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白にひずむ  作者: からり
第一章 地下室のぼくらは
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2.深夜のお茶会にて

 1階の無人カフェテリアは24時間開いている。広々とした空間は椅子もテーブルも余裕をもって置かれているし、デザインもおしゃれだ。リフレッシュエリアも兼ねているから、ゆったりとしたソファも多い。泊まり込みの職員らしき人間が、スカイブルーのソファにうずもれるようにして眠っていた。

「人がいるじゃんよ。俺らの姿、見られたらまずいんだろ」

「知ってる人?」

「いやー、知らんけど」

 ぼくも彼女を知らなかった。彫りの深い顔立ち、長い手足。疲れ切って熟睡しているのかピクリともしない。

「じゃぁ大丈夫。彼女にぼくたちの姿は見えない」

「そうなん?」

「そう」

 ぼくたちの姿がホスト以外に見えるようになるのはいくつか条件がある。

 そもそも通常はアビリティを持たない人間にぼくたちの姿は見えない。もし見る素質を持つ人間だったとしても、ぼくたちの存在を認知するにはホストが一緒にいる必要がある。一度、認知した後はホストが一緒じゃなくてもぼくらの姿が見えるようになる。

 でも全く知らない相手なら、ホストと一緒にあったこともないはずだから、ぼくらの姿が見えることはない。

「最近、色々と試してさ。大分ルールは分かってきたんだ」

「仕方ねーな、信じてやる」

 でも、すべてを網羅したわけじゃない。例外のないルールはない、ということは黙っておく。

「行こう」

 壁際のカウンター式テーブルにはドリンク・メーカーとフード・ボックスがずらりと並ぶ。研究室の職員であればどちらもフリーで利用できるものだ。

 ドリンク・メーカーはボタン一つで様々な種類の飲み物を作ってくれるし、フード・ボックスは地下の食料冷凍庫につながっていて、アプリで注文した品が運ばれてくる。しかも地下からの旅の間に、適温に解凍される。

