夏目漱石「三四郎」本文と解説6-9 運動場のどこかにゐるだらうと思つて、能く見渡すと、果して前列の一番柵に近い所に美禰子とよし子は二人並んでゐた。
◇本文
あくる日は予想の如く好天気である。今年は例年より気候がずつと緩んでゐる。殊更今日は暖かい。三四郎は朝のうち湯に行つた。閑人の少ない世の中だから、午前は頗る空いてゐる。三四郎は板の間に懸けてある三越呉服店の看板を見た。奇麗な女が画いてある。其女の顔が何所か美禰子に似てゐる。能く見ると眼付が違つてゐる。歯並びが分からない。美禰子の顔で尤も三四郎を驚かしたものは眼付と歯並びである。与次郎の説によると、あの女は反歯の気味だから、あゝ始終歯が出るんださうだが、三四郎には決してさうは思へない。……
三四郎は湯に浸つてこんな事を考へてゐたので、身体の方はあまり洗はずに出た。昨夕から急に新時代の青年といふ自覚が強くなつたけれども、強いのは自覚丈で、身体の方は元の儘である。休みになると他のものよりずつと楽にしてゐる。今日は午から大学の陸上運動会を見に行く気である。
三四郎は元来あまり運動好きではない。国に居るとき兎狩を二三度した事がある。それから高等学校の端艇競争のときに旗振の役を勤めた事がある。其時青と赤と間違へて振つて大変苦情が出た。尤も決勝の鉄砲を打つ掛(かゝり)の教授が鉄砲を打ち損なつた。打つには打つたが音がしなかつた。これが三四郎の狼狽てた源因である。それより以来三四郎は運動会へ近づかなかつた。然し今日は上京以来始めての競技会だから是非行つて見る積である。与次郎も是非行つて見ろと勧めた。与次郎の云ふ所によると競技より女の方が見に行く価値があるのださうだ。女のうちには野々宮さんの妹がゐるだらう。野々宮さんの妹と一所に美禰子もゐるだらう。其所へ行つて、今日はとか何とか挨拶をして見たい。
午過ぎになつたから出掛けた。会場の入口は運動場の南の隅にある。大きな日の丸と英吉利の国旗が交叉してある。日の丸は合点が行くが、英吉利の国旗は何の為だか解らない。三四郎は日英同盟の所為かとも考へた。けれども日英同盟と大学の陸上運動会とはどう云ふ関係があるか、頓と見当が付かなかつた。
運動場は長方形の芝生である。秋が深いので芝の色が大分 褪めてゐる。競技を看る所は西側にある。後ろに大きな築山を一杯に控へて、前は運動場の柵で仕切られた中へ、みんなを追ひ込む仕掛になつてゐる。狭い割に見物人が多いので甚だ窮屈である。幸ひ日和が好いので寒くはない。然し外套を着てゐるものが大分ある。其代り傘をさして来た女もある。
三四郎が失望したのは婦人席が別になつてゐて、普通の人間には近寄れない事であつた。それからフロツクコートや何か着た偉さうな男が沢山集まつて、自分が存外幅の利かない様に見えた事であつた。新時代の青年を以て自ら居る三四郎は少し小さくなつてゐた。それでも人と人の間から婦人席の方を見渡す事は忘れなかつた。横からだから能く見えないが、此所(こゝ)は流石に奇麗である。悉く着飾つてゐる。其上遠距離だから顔がみんな美くしい。その代り誰が目立つて美くしいといふ事もない。只総体が総体として美くしい。女が男を征服する色である。甲の女が乙の女に打ち勝つ色ではなかつた。そこで三四郎は又失望した。然し注意したら、何所かにゐるだらうと思つて、能く見渡すと、果して前列の一番柵に近い所に二人並んでゐた。 (青空文庫より)
◇解説
前に三四郎は下宿の湯に入り、さっぱりした場面があった。
