夏目漱石「三四郎」本文と解説5-10 美禰子「私そんなに生意気に見えますか」
◇本文
三四郎は斯う云ふ場合になると挨拶に困る男である。咄嗟の機が過ぎて、頭が冷やかに働き出した時、過去を顧みて、あゝ云へば好かつた、斯うすれば好かつたと後悔する。と云つて、此後悔を予期して、無理に応急の返事を、左も自然らしく得意に吐き散らす程に軽薄ではなかつた。だから只黙つてゐる。さうして黙つてゐる事が如何にも半間であると自覚してゐる。
迷へる子 (ストレイ、シープ)といふ言葉は解つた様でもある。又解らない様でもある。解る解らないは此言葉の意味よりも、寧ろ此言葉を使つた女の意味である。三四郎はいたづらに女の顔を眺めて黙つてゐた。すると女は急に真面目になつた。
「私そんなに生意気に見えますか」
其調子には弁解の心持がある。三四郎は意外の感に打たれた。今迄は霧の中にゐた。霧が晴れば好いと思つてゐた。此言葉で霧が晴れた。明瞭な女が出て来た。晴れたのが恨めしい気がする。
三四郎は美禰子の態度を故の様な、――二人の頭の上に広がつてゐる、澄むとも濁るとも片付かない空の様な、――意味のあるものにしたかつた。けれども、それは女の機嫌を取るための挨拶位で戻せるものではないと思つた。女は卒然として、
「ぢや、もう帰りませう」と云つた。厭味のある言ひ方ではなかつた。たゞ三四郎にとつて自分は興味のないものと諦めた様に静かな口調であつた。
空は又変つて来た。風が遠くから吹いてくる。広い畠の上には日が限つて、見てゐると、寒い程淋しい。草からあがる地意気で身体は冷えてゐた。気が付けば、こんな所に、よく今迄べつとり坐つて居られたものだと思ふ。自分一人ならとうに何所かへ行つて仕舞つたに違ひない。美禰子も――美禰子はこんな所へ坐る女かも知れない。
「少し寒くなつた様ですから、兎に角立ちませう。冷えると毒だ。然し気分はもう悉皆直りましたか」
「えゝ、悉皆直りました」と明らかに答へたが、俄かに立ち上がつた。立ち上がる時、小さな声で、独り言ごとの様に、
「迷へる子 (ストレイ、シープ)」と長く引つ張つて云つた。三四郎は無論答へなかつた。
美禰子は、さつき洋服を着た男の出て来た方角を指して、道があるなら、あの唐辛子の傍を通つて行きたいといふ。二人は、その見当へ歩いて行つた。藁葺の後に果して細い三尺程の路があつた。其路を半分程来た所で三四郎は聞いた。
「よし子さんは、あなたの所へ来る事に極つたんですか」
女は片頬(かたほゝ)で笑つた。さうして問返した。
「何故御聞きになるの」
三四郎が何か云はうとすると、足の前に泥濘があつた。四尺許りの所、土が凹んで水がぴた/\に溜つてゐる。其真中に足掛りの為に手頃な石を置いたものがある。三四郎は石の扶けを藉らずに、すぐに向へ飛んだ。さうして美禰子を振り返つて見た。美禰子は右の足を泥濘の真中にある石の上へ乗せた。石の据りがあまり善くない。足へ力を入れて、肩を揺すつて調子を取つてゐる。三四郎は此方側から手を出した。
「御捕まりなさい」
「いえ大丈夫」と女は笑つてゐる。手を出してゐる間は、調子を取る丈で渡らない。三四郎は手を引込めた。すると美禰子は石の上にある右の足に、身体の重みを托して、左の足でひらりと此方側へ渡つた。あまりに下駄を汚すまいと念を入れ過ぎた為め、力が余つて、腰が浮いた。のめりさうに胸が前へ出る。其勢いで美禰子の両手が三四郎の両腕の上へ落ちた。
「迷へる子 (ストレイ、シープ)」と美禰子が口の内で云つた。三四郎は其 呼吸を感ずる事が出来た。 (青空文庫より)
◇解説
前話の「迷へる子(ストレイ、シープ)――解つて?」という美禰子の問いの続き。
「咄嗟の機」を逃す人、三四郎。後になり、「過去を顧みて、あゝ云へば好かつた、斯うすれば好かつたと後悔する」。その一方で、「無理に応急の返事を、左も自然らしく得意に吐き散らす程に軽薄ではなかつた。だから只黙つてゐる。さうして黙つてゐる事が如何にも半間であると自覚してゐる」、自己反省力とつつましさはある。彼に比べるとやはり美禰子は利発で如才ない。頭の回転が速いとともに、思慮深い。
