夏目漱石「三四郎」本文と解説9-2 広田「どうも物理学者は自然派ぢや駄目の様だね」
◇本文
「野々宮さん光線の圧力の試験はもう済みましたか」
「いや、まだ中々(なか/\)だ」
「随分手数が掛かるもんだね。我々の職業も根気仕事だが、君の方はもつと劇しい様だ」
「画はインスピレーシヨンで直ぐ描けるから可いが、物理の実験はさう旨くは不可い」
「インスピレーシヨンには辟易する。此夏ある所を通つたら婆さんが二人で問答をしてゐた。聞いて見ると梅雨はもう明けたんだらうか、どうだらうかといふ研究なんだが、一人の婆さんが、昔は雷さへ鳴れば梅雨は明けるに極まつてゐたが、近頃ぢや左うは不可いと不平てゐる。すると一人が何うして、/\雷位で明ける事ぢやありやしないと憤慨してゐた。――画も其通り、今の画はインスピレーシヨン位で描ける事ぢやありやしない。ねえ田村さん、小説だつて、左うだらう」
隣りに田村といふ小説家が坐つて居た。此男が自分のインスピレーシヨンは原稿の催促以外に何にもないと答へたので、大笑ひになつた。田村は、それから改まつて、野々宮さんに、光線に圧力があるものか、あれば、どうして試験するかと聞き出した。野々宮さんの答は面白かつた。――
雲母か何かで、十六 武蔵位の大きさの薄い円盤を作つて、水晶の糸で釣して、真空の中に置いて、此円盤の面へ弧光燈の光を直角にあてると、此円盤が光に圧されて動く。と云ふのである。
一座は耳を傾けて聞いてゐた。中にも三四郎は腹の中で、あの福神漬の缶のなかに、そんな装置がしてあるのだらうと、上京の際、望遠鏡で驚ろかされた昔を思ひ出した。
「君、水晶の糸があるのか」と小さな声で与次郎に聞いて見た。与次郎は頭を振つてゐる。
「野々宮さん、水晶の糸がありますか」
「えゝ、水晶の粉をね。酸水素吹管の焔で溶かして置いて、かたまつた所を両方の手で、左右へ引つ張ると細い糸が出来るのです」
三四郎は「左うですか」と云つたぎり、引つ込んだ。今度は野々宮さんの隣にゐる縞の羽織の批評家が口を出した。
「我々はさう云ふ方面へ掛けると、全然無学なんですが、そんな試験を遣つて見様と、始め何うして気が付いたものでせうな」
「始め気が付いたのは、何でも瑞典か何処かの学者ですが。あの彗星の尾が、太陽の方へ引き付けられべき筈であるのに、出るたびに何時でも反対の方角に靡くのは変だと考へ出したのです。それから、もしや光の圧力で吹き飛ばされるんぢやなからうかと思ひ付いたのです」
批評家は大分感心したらしい。
「思ひ付きも面白いが、第一大きくて可いですね」と云つた。
「大きい許ぢやない、罪がなくつて愉快だ」と広田先生が云つた。
「それで其思ひ付が外れたら猶罪がなくつて可い」と原口さんが笑つてゐる。
「否、どうも中てゐるらしい。光線の圧力は半径の二乗に比例するが、引力の方は半径の三乗に比例するんだから、物が小さくなればなる程引力の方が負けて、光線の圧力が強くなる。もし彗星の尾が非常に細かい小片から出来てゐるとすれば、どうしても太陽とは反対の方へ吹き飛ばされる訳だ」
野々宮は、つい真面目になつた。すると原口が例の調子で、
「罪がない代りに、大変計算が面倒になつて来た。矢っ張一利一害だ」と云つた。此一言で、人々は元の通り麦酒の気分に復した。広田先生が、斯んな事を云ふ。
「どうも物理学者は自然派ぢや駄目の様だね」
物理学者と自然派の二字は少なからず満場の興味を刺激した。 (青空文庫より)
◇解説
一座は、野々宮の光線の圧力の試験の話題で盛り上がる。
「画はインスピレーシヨンで直ぐ描けるから可いが、物理の実験はさう旨くは不可い」と揶揄する野々宮に対し、「インスピレーシヨンには辟易する」。「今の画はインスピレーシヨン位で描ける事ぢやありやしない」と応ずる原口。
次いで、野々宮の光線の圧力試験が「真面目」に語られる。
それに対し、広田が、「どうも物理学者は自然派ぢや駄目の様だね」と批評し、「物理学者と自然派の二字は少なからず満場の興味を刺激した」。
今話は野々宮の物理学の研究の一端が示される。懇親会の参加者は文系と芸術系が多いようで、ふだん見知らぬ話題に興味をそそられる様子が描かれる。