夏目漱石「三四郎」本文と解説1-7 男は「すると是から大学へ這入るのですね」と如何にも平凡であるかの如くに聞いた
◇本文
其男の説によると、桃は果物のうちで一番仙人めいてゐる。何だか馬鹿見た様な味がする。第一 核子の恰好が無器用だ。且つ穴だらけで大変面白く出来上つてゐると云ふ。三四郎は始めて聞く説だが、随分詰らない事を云ふ人だと思つた。
次に其男がこんな事を云ひ出だした。子規は果物が大変好きだつた。且ついくらでも食へる男だつた。ある時大きな樽柿を十六食つた事がある。それで何ともなかつた。自分抔は到底子規の真似は出来ない。――三四郎は笑つて聞いてゐた。けれども子規の話丈には興味がある様な気がした。もう少し子規の事でも話さうかと思つてゐると、
「どうも好きなものには自然と手が出るものでね。仕方がない。豚抔は手が出ない代りに鼻が出る。豚をね、縛つて動けない様にして置いて、其鼻の先へ、御馳走を並べて置くと、動けないものだから、鼻の先が段々延びて来るさうだ。御馳走に届く迄は延びるさうです。どうも一念程恐ろしいものはない」と云つて、にやにや笑つてゐる。真面目だか冗談だか、判然と区別しにくい様な話し方である。
「まあ御互に豚でなくつて仕合せだ。さう欲しいものゝ方へ無暗に鼻が延びて行つたら、今頃は汽車にも乗れない位長くなつて困るに違ひない」
三四郎は吹き出した。けれども相手は存外静かである。
「実際 危険。レオナルド、ダ、ヴインチと云ふ人は桃の幹に砒石を注射してね、其実へも毒が回るものだらうか、どうだらうかと云ふ試験をした事がある。所が其桃を食つて死んだ人がある。危険。気を付けないと危険」と云ひながら、散々食ひ散らした水蜜桃の核子やら皮やらを、一纏めに新聞に包んで、窓の外へ抛げ出した。
今度は三四郎も笑ふ気が起こらなかつた。レオナルド、ダ、ヴインチと云ふ名を聞いて少しく辟易した上に、何だか昨夕の女の事を考へ出して、妙に不愉快になつたから、謹(つゝし)んで黙つて仕舞つた。けれども相手はそんな事に一向気が付かないらしい。やがて、
「東京は何所へ」と聞き出した。
「実は始めてで様子が善く分からんのですが……差し当り国の寄宿舎へでも行かうかと思つてゐます」と云ふ。
「ぢや熊本はもう……」
「今度卒業したのです」
「はあ、そりや」と云つたが御目出たいとも結構だとも付けなかつた。たゞ「すると是から大学へ這入るのですね」と如何にも平凡であるかの如くに聞いた。
三四郎は聊か物足りなかつた。其代り、
「えゝ」と云ふ二字で挨拶を片付けた。
「科は?」と又聞かれる。
「一部です」
「法科ですか」
「いゝえ文科です」
「はあ、そりや」と又云つた。三四郎は此はあそりやを聞くたびに妙になる。向ふが大いに偉いか、大いに人を踏み倒してゐるか、さうでなければ大学に全く縁故も同情もない男に違ない。然しそのうちの何方だか見当が付かないので此男に対する態度も極めて不明瞭であつた。 (青空文庫より)
◇解説
長旅に飽きた広田先生は、無聊の慰めのために桃の話を始める。
「其男の説によると、桃は果物のうちで一番仙人めいてゐる。何だか馬鹿見た様な味がする。第一 核子の恰好が無器用だ。且つ穴だらけで大変面白く出来上つてゐると云ふ。三四郎は始めて聞く説だが、随分詰らない事を云ふ人だと思つた」
…広田は暇なのだ。まだまだ先は長く遠い。だから暇つぶしに、田舎者の高校生相手に役にも立たぬ駄弁を弄している。
広田の不思議な話は続く。今までこのような話とこのような話をする男に、三四郎は出会ったことがない。
「子規は果物が大変好きだつた。且ついくらでも食へる男だつた。ある時大きな樽柿を十六食つた事がある。それで何ともなかつた。自分抔は到底子規の真似は出来ない」。「三四郎は笑つて聞いてゐた」が、話題が桃から文学者の話題に移ったので、少し「興味がある様な気がした」。ところが男は「どうも好きなものには自然と手が出るものでね。仕方がない」と、簡単に話題を変えてしまう。
