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夏目漱石「三四郎」本文と解説6-2 佐々木「自然は宝石を作るに幾年の星霜を費やしたか。又此宝石が採掘の運に逢ふ迄に、幾年の星霜を静かに輝いてゐたか」

◇本文

 段々聞いて見ると、与次郎は従来から此雑誌に関係があつて、閑暇(ひま)さへあれば殆んど毎号筆を執つてゐるが、其代り雅名も毎号変へるから、二三の同人の(ほか)、誰も知らないんだと云ふ。成程さうだらう。三四郎は今始めて、与次郎と文壇との交渉を聞いた位のものである。然し与次郎が何の為に、悪戯(いたづら)に等しい慝名(とくめい)を用ひて、彼の所謂(いわゆる)大論文をひそかに公けにしつつあるか、其所(そこ)が三四郎には分からなかつた。

 幾分か小遣取(こづかひどり)の積で、()つてゐる仕事かと無遠慮に尋ねた時、与次郎は眼を丸くした。

「君は九州の田舎から出た許だから、中央文壇の趨勢を知らない為に、そんな呑気な事を云ふのだらう。今の思想界の中心に居て、その動揺のはげしい有様を目撃しながら、考のあるものが知らん顔をしてゐられるものか。実際今日(こんにち)の文権は全く吾々(われ/\)青年の手にあるんだから、一言でも半句でも進んで云へる丈云はなけりや損ぢやないか。文壇は急転直下の勢で目覚しい革命を受けてゐる。凡てが悉く(うご)いて、新気運に向つて行くんだから、取り残されちや大変だ。進んで自分から此気運を(こし)らへ上げなくつちや、生きてる甲斐はない。文学々々つて安つぽい様に云ふが、そりや大学なんかで聞く文学の事だ。新らしい吾々の所謂(いわゆる)文学は、人生そのものゝ大反射だ。文学の新気運は日本全社会の活動に影響しなければならない。又現にしつゝある。彼等が昼寐をして夢を見てゐる()に、何時(いつ)か影響しつゝある。恐ろしいものだ。……」

 三四郎は黙つて聞いてゐた。少し法螺の様な気がする。然し法螺でも与次郎は中々熱心に吹いてゐる。すくなくとも当人丈は至極真面目らしく見える。三四郎は大分動かされた。

「さう云ふ精神でやつてゐるのか。では君は原稿料なんか、どうでも構はんのだつたな」

「いや、原稿料は取るよ。取れる丈取る。然し雑誌が売れないから中々寄こさない。どうかして、もう少し売れる工夫をしないと不可(いけな)い。何か好い趣向はないだらうか」と今度は三四郎に相談を掛けた。話が急に実際問題に落ちて仕舞つた。三四郎は妙な心持がする。与次郎は平気である。号鐘(ベル)が烈しく鳴り出した。

「兎も角此雑誌を一部君にやるから読んで見てくれ。偉大なる暗闇と云ふ題が面白いだらう。此題なら人が驚ろくに極つてゐる。――驚ろかせないと読まないから駄目だ」

 二人は玄関を上つて、教室へ這入つて、机に着いた。やがて先生が来る。二人とも筆記を始めた。三四郎は「偉大なる暗闇」が気にかかるので、帳面(ノート)(わき)に文芸時評を開けた儘、筆記の相間(あひま)々々に、先生に知れない様に読み出した。先生は幸ひ近眼である。のみならず自己の講義のうちに全然埋没してゐる。三四郎の不心得には丸で関係しない。三四郎は好い気になつて、此方(こつち)を筆記したり、彼方(あつち)を読んだりして行つたが、もと/\二人でする事を一人で兼ねる無理な芸だから仕舞には「偉大なる暗闇」も講義の筆記も双方ともに関係が解らなくなつた。たゞ与次郎の文章が一句丈 判然(はつきり)頭へ這入つた。

「自然は宝石を作るに幾年の星霜を費やしたか。又此宝石が採掘の運に逢ふ迄に、幾年の星霜を静かに輝いてゐたか」といふ句である。其他は不得要領に終つた。其代り此時間には stray sheep(ストレイ、シープ) といふ字を一つも書かずに済んだ。 (青空文庫より)


◇解説

佐々木が「文芸時評」という雑誌に、広田を推薦する文章を書いた場面。


〇佐々木の文筆活動の様子

・「従来から此雑誌に関係があつて、閑暇(ひま)さへあれば殆んど毎号筆を執つてゐるが、其代り雅名も毎号変へるから、二三の同人の(ほか)、誰も知らない」。

・「今日(こんにち)の文権は全く吾々(われ/\)青年の手にあるんだから、一言でも半句でも進んで云へる丈云はなけりや損ぢやないか。文壇は急転直下の勢で目覚しい革命を受けてゐる。凡てが悉く(うご)いて、新気運に向つて行くんだから、取り残されちや大変だ。進んで自分から此気運を(こし)らへ上げなくつちや、生きてる甲斐はない」。

・「新らしい吾々の所謂(いわゆる)文学は、人生そのものゝ大反射だ。文学の新気運は日本全社会の活動に影響しなければならない。又現にしつゝある」。

・「偉大なる暗闇と云ふ題が面白いだらう。此題なら人が驚ろくに極つてゐる。――驚ろかせないと読まないから駄目だ」


〇これに対する三四郎の感想

・「少し法螺の様な気がする」が、「然し法螺でも」「中々熱心に吹いて」おり、「すくなくとも当人丈は至極真面目らしく見え」たため、「三四郎は大分動かされた」。

・しかし、「どうかして、もう少し売れる工夫をしないと不可(いけな)い。何か好い趣向はないだらうか」と、「実際問題」の相談を持ち掛けられ、「妙な心持が」した。自分の考えや主張をみなに知ってもらうことが目的のはずなのに、それがいつの間にか原稿料の話題にすり替わったことへの不審。


「偉大なる暗闇」が気にかかり、「ノートの(わき)に文芸時評を開けた儘、筆記の相間(あひま)々々に、先生に知れない様に読み出した」「不心得」者の三四郎。


「三四郎は好い気になつて、此方(こつち)を筆記したり、彼方(あつち)を読んだりして行つたが、もと/\二人でする事を一人で兼ねる無理な芸だから仕舞には「偉大なる暗闇」も講義の筆記も双方ともに関係が解らなくなつた」や、「其代り此時間には stray sheep(ストレイ、シープ) といふ字を一つも書かずに済んだ」という説明が面白い。こういうところに漱石のウイットを感じる。


与次郎の文章中に、「一句丈 判然(はつきり)頭へ這入つた」ものがあった。

「自然は宝石を作るに幾年の星霜を費やしたか。又此宝石が採掘の運に逢ふ迄に、幾年の星霜を静かに輝いてゐたか」。

人にはそれぞれ輝きがあり、それが日の目を見るには長い年月がかかる。佐々木は広田の才能が埋もれていることを喩えているが、三四郎は人生の箴言(しんげん)として受け取っている。

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