4.秘密を探る
ぼくらは地下一階まで降りて、地下二階へ続く階段の前で立ち止まった。
夜間で灯りが絞られているので、階段の先は闇に吸い込まれている。一階から地下一階に降りる時も同じ程度の暗さだったはずだが、なぜかもっと深く濃く感じる。
コトリが階段のそばのエレベーターを見上げる。
「ねぇリグル、エレベーターで行けないの?」
「無理だよ、動かせない」
「リグルならエレベーターのボタン押せるんじゃない?」
「押せると言えば押せるけど」
説明しようとしたらジェラが「なぁ、もういっそやめようぜ」とごねた。
「階段で行こう」
ぼくが階段を降り始めるとコトリが後に続き、ジェラも渋々という様子でついてきた。
地下二階にはすぐに着いた。地下一階と同じ廊下、同じ形のドアが並ぶ。だが地下一階にはない曲がり角がすぐ先に見えた。
「ゾワゾワする」
とジェラがつぶやいた。ぼくは小さくうなずく。何かがおかしいように感じた。でも気のせいかもしれない。ジェラの話を聞いて暗示にかかっているだけかもしれない。
「コトリは何か感じる?」と聞いてみる。
コトリはうーんと首を捻り、
「確かにここより上の方が空気は軽い気もするけど、正直、あまりわかんない」
「なぁ戻ろうよ」
「せっかくだしもう少し行ってみよう」
ぼくの言葉にコトリがうなずく。
「じゃぁ、あっちに行ってみようか」
ジェラが「そっちぃぃぃ?」と甲高い声を上げた。どうやらジェラとぼくの感じているこの奇妙な感覚は気のせいではないようだ。落ち着かない気配の源が、コトリが足を踏み出した方向にあると、ジェラもぼくも感じている。ただの気のせいなら、そうはならない。
ぼくたちは廊下を進む。
一歩進むごとに気分が重く沈んでいく。
あるドアの前で、ぼくたちはぴたりと足を止める。
顔を見合わせる。
ドアの向こう側からか細い歌声が聞こえた。耳を澄ます。マイナー系の美しいメロディだった。歌詞はない。鼻歌のようだった。
「入ってみる?」
とコトリが聞いた。
「行こう」
ぼくはドアをすり抜ける。コトリとジェラがついてくる。
部屋の中は薄暗かった。
間取りは地下一階と同じようだ。1ルーム。奥にベッドがあり座る人影が見えた。
誰かがいるのは予想通りと言えば予想通りだ。研究室の地下はアビリティ保有者の住区画なのだから。あとの問題は……
「なぁ、向こうには俺たちの姿、見えないんだよな」
ジェラが声を潜めて聞く。
「見えない友達がいないみたいだからね」
見えない友達、つまり彼にぼくらのような存在がいて、その友達がそばにいる状態でぼくらと会うと、彼にはぼくらの姿が見えるようになる。
「全然動かないよ、生きてるのかな」
コトリが言った。確かに人影は微動だにしない。
「もっと大胆に行っちゃおうぜー」
ジェラが猫らしい身軽な動作で走り出す。
「ジェラってばなんで急に元気なの?」
「嫌な気配が薄れたからだよ」
中和された、と言った方が正しいかもしれない。つまりあの嫌な気配は……
「うわわわぁ、なんだ、こいつ」
ベッドの前でジェラが叫んだ。追いついたぼくらも息をのむ。
ベッドの上に人がいた。身動きもせず、焦点の定まらない目で宙を眺めている。
少年、のように見えた。顎の細さや体格から少なくとも未成年だろう。髪が真っ白で、目が大きい。鼻は低くも高くもなくすっきりとした形をしている。だがその涼し気な鼻の真下で、唇が赤い紐で縫い合わせられていた。縫い目は荒く痛々しい。紐は首にのび、体にもぐるぐるに巻き付いている。
「だから動けなかったのか」
「かわいそう」
コトリがつぶやき、ぼくの腕に触れる。
「ねぇ、私たちでほどいてあげようよ」
「えぇぇぇ、俺はパス」
「ジェラの意気地なし。リグル、手伝って」
「いや、多分これは」
その時、少年の体がかすかに揺れた。鼻歌が止まり宙を見ていた瞳がぼくたちを捉える。
「リグル、どうなってんだよ、俺たちのことみえないはずだろ」
「出ていけ」
低い声がささやいた。
「え、なに、喋ったのこいつ?でも唇動いてないし」
「ジェラ、落ち着いて」
ぼくはジェラの背中を撫でる。ジェラは少し落ち着きを取り戻す。
「喋ったのは彼じゃなくて、あの赤い紐だよ」
「どういうこと?」
