夏目漱石「三四郎」本文と解説10-6 原口「画工(ゑかき)はね、心を描くんぢやない。心が外へ見世(みせ)を出してゐる所を描くんだ」
◇本文
「かう遣つて毎日描いてゐると、毎日の量が積り積つて、しばらくする内に、描いてゐる画に一定の気分が出来てくる。だから、たとひ外の気分で戸外から帰つて来ても、画室へ這入つて、画に向ひさへすれば、ぢきに一種一定の気分になれる。つまり画の中の気分が、此方へ乗り移るのだね。里見さんだつて同じ事だ。自然の儘(まゝ)に放つて置けば色々の刺激で色々の表情になるに極つてゐるんだが、それが実際画の上に大した影響を及ぼさないのは、あゝ云ふ姿勢や、斯う云ふ乱雑な鼓だとか、鎧だとか、虎の皮だとかいふ周囲のものが、自然に一種一定の表情を引き起す様になつて来て、其習慣が次第に他の表情を圧迫する程強くなるから、まあ大抵なら、此眼付を此儘で仕上げて行けば好いんだね。それに表情と云つたつて……」
原口さんは突然黙つた。何所どこか六つ゛かしい所へ来たと見える。二歩許立ち退いて、美禰子と画を頻りに見較べてゐる。
「里見さん、何うかしましたか」と聞いた。
「いゝえ」
此答は美禰子の口から出たとは思へなかつた。美禰子はそれ程静かに姿勢を崩さずにゐる。
「それに表情と云つたつて」と原口さんが又始めた。「画工はね、心を描くんぢやない。心が外へ見世を出してゐる所を描くんだから、見世さへ手落ちなく観察すれば、身代は自ら分かるものと、まあ、さうして置くんだね。見世で窺へない身代は画工の担任区域以外と諦べきものだよ。だから我々は肉ばかり描いてゐる。どんな肉を描いたつて、霊が籠らなければ、死肉だから、画として通有しない丈だ。そこで此里見さんの眼もね。里見さんの心を写す積りで描いてゐるんぢやない。たゞ眼として描いてゐる。此眼が気に入つたから描いてゐる。此眼の恰好だの、二重瞼の影だの、眸の深さだの、何でも僕に見える所丈を残りなく描いて行く。すると偶然の結果として、一種の表情が出て来る。もし出て来なければ、僕の色の出し具合が悪かつたか、恰好の取り方が間違つてゐたか、何方かになる。現にあの色あの形そのものが一種の表情なんだから仕方がない」
原口さんは、此時又 二歩ばかり後へ退つて、美禰子と画とを見較べた。
「何うも、今日は何うかしてゐるね。疲れたんでせう。疲れたら、もう廃しませう。――疲れましたか」
「いゝえ」
原口さんは又画へ近寄つた。
「それで、僕が何故里見さんの眼を択んだかと云ふとね。まあ話すから聞き給へ。西洋画の女の顔を見ると、誰の描いた美人でも、屹度大きな眼をしてゐる。可笑しい位大きな眼ばかりだ。所が日本では観音様を始めとして、お多福、能の面、もつとも著るしいのは浮世絵にあらはれた美人、悉く細い。みんな象に似てゐる。何故東西で美の標準がこれ程違ふかと思ふと、一寸不思議だらう。所が実は何でもない。西洋には眼の大きい奴ばかりゐるから、大きい眼のうちで、美的淘汰が行はれる。日本は鯨の系統ばかりだから――ピエルロチーといふ男は、日本人の眼は、あれで何うして開けるだらうなんて冷やかしてゐる。――そら、さう云ふ国柄だから、どうしたつて材料の寡い大きな眼に対する審美眼が発達しやうがない。そこで撰択の自由の利く細い眼のうちで、理想が出来て仕舞つたのが、歌麿になつたり、祐信になつたりして珍重がられてゐる。然しいくら日本的でも、西洋画には、あゝ細いのは盲目を描いた様で見共なくつて不可い。と云つて、ラフアエルの聖母の様なのは、天でありやしないし、有つた所が日本人とは云はれないから、其所で里見さんを煩はす事になつたのさ。里見さんもう少時ですよ」
