットがある。一つ目は、物理的に移動不可能な資産が中心な上、資源輸出への関税で資源の海外流出を制御可能なので、現物資産課税の課税回避が困難という点である。二つ目は、現物資産課税により、不動産バブルや資源投機の抑制が起こるため、現物資産においてより実体経済に即した価格形成が起こるという点である。三つ目は、土地や建物や設備等を現物資産課税の課税対象にすればベーシックインカムを配るうえで十分な税収確保が可能であるという点である。四つ目は、資源課税は自動化促進にも阻害にもならないという点である。五つ目は、現物資産課税は脱炭素化等で減収しないという点である。また、国際労働機関による国際労働分配率の低下データは、資本配分の偏りを直視するべき警鐘であるといえる。この点からも、現物資産への課税は社会的意義がある。加えて、経済協力開発機構の報告では1980年代以降、経済協力開発機構加盟国において、上位10%の所得層が下位10%の所得層の約7倍の所得を得ていたが、現在では約9倍に拡大している、として、所得格差の構造変化が示されている。
ただし現物資産課税には問題点もある。一つ目の問題点は、ジョン・ロックの但し書きの解釈が困難であるという点である。但し書きにある「同じように良いもの」「十分に」の基準が曖昧で、具体的な課税率や対象を決める客観的基準が存在しない。二つ目の問題点は、ジョン・ロックが想定していた17世紀の状況と、現代の複雑な経済システムには大きな隔たりがあるという点である。三つ目の問題点は、現代の土地価値は自然的価値だけでなく、社会インフラや近隣効果など多要因で決まるため、純粋な資源価値の分離は困難であるという点である。四つ目の問題点は、土地の自然価値と改良価値をの区別が難しいという点である。五つ目の問題点は、土地以外の現物資産(機械、建物等)は人間の労働や投資によって価値が大幅に創造されており、自然からの贈り物と人為的価値の区別が極めて困難であるという点である。六つ目の問題点は、現物資産課税は資本形成や技術革新へのインセンティブを大幅に削ぐ可能性があるという点である。七つ目の問題点は、多様な現物資産の適正評価や課税逃れの防止は、土地課税以上に困難であるという点である。八つ目の問題点は、既得権益との調整が困難という点である。九つ目の問題点は、土地利用効率への影響が出る可能性があるという点である。
これらの問題点は確かに重大だが、自動化の進行により従来の所得税中心の税制が維持不可能となる中、他の財源選択肢の限界を考慮すれば、技術的課題を段階的に解決しながら現物資産課税を導入せざるを得ない時代が来ると考えられる。資産評価システムの構築や課税執行体制の整備といった技術的基盤から段階的に取り組む必要があろう。