立売堀辨天 白い豆
クロを基調とする店それが立売堀辨天だ。
それと赤い提灯が店の前。
そこには、30年の営みがあった。30年間だと。店は、きつい、タバコの匂いで汚い、給料が安い。三拍子揃った職場なのにそこで母は、その生涯を肺尖がんと言う訳のわからない医者が決めた病名で不運になくなるまで気の遠くなるような接客をしてた。初めは、福永さんがいたが父と喧嘩して辨天を去ってからは、アルバイト も碌に雇わず母は、昼は、カツ丼や肉鍋を作っては、提供していた。こんなアホなことがあるか。
それと1人息子の野良と毎晩9%のビールを飲むアル中の父親、敦彦。誰がどう見ても母の経営だったのに敦彦を経営者だと思って経営やお金のことを聞いてた思春期のだいちは、馬鹿だった。
ある日、かまぼこを作っていた父親の敦彦に対して他店は、冷凍食品を使ってるのに剥離の手作りのかまぼこなんか作って経営は、うまく言ってるのかと聞くと。違うの一点馬り。アルコールで頭が発火した敦彦は、次の日、酔って俺の部屋に入ってきて鼻にパンチして来やがった。
鼻にパンチだと。FUCKとPUNCHじゃあるまいし。
まぁ結果的に俺は、MBAを取ることもなく夢にまで見てた証券マンになることもなく小説もどきのことを書いている。
それも生保で。あり得ない。
それでもクロの小説が書き上がった。
でも書きそびれていたことがある。
それは、どうして俺が病院送りになったか。
それは、母、真文が幼稚園の時にした豆巻きで白い豆を捨てず一つアーモンドフィッシュの袋に入れて流しの上に閉まっておいたからでそれを食べた俺は、虫と勘違いした。父親が虫料理でも作って揚げていたと思ったかは、分からないが。いや間違いなくそう思った。子供の時に親が人を殺してそれでそれを毎晩、食べさせられていたと言う症状を持った子がいるみたいだけれどまさにそれぐらいカオスだ。虫を茹でてたんだ。それは、流しや焼き物、冷蔵庫のしたにいる舞踊の幼虫でそれを水でふやかして大きくしてから茹でてやがったんだ。それを店の手伝いの時に目撃した俺は、その匂いで嫌気がさした。それで、その翌る日、マンションから出て行って父親にあれは、なんだと店の前で聞くと、クルっとまわっった。両手をキョンシーのように揃えて身を屈め左足を起点にして360度の絶景と来たらカオスそのものだろ。それも味のある白の骨法技と帽子で。その後訳がわからなくなって初めて開けた台所の上の一つだけ残っていたお菓子を食べた。そこから劇オコ。棚にあったコップをリビングに投げた。そして警察が来て親もそこにいた。それで国家権力により無理やり警察病院に連れて行かれた。それで余計体調を悪くした。
そんなことより医療は、人々をポアさせるためにある。
そういうことだと思う。
そう言う訳で早く就職しないといけない。
大正、公務員電磁の壮大ないじめ。
それでフジ部でハーブ吸わしてといてデンジ投下しといて。
俺と319なんか関係あんの?
それでなんかハンクムーディー?