 ぼくとジェラはテーブルの上に乗り、そびえるようなドリンク・メーカーを見上げる。

「なぁ、やっぱ無理だよぉ」

 ドリンクメーカーのボタンに猫パンチを連打しながらジェラが不満げに言う。

「だって俺たち触れないんだからさ」

 ジェラはドリンク・メーカーを蹴っ飛ばす。

「こら」

「別に俺が何したって関係ねーもん」

 確かに実体を持たないぼくらは現実世界に触れられない。だが……

 ぼくはジェラと向かい合い頬に触れ、青みがかった金色の目をのぞき込む。

「ふぅわ!」とジェラがのけぞる。

「え、なんだ、いまの、リグル、俺に何した?」

「見て」

 ぼくは少し集中して、ドリンクメーカーのホットコーヒーのボタンに触れる。

「いや、だから無理無理……」

 ドリンク・メーカーは低く唸り、ホットコーヒーのボタンは赤く光る。カップになみなみと黒い液体が注がれた。

「う、うそぉ」

 ぼくはカップを手前に引き寄せる。自分の体の半分くらいの大きさがあるカップは重く熱かった。

「いい香りだよ」

 ジェラは恐る恐る顔を近づける。

「なんか懐かしいような」

 もう一度目を閉じて深く息を吸い込む。

「へぇ、香ばしいっていうか、悪かねーじゃん」

「飲んでみれば?」

 ジェラはピンクの舌でコーヒーを舐める。

「あっつ、にがっ、まずっ」

 ぼくは大笑いする。

「猫舌ってやつだね」

 ジェラがぼくをにらむ。それから「種明かししろよ」と言った。

「実際にはぼくらは何もしていない。ぼくはドリンク・メーカを動かしていないし、コーヒーも淹れていない。だからジェラも香りをかいでないし飲んでいない」

「はぁぁぁ?なにいってんの?だって、目の前にあるし、湯気立ってるし、黒いし、コーヒーでしょ、これ」

「話は最後まで聞きなって」

「むぅぅぅ」

「端的に言えば、ぼくらは幻覚を見ているんだ。仮にドリンク・メーカーに触れて、仮にコーヒーを飲んだらどうなるか、予想をして幻覚世界を構築している」

「幻覚ってこれがぁ?」

「幻覚って言っても、ぼくたちにとっては現実と変わらないけどね」

 ぼくはカップを傾けてコーヒーを飲む。香りはいいけどやっぱり苦い。

「でも俺がボタン押しても何も起きないぞ」

 ぺちぺちとジェラが猫パンチをする。

「コツがあるんだよ。今はぼくがジェラに幻覚世界をシェアしている状態なんだ」

「あ、もしかして、さっき俺の目をじっと見たのってシェアするためか?」

「うん」

「なんかどっかに強引に引っ張られる感じがして驚いたぞ」

 引っ張られる、と感じるのか、と心の中でメモをする。

「しっかしすげーよ、リグル」

 ジェラは目をキラキラさせて尊敬のまなざしでぼくを見る。

「シェアって、まるでアビリティみたいじゃんかよ」

「まぁ同じようなものかもね」

「あ、でもさー、匂いや味がするのはなんでだ?俺たちは食べたり飲んだりしないだろ。リグルが俺にシェアするったって、コーヒーの味とか香りとかそもそも知らなきゃできないだろ」

「ぼくは知らないけど、ホストは知っている。その記憶や経験を借りているんだ」

「まじかぁぁ。ってことはこの香りも味もリグルのホストが感じたものってことかぁ」

 ジェラは楽しそうにぴちゃぴちゃとコーヒーを飲む。

「猫舌は大丈夫なの?」

「おぉよ、大分冷めたみたいだしな」

「苦いのは平気?」

「苦いのも癖になるぅ」

「さっきからなにしてるの?」

 カウンターの上に風が巻き起こる。ふわりと白い翼がひらめいた。

 全長20センチくらいの天使に似た生き物がぼくらを興味深そうに眺めている。

「コトリ」

 ジェラがぎくっとしたように動きを止める。

「二人とも久しぶりだね」

 コトリはニコニコしながら言った。

「久しぶり」

 挨拶を返すぼくの横でジェラはおどおどした様子でコトリを見ている。

「ねーねー、ジェラってば空中に向かって舌ぺろぺろしてるけど、何してるの?」

「う、うん」

「コトリ」ぼくは彼女の手を取る。

「ぼくの目を見て」

 数秒間見つめ合う。

「わわわ」

 コトリがふらつく。

「なんかリグルにすごいことされた気がする。って、えーえーえー、なにこれ、なにこれ?」

 “同期”したので、コトリにもカップやコーヒーが見えるようになった。

「コーヒーだよ」

「いい匂いがする!」

「飲めるよ」

「えー、飲む飲む!」

 コトリはカップの端に唇をつける。ぼくは飲みやすいようにカップを傾ける。

「わ、まずっ、にがっ」

 一口飲んだとたん、コトリの端正な顔がクシャッと歪む。

「ジェラによれば、慣れると癖になるらしいよ」

「ほんとに?」

 コトリがジェラを見る。ジェラははっと我に返り、

「コ、コトリ」

 とどもりながらも、コトリを真っすぐに見返す。

「ん?」

 コトリが首を傾げる。

「……悪かったぜぇ」

「んんんー?」

 コトリの首の角度がもっと傾く。

「この間、嚙みついただろ」

「あ」とコトリは謎が解けた後の晴れやかな顔で笑った。

「すっかり忘れてた」

 それから真剣な表情で深く頭を下げた。

「私の方こそごめんなさい」


 ぼくらはカフェテリアの窓際にあるテーブルの上に移動した。

 テーブルの上には、コーヒーや紅茶のボトル以外に、フードボックスから出したシュークリーム、ケーキ、クッキーなどのお菓子がいくつも並ぶ。

 コトリはむしったシュークリームの皮にたっぷりとクリームをのせて口に運んで、甘ーい、とはしゃいでいる。

「ほんとふしぎだね、でもおいしい」

 二人の仲直りの後、コーヒーについてジェラに説明したのとおなじ事を伝えた。するとコトリは目を輝かして「じゃぁケーキ食べたいな」と言い出した。

 デジックを持たないぼくには、アプリ操作はできない。よってフードボックスへのオーダーもできない、はずだった。でもぼくは先日、遊理にフードボックスのアプリを見せてもらっていた。うまくいくかは半信半疑だったけど、テーブルの上にアプリ画面を呼び出すことができた。ぼくのイメージが勝ったのだ。想像上のアプリは正常動作し、想像上のフードボックスはオーダー通り、食料を提供してくれた。

