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白にひずむ  作者: からり
第二章 神さまとともに
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7.幻覚と現実の狭間で

 周囲の観察を終えたあと、ぼんやり立ちつくす。人の気配がない夜の田園風景は広々としすぎている。ひっそりと飲みこまれてしまいそうな不安を覚える。

 きれいな景色だ。

 ぼくはホストの記憶でしか世界を知らない。でも今見ているこの景色はぼく自身の体験だ。

 ぼくはあぜ道を歩き出す。もっとこの景色を感じたかった。               

 歩きながら考える。

 あのドアをすり抜けたらここにいた。これが事実だ。でもそれはありえない。ドアの向こうには、部屋があり、コンフォート・カプセルがあるはずだった。

 多分、ここは現実じゃない。

 おそらく、あのカプセルの中にいるアビリティ保有者が幻覚を見せているのだろう。

 その時、風が吹き田んぼの草がさざ波のように揺れる。

 なんだろう、このリアリティは。

 夜空を見上げる。

 濃紺の果てしなさの中で星が瞬く。

 幻覚にしては広大過ぎる。

 迷いが生まれる。こんなアビリティがあるのだろうか。世界を丸ごと創造するような。

「……い、……ルぅ」

 声がした。田んぼを越えたあぜ道の上に何かがいた。こちらに向かって田んぼを突っ切ってくる。

 ジェラだった。

 ぼくの正面まで来ると

「どこ行ってたんだよぉ、なんなんだよ、ここはぁ」

 と顔を引きつらせながら叫ぶ。

 このジェラも幻覚なのだろうか。それとも?

 あのカプセルの中にいる誰かがセンシングとシェアのアビリティを持っているならあり得る。幻覚にぼくを取り込み、さらにぼくの記憶をスキャンしてジェラを見せる。

 いや、処理が膨大すぎる。

 アビリティ保有者はアビリティを使うとひどく消耗する。

 これだけ精密な幻覚世界を創り上げるだけでも相当な負荷があるはずだ。同時に複数のアビリティを発動させるのはさすがにできない。それにスキャンされて幻覚を見ているならぼくにも負荷がかかるはずだ。でも特に何も感じない。

「なんだよ、リグル、だまっちゃってさぁ、どうしたんだよ、大丈夫なのか?」

 不安そうなジェラの顔に目が止まる。

 ジェラの顔の右側のヒゲがなくなっていた。左側のヒゲが元々抜けていたたから、逆にバランスが取れていてすぐに気づけなかった。

 ぼくはほっと胸を撫でおろす。

 目の前のジェラは、ぼくの記憶から作られた存在ではない。

 つまり幻覚じゃない。

 あのドアをすり抜けて、ジェラもここに来たのだろう。

「ジェラがいて良かったよ」

「はぁぁ?なんだよ、何いってんだよ、そりゃ俺がいたほうがいいに決まってんじゃねーか」

 不安そうだった顔がちょっとにやけたが

「ヒゲ、抜いたの?」

 ぼくが頬を指さすと

「なんで俺が俺様の大事な自分のヒゲを抜くんだ?抜かれたに決まってんだろ」と怒り出した。

「抜かれた?誰に?」

「聞いてくれよ、ひでぇんだよ、頭きたんだ、俺はむかついてんだよ」

「とりあえず少し落ち着きなよ」

 ぼくはジェラの背中を撫でる。ジェラがゴロゴロと喉を鳴らしだしたところで

「コトリは一緒じゃないんだよね」

 と聞く。ヒゲの件でジェラの怒りが再燃する前に他の問題を片付けておこう。コトリがこっちにいるかどうかで、今後のぼくらの行動は変わる。

「あいつぅ」

 とつぶやいたジェラの毛がぶわっと逆立った。

「コトリがやったんだ」

「何を?」

 まさか、コトリがジェラのヒゲを抜いたのか?

「でっかいコトリが俺のヒゲを抜いたんだよぉ」

 微妙に予想外の答えが返ってきた。


 興奮するジェラの話を要約すると、こういうことらしい。

 あのドアをすり抜けた後、ジェラはここからほど近い林の中にいた。途方に暮れていると、どこからか足音が近づいてきた。慌てて木にのぼって様子を伺っていたら、コトリが現れた。呼びかけるとコトリと目が合った。ジェラはいそいそと木から降りたが、何かがおかしい。

 暗かったし、木々の枝にも視界を邪魔をされて遠近感が狂っていたのだろう。木の上からは気づけなかったが、コトリは巨大化していた。

 ジェラは驚きの余り動けなくなった。コトリはしゃがみこみ、ジェラをじっと見つめた。頭を撫でられ、顎の下を指先で心地よくなぞられた。ジェラは喉を鳴らしつつ、コトリに巨大化の理由を聞こうとした。そうしたら不意にヒゲを抜かれた。

