表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/117

夏目漱石「三四郎」本文と解説2-1「三四郎が東京で驚ろいたものは沢山ある」

◇本文

 三四郎が東京で驚ろいたものは沢山ある。第一電車のちん/\鳴るので驚ろいた。それから其ちん/\鳴る間に、非常に多くの人間が乗つたり降りたりするので驚ろいた。次に丸のうちで驚ろいた。尤も驚ろいたのは、何処(どこ)迄行つても東京が無くならないと云ふ事であつた。しかも何処をどう歩いても、材木が放り出してある、石が積んである、新らしい家が往来から二三間引っ込んでゐる、古い蔵が半分取り崩されて心細く前の方に残つてゐる。凡ての物が破壊されつゝある様に見える。さうして凡ての物が又同時に建設されつつある様に見える。大変な動き方である。

 三四郎は全く驚ろいた。要するに普通の田舎者が始めて都の真中に立つて驚ろくと同じ程度に、又同じ性質に於て大いに驚ろいて仕舞つた。今迄の学問は此驚ろきを預防(よぼう)する上に於て、売薬程の効能もなかつた。三四郎の自信は此驚ろきと共に四割方 減却(げんきやく)した。不愉快でたまらない。

 此劇烈な活動そのものが取りも直さず現実世界だとすると、自分が今日迄の生活は現実世界に毫も接触してゐない事になる。洞が峠で昼寐をしたと同然である。それでは今日限り昼寐をやめて、活動の割前が払へるかと云ふと、それは困難である。自分は今活動の中心に立つてゐる。けれども自分はたゞ自分の左右前後に起る活動を見なければならない地位に置き易へられたと云ふ迄で、学生としての生活は以前と変る訳はない。世界はかやうに動揺する。自分は此動揺を見てゐる。けれどもそれに加はる事は出来ない。自分の世界と、現実の世界は一つ平面に並んで居りながら、どこも接触してゐない。さうして現実の世界は、かやうに動揺して、自分を置き去りにして行つて仕舞ふ。甚だ不安である。

 三四郎は東京の真中に立つて電車と、汽車と、白い着物を着た人と、黒い着物を着た人との活動を見て、かう感じた。けれども学生々活の裏面に横はる思想界の活動には毫も気が付かなかつた。――明治の思想は西洋の歴史にあらはれた三百年の活動を四十年で繰り返してゐる。

 三四郎が動く東京の真中に閉ぢ込められて、一人で(ふさ)ぎ込んでゐるうちに、国元の母から手紙が来た。東京で受取つた最初のものである。見ると色々書いてある。まづ今年は豊作で目出度(めでたい)と云ふ所から始まつて、身体を大事にしなくつては不可(いけな)いと云ふ注意があつて、東京のものはみんな利口で人が悪いから用心しろと書いて、学資は毎月月末に届く様にするから安心しろとあつて、勝田の政さんの従弟に当る人が大学校を卒業して、理科大学とかに出てゐるさうだから、尋ねて行つて、万事よろしく頼むがいゝで結んである。肝心の名前を忘れたと見えて、欄外と云ふ様な所に野々宮宗八どのとかいてあつた。此欄外には其外二三件ある。(さく)青馬(あを)が急病で死んだんで、作は大弱りでゐる。三輪田の御光さんが鮎をくれたけれども東京へ送ると途中で腐つて仕舞ふから、家内(うち)で食べて仕舞つた。等である。

 三四郎は此手紙を見て、何だか古ぼけた昔から届いた様な気がした。母には済まないが、こんなものを読んでゐる暇はないと迄考へた。それにも(かか)はらず繰り返して二返読んだ。要するに自分がもし現実世界と接触してゐるならば、今の所母より外にないのだらう。其母は古い人で古い田舎に居る。其外には汽車の中で乗り合はした女がゐる。あれは現実世界の稲妻である。接触したと云ふには、あまりに短かくつて且あまりに鋭過(するどす)ぎた。――三四郎は母の()ひ付け通り野々宮宗八を尋ねる事にした。 (青空文庫より)


◇解説

地方から初めて東京に出た者の驚きと印象が、分かりやすく述べられる。

「三四郎が東京で驚ろいたものは沢山ある」。

①電車のちん/\鳴るので驚ろいた。

②それから其ちん/\鳴る間に、非常に多くの人間が乗つたり降りたりするので驚ろいた。

③丸のうちで驚ろいた。

④尤も驚ろいたのは、何処(どこ)迄行つても東京が無くならないと云ふ事であつた。…高い建物の上から眺めた東京に、この感覚を抱く者は多いだろう

⑤しかも何処をどう歩いても、材木が放り出してある、石が積んである、新らしい家が往来から二三間引っ込んでゐる、古い蔵が半分取り崩されて心細く前の方に残つてゐる。凡ての物が破壊されつゝある様に見える。さうして凡ての物が又同時に建設されつつある様に見える。大変な動き方である。…スクラップ&ビルド。生物のように増殖し続けるさま。


〇東京の路面電車と丸の内について

「明治36(1903)年に東京馬車鉄道が東京電車鉄道として新たに開業し、新橋―品川間を電化した後、翌年には全路線の電化を完了しました。明治44(1911)年には、東京市が路面電車を経営していた民間会社を買収し、東京市電が誕生しました。明治・大正期を通じて、東京の市内交通網は拡充していきました。」(東京都都市整備局HPより)