縛られた豚は、鼻先へ御馳走を並べて置くと、鼻の先が段々延びて来る。「どうも一念程恐ろしいものはない」。深い話かと思えば、「にやにや笑つてゐる」。三四郎には、「真面目だか冗談だか、判然と区別しにくい様な話し方である」。この時三四郎は、この男は自分をバカにしているのかそうでないのか、はっきりわからない。
「まあ御互に豚でなくつて仕合せだ。さう欲しいものゝ方へ無暗に鼻が延びて行つたら、今頃は汽車にも乗れない位長くなつて困るに違ひない」。こう言われて思わず「三四郎は吹き出した」のだが、今度は「相手は存外静かである」。どうやら言外に深い意味が込められているようにも聞こえる。
男の話は続く。
レオナルド、ダ、ヴインチは桃の幹に砒石を注射して、其実へも毒が回るものか試験をした事がある。「「所が其桃を食つて死んだ人がある。危険。気を付けないと危険」と云ひながら、散々食ひ散らした水蜜桃の核子やら皮やらを、一纏めに新聞に包んで、窓の外へ抛げ出した」。ダビンチは純粋に科学の実験のためにそのようなことをしたのだが、それによって死者が出てしまった。科学の発展に人の死はつきものだが、その危険性を広田は述べている。ただここは、その人が死んだもとになった桃を、ふたりは散々食い散らかした後であることが滑稽だ。ふたりにも死が訪れないとも限らないアイロニー。いや、死はいずれすべての人に訪れるのだが。
三四郎は、「レオナルド、ダ、ヴインチと云ふ名を聞いて少しく辟易した上に、何だか昨夕の女の事を考へ出して、妙に不愉快になつたから、謹(つゝし)んで黙つて仕舞つた」。教師と見立てた相手から様々な話題が吐き出され、しかもどれが本当でどれが嘘かがわからない。自分の思考と精神が相手にグラグラ揺り動かされ続ける不快感。こんな男がダビンチを知っていること。また「昨夕」自分も確かに「危な」かったこと。それらの「不愉快」が、三四郎を「黙」らせる。
これからの人生においては、あらゆることに「気を付けないと危険」のか? さまざまな思いに沈む三四郎に対し、「そんな事に一向気が付かないらしい」広田の対照。
「やがて」、「東京は何所へ」と広田はまた話題を振ってくれる。
三四郎のとりあえずの目的地は「国の寄宿舎」だ。
広田は、「熊本」の高校を「卒業した」ことを「御目出たいとも結構だとも」言わず、また大学入学を「如何にも平凡であるかの如くに聞」く。「聊か物足りなかつた」三四郎。
彼は「一部」の「文科」に入学する。
広田の返事は相変わらずの「はあ、そりや」だった。その様子は、「大いに偉いか、大いに人を踏み倒してゐるか、さうでなければ大学に全く縁故も同情もない男に違ない」のだが、「そのうちの何方だか見当が付かないので」三四郎の「此男に対する態度も極めて不明瞭であつた」。
三四郎は高校を卒業し、東京大学で学ぶことに、価値と誇りを持っている。それに対し広田は、まるで暖簾に腕押しの状態で、全く関心も評価も示さない。今まで知らなかったが、世の中にはこんな人もいるのだと気づき、ややあっけにとられている三四郎だった。
相手が何者かがわからないので、三四郎もどう対応していいかがわからない。このようなことは、これまでの彼の人生にはなかったことだろう。田舎では、たいてい自分の予想は当たっていた。一目見れば、大体どんな人なのかの検討がついた。しかしまだ東京にも着いていないのに、わけのわからぬ女と同衾し、わけのわからぬ男と高尚なのかでたらめなのかがわからぬ会話を交わしている。
三四郎はこれまで築き上げてきた価値観や自分という存在の輪郭がおぼろとなり、やがてそれが崩れてしまうのではないかと恐れ始めている。
この物語においてそれは、終幕まで続く。
漱石と子規には交流があった。物語の男はまるで本人と交流があるかのような語り口をするが、前後が冗談とも真面目ともとれぬ話ぶりなので、真偽は分からないで終わる。
男も東京を目指す汽車の中の者だが、どこへ何しに行ったのかが語られない。謎の男の正体の種明かしは、まだ先になる。