コトリが目を丸くする。
「あの赤い紐が、彼の友達だ。暗闇で、あんなに鮮やかに赤く見えるなんて、ただの糸や紐ならありえない」
「出ていけ」
赤い紐はもう一度言った。
「なんだよ、感じ悪いな。そもそもお前、なんでホストを縛ってんだよ、ひっでぇことしやがる」
「ジェラ、そこまで」ぼくはジェラを止める。
「なんでだよぉ」
「この部屋に勝手に侵入したのはぼくたちだ。感じ悪いのはぼくたちだ」
「ぐぐぅ、だけどさ」
「出ていけ」
「悪かったよ、でも一つだけ教えて」
今度は赤い紐は「出ていけ」とは言わなかった。
「地下二階全体に嫌な気配が漂っている。多分、人間は感じない。でもぼくらにはわかる気配だ。もし原因を知っていたら教えて」
短い沈黙の後「ドアを出て左、左、3」と赤い紐は言った。
「ありがとう」
何か言いたげなジェラとコトリを引っ張るようにして部屋を出た。
「なーリグル、いいのかよ」
ジェラが不満そうに言う。
「私も気になる。あのままにしておいていいのかな」
「ぼくたちは、ホストが望まないことはしない、というよりできない」
コトリは少し考えた後、ほっとため息をつく。
「そっか、そうだよね」
「いやいや、あいつは違うかもしれないじゃん」
「あの赤い紐も同じだよ。ホストは嫌がっていなかったし」
「なんでわかるんだよ」
「ぼくたちを見た彼の目は優しく穏やかだった」
「覚えてねーよぉ」
「まぁいいや、それより行こう」
ぼくは向かって左へ歩き出す。
「左、左、3?」
コトリが聞く。
「うん、次の角を左へ。そこから3つ目のドアを開けてみよう」
「なー、もういいじゃんかよ、戻ろうぜー、十分肝試されたよ」
文句を言いながらもジェラはついてくる。
「ねぇ、そういえばリグルはなんでヒモくんに嫌な気配がするかって聞いたの?」
コトリが尋ねる。
「サンプルは多いほうがいいから。コトリはあまり嫌な気配は感じない、でもぼくとジェラは感じている。 3分の2だとただの気のせいかもしれない。他の見えない友達がどう感じるかは参考になるからね」
「あの部屋の空気、廊下より良かったよな」
「ドアで隔てているのか、あのホストが中和しているのかもしれない」
「中和ぁ?んなことできんの」
「この気配の元凶がなんなのかにもよるけど」
「あ、曲がり角」
ぼくらは左に折れる。右手にドアが並ぶ。一歩進むごとに嫌な気配は強まる。ジェラがガタガタ震えだす。
3つ目のドアの前でぼくらは立ち止まる。
「コトリ、大丈夫?」
「何が?」
「ジェラもぼくもかなりしんどいんだけど平気?」
「ちょっとだるいかも」
天使のようにあどけなく笑う。どうやらコトリはこの空気に適性があるようだ。
「行こうか」
「俺、ぜーったい入んない、イヤだ!」
「わかった、ジェラはここで待ってて」
そう言ってぼくはドアをすり抜ける。すり抜けた途端に目眩がした。悪寒が強まる。ここはいるべき場所じゃない、と本能が告げる。でも同時にこの理由のわからない恐怖に面白さも覚える。
足が重い、ふらつく。
前に進むことに集中する。
「リグル、大丈夫?」
コトリがぼくの肩を抱いて支えてくれる。
ありがとう、と小声でつぶやく。
コトリに支えられながら歩くうちに、慣れてきたのか、目眩がおさまり真っ直ぐに歩けるようになる。
他の部屋と同じワンルーム。だが様子が違う。やけにスッキリしている。そうか、ベッド以外の家具がないのか。しかもベッド自体もなんだか奇妙だ。
近づき見上げる。
ベッドではなかった。ベッドと同じくらいの大きさの長方形の箱がそびえる。
嫌な気配の元凶はこの中だと確信する。だけど……。
「どうする?」
コトリが無邪気な声で聞く。
「登ってみる」
ぼくは箱に触れる。つるりとした白いプラスティック。物理法則に縛られるなら手足を引っ掛けるものもないし登るのは無理だろう。でもぼくらは心から信じたことは何でもできる。存在しないコーヒーの香りを嗅ぐこともチョコケーキの甘さを味わう事も。もちろん少しコツはいるけれど。
ぼくの手足は箱の表面に吸いつく。よし、いける。手足を箱の上で滑らせるようにしてスルスルとてっぺんを目指す。高さは1mくらいなのですぐにたどり着く。コトリは飛んで来てぼくの隣に降り立つ。白いのっぺりとした箱の上の景色を二人でぼんやり見回す。箱の端にはランプが3つ並び一つが緑色に点灯していた。