答はなかつた。美禰子は凝としてゐる。 (青空文庫より)
◇解説
美禰子をモデルに原口が絵を描いている。
前話で三四郎が、「一体 斯うやつて、毎日毎日描いてゐるのに、描かれる人の眼の表情が何時も変らずにゐるものでせうか」と尋ねたのに対し、原口は、「それは変るだらう。本人が変るばかりぢやない、画工の方の気分も毎日変るんだから、本当を云ふと、肖像画が何枚でも出来上がらなくつちやならない訳だが、さうは行かない。又たつた一枚で可なり纏つたものが出来るから不思議だ。何故と云つて見給へ……」と答えた。モデルの目は毎日変化するが、それをたった一枚の絵にまとめることができるのが不思議だと原口は言う。
「毎日描いてゐると、毎日の量が積り積つて、しばらくする内に、描いてゐる画に一定の気分が出来」、「外の気分で戸外から帰つて来ても」「画の中の気分が、此方へ乗り移る」ため、「ぢきに一種一定の気分になれる」。モデルの方も「同じ」で、「あゝ云ふ姿勢や、斯う云ふ」「周囲のものが、自然に一種一定の表情を引き起す様になつて来て、其習慣が次第に他の表情を圧迫する程強くなる」。毎日描くことで、絵描きとモデルを取り巻く環境が両者に作用し、自然と「一種一定の気分」・「一種一定の表情」を引き起こす。だから「此眼付を此儘で仕上げて行けば好い」。
「原口さんは突然黙つた。何所どこか六つ゛かしい所へ来たと見える。二歩許立ち退いて、美禰子と画を頻りに見較べてゐる。
「里見さん、何うかしましたか」と聞いた。
「いゝえ」
此答は美禰子の口から出たとは思へなかつた。美禰子はそれ程静かに姿勢を崩さずにゐる」
…原口は画家として、美禰子がいつもとは違う様子であることを見抜いている。しかしその理由はわからない。そばに三四郎がいるからだ。
「画工は」「心」そのものではなく、「心が外へ見世を出してゐる所(表情)を描く」。「だから、見世(心が外・表情に現れているさま)さへ手落ちなく観察すれば(して描けば)、(その絵の鑑賞者は)身代(しんだい・モデルの心)は自ら分かる」。
美禰子の「眼も」「心を写す積りで描いてゐるんぢやない。たゞ眼として描いてゐる。此眼が気に入つたから描いてゐる。此眼の恰好だの、二重瞼の影だの、眸の深さだの、何でも僕に見える所丈を残りなく描いて行く。すると偶然の結果として、一種の表情が出て来る」。
「もし出て来なければ、僕の色の出し具合が悪かつたか、恰好の取り方が間違つてゐたか、何方かになる。現にあの色あの形そのものが一種の表情なんだから仕方がない」
これらの作画の説明は、文字による物語創作にもそのまま当てはまるだろう。
「原口さんは、此時又 二歩ばかり後へ退つて、美禰子と画とを見較べた。
「何うも、今日は何うかしてゐるね。疲れたんでせう。疲れたら、もう廃しませう。――疲れましたか」
「いゝえ」」
…三四郎がそばにいることで、美禰子の心は平静ではないのだ。
この時の美禰子は、既に別の男へ気持ちが移っている。以前愛しかけた男がそばにいる。彼女の心は動く。
原口がモデルとして美禰子の眼を選んだ理由は、日本人の中でも西洋画のモデルに引けを取らない大きな目を持っているからだった。