「半間」…1、(中途)はんぱな様子。 2、まぬけな様子。(三省堂「新明解国語辞典」)
前話でも説明したが、「迷へる子 (ストレイ、シープ)」の意味と意図が三四郎にはわからない。語り手が説明するように、「解る解らないは此言葉の意味よりも、寧ろ此言葉を使つた女の意味」の方だった。自分の「顔を眺めて黙つてゐ」る三四郎に、「急に真面目になつた」美禰子は、「私そんなに生意気に見えますか」と思わず本音を漏らす。それまでの知的なものとは全く異なる素直な言葉。
「其調子に」「弁解の心持」を感じた「三四郎は意外の感に打たれた」。「此言葉で霧が晴れ」、「明瞭な女が出て来た」ように感じる。様々な意味と意図を含む美禰子の言葉は、三四郎には量り難かった。それがこの言葉により初めて理解できたように思う。
「晴れたのが恨めしい気がする」は、やや自分勝手に聞こえる。彼女の気持ちが初めて明瞭に示され、それを受け取ることができたことを喜ぶべきだのに、分かった途端に美禰子の不思議が解消され、物足りなく思う三四郎。
三四郎の視線は、「この人は、自分のことを生意気だと思っている」と、美禰子に感じさせた。
美禰子は三四郎に合わせた分かりやすい感情の吐露と言葉遣いをしなければならない。
「三四郎は美禰子の態度を故の様な、――二人の頭の上に広がつてゐる、澄むとも濁るとも片付かない空の様な、――意味のあるものにしたかつた」というが、「故の様な」「態度」では、美禰子の気持ちは三四郎には伝わらない。そこには美禰子が伝えたい「意味」が含まれるが、三四郎はそれを理解してあげることができない。三四郎はこれまで自分ができなかったことを簡単に忘れているようだ。そこにも彼の未熟さがうかがわれる。
従って、「けれども、それは女の機嫌を取るための挨拶位で戻せるものではないと思つた」というのも、まるで見当違いだ。「機嫌を取」れば、美禰子が再び謎を帯びるようになるわけではない。すべては自分の理解不足のためなのに、三四郎は自分が下手に出るか出ないかという方向違いの配慮を検討する。
思わず漏らした「私そんなに生意気に見えますか」という本音に対し、見当違いの思索を始め、何も答えられなくなった三四郎の様子を見て、「女は卒然として、「ぢや、もう帰りませう」と云つた」。ここで「女」と表現したのは、美禰子という女性の複雑性に対処できない「男」のふがいなさのため。
その言葉は「厭味」ではなく「諦め」だった。
ただ、「三四郎にとつて自分は興味のないものと諦めた様に静かな口調であつた」という語り手の説明は違う。彼女は自分が理解されない侘しさの中にある。自分と相手との間には、知的な会話が成立しない。自分の思いや思考が相手に伝わらない。真情を吐露しても、それに対するリアクションが全く無い。これでは、その男とどう付き合えばいいというのか。皆目見当がつかなくなってしまったのは、美禰子の方だ。「自分を理解してもらうことは諦めました。もう帰りましょう」ということ。
この部分での三四郎の心情は、語り手によって説明されている。自分の質問に言いよどむ三四郎の様子を見て、その心の中を察し理解できるのが美禰子だ。その美禰子が、「自分は興味のないもの」と三四郎が考えていると見誤るはずはない。語り手と三四郎は一心同体だが、美禰子の心情把握に誤りがあっては、語り手として失格だろう。(という面白い場面)
「自分一人ならとうに何所かへ行つて仕舞つたに違ひない」
…美禰子が三四郎の先導役であることを示す。
「美禰子も――美禰子はこんな所へ坐る女かも知れない」
…美禰子も自分と同じで、自分がいるからそこにずっといられたと三四郎は思っている。しかし彼女の期待は裏切られた。「こんな所へ坐る女かも知れない」とは、美禰子が一人の人間として確立しているさま。
