夏目漱石「三四郎」本文と解説8-8 三四郎はもう一遍エ゛ニスの堀割を眺め出した。女は、振り返つた。三四郎は自分の方を見てゐない。女は先へ行く足をぴたりととめ、三四郎の横顔を熟視してゐた。
◇本文
三四郎は又 隠袋へ手を入れた。銀行の通帳と印形を出して、女に渡した。金は帳面の間に挟んで置いた筈である。然るに女が、
「御金は」と云つた。見ると、間にはない。三四郎は又 衣嚢を探つた。中から手摺れのした札を攫み出した。女は手を出さない。
「預つて置いて頂戴」と云つた。三四郎は聊か迷惑の様な気がした。然しこんな時に争ふ事を好まぬ男である。其上往来だから猶更遠慮をした。折角握つた札を又元の所へ収めて、妙な女だと思つた。
学生が多く通る。擦れ違ふ時に屹度二人を見る。中には遠くから眼を付けて来るものもある。三四郎は池の端へ出る迄の路を頗る長く感じた。それでも電車に乗る気にはならない。二人共のそ/\歩いてゐる。会場へ着いたのは殆んど三時近くである。妙な看板が出てゐる。丹青会と云ふ字も、字の周囲についてゐる図案も、三四郎の眼には悉く新らしい。然し熊本では見る事の出来ない意味で新らしいので、寧ろ一種異様の感がある。中は猶更である。三四郎の眼には只油絵と水彩画の区別が判然と映ずる位のものに過ぎない。
それでも好悪はある。買つてもいゝと思ふのもある。然し巧拙は全く分からない。従つて鑑別力のないものと、初手から諦めた三四郎は、一向口を開かない。
美禰子が是は何うですかと云ふと、左うですなといふ。是は面白いぢやありませんかと云ふと、面白さうですなといふ。丸で張合ひがない。話しの出来ない馬鹿か、此方を相手にしない偉い男か、何方かに見える。馬鹿とすれば衒はない所に愛嬌がある。偉いとすれば、相手にならない所が悪らしい。
長い間外国を旅行して歩いた兄妹の画が沢山ある。双方共同じ姓で、しかも一つ所に並べて掛けてある。美禰子は其一枚の前に留つた。
「エ゛ニスでせう」
是は三四郎にも解つた。何だかエ゛ニスらしい。画舫にでも乗つて見たい心持がする。三四郎は高等学校に居る時分画舫といふ字を覚えた。それから此字が好きになつた。画舫といふと、女と一所に乗らなければ済まない様な気がする。黙つて蒼い水と、水の左右の高い家と、倒さに映る家の影と、影の中にちらちらする赤い片とを眺めてゐた。すると、
「兄さんの方が余程旨い様ですね」と美禰子が云つた。三四郎には此意味が通じなかつた。
「兄さんとは……」
「此画は兄の方でせう」
「誰の?」
美禰子は不思議さうな顔をして、三四郎を見た。
「だつて、彼方の方が妹さんので、此方の方が兄さんのぢやありませんか」
三四郎は一歩退いて、今通つて来た路の片側を振り返つて見た。同じ様に外国の景色を描いたものが幾点となく掛かつてゐる。
「違ふんですか」
「一人と思つて入らしつたの」
「えゝ」と云つて、ぼんやりしてゐる。やがて二人が顔を見合した。さうして一度に笑ひ出した。美禰子は、驚ろいた様に、わざと大きな眼をして、しかも一段と調子を落とした小声になつて、
「随分ね」と云ひながら、一間ばかり、ずん/\先へ行つて仕舞つた。三四郎は立ち留つた儘、もう一遍エ゛ニスの堀割を眺め出した。先へ抜けた女は、此時振り返つた。三四郎は自分の方を見てゐない。女は先へ行く足をぴたりと留た。向ふから三四郎の横顔を熟視してゐた。
「里見さん」
出し抜けに誰か大きな声で呼んだ者がある。 (青空文庫より)
◇解説
三四郎が美禰子に金を借りる場面。三四郎人生初のデート。しかし会話は弾まず、微妙な雰囲気だ。ふたりの間には、例の金が挟まっているからだ。
「銀行の通帳と印形を出して、女に渡した」が、「帳面の間に挟んで置いた筈」の金が挟まれていない。「女が、「御金は」と云つた」後、「又 衣嚢を探」り、「中から手摺れのした札を攫み出した」。
この、いわば二度手間の形にしたのは、三四郎が美禰子の金に頓着していないことを表す。金は借りなくてもいいと考え、ただ単に、依頼されたから銀行から引き出してきたということ。
