夏目漱石「三四郎」本文と解説9-5 佐々木「人間はね、自分が困らない程度内で、成るべく人に親切がして見たいものだ。君、あの女の夫になれるか」
◇本文
翌日も其翌日も三四郎は野々宮さんの所へ行かなかつた。野々宮さんの方でも何とも云つて来なかつた。さうしてゐる内に一週間程経つた。仕舞に野々宮さんから、下宿の下女を使ひに手紙を寄こした。御母さんから頼まれものがあるから、一寸来て呉れろとある。三四郎は講義の隙を見て、又理科大学の穴倉へ降りて行つた。其所で立談の間に事を済ませやうと思つた所が、左う旨くは行かなかつた。此夏は野々宮さん丈で専領してゐた部屋に、髭の生えた人が二三人ゐる。制服を着た学生も二三人ゐる。それが、みんな熱心に、静粛に、頭の上の日の当たる世界を余所にして、研究を遣つてゐる。其内で野々宮さんは尤も多忙に見えた。部屋の入口に顔を出した三四郎を、一寸と見て、無言の儘近寄つて来た。
「国から、金が届いたから、取りに来て呉れ玉へ。今 此所に持つてゐないから。それからまだ外に話す事もある」
三四郎ははあと答へた。今夜でも好いかと尋ねた。野々宮は少し考へてゐたが、仕舞に思ひ切つて、宜しいと云つた。三四郎は夫れで穴倉を出た。出ながら、流石に理学者は根気の能いものだと感心した。此夏見た福神漬の缶と、望遠鏡が依然として故の通りの位地に備へ付けてあつた。
次の講義の時間に与次郎に逢つて是々(これこれ)だと話すと、与次郎は馬鹿だと云はない許に三四郎を眺めて、
「だから何時迄も借りて置いてやれと云つたのに。余計な事をして年寄には心配を掛ける。宗八さんには御談義をされる。是位愚な事はない」と丸で自分から事が起つたとは認めてゐない申分である。三四郎も此問題に関しては、もう与次郎の責任を忘れて仕舞つた。従つて与次郎の頭に掛かつて来ない返事をした。
「何時迄も借りて置くのは、厭だから、家へさう云つて遣つたんだ」
「君は厭でも、向ふでは喜ぶよ」
「何故」
此何故が三四郎自身には幾分か虚偽の響きらしく聞えた。然し相手には何等の影響も与へなかつたらしい。
「当り前ぢやないか。僕を人にしたつて、同じ事だ。僕に金が余つてゐるとするぜ。左うすれば、其金を君から返して貰ふよりも、君に貸して置く方が善い心持ちだ。人間はね、自分が困らない程度内で、成る可く人に親切がして見たいものだ」
三四郎は返事をしないで、講義を筆記し始めた。二三行書き出すと、与次郎が又、耳の傍へ口を持つて来た。
「おれだつて、金のある時は度々人に貸した事がある。然し誰も決して返したものがない。夫れだからおれは此通り愉快だ」
三四郎は真逆、左うかとも云へなかつた。薄笑ひをした丈で、又 洋筆を走らし始めた。与次郎も夫れからは落付いて、時間の終る迄口を利かなかつた。
号鐘が鳴つて、二人肩を並べて教場を出るとき、与次郎が、突然聞いた。
「あの女は君に惚れてゐるのか」
二人の後から続々聴講生が出て来る。三四郎は已を得ず無言の儘 階子段を降りて横手の玄関から、図書館傍の空地へ出て、始めて与次郎を顧た。
「能く分からない」
与次郎は暫らく三四郎を見てゐた。
「左う云ふ事もある。然し能く分かつたとして。君、あの女の夫になれるか」
三四郎は未だ曾て此問題を考へた事がなかつた。美禰子に愛せられるといふ事実其物が、彼女の夫たる唯一の資格の様な気がしてゐた。云はれて見ると、成程疑問である。三四郎は首を傾けた。
「野々宮さんならなれる」と与次郎が云つた。
「野々宮さんと、あの人とは何か今迄に関係があるのか」
三四郎の顔は彫り付けた様に真面目であつた。与次郎は一口、
