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夏目漱石「三四郎」本文と解説5-8 美禰子は「美しい事」と云ひながら、草の上に腰をおろした。派出な着物の汚れるのを、丸で苦にしてゐない。「空の色が濁りました」

◇本文

 一丁 (ばかり)来た。又橋がある。一尺に足らない古板を造作なく渡した上を、三四郎は大股に歩いた。女もつゞいて通つた。待ち合せた三四郎の眼には、女の足が(つね)の大地を踏むと同じ様に軽く見えた。此女は素直(すなほ)な足を真直(まつすぐ)に前へ運ぶ。わざと女らしく甘へた歩き方をしない。従つて無暗に此方(こつち)から手を貸す訳に行かない。

 向ふに藁屋根がある。屋根の下が一面に赤い。近寄つて見ると、唐辛子を干したのであつた。女は此赤いものが、唐辛子であると見分けのつく所迄来きて(とま)つた。

「美しい事」と云ひながら、草の上に腰を(おろ)した。草は小河の(ふち)に僅かな幅を()えてゐるのみである。夫すら夏の半ばの様に青くはない。美禰子は派出な着物の汚れるのを、丸で苦にしてゐない。

「もう少し歩けませんか」と三四郎は立ちながら、促がす様に云つて見た。

難有(ありがた)う。是で沢山」

「矢っ張り心持が悪いですか」

「あんまり疲れたから」

 三四郎もとう/\汚ない草の上に坐つた。美禰子と三四郎の間は四尺許り離れてゐる。二人の足の下には小さな河が流れてゐる。秋になつて水が落ちたから浅い。(かど)の出でた石の上に鶺鴒が一羽とまつた位である。三四郎は水の中を眺めてゐた。水が次第に濁つて来る。見ると河上(かはかみ)で百姓が大根を洗つてゐた。美禰子の視線は遠くの向ふにある。向ふは広い畠で、畠の先が森で、森の上が空になる。空の色が段々変つて来る。

 たゞ単調に澄んでゐたものの(うち)に、色が幾通りも出来てきた。透き(とほ)(あゐ)()が消える様に次第に薄くなる。其上に白い雲が鈍く重なりかゝる。重なつたものが溶けて流れ出す。何所(どこ)で地が尽きて、何所で雲が始まるか分からない程に(ものう)い上を、心持ち黄な色がふうと一面にかゝつてゐる。

「空の色が濁りました」と美禰子が云つた。

 三四郎は流れから眼を(はな)して、上を見た。かう云ふ空の模様を見たのは始めてゞはない。けれども空が濁つたといふ言葉を聞いたのは此時が始めてゞある。気が付いて見ると、濁つたと形容するより外に形容しかたのない色であつた。三四郎が何か答へやうとする前に、女は又言つた。

「重い事。大理石(マーブル)の様に見えます」

 美禰子は二重瞼(ふたへまぶた)を細くして高い所を眺めてゐた。それから、その細くなつた儘の眼を静かに三四郎の方に向けた。さうして、

「大理石の様に見えるでせう」と聞いた。三四郎は、

「えゝ、大理石の様に見えます」と答へるより(ほか)はなかつた。女はそれで黙つた。しばらくしてから、今度は三四郎が云つた。

「かう云ふ空の(した)にゐると、心が重くなるが気は軽くなる」

「どう云ふ訳ですか」と美禰子が問ひ返した。

 三四郎には、どう云ふ訳もなかつた。返事はせずに、又かう云つた。

「安心して夢を見てゐる様な空模様だ」

「動く様で、なか/\動きませんね」と美禰子は又遠くの雲を眺め出した。 (青空文庫より)


◇解説

「一丁」=「一町」は約109m。

体調不良であるのに、三四郎は美禰子をこれほど歩かせる。ここは近くで腰を下ろさせ休ませるべきところだ。女性の扱いや緊急時の対応に不慣れな三四郎。「一尺に足らない古板を造作なく渡した」橋の「上を」「大股に歩いた」場面も同様で、後に続く美禰子への配慮や気遣いが全く感じられない。「女の足が(つね)の大地を踏むと同じ様に軽く見えた」とあるが、川に落ちてしまう恐れを慮らない。


