17.終わりなき夜の果てでも
この日以降、図書館でハレオをよく見かけるようになった。ハレオは私に気づくと挨拶をしてくれたり手を挙げてくれたりした。私も軽く頭を下げて返した。そのたびに胸の中がふわりとあたたまった。でも受付の人や町の人は、そんな私たちの様子を見ると、とても嫌な顔をした。“面倒ごと”にならないように、私はハレオを見かけたら隠れることにした。
学校でもハレオに話しかけられることが増えた。
「次の授業はなんだ?」
「最近、何か面白い本を読んだか?」
「風が強いから窓を閉めてくれないか?」
最初は二日に一回くらいだったのに、今では1日に数回も話しかけられる。
そのたびに皆がチラチラとこっちを見た。見られるのは怖かった。ハレオに話しかけられるのは嬉しい。嬉しいけど怖い。心が混乱して、うまく答えられない。声が震えて、うつむくことが多くなった。
ある日、図書館の奥にいたらハレオが現れた。
「邪魔していいか?」
私はうなずく。ハレオは隣のソファに座り
「何を読んでいる?」と私の手元の本をのぞきこんだ。
「“終わりなき夜に生れつく”?クリスティか。聞いたことはあるが読んだことはない。面白いか?」
「うん」私はうなずく。「とても」
「タイトルがいい」
「うん。でも」
「でも?」
「少し不安になる、文章もタイトルも」
「夜の闇は得体の知れなさと神秘さをあわせ持つ。そこに生まれついた事を語る小説が、読者に不安を感じさせるなら物語としては成功している。面白いならなおいい」
私はハレオの言葉を考えた後うなずく。
「成功、していると思う、不安だけど夢中になって読んでしまうから」
ハレオがじっと私を見た。
「教室にいる時と違うな、会話が成り立っている」
「……ごめんなさい」
「謝る必要はない。ただ不思議なだけだ。理由を知りたい」
「皆が見ているから」
「見ているか?あまり気にならなかったが。だが仮に見ているとしたらなにが問題だ?」
「……怖い」
「怖い?何が?」
「私がいるって気づかれてしまう。目が合って逃げるように教室から出ていく人もいた、廊下ですれ違った時に私を見てヒソヒソ話をする人もいた」
私は整理できないまま心の中を言葉にしてしまう。ハレオは困った顔をした。
「いや、実際、サカキはいるだろう?俺はサカキを見ているし、こうやって話している。もしかして俺のことも怖いのか?」
慌てて首を振る。
「ハレオは違う、だってハレオは私がいることを最初から受け入れていた。でも他の人は、私がいることに気づいたら、いちゃいけないって思うかもしれない」
「よくわからないが、サカキを困らせるつもりはない。学校で話しかけるのは控えよう」
私はうなだれる。そうじゃない、そうじゃないのに。
「それよりいきなり名前を呼び捨てされて驚いた」
「あ……」
「別に好きに呼べばいい。耳慣れなかっただけだ」
「……いい名前だと思ったから」
「つけたのは親父だ。ハレは天気の晴れを示し、祭りなどを現す」
突然、ハレオが顔を歪めた。こめかみのあたりを指先で押しながらだまりこむ。怒っているのだろうかと不安になっていたら、
「今日、宮島に呼び出された」とつぶやいた。
「サカキと親しいのか、と聞かれた。俺はなぜそんなことを聞くのか、と質問返しをした。宮島は苦笑いを浮かべて、サカキに近づかない方がいい、と言うので、隣にしたのは先生ですよね、と言った。すると宮島は席替えを希望するか、と聞いてきた」
席替え。ハレオが隣からいなくなり、また前のように一番後ろに一人で座ることを想像する。ハレオは私をいないものとして扱う側の人たちに埋もれる。隣じゃなければ話しかけられることもなくなるだろう。みんなの視線を怖がる必要もない。いいことかもしれない、と考えながら、なぜか胸がギュッと苦しくなった。
「あの宮島という教師は、見た目は豪放磊落だが実は相当のくせ者だ。俺の転校初日のことを覚えているか?」
ハレオが顔をしかめながら言った。
「宮島は自分が顧問をしている部活に入るように俺に勧めてきた。俺は入るつもりはないから断ったが、宮島は町や学校を否定することにすり変えた。クラスの連中は都会からきた嫌なやつだと反感を持っただろうし、俺を孤立させる口実にもなった。宮島は会話をコントロールして仕組んだ」
「そうだったの」
全く気づかなかった。
「陰湿なやり方だ」
「でもどうして宮島先生はそんなこと」
「問題はそこだ。俺の態度が悪くて気に入らなかったからか?あり得る。俺は教師に好かれたことがないし、教壇の上でも宮島に従順ではなかった。だが考えてみると宮島は最初から羽城家に居候している件や親父の件にネチネチと絡んできた。転校生の紹介で私生活や父親のことを話すのは不自然だ。妙に事情に詳しい様子もあった。だから俺は羽城家で探りを入れた」
席替えの件はどうなったんだろう、と気になりながら、ミステリーの探偵のようなハレオの喋り方にひきこまれる。
「羽城家は、さすがに裕福な家だけあってお手伝いさんが複数いる。古参の一人のヒロサキさんは、羽城家の現当主である誠さんにも信頼されている。俺は彼女とは気が合って時々、キッチンで茶飲み話をする程度には親しい。で、その彼女に宮島のことを相談した。ヒロサキさんによると、宮島は羽城家に強い反感を持っているらしい」
「反感?」
「昔、宮島の家は羽城家に次ぐ裕福な家だった。だが宮島が幼い頃、父親が投資でしくじり資産を失った。家やら土地やらを売らねばならなくなり羽城家が買い取った。適正価格での取引だったし、むしろ羽城家としては助けたつもりだったが、逆恨みされた」
