夏目漱石「三四郎」本文と解説6-1 与次郎は文芸時評といふ雑誌を出して開け、「どうだ」と云ふ。見ると標題に大きな活字で「偉大なる暗闇」とある。
◇本文
号鐘が鳴つて、講師は教室から出て行つた。三四郎は印気の着いた洋筆を振つて、帳面を伏せ様とした。すると隣りにゐた与次郎が声を掛けた。
「おい一寸借せ。書き落した所がある」
与次郎は三四郎の帳面を引き寄せて上から覗き込んだ。stray sheep といふ字が無暗にかいてある。
「何だこれは」
「講義を筆記するのが厭になつたから、いたづらを書いてゐた」
「さう不勉強では不可。カントの超絶唯心論がバークレーの超絶実在論にどうだとか云つたな」
「どうだとか云つた」
「聞いてゐなかつたのか」
「いゝや」
「全然 stray sheep だ。仕方がない」
与次郎は自分の帳面を抱へて立ち上がつた、机の前を離れながら、三四郎に、
「おい一寸来い」と云ふ。三四郎は与次郎に跟いて教室を出た。階子段を降りて、玄関前の草原へ来た。大きな桜がある。二人は其下に坐つた。
此所(こゝ)は夏の初めになると苜蓿が一面に生える。与次郎が入学願書を持つて事務へ来た時に、此桜の下に二人の学生が寐転んでゐた。其一人が一人に向つて、口答試験を都々逸で負けて置いて呉れると、いくらでも唄つて見せるがなと云ふと、一人が小声で、粋な捌きの博士の前で、恋の試験がして見たいと唄つてゐた。其時から与次郎は此桜の木の下が好きになつて、何か事があると、三四郎を此所へ引張り出す。三四郎は其歴史を与次郎から聞いた時に、成程与次郎は俗謡で pity's love を訳す筈だと思つた。今日は然し与次郎が事の外真面目である。草の上に胡坐をかくや否や、懐中から、文芸時評といふ雑誌を出して開けた儘の一 頁を逆に三四郎の方へ向けた。
「どうだ」と云ふ。見ると標題に大きな活字で「偉大なる暗闇」とある。下には零余子と雅号を使つてゐる。偉大なる暗闇とは与次郎がいつでも広田先生を評する語で、三四郎も二三度聞かされたものである。然し零余子は全く知らん名である。どうだと云はれた時に、三四郎は、返事をする前提として一先づ与次郎の顔を見た。すると与次郎は何にも云はずに其扁平な顔を前へ出して、右の人指し指の先で、自分の鼻の頭を抑へて凝としてゐる。向に立つてゐた一人の学生が、此様子を見てにや/\笑ひ出した。それに気が付いた与次郎は漸く指を鼻から放した。
「己が書いたんだ」と云ふ。三四郎は成程さうかと悟つた。
「僕等が菊細工を見に行く時書いてゐたのは、是か」
「いや、ありや、たつた二三日前ぢやないか。さう早く活版になつて堪るものか。あれは来月出る。これは、ずつと前に書いたものだ。何を書いたものか標題で解るだらう」
「広田先生の事か」
「うん。かうして輿論を喚起して置いてね。さうして、先生が大学に這入れる下地を作る……」
「其雑誌はそんなに勢力のある雑誌か」
三四郎は雑誌の名前さへ知らなかつた。
「いや無勢力だから、実は困る」と与次郎は答へた。三四郎は微笑はざるを得なかつた。
「何部位売れるのか」
与次郎は何部売れるとも云はない。
「まあ好いさ。書かゝんより増しだ」と弁解してゐる。 (青空文庫より)
◇解説
前話までの、菊人形見物での美禰子との濃密な時間とは打って変わり、学友の佐々木との気の張らない会話が綴られる。
「与次郎は三四郎の帳面を引き寄せて上から覗き込んだ。stray sheep といふ字が無暗にかいてある。
「何だこれは」」
…これでは、好きになった相手の名をノート一面に書く、夢見る乙女だ。佐々木が驚くのも無理はない。ふだんは基本的に真面目な三四郎だから。
「講義を筆記するのが厭になつたから、いたづらを書いてゐた」
「さう不勉強では不可。カントの超絶唯心論がバークレーの超絶実在論にどうだとか云つたな」
「どうだとか云つた」
「聞いてゐなかつたのか」
「いゝや」
「全然 stray sheep だ。仕方がない」
…ふだんと違う三四郎の様子から、ふだんと立場が逆転するふたり。いつもであれば、佐々木の「不勉強」をたしなめるのは三四郎の方だ。
佐々木が、話題の言葉をそのまま使って相手を批判する、「全然 stray sheep だ。仕方がない」というセリフが面白い。
講義が終わり、佐々木に連れ出され、玄関前の草原の大きな桜の其下にふたりは坐る。(いかにも大学生ぽくっていいですね)
「苜蓿」はシロツメクサのこと。
口答試験突破を図る大学生の都々逸、「粋な捌きの博士の前で、恋の試験がして見たい」が愉快だ。「学問はともかく、自分が得意な恋愛についての試問であれば、いかようにも答えることができる。それで及第をくれるような粋な博士はいないものか」、という洒落たもの。いかにも佐々木が好きそうなエピソードだ。
「其時から与次郎は此桜の木の下が好きになつて、何か事があると、三四郎を此所へ引張り出す。三四郎は其歴史を与次郎から聞いた時に、成程与次郎は俗謡で pity's love を訳す筈だと思つた」
…「かわいそうだた惚れたってことよ」の名訳を残した佐々木の記憶が、三四郎にはまだ残っている。
「今日は然し与次郎が事の外真面目である」。
懐中から取り出した「文芸時評といふ雑誌」には、「標題に大きな活字で「偉大なる暗闇」とある。下には零余子と雅号を使つてゐる」。「偉大なる暗闇とは与次郎がいつでも広田先生を評する語で」、「零余子」は佐々木だった。
「与次郎は何にも云はずに其扁平な顔を前へ出して、右の人指し指の先で、自分の鼻の頭を抑へて凝としてゐる。向に立つてゐた一人の学生が、此様子を見てにや/\笑ひ出した。それに気が付いた与次郎は漸く指を鼻から放した」の部分も大学生らしいいたずらや戯れが感じられる。佐々木は愛嬌のある男だ。
佐々木の論文の意図は、「かうして輿論を喚起して置」き、「さうして、先生が大学に這入れる下地を作る」ことにあった。
しかしいかんせんそれは「無勢力」な雑誌であり、「与次郎は何部売れるとも云は」ず、「まあ好いさ。書かゝんより増しだ」と弁解する。
広田のために働きたいという佐々木の思いは分かる。しかしそれは溢れすぎてはいないか。何か悪い騒動につながる嫌な予感とともに、読者はこの先を読み進める。
(佐々木は悪気が無くひょうきんで面白い男ですが、中身がないので、解説は今回これで終わりです)