 ジェラは後ずさり木にかけのぼった。

 コトリは悪びれずに言った。「ごめん、痛かった?でもそっちのほうがいいよ」

 ジェラは叫んだ。「ふ、ふざけんなぁ」

 コトリは驚いた顔をした後「寝ぼけてるのかな」とつぶやいて去って行ってしまった。


「寝ぼけてるってなんだよ、俺は起きてるよ。っていうか俺たちは寝ないだろ、なんなんだ」

 憤るジェラの背中を撫でながら、

「ジェラ、コトリはどれくらい大きくなっていた?」

「んー?何倍もだよ、あいつ俺よりちっちゃっかったのにさぁ」

「未華子とどっちが大きい?」

「あー、そういや、ばぁちゃんぐらいだったかな、多分」

「人間位の大きさってこと?」

「んー???あーでも言われてみれば、そん位だな」

「翼はあった?」

「んん??」ジェラが首を傾げる。「あ、そういやなかったぞ、翼」

 翼がない、人間位の大きさのコトリ。元々コトリは人間に近いフォルムだから想像は簡単だった。

「なぁ、リグル、帰ろうぜ、こんなとこにいても、ばあちゃんの寿命を延ばす手がかりなんかねーよ」

 ぼくは首を振る。

「先に人間サイズになったコトリを探そう」

「えーなんでだよぉ、あんなやつほっとけよ」

「コトリを置いて帰るってこと?」

「置いて帰る?んんん、むむむ……」

 ほっとけと言いながら、置いて帰る事には抵抗があるようだ。ぐぅぅと呻いて悩んでいる。

「そもそもさ」ぼくはため息をつきながら月を見上げる。「帰り方がわかんないし」

「えぇぇぇぇぇ?」

「えーって言われても」

 ぼくは、ここがアビリティによる幻覚世界だという仮説をジェラに伝える。

「アビリティが解除されたら多分戻れるだろうけど」

「幻覚には思えねー」

 ジェラが前足で草をつつく。

「確かにね、できすぎだ。でも仮にここが現実なら、研究室から離れ過ぎているよ」

「壁、越えてるもんなぁ」

 以前、ぼくたちは研究室の外を目指したことがある。建物を出て、庭を進み、茂みをくぐり、ようやく外との境界の高い壁が見えた。

 だがその辺りから一歩進むたびに体が重くなり意識がぼやけだした。周囲と自分が混じり合っていくような、自分が溶け出すような不思議な感覚だった。

 一番最初に身動きできなくなったのはジェラだった。ジェラは歩きかけの姿勢のまま固まり、全身が半透明だった。戻ろうと体を押しても全く動かない。ぼくとコトリは必死で何度も名前を呼んだ。ジェラのヒゲが一瞬わずかに震えたのをぼくは見逃さなかった。名前を呼びながらお腹の辺りを押すとジェラの体が揺れて意識が戻った。ぼくらは来た道を慌てて引き返した。

「二度と壁には近づかないぜぇ」とジェラは震えながら言った。

 そういえばあの時をきっかけにジェラは臆病になった気がする。それまではどちらかというと怖いもの知らずで、無茶をするタイプだったのに。

 ぼくらが自分自身を失う恐怖は、人間の死の恐怖と似ているのかも知れない。

 そしてジェラはその境界線を壁だと思いこんでいる。

 でも実際は違う。

 壁に近づいてから数週間後、ぼくのホストが地下から一階に行く用事ができた。いい機会だったので実験をした。

 ホストが一階にいるタイミングで、ぼくは壁を目指して歩いた。壁に近づいても自分が薄れるような感覚は起きなかった。壁をすり抜けても問題なかった。研究室は山の中にあり、壁の外は木がうっそうと茂っていて薄暗かった。濃密な緑の香りを味わった後、歩数をカウントしながらさらに先に進んだ。ある場所で意識がぼやけだしたので引き返した。