「これは……」
「リグル、何かわかったの?」
コトリに聞かれぼくはうなずく。
「コンフォートカプセルの一種だと思う」
「こんふぉーとかぷせる?」
「自由に身動きできない人や意識のない人が入るんだ。人間は動かず寝たままだと、色々と問題が起きるからね。床ずれができたり筋力が落ちたりする。でもこの箱の中にいればケアができる」
そう、つまりこの箱の中には誰かがいる。嫌な気配の大元、得体の知れない誰か。
コトリが足元をじっと眺める。
「ね、リグル、これ開けられる?」
「物理的にはできない」
「どういうこと?カフェテリアのドリンクメーカーみたいに動かせないの?」
「ぼくにできるのは想像と共有だけだから。想像で箱が開いても意味がないんだ」
「よくわかんないけど想像したらこの箱は開くんでしょ。開けちゃおうよ」
「でも想像で開けた箱の中身は、実際とは違うかもしれない」
「えー、なにそれ」
「エレベーターを動かせないのと同じ理屈だよ。エレベーターの階数ボタンを想像上では押せるし、押したらエレベーターは動く。でもそれは実際に動いているわけじゃない。だからエレベーターが目的の階についてドアが開いた時、向こう側の世界も現実じゃないかもしれない」
コトリが一瞬真顔になる。想像と現実の線引きにとまどっているようだ。
「すり抜けて中に入れば本当の中身がわかるだろうけど……」
こんな嫌な気配を放つ箱の中に入るのは気が進まないし、そもそも
「きっと中は、真っ暗だから何も見えないよ」
ぼくらの視力や聴力はホストに準じるので暗闇では何も見えない。
そっか、と残念そうにコトリがつぶやく。
その時
「お前らぁ、いい加減にしろよぉ」
と叫ぶ声がした。ぼくたちは振り返る。ジェラが走ってくる。涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃだ。
「俺は戻る、お前らも戻るんだよぉぉ」
初めて見るような素早さでジェラは箱の上に飛び乗った。額ですくいあげるようにぼくを自分の背中に放り投げ、コトリを口にくわえる。箱を飛び降り、ドアをすり抜け、廊下を走る。
「はやーい」
ジェラの口に挟まれながらもコトリは楽しそうだった。ぼくは振り落とされないようにジェラの背中にしがみつく。
階段を駆け上がり地下一階につくとジェラは床に倒れこんだ。
呼吸は荒く目は血走り凄まじい形相をしている。
ジェラの口から解放されたコトリが「大丈夫?」と聞く。
「よ……」
「よ?」
「よゆう」
そう言ってジェラは白目を剥いたまま動かなくなった。
「ジェラ?どうしたの?」
ぼくらは自分が認識している『できること』の限界を超えると、自我を保てなくなる。振り回したシャンパンのコルクが弾け飛ぶみたいに、自分というものがどこか遠くに行ってしまう。しばらくすれば元に戻るが、そんなことを知らないコトリはジェラに覆い被さり「起きて、いやだ、死なないで」と泣きだした。
「死なないよ」
「本当に?」
そもそもぼくたちは生きていない。でもこの答えはコトリが求めているものじゃない。
「ぼくらが消えるのはホストから離れすぎた時か、ホストが死ぬ時くらいだよ。だからジェラは大丈夫」
コトリは一瞬考えるような顔をして、うなずいた。
ホストのアビリティによって生み出され、生かされているぼくらは、ホストから遠く離れると自分を保てないし、ホストが死ねば当たり前だけど消える。胎内の赤ん坊が母親が死ねば生きていられないのと同じだ。
「ぼくは部屋に帰るよ」
「ジェラを置いていくの?」
「できることないしね」
「そっか」
コトリはジェラの横に座りこみ動こうとしない。
「じゃぁまた」
「うん、またね」
少し行って振り返る。コトリの細い白い手がジェラの毛ヅヤの悪い背中を撫でている。横顔はどこか悲しげだった。一瞬、コトリの翼の羽の抜けた部分が傷跡のように見えた。
仕方ない。
「どうしたの、リグル?」
ぼくは引き返し、ジェラを間に挟んでコトリの向かい側に座る。
「ジェラが起きるまで一緒に待つよ」