「此女は素直(すなほ)な足を真直(まつすぐ)に前へ運ぶ。わざと女らしく甘へた歩き方をしない」

…これが美禰子の人生の「歩き方」だ。彼女は自分で考え行動する芯の強さがある。自分というものをしっかり持っている。安易に他者に頼らない。

ただここは、つい先ほどまで今にも倒れそうなほどだった場面であり、彼女の今の足取りと彼女の人生の足取りをここでつなげて・関連付けて見て取り表現するのは不適切だ。

「従つて無暗に此方(こつち)から手を貸す訳に行かない」というのも、今は大丈夫なようだが、先ほどまではむしろ積極的に手を貸すべきだった。倒れて怪我でもしたら大変だ。

美禰子は自分の人生を精神的に自立して歩こうとしている。三四郎はそのパートナーとしては不適格だ。彼は彼女に手を貸す程の能力も資格も持っていない。初めから不似合いな二人だった。


「向ふに藁屋根がある。屋根の下が一面に赤い。近寄つて見ると、唐辛子を干したのであつた。女は此赤いものが、唐辛子であると見分けのつく所迄来きて(とま)つた。

「美しい事」と云ひながら、草の上に腰を(おろ)した」

…『それから』では「赤」は、代助の危機を表す。「赤」を「美」と認め、そこに近づこうとする美禰子。よし子も柿を赤く描いた。


「美禰子は派出な着物の汚れるのを、丸で苦にしてゐない」

…美禰子は独立した女だ。それは男性的とも表現できる。


「「もう少し歩けませんか」と三四郎は立ちながら、促がす様に云つて見た」

…三四郎の目的地と意図が示されないので、なぜ体調不良の女をこのように歩かせようとするのかが分からない。


難有(ありがた)う。是で沢山」

「矢っ張り心持が悪いですか」

「あんまり疲れたから」

…三四郎は人生の目的地もまだ決まっていない。彼に付き合ってみた美禰子は「疲れ」てしまう。

ここでも美禰子が先に座り、「三四郎もとう/\汚ない草の上に坐つた」。美禰子の行動は三四郎を先行する。


「美禰子と三四郎の間は四尺許り離れてゐる」

…一尺は約30㎝なので、ふたりの距離は120㎝ほど。体調不良者とその付き添いとしては距離が離れている。だから三四郎は、あくまでも彼女を女性として見ていることが分かる。


「二人の足の下には小さな河が流れてゐる」以降の部分は、三四郎が近くを見ていることが分かる。それに対して「美禰子の視線は遠くの向ふにある」。このことは、ふたりの興味・関心が異なることを象徴している。三四郎はいま目の前にあることしか認識できないのに対し、美禰子は遠く人生そのものを見晴るかす。


「向ふは広い畠で、畠の先が森で、森の上が空になる。空の色が段々変つて来る」

…美禰子は最後に絵の中に閉じ込められるのだが、彼女はその絵の題の通り、「森の女」なのだ。三四郎と美禰子が初めて出会った池の端の記憶は、彼の胸に痛みとなって刻まれる。


「たゞ単調に澄んでゐたものの(うち)に、色が幾通りも出来てきた。透き(とほ)(あゐ)()が消える様に次第に薄くなる。其上に白い雲が鈍く重なりかゝる。重なつたものが溶けて流れ出す。何所(どこ)で地が尽きて、何所で雲が始まるか分からない程に(ものう)い上を、心持ち黄な色がふうと一面にかゝつてゐる。

「空の色が濁りました」と美禰子が云つた。

 三四郎は流れから眼を(はな)して、上を見た」

…この前半部の空の描写は、美禰子の目に映ったものを言語化して述べたものだ。美禰子はこれらを詩的に見ている。そうして最後に端的に「空の色が濁りました」と表現し、またそれにより足下ばかり気にしている三四郎の目を上に向かせる。ここでも美禰子の促しによって三四郎が行動し、それにより彼は新たな価値を認識することができる。


