夏目漱石「三四郎」本文と解説8-3 佐々木「文芸家の会は多分上野の西洋軒になるだらう。なに会費なんか、心配しなくつてもいい。無ければ僕が出して置くから」 三四郎はたちまちさきの弐拾円の件を思ひ出した。
◇本文
運動は着々歩を進めつゝある。暇さへあれば下宿へ出掛けて行つて、一人一人に相談する。相談は一人一人に限る。大勢寄ると、各自が自分の存在を主張しやうとして、稍(やゝ)ともすれば異を樹てる。それでなければ、自分の存在を閑却された心持になつて、初手から冷淡に構へる。相談はどうしても一人、一人に限る。其代り暇は要る。金も要る。それを苦にしてゐては運動は出来ない。それから相談中には広田先生の名前を余り出さない事にする。我々の為の相談でなくつて、広田先生の為の相談だと思はれると、事が纏まらなくなる。
与次郎は此方法で運動の歩を進めてゐるのださうだ。それで今日迄の所は旨く行つた。西洋人 許では不可ないから、是非共日本人を入れて貰はうといふ所迄話は来た。是から先はもう一遍寄つて、委員を撰んで、学長なり、総長なりに、我々の希望を述べに遣る許である。尤も会合丈はほんの形式だから略しても可い。委員になるべき学生も大体は知れてゐる。みんな広田先生に同情を持つてゐる連中だから、談判の模様によつては、此方から先生の名を当局者へ持ち出すかも知れない。……
聞いてゐると、与次郎一人で天下が自由になる様に思はれる。三四郎は尠からず与次郎の手腕に感服した。与次郎は又此間の晩、原口さんを先生の所へ連れて来た事に就いて、弁じ出した。
「あの晩、原口さんが、先生に文芸家の会をやるから出ろと、勧めてゐたらう」と云ふ。三四郎は無論覚えてゐる。与次郎の話によると、実はあれも自身の発起に係るものださうだ。其理由は色々あるが、まづ第一に手近な所を云へば、あの会員のうちには、大学の文科で有力な教授がゐる。其男と広田先生を接触させるのは、此際先生に取つて、大変な便利である。先生は変人だから、求めて誰とも交際しない。然し此方(こつち(で相当の機会を作つて、接触させれば、変人なりに附合つて行く。……
「左う云ふ意味があるのか、些とも知らなかつた。それで君が発起人だと云ふんだが、会をやる時、君の名前で通知を出して、さう云ふ偉い人達がみんな寄つて来るのかな」
与次郎は、しばらく真面目に、三四郎を見てゐたが、やがて苦笑ひをして傍を向いた。
「馬鹿云つちや不可ない。発起人つて、表向きの発起人ぢやない。たゞ僕がさう云ふ会を企だてたのだ。つまり僕が原口さんを勧めて、万事原口さんが周旋する様に拵たのだ」
「さうか」
「さうかは田臭だね。時に君もあの会へ出るが可い。もう近いうちに有る筈だから」
「そんな偉い人ばかり出る所へ行つたつて仕方がない。僕は廃さう」
「又田臭を放つた。偉い人も偉くない人も社会へ頭を出した順序が違ふ丈だ。なにあんな連中、博士とか学士とか云つたつて、会つて話して見ると何でもないものだよ。第一向ふがさう偉いとも何とも思つてやしない。是非出て置くが可い。君の将来の為だから」
「何所であるのか」
「多分上野の西洋軒になるだらう」
「僕はあんな所へ這入つた事がない。高い会費を取るんだらう」
「まあ弐円位だらう。なに会費なんか、心配しなくつても可い。無ければ僕が出して置くから」
三四郎は忽ちさきの弐拾円の件を思ひ出した。けれども不思議に可笑しくならなかつた。与次郎は其上銀座の何所とかへ天麩羅を食ひに行かうと云ひ出した。金はあると云ふ。不思議な男である。云ひなり次第になる三四郎も是は断わつた。其代り一所に散歩に出た。帰りに岡野へ寄つて、与次郎は栗饅頭を沢山買つた。これを先生に見舞に持つて行くんだと云つて、袋を抱へて帰つていつた。 (青空文庫より)
◇解説
広田を東大教授に就けるという「運動は着々歩を進めつゝある」。「下宿」にいる学生「一人一人」への「相談」は、「暇は要る」し「金も要る」。「広田先生の名前を余り出さない事に」したのは、「広田先生の為の相談だと思はれると、事が纏まらなくなる」からだ。「与次郎は此方法で運動の歩を進めてゐるのださうだ」。「是から先はもう一遍寄つて、委員を撰んで、学長なり、総長なりに、我々の希望を述べに遣る許である」。
「与次郎の手腕」は、原口を通して「文芸家の会」に広田を誘ったこと。「あの会員のうちには、大学の文科で有力な教授がゐる。其男と広田先生を接触させるのは、此際先生に取つて、大変な便利である」と考えたからだ。場所は「上野の西洋軒」。
「僕はあんな所へ這入つた事がない。高い会費を取るんだらう」と心配すると、「なに会費なんか、心配しなくつても可い。無ければ僕が出して置くから」と言われ、「三四郎は忽ちさきの弐拾円の件を思ひ出した」。自分が金を貸した相手からのおごりに、腹立ちよりも「不思議」な「可笑し」さを感じる三四郎。「与次郎は其上銀座の何所とかへ天麩羅を食ひに行かうと云ひ出した。金はあると云ふ」。これにも三四郎は腹を立てず、「不思議な男」と感じるのみだったが、「云ひなり次第になる三四郎も是は断わつた」。
「帰りに岡野へ寄つて、与次郎は栗饅頭を沢山買つた。これを先生に見舞に持つて行くんだと云つて、袋を抱へて帰つていつた」。その金はどこから出ているのか。また、少しでもあるならば、その金を返すべきではないか。金は天下の回り物というが、佐々木の気楽さ、無計画性は、特に金についてよく表れる。