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夏目漱石「三四郎」本文と解説1-8 三四郎「是からは日本も段々発展するでせう」→男「亡びるね」

◇本文

 浜松で二人とも申し合せた様に弁当を食つた。食つて仕舞つても汽車は容易に出ない。窓から見ると、西洋人が四五人列車の前を往つたり来たりしてゐる。其うちの一組は夫婦と見えて、暑いのに手を組み合せてゐる。女は上下とも真白な着物で、大変美くしい。三四郎は生れてから今日に至るまで西洋人と云ふものを五六人しか見た事がない。其うちの二人は熊本の高等学校の教師で、其二人のうちの一人は運悪く脊虫(せむし)であつた。女では宣教師を一人知つてゐる。随分 (とんが)つた顔で、(きす)又は(かます)に類してゐた。だから、かう云ふ派出な奇麗な西洋人は珍しい(ばかり)ではない。頗る上等に見える。三四郎は一生懸命に見惚(みとれ)てゐた。是では威張るのも尤もだと思つた。自分が西洋へ行つて、こんな人の中に這入つたら定めし肩身の狭い事だらうと迄考へた。窓の前を通る時二人の話を熱心に聞いて見たが(ちつ)とも分らない。熊本の教師とは丸で発音が違ふ様だ。

 所へ例の男が首を後ろから出して、

「まだ出さうもないですかね」と言ひながら、今行き過ぎた、西洋の夫婦を一寸(ちよい)と見て、

「あゝ美しい」と小声に云つて、すぐに生欠伸(なまあくび)をした。三四郎は自分が如何にも田舎ものらしいのに気が着いて、早速首を引き込めて、着坐した。男もつゞいて席に返つた。さうして、

「どうも西洋人は美しいですね」と云つた。

 三四郎は別段の答も出ないので只(たゞ)はあと受けて笑つてゐた。すると髭の男は、

「御互は憐れだなあ」と云ひ出した。「こんな顔をして、こんなに弱つてゐては、いくら日露戦争に勝つて、一等国になつても駄目ですね。尤も建物を見ても、庭園を見ても、いづれも顔相応の所だが、――あなたは東京が始めてなら、まだ富士山を見た事がないでせう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれより外に自慢するものは何もない。所が其富士山は天然自然に昔からあつたものなんだから仕方がない。我々が(こしらへ)たものぢやない」と云つて又にや/\笑つてゐる。三四郎は日露戦争以後こんな人間に出逢ふとは思ひも寄らなかつた。どうも日本人ぢやない様な気がする。

「然し是からは日本も段々発展するでせう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、

「亡びるね」と云つた。熊本でこんな事を口に出せば、すぐ(なぐ)られる。わるくすると国賊取扱ひにされる。三四郎は頭の中の何処(どこ)(すみ)にも斯う云ふ思想を入れる余裕はない様な空気の(うち)で生長した。だから、ことによると自分の年齢(とし)の若いのに乗じて、(ひと)を愚弄するのではなからうかとも考へた。男は例の如くにや/\笑つてゐる。其癖言葉つきはどこ迄も落付いてゐる。どうも見当が付かないから、相手になるのを()めて黙つて仕舞つた。すると男が、かう云つた。

「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」で一寸切つたが、三四郎の顔を見ると耳を傾けてゐる。

「日本より頭の中の方が広いでせう」と云つた。「(とら)はれちや駄目だ。いくら日本の為めを思つたつて贔負(ひいき)の引き倒しになる許りだ」

 此言葉を聞いた時、三四郎は真実に熊本を出た様な心持ちがした。同時に熊本に居た時の自分は非常に卑怯であつたと悟つた。

 其晩三四郎は東京に着いた。髭の男は分れる時迄名前を()かさなかつた。三四郎は東京へ着きさへすれば、此位の男は到る所に居るものと信じて、別に姓名を尋ね様ともしなかつた。 (青空文庫より)


◇解説

浜松で停車中の車窓から、「西洋人が四五人列車の前を往つたり来たりしてゐる」のを三四郎は目にする。「一組は夫婦と見えて、暑いのに手を組み合せてゐる。女は上下とも真白な着物で、大変美くしい」。これまで三四郎は西洋人を、「五六人しか見た事が」なく、「其うちの二人は熊本の高等学校の教師で、其二人のうちの一人は運悪く脊虫(せむし)であつた」。女の宣教師は「随分 (とんが)つた顔で、(きす)又は(かます)に類してゐた」。だから、これほど美しく「頗る上等に見える」西洋人にはまだ出会ったことがなく、「一生懸命に見惚(みとれ)てゐた」。

「是では」西洋人が「威張るのも尤もだと思つた。自分が西洋へ行つて、こんな人の中に這入つたら定めし肩身の狭い事だらうと迄考へた」。このあたりは、漱石自身の英国留学体験が反映されているだろう。

「窓の前を通る時二人の話を熱心に聞いて見たが(ちつ)とも分らない。熊本の教師とは丸で発音が違ふ様だ」。熊本の西洋人は、出身・身分が違うのだろう。


「例の男が」「西洋の夫婦を一寸(ちよい)と見て、「あゝ美しい」と小声に云つて、すぐに生欠伸(なまあくび)をした。三四郎は自分が如何にも田舎ものらしいのに気が着いて、早速首を引き込めて、着坐した」

