夏目漱石「三四郎」本文と解説5-3 「明日午後一時頃から菊人形を見に参りますから、広田先生のうち迄いらつしやい」(美禰子より)
◇本文
しばらく無言の儘、画の中を覗いてゐると、よし子は丹念に藁葺家根の黒い影を洗つてゐたが、あまり水が多過ぎたのと、筆の使ひ方が中/\不慣れなので、黒いものが勝手に四方へ浮き出して、折角赤く出来た柿が、蔭干の渋柿の様な色になつた。よし子は画筆の手を休めて、両手を伸ばして、首をあとへ引いて、ワツトマンを成るべく遠くから眺めてゐたが、仕舞に、小さな声で、
「もう駄目ね」と云ふ。実際駄目なのだから、仕方がない。三四郎は気の毒になつた。
「もう御 廃しなさい。さうして、又新らしく御 描きなさい」
よし子は顔を画に向けた儘、尻眼に三四郎を見た。大きな潤ひのある眼である。三四郎は益気の毒になつた。すると女が急に笑ひ出した。
「馬鹿ね。二時間許り損をして」と云ひながら、折角描いた水彩の上へ、横縦に二三本太い棒を引いて、絵の具函の蓋をぱたりと伏せた。
「もう廃しませう。座敷へ御這入りなさい、御茶を上げますから」と云ひながら、自分は上へあがつた。三四郎は靴を脱ぐのが面倒なので、矢っ張り縁側に腰を掛けてゐた。腹の中では、今になつて、茶を遣るといふ女を非常に面白いと思つてゐた。三四郎に度外れの女を面白がる積は少しもないのだが、突然御茶を上げますと云はれた時には、一種の愉快を感ぜぬ訳に行かなかつたのである。其感じは、どうしても異性に近づいて得られる感じではなかつた。
茶の間まで話し声がする。下女は居たに違ない。やがて襖を開いて、茶器を持つて、よし子があらはれた。其顔を正面から見たときに、三四郎は又、女性中の尤も女性的な顔であると思つた。
よし子は茶を汲んで縁側へ出して、自分は座敷の畳の上へ坐つた。三四郎はもう帰らうと思つてゐたが、此女の傍にゐると、帰らないでも構はない様な気がする。病院では曾て此女の顔を眺め過ぎて、少し赤面させた為めに、早速引き取つたが、今日は何ともない。茶を出したのを幸ひに縁側と座敷で又談話を始めた。色々話してゐるうちに、よし子は三四郎に妙な事を聞き出した。それは、自分の兄の野々宮が好きか嫌かと云ふ質問であつた。一寸聞くと丸で頑是ない小供の云ひさうな事であるが、よし子の意味はもう少し深い所にあつた。研究心の強い学問好きの人は、万事を研究する気で見るから、情愛が薄くなる訳である。人情で物をみると、凡てが好き嫌ひの二つになる。研究する気なぞが起るものではない。自分の兄は理学者だものだから、自分を研究して不可ない。自分を研究すればする程、自分を可愛がる度は減るのだから、妹に対して不親切になる。けれども、あの位研究好きの兄が、この位自分を可愛がつて呉れるのだから、それを思ふと、兄は日本中で一番好い人に違ないと云ふ結論であつた。
三四郎は此説を聞いて、大いに尤もな様な、又 何所か抜けてゐる様な気がしたが、偖何所が抜けてゐるんだか、頭がぼんやりして、一寸分からなかつた。それで表向此説に対しては別段の批評を加へなかつた。たゞ腹の中で、これしきの女の云ふ事を、明瞭に批評し得ないのは、男児として腑甲斐ない事だと、いたく赤面した。同時に、東京の女学生は決して馬鹿に出来ないものだと云ふ事を悟つた。
三四郎はよし子に対する敬愛の念を抱いて下宿へ帰つた。端書が来てゐる。「明日午後一時頃から菊人形を見に参りますから、広田先生のうち迄 入らつしやい。美禰子」
其字が、野々宮さんの隠袋とから半分食み出してゐた封筒の上書に似てゐるので、三四郎は何遍も読み直して見た。 (青空文庫より)
◇解説
「しばらく無言の儘、画の中を覗いてゐると、よし子は丹念に藁葺家根の黒い影を洗つてゐたが、あまり水が多過ぎたのと、筆の使ひ方が中/\不慣れなので、黒いものが勝手に四方へ浮き出して、折角赤く出来た柿が、蔭干の渋柿の様な色になつた」
…若い男女が顔を寄せ合っている。明確には描かれないが、この状況は、ふたりの胸の鼓動を高めている。
三四郎は美禰子とも、広田の引っ越しの場面で同じようなことがあった。美しい女性ふたりとの物理的接近は、田舎出の三四郎には経験がなかっただろう。それにしても明治時代の若い女性は、このように簡単に男性と接近したのだろうか? 「こころ」のお嬢さんもそうだった。東京の女性だから? 上京の折の女性との同宿といい、急にモテ出したことで、「23の青年」(4-1)である三四郎にはやや浮かれる気持ちがあっただろう。「三四郎の魂がふわつきだした」(4-1)
「折角赤く出来た柿が、蔭干の渋柿の様な色になつた」
