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夏目漱石「三四郎」本文と解説5-5 三四郎は四人の乞食に対する批評を聞いて、彼等は己れに誠であり得る程な広い天地の下に呼吸する都会人種であるといふ事を悟つた。

◇本文

 三四郎は一分かゝらぬうちに追付いた。追付いても誰も何とも云はない。只歩き出した丈である。しばらくすると、美禰子が、

「野々宮さんは、理学者だから、なほそんな事を仰しやるんでせう」と云ひ出した。話しの続きらしい。

「なに()らなくつても同じ事です。高く飛ばうと云ふには、飛べる丈の装置を考へた上でなければ出来ないに極つてゐる。頭の方が先に()るに違ないぢやありませんか」

「そんなに高く飛びたくない人は、それで我慢するかも知れません」

「我慢しなければ、死ぬ許ですもの」

「さうすると安全で地面の上に立つてゐるのが一番 ()い事になりますね。何だか詰らない様だ」

 野々宮さんは返事を()めて、広田先生の方を向いたが、

「女には詩人が多いですね」と笑ひながら云つた。すると広田先生が、

「男子の弊は却つて純粋の詩人になり切れない所にあるだらう」と妙な挨拶をした。野々宮さんはそれで黙つた。よし子と美禰子は何か御互の話を始める。三四郎は漸く質問の機会を得た。

「今のは何の御話しなんですか」

「なに空中飛行器の事です」と野々宮さんが無造作に云つた。三四郎は落語のおちを聞く様な気がした。

 それからは別段の会話も出なかつた。又長い会話が出来かねる程、人がぞろ/\歩く所へ来た。大観音の前に乞食が居る。額を地に擦り付けて、大きな声をのべつに出して、哀願を(たくま)しうしてゐる。時々顔を上げると、額の所丈が砂で白くなつてゐる。誰も顧みるものがない。五人も平気で行き過ぎた。五六間も来た時に、広田先生が急に振り向いて三四郎に聞いた。

「君あの乞食に銭を()りましたか」

「いゝえ」と三四郎が後を見ると、例の乞食は、白い額の下で両手を合はせて、相変らず大きな声を出してゐる。

「遣る気にならないわね」とよし子がすぐに云つた。

何故(なぜ)」とよし子の兄は妹を見た。(たしなめ)る程に強い言葉でもなかつた。野々宮の顔付は寧ろ冷静である。

「あゝ始終 ()()いて居ゐちや、焦つ着き()えがしないから駄目ですよ」と美禰子が評した。

「いえ場所が悪いからだ」と今度は広田先生が云つた。「あまり人通りが多過ぎるから不可(いけ)ない。山の上の淋しい所で、あゝいふ男に逢つたら、誰でも遣る気になるんだよ」

「其代り一日待つてゐても、誰も通らないかも知れない」と野々宮はくす/\笑ひ出した。

 三四郎は四人の乞食に対する批評を聞いて、自分が今日迄養成した徳義上の観念を幾分か傷けられる様な気がした。けれども自分が乞食の前を通るとき、一銭も投げてやる料簡が起らなかつたのみならず、実を云へば、寧ろ不愉快な感じが募つた事実を反省して見ると、自分よりも是等四人の方が却つて己れに(まこと)であると思ひ付いた。又彼等は己れに誠であり得る程な広い天地の(した)に呼吸する都会人種であるといふ事を悟つた。

(青空文庫より)


◇解説

「三四郎は一分かゝらぬうちに追付いた。追付いても誰も何とも云はない。只歩き出した丈である」

…人は自分の足で前に進むしかない。四人にそれを見守ってもらえるだけでも、三四郎にとってはありがたいことだ。


前話5-4も含めて、「空中飛行器」の話題をたどる。

野々宮「そんな事をすれば、地面の上へ落ちて死ぬ(ばかり)だ」

美禰子「死んでも、其の方が()いと思ひます」

野々宮「尤もそんな無謀な人間は、高い所から落ちて死ぬ丈の価値は充分ある」

美禰子「残酷な事を(おっ)しやる」(ここまで5-4)

美禰子「野々宮さんは、理学者だから、なほそんな事を仰しやる」

野々宮「なに()らなくつても同じ事です」(理学を学ばなくても、同じ考えだ)「高く飛ばうと云ふには、飛べる丈の装置を考へた上でなければ出来ないに極つて」おり、「頭の方が先に()るに違ない」(事前に頭でよく考える必要があるのは当然の事だ) しかし、「そんなに高く飛びたくない人は、それで我慢するかも知れません」(これも野々宮のセリフだろう)

美禰子「我慢しなければ、死ぬ許」

野々宮「さうすると安全で地面の上に立つてゐるのが一番 ()い事に」なる。それは「何だか詰らない」

これらの会話の前には、おそらく美禰子が空を飛ぶというロマンあふれる話題を野々宮に振ったのに、野々宮の返事は、よく考えて飛行機を作りそれから実際に飛ぶチャレンジをするべきだというものだったのだろう。空を飛びたいというロマンに賭ける人生を詩的に賛美する(死んでも構わない!)美禰子に対し、あくまでも論理的に考える野々宮。