しかしその依頼者であるはずの「女は手を出さ」ず、「預つて置いて頂戴」と、不思議な事を言う。その意味と意図が分からない「三四郎は聊か迷惑の様な気がした」。「然しこんな時に争ふ事を好まぬ男」であり、「其上往来だから猶更遠慮をし」、「折角握つた札を又元の所へ収めて、妙な女だと思つた」。彼はおそらく、彼女との別れ際に返そうと思っているだろう。
「学生が多く通る。擦れ違ふ時に屹度二人を見る。中には遠くから眼を付けて来るものもある。三四郎は池の端へ出る迄の路を頗る長く感じた」…当時の世相を表している。若い男女がふたり連れで往来を歩くことすら奇異に見られた。(『こころ』のKとお嬢さんに、これと同じような場面があった)
「それでも電車に乗る気にはならない。二人共のそ/\歩いてゐる。会場へ着いたのは殆んど三時近くである」…ふたりとも、何を語らずとも、一緒に歩きたいのだ。
「妙な看板」、「丹青会と云ふ字も、字の周囲についてゐる図案も、三四郎の眼には悉く新らし」く、「一種異様の感がある」…芸術への理解と感受に乏しい三四郎。「中は猶更」「三四郎の眼には只油絵と水彩画の区別が判然と映ずる位のものに過ぎない」。
「それでも好悪はある。買つてもいゝと思ふのもある。然し巧拙は全く分からない。従つて鑑別力のないものと、初手から諦めた三四郎は、一向口を開かない」。「全く分からない」から、「一向口を開」けない。
美禰子の「是は何うですか」に「左うですな」としか返せない。「是は面白いぢやありませんか」にも「面白さうですな」としか言えない。美禰子にとっては、「丸で張合ひがな」く、「話しの出来ない馬鹿か、此方を相手にしない偉い男か、何方かに見える」。
「馬鹿とすれば衒はない所に愛嬌がある。偉いとすれば、相手にならない所が悪らしい」。短く面白いまとめ。当然三四郎は、前者だ。
それにしても、思わぬ同行とはいえ、何か気のきいたことが言えないものか。このやりとりでは、嫌々ながら彼女に付き合ってここにいるとしか受け取れない。美禰子にしてみれば、自分から誘った展覧会という機会を、このようにまったく関心を示さない対応をされたら、この人は、自分にも同様に関心が無いのだと思あ、がっかりするだろう。
「長い間外国を旅行して歩いた兄妹の画が沢山ある。双方共同じ姓で、しかも一つ所に並べて掛けてある」…絵に描かれたサインか絵の表示が、名字だけ示されていたのだろう。または、そのようなことに気づかない三四郎の様子。
「画舫といふと、女と一所に乗らなければ済まない様な気がする。黙つて蒼い水と、水の左右の高い家と、倒さに映る家の影と、影の中にちらちらする赤い片とを眺めてゐた」…女性とのデートを夢見る三四郎。
兄妹の絵を、「一人と思つて」鑑賞してきた三四郎は、「「えゝ」と云つて、ぼんやりしてゐる」。まるで呆けたかのようだ。だから「やがて二人が顔を見合した。さうして一度に笑ひ出した」。
「美禰子は、驚ろいた様に、わざと大きな眼をして、しかも一段と調子を落とした小声になつて、「随分ね」と云ひながら、一間ばかり、ずん/\先へ行つて仕舞つた」…これは美禰子のやや大げさな演技。せっかくのふたりだけのデートを楽しもうとおどけている。彼女の演技にもかかわらず、「三四郎は立ち留つた儘、もう一遍エ゛ニスの堀割を眺め出した」。先ほどわざと「先へ抜けた女は、此時振り返つた」。残念ながら「三四郎は自分の方を見てゐない。女は先へ行く足をぴたりと留た」。「この人は私に関心が無いのかしら。この私と二人連れでうれしくないのかしら。私がちょっとおどけて見せたのだから、それに乗ってきなさいよ。私を見ないなんて、シンジラレナイ!」と思いながら、美禰子は「向ふから三四郎の横顔を熟視してゐた」。美禰子は心に不満を抱きながらも、明らかに三四郎に見とれている。
「「里見さん」 出し抜けに誰か大きな声で呼んだ者がある」。
男女がいい雰囲気の場面には、必ず邪魔者が入る。
〇「エ゛ニスの堀割」は、吉田博の「ヴェニスの運河」がこれにあたるとされる。なお、その画像と解説は、漱石の心も動かした風景画家・吉田博の回顧展 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト 参照。