「知らん」と云つた。三四郎は黙つてゐる。
「まあ野々宮さんの所へ行つて、御談義を聞いて来い」と云ひ棄てゝ、相手は池の方へ行き掛けた。三四郎は愚劣の看板の如く突立つた。与次郎は五六歩行つたが、又笑ひながら帰つて来た。
「君、いつそ、よし子さんを貰はないか」と云ひながら、三四郎を引つ張つて、池の方へ連れて行つた。歩きながら、あれなら好い、あれなら好いと、二度に程繰り返した。其内又 号鐘が鳴つた。 (青空文庫より)
◇解説
故郷の母に借金の手当てを頼んだ三四郎。母はその金を野々宮に送り、野々宮から苦言とともに渡してもらおうとする。
「翌日も其翌日も三四郎は野々宮さんの所へ行かなかつた」…三四郎は悪い予感がし、なかなか野々宮のもとへと足が向かない。そのため、しまいには野々宮の方から呼び出される。
叱られることを予想する三四郎は、「立談の間に事を済ませやうと思つた所が、左う旨くは行かな」い。「国から」「届いた」金を渡すだけでなく、「まだ外に話す事もある」とのこと。
なおこの場面で、研究に忙しい野々宮の様子がうかがわれる。彼の活躍は世界に名が知られており、彼を慕って学者も学生も集まるのだ。だから本来であれば、三四郎の借金の相手をしている暇はない。母の頼みだからこそ、野々宮は一肌脱ごうとしている。
悪い予感が当たった「三四郎ははあと答へた」。
三四郎は「穴倉」を「出ながら、流石に理学者は根気の能いものだと感心した。此夏見た福神漬の缶と、望遠鏡が依然として故の通りの位地に備へ付けてあつた」。しかしここで彼が「感心」しなけれはならないのは、先ほども述べたとおり、忙しい野々宮が自分のために骨を折ってくれていることの方だ。三四郎は、そのようなことに全く気付かない。人に迷惑をかけているという意識が乏しい点では、佐々木と同じだ。
「次の講義の時間に与次郎に逢つて是々(これこれ)だと話すと、与次郎は馬鹿だと云はない許に三四郎を眺めて」話し出す。ここで実際に「馬鹿」なのは佐々木の方だ。彼は自分の失態を棚上げにし、さも三四郎がへまをしでかしたかのように言う。こういう人間は信用してはいけない。
「だから何時迄も借りて置いてやれと云つたのに。余計な事をして年寄には心配を掛ける。宗八さんには御談義をされる。是位愚な事はない」…佐々木が借金をいつまでも返さないからすべての人が困っている。「何時迄も借りて置いてやれ」というのは、自分の借金を肩代わりしてくれている相手に言うセリフではないし、自分の罪を全く考えていない行動だ。
佐々木が「余計な事」をしたせいで、「年寄には心配を掛ける。宗八さんには御談義をされる」。「是位愚な事はない」のは、佐々木だ。三四郎と一体化した語り手が言うとおり、「丸で自分から事が起つたとは認めてゐない申分である」。すべての原因は佐々木にある。
しかし「三四郎も此問題に関しては、もう与次郎の責任を忘れて仕舞つた」。鷹揚な三四郎。
次の、「頭に掛かつて来ない」の意味が不明だが、前後のつながりから、佐々木に反感を持たれない「返事」という意味だろう。
「何時迄も借りて置くのは、厭だから、家へさう云つて遣つたんだ」…ここで「厭だ」と思うべきなのは、佐々木だ。それなのに佐々木は、「君は厭でも、向ふでは喜ぶよ」と、相変わらずのんきなことをいう。
「「何故」
此何故が三四郎自身には幾分か虚偽の響きらしく聞えた」
…いつまでも金を借りっぱなしにすることは、三四郎と美禰子のつながりが保たれることを意味する。三四郎に金を借りられた状態を続けることを美禰子が「何故」喜ぶのかは、三四郎自身、よく分かっている。分かった上で発したセリフなので、聞くまでもないことを、気付かぬふりをして聞いた自分の言葉に、「虚偽」と述べたのだ。