ところで、美禰子の「我慢しなければ、死ぬ許」というセリフは一見矛盾しているように見える。ここで述べられている「我慢」とは、事前に頭でよく考えることをあきらめる意味だ。考えない人は、死ぬ。しかし彼女は、それで良しとする。空を飛ぶロマンに賭けることは、それだけで尊いのであり、たとえそれで死んでしまっても構わない。ロマンは死の恐怖を超えるとする。これはともすると死の肯定・賛美になりかねない、かなり激しい考え方だ。

野々宮はそれを「無謀」と却下する。そうすると、「安全で地面の上に立つてゐるのが一番 ()い事に」なり、それは「何だか詰らない」と、これもまた一見矛盾したことを言う。空を飛ぶのはいいが、その前提として飛行に耐えうる事前の計画が必要であり、単に空を飛べたらという空想と期待だけで実行しようとするのは無謀だとする論理の人・野々宮。無謀を嫌う彼にとっては、安全のためには「地面の上に立つてゐるのが一番 ()い事に」なる。そうしてそれはかえって「何だか詰らない」ではないか。と言いたいのだ。無茶な考えやチャレンジは児戯に類することだ。それをよく言えば、「女には詩人が多いですね」ということになる。


「すると広田先生が、「男子の弊は却つて純粋の詩人になり切れない所にあるだらう」と妙な挨拶をした。野々宮さんはそれで黙つた」

…広田のこの(野々宮に対する)解釈が正しいとすると、野々宮は本来「詩人」であるが、彼は論理によって「純粋の詩人になり切れ」ていないということになる。自分の本質を鋭く突かれた野々宮は、「それで黙」る。

広田の見立てが正しければ、野々宮と美禰子はともに「詩人」であり、だから魅かれあったのだろう。野々宮は詩人に「なり切れない」から、ふたりに不協和音が生じている。


「「今のは何の御話しなんですか」

「なに空中飛行器の事です」と野々宮さんが無造作に云つた。三四郎は落語のおちを聞く様な気がした」

…三四郎は「落語のおちを聞く様な気がした」というが、四人はそれぞれの思いを抱いてこの会話をしている。簡単に言うと、四人の会話は、飛行機になぞらえて人生観や世界観の話をしている。それを認めず、「落語のおち」と感じる三四郎は、まだ未熟ということになる。


大観音(光源寺の駒込大観音)の前にいた乞食の話。

広田「君あの乞食に銭を()りましたか」

三四郎「いゝえ」

よし子「遣る気にならないわね」

宗八「何故(なぜ)」(「冷静」に言う)

美禰子「あゝ始終 ()()いて居ゐちや、焦つ着き()えがしないから駄目ですよ」

…美禰子の、「あゝ始終 ()()いて居ゐちや、焦つ着き()えがしないから駄目ですよ」とは、「額を地に擦り付けて、大きな声をのべつに出して、哀願を(たくま)しうしてゐる」様子が、あまりにもしつこく銭をせびるように感じられ、だから道行く人は「誰も顧みるものがない」状態なのだということ。懇願すればするほど、周りは引いていく。


広田「いえ場所が悪いからだ。あまり人通りが多過ぎるから不可(いけ)ない。山の上の淋しい所で、あゝいふ男に逢つたら、誰でも遣る気になるんだよ」

野々宮「其代り一日待つてゐても、誰も通らないかも知れない」(くす/\笑ひ出す)

…乞食のしつこさや厚かましさを批判する美禰子に対し、通り過ぎる人の多さが、憐憫の情を減退させるという広田。これに対し揶揄することで野々宮は、先ほどの「男子の弊は却つて純粋の詩人になり切れない所にあるだらう」の仇を取る。

佐々木といい野々宮といい、時に広田は若者から揶揄される。そうして彼は、それに言い返したり不機嫌になって喧嘩したりしない。度量の大きい「先生」だ。これは彼らが実際に広田の教え子であったことも関係するのだろう。「先生と生徒」の関係は、いつまでも続くものだ。


「三四郎は四人の乞食に対する批評を聞いて、自分が今日迄養成した徳義上の観念を幾分か傷けられる様な気がした」

…これまで持っていた、困った人は助けるものだという「徳義上の観念」・価値観が「傷けられる様な気が」する三四郎。


「けれども自分が乞食の前を通るとき、一銭も投げてやる料簡が起らなかつたのみならず、実を云へば、寧ろ不愉快な感じが募つた事実を反省して見ると、自分よりも是等四人の方が却つて己れに(まこと)であると思ひ付いた」

…困った人を助けるという考えが起こらなかったばかりか、かえって自らの心に「不愉快な感じが募つた事実」を目の当たりにし、「是等四人の方が却つて己れに(まこと)である」と認識する三四郎。自分の憐憫の情は偽りであるのに対し、皆の方が自分を飾らず正直であること。

その様子から三四郎は、「彼等は己れに誠であり得る程な広い天地の(した)に呼吸する都会人種であるといふ事を悟つた」。

虚飾を排し、自らの気持ちに正直に考え生きるのが「都会人種」であり、彼等は何者にも捉われずに自由に「広い天地の(した)に呼吸」している。


道端の乞食の一件から、ここまでの精神性・世界観を説く漱石のすごさ。

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