「少し寒くなつた様ですから、兎に角立ちませう。冷えると毒だ。然し気分はもう悉皆直りましたか」
…体調不良の女を歩かせ、冷たく汚い場所に座らせるなど、わざと意地悪をしていたとしか思えない行為だ。
「立ち上がる時、小さな声で、独り言ごとの様に、「迷へる子 (ストレイ、シープ)」と長く引つ張つて云つた」
…立ち上がる時に欠ける言葉は、ふつう「よいしょ」などだ(冗談ですw)。美禰子は自分に言い聞かせるとも三四郎に聞かせるともしれぬ様子で「ストレイシープ」とつぶやく。これからの人生をどう生きようかという問題を自分だけの力で解決しなければならない憂鬱・鬱屈。(周りの男どもが情けなさ過ぎるのだものw) その嘆きから、自然、声が「長く引つ張」るようになった。
「三四郎は無論答へなかつた」…「無論」w。答えようがない、何と言葉をかければよいかわからない、発展途上の男。
「美禰子は、さつき洋服を着た男の出て来た方角を指して、道があるなら、あの唐辛子の傍を通つて行きたいといふ。二人は、その見当へ歩いて行つた」
…「赤」は危機の色。ふたりがこれから危機に陥らなければよいが。
「「よし子さんは、あなたの所へ来る事に極つたんですか」
女は片頬(かたほゝ)で笑つた。さうして問返した。
「何故御聞きになるの」」
…三四郎の興味は、自分だけでなくよし子にもあることを、美禰子は見抜いている。「やっぱりね」とか、冷やかしの気持ちが、「片頬(かたほゝ)」の「笑」いに表れる。
それに対する三四郎の答えは、続く場面で上手に隠される。「三四郎が何か云はうとすると、足の前に泥濘があつた」。
ぬかるみを超える場面で、「此方側から手を出」し、「御捕まりなさい」と声をかける三四郎に対し、「「いえ大丈夫」と女は笑つてゐる」。美禰子は笑顔で柔らかく三四郎のサポートを拒否する。彼女は決して三四郎の助けを借りようとはしない。三四郎が「手を出してゐる間は、調子を取る丈で渡らない」。仕方なく「三四郎は手を引込めた。すると美禰子は石の上にある右の足に、身体の重みを托して、左の足でひらりと此方側へ渡つた」。このあたりの情景は、美禰子が自分ひとりの力で生きていこうとしている様子を表す。
しかし彼女もまだ人として発展途上だ。バランスを崩し、思わず三四郎に頼ることになる。
「あまりに下駄を汚すまいと念を入れ過ぎた為め、力が余つて、腰が浮いた。のめりさうに胸が前へ出る。其勢いで美禰子の両手が三四郎の両腕の上へ落ちた。
「迷へる子 (ストレイ、シープ)」と美禰子が口の内で云つた。三四郎は其 呼吸を感ずる事が出来た」
…美禰子は自分の心と体に力を込めて生きようとする。しかし「力が余って」バランスを崩し、その両手が三四郎の両腕の上に落ちる。美禰子は自分が「ストレイシープ」であることを改めて自覚した。その「呼気」が三四郎にも降り掛かる。自分も「ストレイシープ」であることを、美禰子は三四郎に伝えようとする。ふたりはともに「ストレイシープ」なのだ。
〇「ストレイシープ」(角川文庫注釈より)
「迷える羊」マタイ伝18章12-14節。100匹の羊を飼う者は、そのうちの1匹が迷子になれば、他の99匹の羊をおいてもその1匹を捜し求める。神の心はこの羊飼いの心と同様だとその愛の大きさを説いた寓話。
上記の「ストレイシープ」の解説を読むと、何度も繰り返される「ストレイシープ」という言葉は、美禰子が誰かに早く救ってほしいという意味に取れる。三四郎がその人なのか。いや、彼はまだ未熟だ。であるならば、野々宮か。野々宮も違う。広田と彼女の関係を疑う論があるが、考えすぎというものだろう。
新しい時代を自立・独立して生きたいが、具体的にどうすればいいのか。せめてその指針を示してくれる人はいないか。まだ未熟な自分と共に歩んでくれる人はいないか。
美禰子は思い乱れる。