8.奇妙な夜は更けて
いつの間に、という位、彼女はぼくらのすぐ真後ろにいた。
大きい。翼がない。
見上げながら、身長を目算する。
ジェラが言ってた通り人間サイズだ。
「サル?」
ぼくを見てコトリはニコニコと笑った。
「サルぅ?」
ジェラの声が裏返る。
「真っ白でフワフワ。かわいい。ねぇ、サルも喋れるの?」
彼女はしゃがみこむ。間近で見てもコトリと同じ顔だ。だけど……
「喋れるよ」
「わ、素敵」
「おい、コトリぃ、なにとぼけてんだよ」
「コトリ?」
「お前の名前だ、忘れちゃったのかよ」
ジェラが不安そうに尋ねる。助けを求めるようにチラチラぼくを見る。
彼女は、コトリ、と口の中でもう一度つぶやいた。目が虚ろになる。笑顔が無表情に吸い込まれる。彫像のように固まってしまい身動き一つしなくなる。
「おい、コトリぃ、どうしたんだよ」
ジェラが前足で彼女の膝に触れる。
彼女ははっと我に返り
「私、コトリじゃないよ」と答えた。
「えぇぇぇ、いや、だって、んなわけ……」
「きみはコトリを知ってる?」
ジェラを遮りぼくは確認する。
「ううん、知らない」
なぜそんなことを聞くの?と不思議がっているような顔だった。嘘をついているようには見えない。
ジェラが彼女の膝に触れていた前足をひっこめる。すると彼女はジェラの額に指先を伸ばして撫ではじめる。
「こんなんで俺はごまかされねぇぞ。コトリじゃないなら何なんだよ」
文句を言いながらジェラは目を細め喉を鳴らしだす。
彼女は優しい表情でジェラを見つめている。
顔が同じなだけじゃない。表情もコトリにそっくりだ。
「きみは誰?」
曖昧すぎる質問だった。答えが返ってきてもあまり意味はない。ただ聞かずにいられなかった。
「私?」
答えは予想外だった。
「私は神さまだよ」
一欠片のためらいもなかった。嘘にしては屈託がなく、冗談にしては自然すぎる口調だった。
大あくびをして彼女は言った。
「眠いからおうちに帰る。きみたちも一緒に来る?」
「うちってどこだよ?」
「あっち」
「まさかあのボロ家か?」
「ひどいなぁ」
「あんなとこいかねーよ、なー、リグル?」
「じゃ、今日はここで寝る」
彼女は地面に寝転ぶ。
「起きたら、この辺を案内してあげる」
「案内ぃ?」
「うん、だから離れないで」
そう言うと目を閉じて寝息をたてはじめた。
「おい、リグル、どうすんだよ?コトリ、寝ちゃったぞ」
「彼女はコトリじゃないよ。ぼくたちは眠らないし」
「俺たちを騙すために寝たふりしてんじゃね?」
ジェラにしてはうがった見方だ。
「なんのために?」
「知らん」
「ジェラ、ぼくらは、ホストの想いを形にしている。だからホストのイメージを大きく損なうような外見変化は起こせない。彼女はコトリよりずっと大きくて、何より翼がない、本人もコトリじゃないと言ってるし、違うと考えるのが妥当だよ」
「じゃぁ、こいつ一体なに?」
「神さまって言ってたね」
「はぁぁ?んなわけねーじゃん」
ぼくは曖昧に首を傾げる。
「まさか信じてるのかよ?」
彼女が何者なのか、二つの仮説が思い浮かぶ。でもどちらかに決めるには手掛かりが少ない。
「それより周囲を探ろう」
「起きたら案内してくれると言ってたぞ」
なんでそこだけ素直なんだ、と思いながら
「彼女の案内がどういうものかわからない。ぼくらはぼくらの目的のために時間を無駄にすべきじゃない」
「目的?」
「研究室に戻ること、あと本物のコトリを探すことだよ」
ジェラがハッとしたように息をのむ。
「なるほどな、確かにそれは俺たちの目的だな。だけど研究室に戻るってどうやるんだ?」
「ぼくらは研究室のドアをすり抜けたらここにいた。あのドアと似た機能を持つものが、きっとどこかにあるはずだ」
「おぉ」
「つまりドアとコトリ、両方を探す」
「っしゃぁ!そうと決まったらさっさと行こうぜ」
ジェラはぼくの足の間に頭を無理やり入れてすくい上げる。首筋から背中に転がるように移動すると
「いっくぜぇぇ」と叫び猛スピードで走り出した。
ジェラはぼくらがこの林に入って来たときのルートを逆にたどっていた。外に出るつもりみたいだ。もう少しこの林の中を探りたい気もしたが、昼のほうがいいと考え直す。まばらな外灯と月光だけでは暗すぎる。