「然し相手には何等の影響も与へなかつたらしい」…「何故」と問われた相手の佐々木は、その言葉の持つ「虚偽」性に気づいていないということ。だからこれに続き、別の角度からその理由を述べ始める。
「当り前ぢやないか。僕を人にしたつて、同じ事だ。僕に金が余つてゐるとするぜ。左うすれば、其金を君から返して貰ふよりも、君に貸して置く方が善い心持ちだ。人間はね、自分が困らない程度内で、成る可く人に親切がして見たいものだ」
…美禰子はまだ若く、自分で自由になり、「余つてゐる」程の金はないだろう。また彼女は、金が余っているから酔狂で三四郎に金を貸したわけではない。三四郎が好きで、好きな人が困っているから手を差し伸べたのだ。佐々木は、「人間はね、自分が困らない程度内で、成る可く人に親切がして見たいものだ」などともっともらしいことを言うが、彼にそんなことを言う資格はない。自分のせいで友人を困らせている自覚がない。
「三四郎は返事をしないで、講義を筆記し始めた」
…責任を全く自覚していない佐々木の言葉に重みや真実味はないが、その内容は図らずも合っているので、三四郎は考えている場面。
ところで、授業中にこんな雑談を平然と行う東大生は許されるのか。てっきり休み時間の場面かと思って読んでいたので驚いた。
「二三行書き出すと、与次郎が又、耳の傍へ口を持つて来た。
「おれだつて、金のある時は度々人に貸した事がある。然し誰も決して返したものがない。夫れだからおれは此通り愉快だ」
…またしても無茶苦茶な佐々木の論理。人から平気で借金をしている者から、「おれだって、金のある時は」などと言われても信用できないし、「然し誰も決して返したものがない。夫れだからおれは此通り愉快だ」と言われても、それではお前は金を返す意思はないのだなとしか思わないし、不愉快だ。やはり佐々木はまともに相手をしてはいけない男だ。
「三四郎は真逆、左うかとも云へなかつた。薄笑ひをした丈で、又 洋筆を走らし始めた」
…ここで三四郎は「薄笑ひ」をしてはいけなかった。佐々木の不誠実性や責任感の無さを批判すべきところだ。そうして、友人関係を解消すべきだ。
佐々木から突然聞かれた、「あの女は君に惚れてゐるのか」という核心に迫る問いに、三四郎は、「能く分からない」と正直に答える。
「与次郎は暫らく三四郎を見てゐた」…佐々木は、三四郎の心を探り、また、美禰子の心を探っている。
「左う云ふ事もある。然し能く分かつたとして。君、あの女の夫になれるか」
…互いの好意が確認できたとしても、その結果として美禰子の「夫」となることを、「三四郎は未だ曾て」「考へた事がなかつた」。好意の確認の後にくる結婚というシステムを、まだ現実的に考えたことがない三四郎。今はそもそも相手の気持ちがわからない。だからその次の段階のことを考えてもみなかったというのは、責められないだろう。三四郎は、この佐々木の言葉によって、社会的・現実的には、そのような道筋をたどるのだということに気づかされたことになる。
またこれは、美禰子に対しても同じことが言える。三四郎は、「美禰子に愛せられるといふ事実」の中に、「彼女の夫たる唯一の資格」があると、ぼんやりと考えていた。しかし佐々木が言うように、美禰子は、将来の「夫」として好きな相手を選択しようとしている。美禰子にとって「愛」は、将来の「夫」・生活・人生そのものなのだ。
そのような相手と自分は、果たして釣り合うのか。佐々木に「云はれて見ると、成程疑問である。三四郎は首を傾けた」。