「下宿へ帰つて、湯に入つて、好い心持になつて上がつて見ると、机の上に絵端書がある。小川を描いて、草をもぢや/\生やして、其縁に羊を二匹寐かして、其向ふ側に大きな男がステツキを持つて立つてゐる所を写したものである。男の顔が甚だ獰猛に出来てゐる。全く西洋の絵にある悪魔を模したもので、念の為め、傍にちやんとデビルと仮名が振つてある。表は三四郎の宛名の下に、迷へる子と小さく書いた許である」(6-3)
「湯」については、上京の折に三四郎が入っていた旅館の風呂に、突然行きずりの女が入ってきたこともあった。裸になる場所は、性的なものとのつながりが濃くなる。三四郎が湯に入る場面では、必ず女が関連して登場する。
今回もわざわざ銭湯に出かけた理由がある。
気候の緩みは気持ちの緩みを伴う。前夜の若者たちの「ダータファブラ」の影響を、三四郎も受けている。「急に新時代の青年といふ自覚が強くなつた」。
また、彼の朝からの心の高揚は、「今日は午から大学の陸上運動会を見に行く気である」ためだ。彼はそれに備えて、朝風呂に入りに行く。「意気揚々」という語がぴったり。
美禰子の歯並び・反っ歯は今回初めて説明された。これまではまったく触れられていなかったので、「美禰子の顔で尤も三四郎を驚かしたものは眼付と歯並びである」、「あの女は反歯の気味」、「あゝ始終歯が出る」と言われても、突然な感を読者は抱く。歯並びは、人の容貌・イメージにおいて、結構重要な要素なので、これまで説明が無かったことは不審だ。特にその魅力により三四郎は美禰子に引き付けられているからだ。また、今回の説明で、美禰子のイメージがだいぶ違った読者は多いだろう。自分の中の美禰子の像を作り直さなければならないほどだ。だからこの特徴は、もっと早くに漱石は示すべきだった。後出しの感が強い。
「三四郎は元来あまり運動好きではない」とあるから、この後には、彼の中高時代の体育や運動会での不出来な話題が続くと予想するのだが、それに反して、「兎狩り」や、「高等学校の端艇競争のときに旗振の役を勤め」、「其時青と赤と間違へて振つて大変苦情が出た。尤も決勝の鉄砲を打つ掛(かゝり)の教授が鉄砲を打ち損なつた。打つには打つたが音がしなかつた。これが三四郎の狼狽てた源因である。それより以来三四郎は運動会へ近づかなかつた」、と説明される。体育での運動が苦手だったとか、ボート競争で他のメンバーとのオールを漕ぐタイミングが合わなかったとかならまだわかる。だからこれらの説明は、「三四郎は元来あまり運動好きではない」に、あまりふさわしくない。
「然し今日は上京以来始めての競技会だから」とか、「与次郎も是非行つて見ろと勧めた」とか、人のせいにしているが、三四郎は、「女の方」を「見に行く」ために自ら積極的に行動しようとしている。「女のうちには野々宮さんの妹がゐるだらう。野々宮さんの妹と一所に美禰子もゐるだらう。其所へ行つて、今日はとか何とか挨拶をして見たい」から、彼の足は競技会へと向かう。ただこれは、若い男子学生としては当然の妄想であり、それを責めることはできない。若い男の行動の源はすべて、女にある。
思わずこぼれた、「今日はとか何とか挨拶をして見たい」という本音が、かわいくもあり、だらしなくもある。
「午過ぎになつたから出掛けた」や、「競技を看る所は西側にある」から、ここにいる人たちの右側から太陽の日は差している。また、「後ろに大きな築山を一杯に控へ」ていることにより、午後の日差しは幾分かは緩和されるだろう。「傘をさして来た女もある」
「前列の一番柵に近い所に」「並んでゐた」美禰子とよし子を見つけ、獲物を狙う狩人となっている三四郎。
彼の恋の行方が楽しみだ。