「西洋画の女の顔を見ると、誰の描いた美人でも、屹度大きな眼をしてゐる」のに対し、「日本では」「悉く細い」。「然しいくら日本的でも、西洋画には、あゝ細いのは盲目を描いた様で見共なくつて不可い。と云つて、ラフアエルの聖母の様なのは、天でありやしないし、有つた所が日本人とは云はれないから、其所で里見さんを煩はす事になつたのさ」。
美禰子は、西洋人ほど大きくはないが、日本人としては大きい眼を持っているので、西洋画のモデルとして最適だということ。
美禰子の大きな眼と白い歯。二つとも、その美しさだけでなく、彼女の意志を表す道具だ。
〇ピエルロチー(ピエール・ロティ)
ピエール・ロティといえば、芥川龍之介の『舞踏会』を思い出す。
一
明治十九年十一月三日の夜であつた。当時十七歳だつた――家の令嬢明子は、頭の禿げた父親と一しよに、今夜の舞踏会が催さるべき鹿鳴館の階段を上つて行つた。明るい瓦斯の光に照らされた、幅の広い階段の両側には、殆ど人工に近い大輪の菊の花が、三重の籬を造つてゐた。菊は一番奥のがうす紅、中程のが濃い黄色、一番前のがまつ白な花びらを流蘇の如く乱してゐるのであつた。さうしてその菊の籬の尽きるあたり、階段の上の舞踏室からは、もう陽気な管絃楽の音が、抑へ難い幸福の吐息のやうに、休みなく溢れて来るのであつた。
明子は夙に仏蘭西語と舞踏との教育を受けてゐた。が、正式の舞踏会に臨むのは、今夜がまだ生まれて始めてであつた。だから彼女は馬車の中でも、折々話しかける父親に、上の空の返事ばかり与へてゐた。それ程彼女の胸の中には、愉快なる不安とでも形容すべき、一種の落着かない心もちが根を張つてゐたのであつた。彼女は馬車が鹿鳴館の前に止るまで、何度いら立たしい眼を挙げて、窓の外に流れて行く東京の町の乏しい燈火を、見つめた事だか知れなかつた。
が、鹿鳴館の中へはひると、間もなく彼女はその不安を忘れるやうな事件に遭遇した。と云ふのは階段の丁度中程まで来かかつた時、二人は一足先に上つて行く支那の大官に追ひついた。すると大官は肥満した体を開いて、二人を先へ通らせながら、呆れたやうな視線を明子へ投げた。初々しい薔薇色の舞踏服、品好く頸へかけた水色のリボン、それから濃い髪に匂つてゐるたつた一輪の薔薇の花――実際その夜の明子の姿は、この長い辮髪を垂れた支那の大官の眼を驚かすべく、開化の日本の少女の美を遺憾なく具へてゐたのであつた。と思ふと又階段を急ぎ足に下りて来た、若い燕尾服の日本人も、途中で二人にすれ違ひながら、反射的にちよいと振り返つて、やはり呆れたやうな一瞥を明子の後姿に浴せかけた。それから何故か思ひついたやうに、白い襟飾へ手をやつて見て、又菊の中を忙しく玄関の方へ下りて行つた。
二人が階段を上り切ると、二階の舞踏室の入口には、半白の頬鬚を蓄へた主人役の伯爵が、胸間に幾つかの勲章を帯びて、路易十五世式の装ひを凝らした年上の伯爵夫人と一しよに、大様に客を迎へてゐた。明子はこの伯爵でさへ、彼女の姿を見た時には、その老獪らしい顔の何処かに、一瞬間無邪気な驚嘆の色が去来したのを見のがさなかつた。人の好い明子の父親は、嬉しさうな微笑を浮べながら、伯爵とその夫人とへ手短に娘を紹介した。彼女は羞恥と得意とを交はる交はる味つた。が、その暇にも権高な伯爵夫人の顔だちに、一点下品な気があるのを感づくだけの余裕があつた。