私は混乱する。
「どうして」
売りたいものを買ってくれたなら感謝するのが普通じゃないだろうか。
「宮島家が描いたストーリーはこうだ。羽城家は町での権力を二分する宮島家に脅威を覚えていた。羽城家は自分たちの地位を守るために、宮島家を罠にかけて何もかもを奪った」
「そう……なの?」
「デタラメだ」
ハレオはため息をついた。
「ヒロサキさんが当時のことを詳しく話してくれたが、宮島の父親の投資問題に羽城家が関与する余地はなかった。宮島の父親の妄想だ。そもそも宮島家と羽城家では町での影響力も資産も比べものにならない。ライバル視していたのは宮島側だけで羽城家は相手にもしていなかった。まぁその優越意識もどうかと思うが」
ますます頭の中が混乱する。
「なぜ宮島先生のお父さんはそんなことを思いついたの?」
「人間は大事なものを失うと正常な判断ができなくなる。自分のせいじゃなくて誰かのせいだと思い込むほうが楽だからな。そして宮島の父親は逆恨みするだけじゃなく、妄想を町中に言いふらした。羽城家への信頼は根強いし馬鹿げた話だから大多数は信じない。だが羽城家に反感や嫉妬心を持っていたり、だまされやすい人間もいた。宮島の父親は既に亡くなっているが、息子は父親の考えを引き継ぎ、反羽城家の仲間とつるんでいる」
ハレオは顔をしかめた。
「この反羽城家というのが町の厄介者らしい。やってることはせいぜい酒を飲んで管を巻くレベルだが、中心人物の何人かは宮島の格闘技仲間らしく、いかつい連中が多い。時には威嚇的な行動をして町の人間から煙たがられている。触らぬ神に祟りなし、という状況のようだ」
知らないことばかりだった。
「羽城さんは……どう考えているの?」
「そこはヒロサキさんにもわからないところらしい。あの人の考えていることは俺にもわからない。いつも無表情で冷静で、あそこまで感情を見せない人も珍しいからな」
「……笑ってる顔は優しそうだけど」
ハレオが驚いた顔をする。
「笑う?羽城さんが?いや、それよりもサカキは羽城さんとあったことがあるのか?」
「うん」私はうなずいた。「時々、羽城さんは神社に来て、うちにも寄るから」
「神社に行くついでにサカキの家に寄る?」
ハレオの声が大きくなる。
「う、うん」
「……もしかしてサカキは雑木林の入口にある家に住んでいるのか?」
私はうなずいた。ハレオの強い目がとまどっていた。何度か瞬きをして瞳が揺れ動く。
「サカキは神社の神籬を見たことがあると話していた。禁足地扱いの雑木林、しかもあの神社の拝殿に入れるのは限られた人間だ。町の連中の不自然な避け方もそういうことか。もっと早くに気付くべきだった」
言葉の終わりにハレオが突然頭に手をあててうつむいた。顔をしかめている。とても辛そうだ。
「だいじょうぶ?」
「片頭痛持ちなんだ、でかいのが来た」
反射的にハレオの頭に手を伸ばす。お母さんにするのと同じように。痛くなくなるように願いながら。
ハレオのしかめっ面が和らぐ。
「痛くなくなった?」
「……あぁ」
「良かった」
「いつも薬を飲んでもほとんど効かない。だがサカキが手をかざしたら嘘みたいに痛みがひいた」
「また痛くなったら言ってね」
痛みは消えたはずなのに、ハレオの表情は曇ったままだった。
「……初めてここで会った時に話した小鳥神社の由緒について覚えているか?」
「うん。お餅が白鳥に変わった話」
「羽城家は裕福さに胡坐をかいて食べ物を粗末にしたことで祟られて没落しかけた。そして祟りを鎮めるために神社を建立した。ここまでは先日話したとおりだが実はまだ続きがある。神社を建立してから三日後の満月の夜、当主の枕元に白装束をまとった男が立って言った。“お前の犯した驕りの罪が大地にしみこんで清めるのに力が足りない。力を強めるために社の世話をする人間を寄こしなさい”と。当主は神社のすぐそばに小さな家を建てて自分の娘を住まわせて神社を守らせた」
「それが……うち?」
「多分」とハレオがうなずく。「その家に誰も住まなくなると羽城家には不幸が訪れた。だが家に人を住ませるとまた栄えた。表に出ている言い伝えはここで終わる。暗示的な話だ」
何が暗示的なのだろう。考えるがわからない。
ハレオが立ち上がる。
「今日は色々とあって疲れた、帰る」
「あ」
「なんだ?」
「席替えは……どうなったの」
「今のままでいいと言った、動くのも面倒だからな」
「よかった」
思わず顔がほころぶ。ハレオが驚いた顔をする。
「話しかけられるのは困るのに?」
「困る、けど、嫌じゃない……話しかけてもらえると嬉しい。ハレオの隣が……いい」
ハレオの顔がなぜかさっと赤くなる。
「変なやつだ」と一歩足を踏み出して立ち止まり
「またここに来てもいいか?」と背中越しに聞かれた。
うん、と私は答えた。
この日をきっかけに、ハレオに話しかけられても、私は余り周りが気にならなくなった。ハレオの何も気にしていない様子を真似ていたら、いつの間にか自分もそうなっていた。周りが気にならなくなると、目も心もハレオでいっぱいになった。
ハレオと一緒にいると胸の中があたたかい水で満たされた。お湯というには冷たく、でも、とても心地よい温度の水だった。会えない日でも目を閉じてハレオのことを考えると、その水の中で漂っているような気持ちになれた。