見覚えのある木々の間を走り抜け、林の終わりが近づく。
田園風景が広がる、はずだった。だがぼくたちが立っているのは、元いた空き地だった。彼女がすやすや眠っている。
呆然とするジェラに「もう一回試そう」と声をかけ同じことを繰り返したがまた空き地に戻った。ルートを変えてひたすら空き地から離れるよう真っ直ぐ進み続けてみた。ダメだった。どうしてもここに戻ってしまう。
「どういうことだよぉ?」
ジェラの背中から降りてぼくはつぶやく。
「彼女の影響かも」
「へ?」
「離れないで、と彼女は言った」
「いや、言ったからってそうはならないだろ」
「神さまならできるんじゃない?」
「何言ってんだよ?訳わかんねぇよ、もう」
その時、黒い人影のようなものが視界の端をよぎった。夜の闇よりも濃い黒さでそれらは空き地の周囲の木々の間をうごめいていた。いくつもいくつも。
「うわぁぁ、なんだ、あれ」
ジェラが毛を逆立てる。
「やっべぇ、逃げよう」彼女に駆け寄る。「こら、起きろ、コトリ、じゃない、神さま、変なのがうじゃうじゃいる、逃げるぞ」
彼女は苦しげな顔でうなされていた。ジェラが前足で彼女の顔や肩を叩いても起きる気配はない。
「リグルぅ、どうするぅ?」
「ここから動かないほうがいい」
ぼくは黒い影の動きをできる限り目で追う。
「あれが何かはわからない。でもこの空き地に入っては来ないみたいだから」
「ほんとかよぉ」
伸び縮みするようにうごめいているのでわかりづらいが、よく見ると影は全部で5種類のようだ。影ごとに形が微妙に異なる。
重なり混じり合い、黒い炎のように揺らぎながら、彼らは空き地の周囲を巡り続ける。
黒くうごめく影を見続けているうちに、ふと違和感を覚える。気ままに燃え上がる炎のような動きに、なにかしらの規則性、目的があるように感じたからだ。
……一体何をしているんだ?
いくつかの影を集中して追う。
まさか、と息をのむ。
だけど、だったら、これは何を意味するんだろう?
ジェラがぼくの腕を甘噛みして引っぱった。
「なぁ、なるべく離れとこうぜ」
彼女が眠る場所が空き地の中心に近かったので、その隣に移動する。ジェラは香箱座りをして、ぼくはジェラをソファ代わりにしてもたれる。
「いざという時は、もっと本気で起こしてやるぜ」
「起きるかな」
「俺さまの猫パンチなめんなよぉ」
「神さまに効くかな」
ジェラが顔をしかめる。
「さっきからさーなんだよ、冗談だろ?こいつ神さまなんかじゃないよな?」
ぼくは首を傾げる。
「だけどさっき彼女はあの建物を自分の家だと言っていた」
「んんん?なんの話だよぉ」
瓦礫に石畳、巨大な切り株を思い浮かべる。
他に考えようがない。
「あれ、神社だと思うよ」
「へ?」
「神社に神さまが住んでても不思議じゃない」
「神社ってあのボロ家が?」
「瓦礫の下に台石と亀腹らしきものがあった。鳥居の柱の下に使われるものなんだ。あと建物まで続く石畳は参道じゃないかな」
「でもさ、神社だったら中にもっとなんかあるんじゃないか。ほら、御神体ってやつとか。空っぽだったじゃんか」
「縁側の向こうに切り株があった」
「切り株?」
「かなりの大きさだったし年輪も数えきれない位の古木だった。あれが御神木だと思う。あの建物は多分、拝殿なんじゃないかな」
「ハイデンってなんだ?」
「賽銭箱とかが置かれてて神さまに祈りをささげるところだよ。通常は拝殿の後ろに本殿があってそっちに御神体があるんだ。あの木がご神体なら、壁がなくて縁側みたいな造りになっているのも納得できる」
「木を拝むためってことか?」
「そう」
問題は、と心の中でつぶやく。なぜ神域を示す鳥居は砕かれて瓦礫と化したのか。御神木は切り株になったのか。
「でもだからってこいつが神さまってことにはならねーよ」
「確かにね。でも本人が神さまだと言うならそう呼んでもいいと思うんだ。名前がないと不便だし」
「んんんー?ま、呼ぶだけなら別にいいけどさぁ」
神さまはうなされ続けていた。目覚める気配はない。
奇妙な夜が更けていく。