舞踏室の中にも至る所に、菊の花が美しく咲き乱れてゐた。さうして又至る所に、相手を待つてゐる婦人たちのレエスや花や象牙の扇が、爽かな香水の匂の中に、音のない波の如く動いてゐた。明子はすぐに父親と分れて、その綺羅びやかな婦人たちの或一団と一しよになつた。それは皆同じやうな水色や薔薇色の舞踏服を着た、同年輩らしい少女であつた。彼等は彼女を迎へると、小鳥のやうにさざめき立つて、口口に今夜の彼女の姿が美しい事を褒め立てたりした。
が、彼女がその仲間へはひるや否や、見知らない仏蘭西の海軍将校が、何処からか静に歩み寄つた。さうして両腕を垂れた儘、叮嚀に日本風の会釈をした。明子はかすかながら血の色が、頬に上つて来るのを意識した。しかしその会釈が何を意味するかは、問ふまでもなく明かだつた。だから彼女は手にしてゐた扇を預つて貰ふべく、隣に立つてゐる水色の舞踏服の令嬢をふり返つた。と同時に意外にも、その仏蘭西の海軍将校は、ちらりと頬に微笑の影を浮べながら、異様なアクサンを帯びた日本語で、はつきりと彼女にかう云つた。
「一しよに踊つては下さいませんか。」
間もなく明子は、その仏蘭西の海軍将校と、「美しく青きダニウブ」のヴアルスを踊つてゐた。相手の将校は、頬の日に焼けた、眼鼻立ちの鮮かな、濃い口髭のある男であつた。彼女はその相手の軍服の左の肩に、長い手袋を嵌めた手を預くべく、余りに背が低かつた。が、場馴れてゐる海軍将校は、巧に彼女をあしらつて、軽々と群集の中を舞ひ歩いた。さうして時々彼女の耳に、愛想の好い仏蘭西語の御世辞さへも囁いた。
彼女はその優しい言葉に、恥しさうな微笑を酬いながら、時々彼等が踊つてゐる舞踏室の周囲へ眼を投げた。皇室の御紋章を染め抜いた紫縮緬の幔幕や、爪を張つた蒼竜が身をうねらせてゐる支那の国旗の下には、花瓶々々の菊の花が、或は軽快な銀色を、或は陰欝な金色を、人波の間にちらつかせてゐた。しかもその人波は、三鞭酒のやうに湧き立つて来る、花々しい独逸管絃楽の旋律の風に煽られて、暫くも目まぐるしい動揺を止めなかつた。明子はやはり踊つてゐる友達の一人と眼を合はすと、互に愉快さうな頷きを忙しい中に送り合つた。が、その瞬間には、もう違つた踊り手が、まるで大きな蛾が狂ふやうに、何処からか其処へ現れてゐた。
しかし明子はその間にも、相手の仏蘭西の海軍将校の眼が、彼女の一挙一動に注意してゐるのを知つてゐた。それは全くこの日本に慣れない外国人が、如何に彼女の快活な舞踏ぶりに、興味があつたかを語るものであつた。こんな美しい令嬢も、やはり紙と竹との家の中に、人形の如く住んでゐるのであらうか。さうして細い金属の箸で、青い花の描いてある手のひら程の茶碗から、米粒を挾んで食べてゐるのであらうか。――彼の眼の中にはかう云ふ疑問が、何度も人懐しい微笑と共に往来するやうであつた。明子にはそれが可笑しくもあれば、同時に又誇らしくもあつた。だから彼女の華奢な薔薇色の踊り靴は、物珍しさうな相手の視線が折々足もとへ落ちる度に、一層身軽く滑らかな床の上を辷つて行くのであつた。
が、やがて相手の将校は、この児猫のやうな令嬢の疲れたらしいのに気がついたと見えて、劬るやうに顔を覗きこみながら、
「もつと続けて踊りませうか。」
「ノン・メルシイ。」
明子は息をはずませながら、今度ははつきりとかう答へた。
