第19話 ウラドール夫妻、突然参上!
食堂には、今朝も焼きたてのパンと、香ばしいハーブスープの香りがふんわりと広がっていた。
私は思わずぐうっと鳴りそうなお腹をさすりながら椅子に腰を下ろすと、ちらりと隣の席へ目をやった。
「あれ、レオンさん、今日は王城だっけ?」
その言葉に、マーサさんが穏やかに答える。
「ええ、今朝は王城で早めの報告があるとのことで、先に出立されました。きっと、またお忙しいのでしょうね」
「そっか〜」
(レオンさん、最近ますます忙しそうだけど、体壊さないといいな……)
和やかに食事が進む中、ふいに、来訪者を示す、魔導アラームがチカチカと光った。
「こんな朝早くから、珍しいですよね」
ティナちゃんが、不思議そうな顔をして、サラダのレタスにフォークを刺している。
「リオ様じゃないっすか? それにしては早すぎな気もしますけどね」
ライナスさんがパンを頬張りながら答える。
しばらくして、カイルさんが、珍しく少し慌てた様子で戻ってきた。
「……申し訳ありません。前触れはございませんでしたが、ウラドール前公爵夫妻が、ただいま屋敷の門を——」
その言葉が終わるより早く、扉がバンッと開いた。
「やっほ〜〜う! ただいま〜! 帰ってきたわよ〜!!」
先に飛び込んできたのは、色鮮やかな旅装に身を包んだ女性。元気いっぱいのハイテンションに続いて、肩に旅行鞄を下げた長身の男性がひょいっと入ってくる。
「は〜、久々の我が家だなあ。やっぱ空気が違うな!」
食堂中が呆然とする中、夫婦はまるで散歩から帰ってきたかのようにマイペースに帽子をとってカイルに手渡す。
「え……えっ!? ええぇぇえ!? レオンさんのご両親……!?」
突然のことに、私はパンを持ったまま固まってしまった。
そんな私に気づいた夫人が、ふいにくるりとこちらを振り返る。目が合った、その瞬間——
「まあ〜〜〜! あなたがシャルロットちゃんね!! 会いたかったわぁ〜!!」
満面の笑みで手をひらひら振るその姿は、どこまでも陽気でまぶしくて。
(な、なんか……イメージしてたレオンさんのご両親と……ぜんっぜん違う……!)
とにもかくにも、予想外すぎるご両親の登場に、私たちは食事を早々に切り上げて、応接間に向かうことになったのだった。
* *
王城・魔導記録室。
天井まで届く書架の間を、魔光灯の淡い光が照らしている。古びた紙の香りと微かな魔力の気配が漂う静謐な空間に、のんびりとした声が響いた。
「おーっす。こんな朝早くから何やってんの、レオン?」
書架の間から顔を覗かせたのは、いつもの調子のリオだった。レオンは、書類の束に視線を落としたまま答える。
「今朝は、先日見つけた本の件で陛下に報告していた」
「ふーん。で、あの本、結局なんだったの?」
「古代魔術の基礎理論書らしい。封印が緩んでいたため、誤って移動された可能性がある」
リオが軽く眉を上げる。
「へえ。で、父上の反応は?」
「あの本がなぜ魔導記録室にあったのか調査せよとのことだった。加えて、禁書庫の他の書物にも同様の兆候がないか、調べるよう命じられた」
レオンは淡々とした声で言いながら、書類を整え直す。
「そのため、一時的に禁書庫への立ち入りと、その管理を任された。明日からはそっちでの任務になる」
そう言って、レオンは書類の束を脇に置いた。
リオはそれを見ながら肩をすくめ、笑みを浮かべたまま、ふと視線を逸らす。そして、手近な書架の背表紙を指でなぞるようにしながら言う。
「……またえらい任務だね〜。禁書庫なんて……王族でもそう簡単に入れないのに」
軽い口調はいつも通りだったが、その指の動きが、どこか落ち着きなく止まった。
「そうらしいな。お前は入ったことがあるか?」