「あの女の夫になれるか」という問いに対する佐々木の答えは、「野々宮さんならなれる」というものだった。確かに野々宮は、他の学者や学生たちから、また、世界から尊敬される実績の持ち主だ。そのことは、はっきりとは書かれないが、三四郎も認めているだろう。それに比べて今の自分は、まだひよっこだ。だから彼は、「野々宮さんならなれる」という佐々木の言葉に反論せず、野々宮と美禰子の関係について「真面目」に尋ねる。彼の顔は、「彫り付けた様に」こわばり緊張している。
「野々宮さんと、あの人とは何か今迄に関係があるのか」。
「与次郎は一口、「知らん」と云つた」…まったく何も知らないということはあるまい。彼らは広田先生のサロンに属する者たちだ。だから佐々木のこのセリフは、ごまかしとぼけたことになる。三四郎への気遣いか、美禰子や野々宮への気遣いか。
それをうっすらと感じている三四郎の方も、「黙つてゐる」。
「「まあ野々宮さんの所へ行つて、御談義を聞いて来い」と云ひ棄てゝ、相手は池の方へ行き掛けた。三四郎は愚劣の看板の如く突立つた」
…こわばった表情で立ち尽くす三四郎に、佐々木は「まあ野々宮さんの所へ行つて、御談義を聞いて来い」と話題を変える気遣いを見せる。軽い冗談で、友人を和ませようとしたのだ。しかし三四郎の表情は変わらなかった。だから「与次郎は五六歩行つたが、又笑ひながら帰つて来」て、「君、いつそ、よし子さんを貰はないか」と言って、さらに友人の心をほぐそうとする。佐々木は「三四郎を引つ張つて、池の方へ連れて行つた。歩きながら、あれなら好い、あれなら好いと、二度程繰り返した」。よい友人だ。
「其内又 号鐘が鳴つた」…若い学生にとっては、恋も勉学も、両方大事だということを表す表現。
〇美禰子とよし子
さまざまな手練手管・策略で男たちを惑わせる美禰子に対し、天然なところがあるが素直で母性を感じさせるよし子。人は、悪い異性に魅かれるもので、今の三四郎もまさにそのとりことなっている。まだ東京に出たばかりの東大の新入生である三四郎には、自信も経験もない。既に世界にその名が知られる野々宮の実績にはかなうべくもない。「夫」としてどちらを選ぶか、その勝敗はすでに決まっていると言えるだろう。もし三四郎が選ばれる・野々宮に勝つとすれば、その可能性と性格だけだろう。あとは美禰子がそれをどう評価し、またそれに賭けるかどうかだ。
佐々木によって、冗談めかして登場させられたよし子がかわいそうだが、彼女の支持者は読者にも多いのではないか。広田先生もその一人だ。
私も三四郎にはよし子の方がお似合いだと思う。美禰子では、「夫」となった後も、さまざま悩まされる気がする。一言でいうと、気の抜けない女なのだ。それでは心が休まらない。家庭が、安息の場所ではなくなってしまう。
明治という時代において、美禰子やよし子、『こころ』のお嬢さんなどの年齢の女性は、真剣に結婚相手を探している。彼女たちにとっては、恋=結婚・「夫」なのだ。それに対し三四郎はまだ、そこまで考えが及んでいないことは、本文でも示されていた。三四郎はまだ、恋と結婚が結びついていない。そこに、女と男のギャップが生じている。
三四郎に比べると、野々宮の方が、リボンをプレゼントするなど、美禰子に対し積極的に動いている。年齢的にも野々宮の方が、より結婚相手として美禰子を見る意識が強いだろう。
三四郎にとって美禰子は、恋愛の対象としてはよいだろうが、結婚相手としては似合わない・不釣り合いだ。これに対し美禰子の恋愛は、結婚とつながっている。この齟齬がある限り、最終的にふたりが結ばれることはないだろう。