するとその仏蘭西の海軍将校は、まだヴアルスの歩みを続けながら、前後左右に動いてゐるレエスや花の波を縫つて、壁側の花瓶の菊の方へ、悠々と彼女を連れて行つた。さうして最後の一廻転の後、其処にあつた椅子の上へ、鮮かに彼女を掛けさせると、自分は一旦軍服の胸を張つて、それから又前のやうに恭しく日本風の会釈をした。
その後又ポルカやマズユルカを踊つてから、明子はこの仏蘭西の海軍将校と腕を組んで、白と黄とうす紅と三重の菊の籬の間を、階下の広い部屋へ下りて行つた。
此処には燕尾服や白い肩がしつきりなく去来する中に、銀や硝子の食器類に蔽はれた幾つかの食卓が、或は肉と松露との山を盛り上げたり、或はサンドウイツチとアイスクリイムとの塔を聳てたり、或は又柘榴と無花果との三角塔を築いたりしてゐた。殊に菊の花が埋め残した、部屋の一方の壁上には、巧な人工の葡萄蔓が青々とからみついてゐる、美しい金色の格子があつた。さうしてその葡萄の葉の間には、蜂の巣のやうな葡萄の房が、累々と紫に下つてゐた。明子はその金色の格子の前に、頭の禿げた彼女の父親が、同年輩の紳士と並んで、葉巻を啣へてゐるのに遇つた。父親は明子の姿を見ると、満足さうにちよいと頷いたが、それぎり連れの方を向いて、又葉巻を燻せ始めた。
仏蘭西の海軍将校は、明子と食卓の一つへ行つて、一しよにアイスクリイムの匙を取つた。彼女はその間も相手の眼が、折々彼女の手や髪や水色のリボンを掛けた頸へ注がれてゐるのに気がついた。それは勿論彼女にとつて、不快な事でも何でもなかつた。が、或刹那には女らしい疑ひも閃かずにはゐられなかつた。そこで黒い天鵞絨の胸に赤い椿の花をつけた、独逸人らしい若い女が二人の傍を通つた時、彼女はこの疑ひを仄かせる為に、かう云ふ感歎の言葉を発明した。
「西洋の女の方はほんたうに御美しうございますこと。」
海軍将校はこの言葉を聞くと、思ひの外真面目に首を振つた。
「日本の女の方も美しいです。殊にあなたなぞは――」
「そんな事はこざいませんわ。」
「いえ、御世辞ではありません。その儘すぐに巴里の舞踏会へも出られます。さうしたら皆が驚くでせう。ワツトオの画の中の御姫様のやうですから。」
明子はワツトオを知らなかつた。だから海軍将校の言葉が呼び起した、美しい過去の幻も――仄暗い森の噴水と凋れて行く薔薇との幻も、一瞬の後には名残りなく消え失せてしまはなければならなかつた。が、人一倍感じの鋭い彼女は、アイスクリイムの匙を動かしながら、僅にもう一つ残つてゐる話題に縋る事を忘れなかつた。
「私も巴里の舞踏会へ参つて見たうございますわ。」
「いえ、巴里の舞踏会も全くこれと同じ事です。」
海軍将校はかう云ひながら、二人の食卓を繞つてゐる人波と菊の花とを見廻したが、忽ち皮肉な微笑の波が瞳の底に動いたと思ふと、アイスクリイムの匙を止めて、
「巴里ばかりではありません。舞踏会は何処でも同じ事です。」と半ば独り語のやうにつけ加へた。
一時間の後、明子と仏蘭西の海軍将校とは、やはり腕を組んだ儘、大勢の日本人や外国人と一しよに、舞踏室の外にある星月夜の露台に佇んでゐた。
欄干一つ隔てた露台の向うには、広い庭園を埋めた針葉樹が、ひつそりと枝を交し合つて、その梢に点々と鬼灯提燈の火を透かしてゐた。しかも冷かな空気の底には、下の庭園から上つて来る苔の匂や落葉の匂が、かすかに寂しい秋の呼吸を漂はせてゐるやうであつた。が、すぐ後の舞踏室では、やはりレエスや花の波が、十六菊を染め抜いた紫縮緬の幕の下に、休みない動揺を続けてゐた。さうして又調子の高い管絃楽のつむじ風が、相不変らずその人間の海の上へ、用捨もなく鞭を加へてゐた。