「ないない。王族だからって自由に出入りできる場所じゃないし。記録も残るしね。俺が入ったら絶対怒られるやつ〜」
肩をすくめて笑うリオに、レオンは特に表情を変えることもなく、書棚へ向き直った。
「……そうか」
そのまま話が終わるかと思いきや、リオはくいっと口角を上げて、別の話題を放り込む。
「ところでさ。昨日、みつきちゃんは、ライナスと買い物楽しんでた?」
レオンの手が、ほんの一瞬だけ止まる。
「……お前が邪推するようなことは何もない。あいつが楽しそうだったなら、それでいい」
「あはははっ、わかってるって。みつきちゃんがお前にぞっこんなのは、見りゃわかるからね〜」
そう言ってリオがケラケラと笑うと、レオンは黙って書類を綴じた。
その沈黙が肯定であることを察したのか、リオはからかうように言った。
「まあ、お前もだよな〜。お似合いすぎて、いっそ羨ましいわ」
「……うるさい」
レオンは短く返し、手元の書類に視線を落とした。
* *
天窓からやわらかな光が差し込む部屋の中では、マーサさんが丁寧に紅茶を淹れ、バルドさんが用意した焼き菓子を銀の皿に並べている。
「マーサ! 元気にしてた?」
「おかげさまで。おふたりがこうして突然お戻りになるのも、昔のままでございますね」
「ふふ、驚いた? 驚いたわよね〜?」
にっこり微笑むマーサさんの前で、夫人はまるでお祭りのような笑顔を浮かべている。
「バルドも相変わらず無口ね〜。でもこのお菓子……腕、上げたんじゃない?」
そう言いながらクッキーをひと口かじった夫人は、ぱぁっと顔を輝かせる。
「おいしいわぁ! ねえ、あなたも食べてみて」
「おう、うまいなこれ! こりゃ旅先じゃ食べられない味だな!」
前公爵——つまりレオンさんの父がクッキーを頬張りながら満足そうにうなずいた。
「そうそう、私たち、実はちょっと長旅に出てたのよ〜。東方の諸国をぐるりと回って、ちょうど今朝、帰ってきたところだったの」
「領地にも戻らず、真っ先にここへ寄ったってわけだ」
おふたりの笑顔は、とにかく自由で、あたたかくて、そして何より楽しそうだった。
「それでね? 旅先で手紙を受け取って驚いたのよ。まさかレオンが婚約してるなんて! しかも、公爵邸に住んでるですって? 」
「なあマーサ、聞いたか? あのレオンが誰かと一緒に暮らしてるんだぞ。前代未聞だぞ」
「わたくしも、最初は驚きました。ですが……今ではすっかり、仲睦まじく過ごしていらっしゃいますよ」
「そう、そうなのよ〜〜〜! 早く会ってみたくって、もう馬車を飛ばして帰ってきたのよ!」
そう言って、公爵夫人が私の方にぱっと顔を向ける。
「シャルロットちゃん!!」
「は、はい……! 本日は、突然のご訪問をありがとうございます……!」
私は慌てて立ち上がり、深くお辞儀をした。
夫人は嬉しそうに私の手を取って、
「ふふふ、レオンがね〜、あなたと婚約すると言ってきたとき、ほんっとびっくりしたのよ。だって、あの子、誰ともまともに話そうとしなかったのに……」
そして、目をきらりとさせて、こう続けた。
「ねえ、あの子のどこが良かったの? あなたから見て、レオンの、どこが素敵だったのかしら〜?」
「えっ、あ、えっと、それは……その……!」
予想外すぎる質問に、私は言葉を失って、顔を真っ赤に染める。
「ほら〜! 照れてる〜! かわいい〜!」
「シャルロット殿が押し切ったのか? あいつが惚れ込んだのか? どっちなんだ?」
「う、うぅ……」
(ああああ、これはもう、レオンさんがいない時に攻められまくるやつぅぅ〜〜〜!!)
と、そんなふうに、レオンさんのご両親との初対面は——まさに、嵐のような勢いで幕を開けたのだった。