 歩幅と歩数をかけ合わせて計算をすると、ジェラたちと壁を目指した時も、一人で壁の外に出た時も、意識がぼやけだすのは、ぼくとホストの距離が約100m離れた時だった。

 100m。

 境界線は壁じゃなくホストからの距離だ。ホストから100m離れたら、ぼくらは存在することができない。

 だからホストが近くにいない今、ここは現実じゃないと考えるのが妥当だ。

 でも幻覚というには広大で精巧すぎるて確信が持てない。

「……とりあえずジェラとコトリが会った林に行こう」

 答えの出ないことを考えるより、できることを優先したほうがよさそうだ。

 月夜のあぜ道をジェラと歩く。林には10分もかからずに着いた。

 林の中は暗かったが、外灯が道を照らしていた。

 ジェラが立ち止まる。

「俺、ここにいたんだ」

 木の密度の低い少し開けた場所だった。

「コトリはどの方角から来た?」

「あっち」

 ジェラが前足で指し示す。

「行ってみよう」

「え、でもコトリを探すんだろ?コトリはそっちとは逆方向に行ったぜぇ?」

「コトリはぼくらと同じように研究室からここへ飛ばされた可能性がある。先にその場所を見ておきたいんだ」

「しかたねーなー」

 ジェラが先に立って歩き出す。木と木の間を抜けると獣道につながっていた。周囲の木々と茂みが厚く、人間なら一人がどうにか歩ける程度の幅だ。

 ジェラとぼくは無言のまま足早に進む。ぼくたちの体の大きさならそれほど窮屈な道じゃない。でも何となく嫌な感じのする道だった。

「挟み撃ちにされそうだぁ」

 ジェラが尻尾を不機嫌そうに揺らしながら言った。誰に?と聞きかけてやめる。見知らぬ場所で、ぼくらは不安で、ありもしない敵を暗闇に生み出している。

「お、なんかあるぞ」

 ジェラの足取りが軽くなる。前方に光を感じた。獣道を抜け出てぼくらは立ちつくす。

「なんだこれ?」

 外灯がぼんやりと黄色い光を投げかける中に、一軒の建物があった。切妻の瓦屋根、木造建築。

「なんかこえーよ」

「ずいぶん古そうだね」

 石畳の道が建物まで伸びている。道はあちこちヒビが入り、すき間から雑草が生えている。

 その手前に白っぽい瓦礫が散乱していた。断面は荒いが、滑らかで丸みを帯びた箇所もある。

 加工の痕跡、つまり何らかの人工物だ。ぼくは少し注意深く、右から左へと視線を移動させながら観察する。右端と左端に90度の角を持つ石を見つける。瓦礫に埋もれているが両方とも四角い平べったい石のようだ。

「リグルぅ、まさかあの中に入るつもりじゃないよな」

「入るよ」

 こんな機会は二度とないかもしれない。ぼくは瓦礫を飛び越え石畳の上を進む。

 建物の前に立つ。雨ざらしのさめた色合いの木材が趣深い。少しだけワクワクする。

「リグルぅ、待てよぉ」

 背後のジェラの叫びを無視して正面の短い階段を登る。木戸をすり抜けて中に入る。

 恐らく中は真っ黒だろう、と思っていたが違った。奥側が壁ではなく縁側のような造りで外につながっていた。

 外灯の光が屋内にも届いている。家具もないガランとした空間で床は砂埃にまみれていた。頭上には蜘蛛の巣が2つ。

 縁側の向こうになにかがある。

 近づいて見ると切り株だった。直径からして大木だったことが想像できる。滑らかな切り口からして伐採されたのだろう。朽ちて安全のために仕方なく切られたのか、それとも……。

「なんもないじゃんか、もう行こうぜぇ」

「情報量は結構あるけどね」

「はぁ?」

「なんでもない、コトリを探しに行こう」

 ぼくらは平屋を後にした。

 獣道を引き返し今度はコトリが歩き去った方角へ向かう。

 外灯はないが、木々の密度が低いので月光が周囲を照らす。頭上でフクロウがホォホォと鳴き、木々が風でざわめく。

「なんであいつ俺のヒゲ抜くんだよ、ちっくしょー、見つけたら文句言ってやる、あいつの羽、むしってやる」

「本当に?」

「止めんなよ、リグル、正当なる復讐劇だ」

「劇って」

 思わず吹き出す。

「コトリが謝ったら許してあげなよ」

「もちろんあいつが謝ったら許してやる。俺は心が広いからな」

 その時、頭上から聞き覚えのある音がして、ぼくは夜空を見上げた。

「え」

 思わずつぶやいた。

「どしたん?」

「今、コトリがいた気がして」

「まじかぁ?」

 ジェラが顔をあげて目を凝らす。

「どこだよ、いないぞ」

「ジェラが見た巨大なコトリには翼はなかったんだよね」

 ぼくは念押しする。

「なかったぞ」

「今、コトリの翼が羽ばたく時の音がしたんだ。見上げたらコトリらしき影が枝から枝へと飛び移っていた。翼もあった」

「んじゃ、コトリの姿が元に戻ったんじゃね?」

 ジェラが頭上を見上げる。

「どこだぁ?暗いしよくわかんねぇなぁ。本当にコトリだったのか?」

「多分」

 だが100%の自信は持てなかった。

「フクロウとか他の鳥を見間違えた可能性もあるけど」

「なんだよ、せっかく復讐劇始まるかと思ったのにさぁ」

「でも、もし仮にあれがコトリだったとしたら、なんでぼくらの前に姿を現そうとしないんだろう?」

「きっとあいつは俺の復讐劇を恐れてるんだぜ」

 ジェラは得意げに言った。

「バカだなぁ。謝ったら許してやるって言ってんのに」

「いや、コトリはそれ知らないし」

「あ、そか。うしうし」

 ジェラが夜空をにらむ。

「俺のヒゲ抜いたことは謝れば許してやるぞぉ、出てきやがれぇ」

 と叫んだ。

「ほんと?」

 背後から声が聞こえて振り返る。

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