「かう云ふ空の模様を見たのは始めてゞはない。けれども空が濁つたといふ言葉を聞いたのは此時が始めてゞある。気が付いて見ると、濁つたと形容するより外に形容しかたのない色であつた」

…まず見ること、そうして見たものに名前を付けること。人の「認識」はそのようにして形作られる。美禰子の詩的表現に対し、自分なりの別の言語化を模索する三四郎だったが、それはかなわない。「三四郎が何か答へやうとする前に、女は又言つた」。


「重い事。大理石(マーブル)の様に見えます」

 美禰子は二重瞼(ふたへまぶた)を細くして高い所を眺めてゐた。それから、その細くなつた儘の眼を静かに三四郎の方に向けた。さうして、

「大理石の様に見えるでせう」と聞いた。三四郎は、

「えゝ、大理石の様に見えます」と答へるより(ほか)はなかつた」

…さらに美禰子は三四郎に、「大理石の様」という比喩表現を教えてあげる。しかし何も気の利いたことを言えない三四郎に、「女はそれで黙」るしかない。


「しばらくしてから、今度は三四郎が云つた。

「かう云ふ空の(した)にゐると、心が重くなるが気は軽くなる」

「どう云ふ訳ですか」と美禰子が問ひ返した。

 三四郎には、どう云ふ訳もなかつた。返事はせずに、又かう云つた。

「安心して夢を見てゐる様な空模様だ」

「動く様で、なか/\動きませんね」と美禰子は又遠くの雲を眺め出した」

…「心が重くなるが気は軽くなる」という謎かけをし、相手から「どう云ふ訳ですか」と問い返されたからには、その訳・答えを述べなければなるまい。それなのに「三四郎には、どう云ふ訳もなかつた」。ならば、思わせぶりな言葉は発しない方がいい。それではただ気取って思いついたことをそのまま述べただけの、中身のない空論だ。ふつう、「心が重くな」ったら、「気」も重くなるだろう。心は重いが気は軽いというのは、矛盾している。その「訳」を美禰子は尋ねたのだ。

次の、「安心して夢を見てゐる様な空模様だ」も分からない。「心は重くなるが気は軽く、安心して夢を見てゐる様だ」。「重い心」と「軽い気分」・「安心」・「夢を見ている様」の関係性やつながりが理解しがたい。相容れない・矛盾したものが同時に存在しているようで、三四郎の考えが分からない。

だからしかたなく美禰子は、「動く様で、なか/\動きませんね」と無理に言葉をつなぎ、「又遠くの雲を眺め出した」のだ。


この場面には、ふたりの、物事の認識の方法とその(詩的)言語化の隔たりが描かれる。まず何を見、それをどう捉え、自分が感じたり考えたりしたことをどう言葉にして相手に伝えるか。そこに人生観が表れ、思考・思慮の深さが表れる。

すべての意味で美禰子は、三四郎のはるか先を行っている。彼は彼女にかなわない。

そのような時に人は、相手から学ぶ姿勢が必要だ。しかし三四郎は、前によし子の考えに対し、反対意見を述べられない自分をふがいなく感じることがあったように、思考や経験において、女性よりも秀でる必要性を感じている。

時代性もあるが、簡単に言うと三四郎は、女性を下に見ている。男である自分は、女性を上回らなければならないと考える。

今の三四郎は、よし子よりも思慮が浅く、未経験だ。それを素直に認め、自己の向上を図る謙虚さが、三四郎には必要だった。


美禰子はこの時、自分の存在や将来・人生について迷っていた。彼女はその答えを与えてくれる人や、自分とともにその答えを探してくれる人を求めていた。

だから三四郎には、せめて謙虚さが欲しかった。「東大生男子であること」にこだわらなければ、まだ、美禰子とともに歩む未来もあったかもしれない。


弱って庇護すべき相手が、実は自分よりも人間的に優れている。三四郎はそのことを、素直に認めるべきだった。新しい考え方や価値観に柔軟に対応できるかどうかで、人の成長の具合・度合いはかなり違ってくる。女性への恋愛感情はひとまず置いて、先生・学ぶべき相手という認識を、彼は持つべきだった。

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