…「例の男」は「美しい」「西洋人」にもかかわらず等閑視する。この様子では、「美しい」という評言が本当にそう思って言っているのかも不審になる。三四郎は、「例の男」に対し、話題の多様さと、この時代まだ珍しい外国人に対してもそれほど価値を置いていない様子から、その正体への疑念が膨らんでいるだろう。この後男は、もっと驚くべき言葉を三四郎に投げかける。


男は続いて、「どうも西洋人は美しいですね」、「御互は憐れだなあ」と言い出す。

続いて広田先生の日本文明論が述べられる。

「こんな(醜く褐色の)顔をして、こんなに(西洋近代文明に押されて神経が)弱つてゐては、いくら日露戦争に勝つて、一等国になつても(自分ではなったつもりでいても)駄目ですね。尤も建物を見ても、庭園を見ても、いづれも顔相応の(貧弱な)所だが、――あなたは東京が始めてなら、まだ富士山を見た事がないでせう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれより外に自慢するものは何もない。所が其富士山は天然自然に昔からあつたものなんだから仕方がない。我々が(こしらへ)たものぢやない」と云つて又にや/\笑つてゐる」。西洋と日本の文明を比較すると、日本に誇れるものは何もない。日本は西洋にはかなわない。勝てるものがあるとすれば、昔から自然にある富士山くらいだ。当然それも自分たち日本人が作ったものではない。だから結局、日本が西洋にかなうものは一つもないということだ。

そうすると、先ほどの広田の様子は、西洋への興味の無さではなく、はなから日本は勝ち目がないという諦念ということになる。


「三四郎は日露戦争以後こんな人間に出逢ふとは思ひも寄ら」ず、「日本人ぢやない様な気」さえする。「然し是からは日本も段々発展するでせう」と、ほぼすべての日本人が同じように考える「弁護」に対し、「かの男は、すましたもので、「亡びるね」と云つた」。とても有名な広田のセリフだが、日本では一般に、「こんな事を口に出せば、すぐ(なぐ)られる。わるくすると国賊取扱ひにされる」。三四郎もこれまでそのような考え方の環境にいた。「頭の中の何処(どこ)(すみ)にも斯う云ふ思想を入れる余裕はない様な空気の(うち)で生長した」。「ことによると自分の年齢(とし)の若いのに乗じて、(ひと)を愚弄するのではなからうかとも考へた」が、「男は例の如くにや/\笑つてゐる」し、「其癖言葉つきはどこ迄も落付いてゐる」。広田は意気揚々と東京に向かおうとしている三四郎をからかうと同時に教育を施している。この青年は、九州の田舎から青雲の志を抱いて上京しようとしている。その発達段階はどのレベルにあるのか。日本という国を客観的・冷静に把握することができるのか。それを、「亡びるね」という刺激的な言葉をわざと投げかけることで、確かめようとしている。それと同時に、ふだんの教師の癖が出てしまったのだろう。青年の頭をつつくことで、その目を開かせようとしている。

しかしまだ若い三四郎には、男の考えの「見当が付かない」。すると男は続ける。

「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……日本より頭の中の方が広いでせう。(とら)はれちや駄目だ。いくら日本の為めを思つたつて贔負(ひいき)の引き倒しになる許りだ」

これは、実際に英国留学を果たした漱石だから吐けるセリフだろう。普通一般の日本人には想像もつかない考え方・捉え方だ。ロシアに勝った。一等国の仲間入りだ。ほぼすべての日本人がそう浮かれている時に、世界から見た日本という視点を持ちえた広田。


「此言葉を聞いた時、三四郎は真実に熊本を出た様な心持ちがした」。三四郎は、熊本どころか日本からも飛び出すことが可能な視点を広田から与えられたのだった。自国に過分な評価を与え、疑うことをしなかった自分を、三四郎は「非常に卑怯であつたと悟つた」。


「で一寸切つたが、三四郎の顔を見ると耳を傾けてゐる」

…この部分は面白い表現になっている。これまで語り手はほぼ三四郎と同化した物言いをしてきたが、ここで初めてそれ以外の人物である広田の視点に立った表現をしている。これは当然、三四郎を外から見直すという第三者の視線となっている。


「其晩三四郎は東京に着いた。髭の男は分れる時迄名前を()かさなかつた。三四郎は東京へ着きさへすれば、此位の男は到る所に居るものと信じて、別に姓名を尋ね様ともしなかつた」

…まだ若い三四郎は、人を見る・評価する目を持っていない。幸い彼はこの後広田と再会するのだが、知的好奇心を鋭く刺激するこのような人物を簡単に見捨ててしまう未熟さが表れた場面。「東京へ着きさへすれば、此位の男は到る所に居る」わけでもないし、そう「信じ」たのは間違いだ。だから彼は、「姓名を尋ね」るべきだった。人を見抜く目は、経験だけが与えてくれる。三四郎は、東京に過分の期待を持っているということにもなる。

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