 そして今、深夜のお茶会が開催されている。

「結局、喧嘩の原因はなんだったの?」

「私がね、からかっちゃったの」

 コトリがシュンとしてジェラのお腹のあたりを見る。毛が一か所抜けて穴があいたようになっている。ジェラはストレスがたまると体毛が抜ける。

「俺、あん時、おかしくってさ、コトリに禿げたとこ、つっつかれてからかわれたら、ガーって頭の中、真っ赤になっちゃってさ。気づいたら噛んでたんだ」

 ジェラの体毛は今は一か所しか抜けていないので、精神的にも落ち着いている。だが3か所以上抜けていると、ジェラの精神は不安定になり機嫌が乱高下することが多い。

「ごめんね」

「噛みついた俺が悪い、その、俺もコトリの左の翼のことについて色々言ったし」

 コトリの左の翼には数か所、羽根の密度が薄いところがある。

 初めて出会った時から変わらないから、ストレスなどで抜けているわけではなく、そういう羽根の生え方らしい。

 だが真っ白で美しい羽根の流れが不自然に途切れるので目を引くし、角度によっては地肌がのぞく。傷跡のような痛々しさを見る側は勝手に感じる。

「全然気にしてないよ」

 コトリは屈託なくニコリと笑う。特にコンプレックスは持っていないようだ。

 だが

「いや、俺は二度と言わねー、絶対だ」

 とジェラは真剣だった。

 おそらくジェラは自分が体毛の抜けについて気にしているので、コトリも同じだと思い込んでいるのだろう。

「別にいいよぉ」

「いや、俺は言わないぜぇ」

 噛み合ってない。思わず笑ってしまう。

「あ、リグル、なんかバカにしただろ」

 ジェラににらまれる。

「いや、二人が仲直りできてよかったなって」

 ふふふ、とコトリは照れ笑いを浮かべた後、窓の外を見る。ぼくとジェラもつられたように窓の外を見る。

 研究室は山の上にある。周囲は森だ。昼間なら窓の外に広がる森の緑は爽やかな景色だが、深夜の木々の群れは何か恐ろしいものを隠すかのように黒く鬱蒼としている。

 だがコトリは「きれい」とうっとりとつぶやいた。

 細い腕を持ち上げて指さす。

「三日月」

 樹木の細かな枝の隙間に、細く磨かれた月がのぞいていた。

 ぼくは横目でコトリを観察する。

 うっとりと月を見上げるコトリは無邪気でキレイだった。本当に天使みたいだ。整った顔立ちも、中性的なスタイルも、子供とも大人とも判別つかないような声も、白い丈の長いワンピースも。

 でもコトリは天使じゃない。

 翼はあるが頭上にリングはない。何より以前に本人が「天使じゃないよ」と否定していた。

 ホストによって生み出された“見えない友達”であるぼくらのルーツは、ホストの想いの中にある。

 たとえば、ジェラは猫、ぼくはサルで、ホストの飼っていたペットがモデルだ。コトリも名前からしてホストの飼っていた白い鳥か何かがモデルなのかもしれない。

 でも、だとしたら、コトリの羽根以外の部分、人間の姿は誰がモデルなのだろう。

 時々、気になる。でも聞けないでいる。

 自分から語らないこと、そこには触れられたくない傷や痛みがあることを、ぼくたちは本能的に知っている。だからいつも深くは踏み込まない。

 それなのに。

 コトリはジェラの体毛の抜けをからかった。だからジェラは怒って噛みついた。せっかく仲直りをしたわけだし第三者のぼくが口を出すことじゃないけど、少し気がかりだった。


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