「三四郎は全く驚ろいた。要するに普通の田舎者が始めて都の真中に立つて驚ろくと同じ程度に、又同じ性質に於て大いに驚ろいて仕舞つた。今迄の学問は此驚ろきを預防(よぼう)する上に於て、売薬程の効能もなかつた。三四郎の自信は此驚ろきと共に四割方 減却(げんきやく)した。不愉快でたまらない」

…九州にいたころは、エリートとしての自負とプライドを持っていた三四郎だったが、しょせん彼も「普通の田舎者」に過ぎず、「始めて都の真中に立つて」「大いに驚ろいて仕舞つた」。「今迄の学問は此驚ろきを預防(よぼう)する上に於て、売薬程の効能もなかつた」ことに気づき、「三四郎の自信は此驚ろきと共に四割方 減却(げんきやく)した」。そうして、「不愉快」だけが後に残る。「不愉快」の後には「不安」が三四郎を襲う。


「自分は今活動の中心に立つてゐる」はずであり、「自分の世界と、現実の世界は一つ平面に並んで居りながら、どこも接触してゐない」。激烈な現実世界と自分の世界は、確かに同じ場所にあるはずなのに、そこに自己の存在を感じられない。自己存在の浮遊性や存在認識の希薄さ・おぼろさを、この時三四郎は強く感じている。自分で自分の存在が感じられないことは、自己否定にもつながりかねない危険な状態だ。

さらに三四郎は、「さうして現実の世界は、かやうに動揺して、自分を置き去りにして行つて仕舞ふ」という。現実世界からの疎外感・仲間外れにされてしまっている認識は、彼を強く「不安」にさせる。現実世界から取り残され、一人ぽっちになってしまったかのような感覚。


人がたくさん往来しているはずの「東京の真中に立つて、電車と、汽車と、白い着物を着た人と、黒い着物を着た人との活動を見て」、三四郎は孤独と不安を感じる。季節は夏なので、「白い着物を着た人」は多いだろう。ここはやや不吉な表現だ。「白い着物を着た人」は亡くなった人を、「黒い着物」は喪服をイメージさせるからだ。若く血気盛んな三四郎にはまだ、死の具体的なイメージは無いだろう。彼にとって死は遠い存在だが、しかしそれは意外に身近なところにあることに、彼は気付いていない。彼はまだ、死の意味や重みを知らない未熟な若者だ。

なお、このことについては、3-9の所で触れる。野々宮の家で留守番をしていた三四郎の耳に「ああああ、もう少しの間だ」という鉄道自殺者の声が聞こえてくる場面がある。


実は三四郎は、この他にも様々な世界がある・取り巻かれていることに気づいていないことを語り手は説明する。

「けれども学生々活の裏面に横はる思想界の活動には毫も気が付かなかつた。――明治の思想は西洋の歴史にあらはれた三百年の活動を四十年で繰り返してゐる」

過去・平凡だと思われていた「学生々活」も、その「裏面」には活発な「思想界の活動」が「横たわ」っている。

「――」(ダッシュ)は引用や強調をあらわし、ここでは以下の表現が警句であることを示す。「明治の思想は西洋の歴史にあらはれた三百年の活動を四十年で繰り返してゐる」。「明治の思想」は、「西洋の歴史」「三百年の活動を」わずか「四十年で」成し遂げようとしている。そんなことをしたら、神経衰弱になること必定だ。これについては漱石が講演でも語っており、しょせん「皮相上滑り」の改革にしかならないとする。もちろん三四郎は、そのことにも気づいていない。三四郎にはまだ知らない世界がたくさんあるのだ。

またここでは語り手が文明批評をしていることも指摘しておく。


新奇なものに目がチカチカしている三四郎のもとに、母から手紙が届く。「古ぼけた昔」・故郷・母からの便りは、「一人で(ふさ)ぎ込んで」いた三四郎をしばし慰める。

「東京で受取つた最初のものである」とあるから、この後にも便りが来たのだろう。これに続く母の手紙の内容は、子を東京に送り出した心配や不安、子を思いやる気持ちが感じられる。三四郎にとってはどうでもいいつまらぬ話題ばかりなのだろうが、「身体を大事にしなくつては不可(いけな)い」、「東京のものはみんな利口で人が悪いから用心しろ」、「学資は毎月月末に届く様にするから安心しろ」、「勝田の政さんの従弟に当る人が大学校を卒業して、理科大学とかに出てゐるさうだから、尋ねて行つて、万事よろしく頼むがいゝ」、など、すべてが子を思う母の心情が綴られた手紙だ。

「三四郎は此手紙を見て、何だか古ぼけた昔から届いた様な気がした。母には済まないが、こんなものを読んでゐる暇はないと迄考へた」。故郷を離れ、新しい人々との交流や都会での活躍を夢見る若者らしい感想だ。ひとしきり腐した後で「それにも(かか)はらず繰り返して二返読んだ」のは、やはり母の手紙が心にしみる部分もあったからだ。

「自分がもし現実世界と接触してゐるならば、今の所母より外にないのだらう。其母は古い人で古い田舎に居る」。この表現からは、「現実世界」が二つあることになる。先にまとめた「現実世界」は激烈な東京を指して(限って)おり、ここではそれに母の住む世界が含まれるとする。「汽車の中で乗り合はした女」は「現実世界の稲妻」であり、「接触したと云ふには、あまりに短かくつて且あまりに鋭過(するどす)ぎた」。母の心配は当たっていたということになる。次の「――」は、「だから」の意味をあらわし、「だから三四郎は母の()ひ付け通り野々宮宗八を尋ねる事にした」のだった。


新たな登場人物である「野々宮宗八」が、母の手紙によって紹介されるという巧みさ・自然さ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