勿論この露台の上からも、絶えず賑な話し声や笑ひ声が夜気を揺つてゐた。まして暗い針葉樹の空に美しい花火が揚る時には、殆ど人どよめきにも近い音が、一同の口から洩れた事もあつた。その中に交つて立つてゐた明子も、其処にゐた懇意の令嬢たちとは、さつきから気軽な雑談を交換してゐた。が、やがて気がついて見ると、あの仏蘭西の海軍将校は、明子に腕を借した儘、庭園の上の星月夜へ黙然と眼を注いでゐた。彼女にはそれが何となく、郷愁でも感じてゐるやうに見えた。そこで明子は彼の顔をそつと下から覗きこんで、
「御国の事を思つていらつしやるのでせう。」と半ば甘えるやうに尋ねて見た。
すると海軍将校は相不変微笑を含んだ眼で、静かに明子の方へ振り返つた。さうして「ノン」と答へる代りに、子供のやうに首を振つて見せた。
「でも何か考へていらつしやるやうでございますわ。」
「何だか当てて御覧なさい。」
その時露台に集つてゐた人々の間には、又一しきり風のやうなざわめく音が起り出した。明子と海軍将校とは云ひ合せたやうに話をやめて、庭園の針葉樹を圧してゐる夜空の方へ眼をやつた。其処には丁度赤と青との花火が、蜘蛛手に闇を弾きながら、将に消えようとする所であつた。明子には何故かその花火が、殆悲しい気を起させる程それ程美しく思はれた。
「私は花火の事を考へてゐたのです。我々の生のやうな花火の事を。」
暫くして仏蘭西の海軍将校は、優しく明子の顔を見下しながら、教へるやうな調子でかう云つた。
二
大正七年の秋であつた。当年の明子は鎌倉の別荘へ赴く途中、一面識のある青年の小説家と、偶然汽車の中で一しよになつた。青年はその時編棚の上に、鎌倉の知人へ贈るべき菊の花束を載せて置いた。すると当年の明子――今のH老夫人は、菊の花を見る度に思ひ出す話があると云つて、詳しく彼に鹿鳴館の舞踏会の思ひ出を話して聞かせた。青年はこの人自身の口からかう云ふ思出を聞く事に、多大の興味を感ぜずにはゐられなかつた。
その話が終つた時、青年はH老夫人に何気なくかう云ふ質問をした。
「奥様はその仏蘭西の海軍将校の名を御存知ではございませんか。」
するとH老夫人は思ひがけない返事をした。
「存じて居りますとも。Julien Viaud と仰有おつしやる方でございました。」
「では Loti だつたのでございますね。あの『お菊夫人』を書いたピエル・ロテイだつたのでございますね。」
青年は愉快な興奮を感じた。が、H老夫人は不思議さうに青年の顔を見ながら何度もかう呟くばかりであつた。
「いえ、ロテイと仰有る方ではございませんよ。ジュリアン・ヴイオと仰有る方でございますよ。」 (大正八年十二月) (青空文庫より)
舞踏会に参加する家柄のお嬢様であっても、青春時代に一瞬、交歓したフランス将校が小説家ピエール・ロティだということを知らない。そこに読者は愚かさよりも悲しさを感じる。
当時の日本の近代化は、夏目漱石が言うとおり、まさに「皮相上滑り」(「現代日本の開化」)だった。西洋近代文明の大波に襲われ、なんとかそれを受けとめ自分のものにしようとしたが、結局溺れてしまった日本。その「あわれ」(「現代日本の開化」)さを体現したのが明子だ。
美禰子と三四郎も、明子とロティのように一瞬のはかない恋で終わる。