…この表現・感想は、三四郎の目を通して見たものだが、それを語り手が代弁する形で述べてられているの。「三四郎」において三四郎と語り手は、基本的に一心同体となる。それによって語り手は、自在な語り口を手にする。物語にはよくある形だが、改めて認識すると面白く感じる。
「よし子は画筆の手を休めて、両手を伸ばして、首をあとへ引いて、ワツトマンを成るべく遠くから眺めてゐたが、仕舞に、小さな声で、「もう駄目ね」と云ふ」
…「両手を伸ばして、首をあとへ引いて」や「もう駄目ね」からは、よし子の子供っぽい様子がうかがわれる。彼女は自分を飾らない。また、三四郎という男性性への意識が薄く、自分をそのまま素直にさらけ出す。
従って、これを承ける三四郎の方も、「実際駄目なのだから、仕方がない」という感想を持つ。彼も自分を飾らなくていいのだ。そうして素直によし子が「気の毒になつた」。
「ワットマン紙」…「厚くて純白な、上等の図画用紙 (三省堂「新明解国語辞典」)
「もう御 廃しなさい。さうして、又新らしく御 描きなさい」
…兄か先生が、妹や生徒に掛ける言葉だ。現在では、年下の者に掛ける命令形。
「よし子は顔を画に向けた儘、尻眼に三四郎を見た。大きな潤ひのある眼である。三四郎は益気の毒になつた」
…「尻眼に三四郎を見た」というのがとてもいい。子供っぽさや清純さを感じる。悲しさやくやしさを悟られまいとし、よし子の「おおきな」目は「潤ひ」を帯びる。今にも泣きだしそうだ。それで「三四郎は益気の毒になつた」。
「すると女が急に笑ひ出した。
「馬鹿ね。二時間許り損をして」と云ひながら、折角描いた水彩の上へ、横縦に二三本太い棒を引いて、絵の具函の蓋をぱたりと伏せた」
…作画に失敗し同情を寄せていた泣きそうな相手が「急に笑い出」す。突然のよし子の転換・変化に、三四郎は少し驚いただろう。笑いとともに「馬鹿ね」と自嘲するよし子。「太い線」で自ら作品にダメを出し、道具を「ぱたり」と仕舞う。
彼女の感情のはげしさは、自分だけに向けられ、他者を攻撃しないところがいい。
「「もう廃しませう。座敷へ御這入りなさい、御茶を上げますから」と云ひながら、自分は上へあがつた。三四郎は靴を脱ぐのが面倒なので、矢っ張り縁側に腰を掛けてゐた」
…おそらく三四郎より年下だろうよし子の、率直な促し・命令。「靴を脱ぐのが面倒」には、女性一人の部屋に入り込む遠慮もあっただろう。
「腹の中では、今になつて、茶を遣るといふ女を非常に面白いと思つてゐた。三四郎に度外れの女を面白がる積は少しもないのだが、突然御茶を上げますと云はれた時には、一種の愉快を感ぜぬ訳に行かなかつたのである。其感じは、どうしても異性に近づいて得られる感じではなかつた」
…以前見舞った折にはよし子に母性を感じていた三四郎だが、ここでもそれと同じようなものを感じている。女性性へではない、家族か親戚のような親しみ。
よし子は作画が終わったので、次は客に茶を出すのだと、単純に思っている。世の一般からすると順序が逆なのだが、彼女はそれにこだわらない。そこに作為は無い。
「茶の間まで話し声がする。下女は居たに違ない」
…先ほどは下女の気配を感じなかった。よし子の落ち着きは、下女の在宅も関係していると、三四郎は思う。
「やがて襖を開いて、茶器を持つて、よし子があらはれた。其顔を正面から見たときに、三四郎は又、女性中の尤も女性的な顔であると思つた」
…茶は下女に運ばせても良い場面だが、よし子は自ら茶器を持って現れる。その様子や表情に、ここで三四郎は「女性」を感じる。ただこれは、性的なものではないだろう。広田の転居の時に美禰子もしていたように、食事や茶の世話は女性がするものだという習慣からのふるまい。相手を歓待しようとする母性。
「よし子は茶を汲んで縁側へ出して、自分は座敷の畳の上へ坐つた。三四郎はもう帰らうと思つてゐたが、此女の傍にゐると、帰らないでも構はない様な気がする。病院では曾て此女の顔を眺め過ぎて、少し赤面させた為めに、早速引き取つたが、今日は何ともない」
…若い女性であるにもかかわらず、そばにいても居心地の良さを感じさせるよし子。このような理由のない親しみは、人と人とをスムーズにつなぐ。今回の訪問により、ふたりの関係はより近くなった。
よし子の、「自分の兄の野々宮が好きか嫌かと云ふ質問」の内容を見てみる。
・「研究心の強い学問好きの人は、万事を研究する気で見るから、情愛が薄くなる」
・これに対し、「人情で物をみると、凡てが好き嫌ひの二つになる。研究する気なぞが起るものではない」
・「自分の兄は理学者だものだから、自分を研究して不可ない。自分を研究すればする程、自分を可愛がる度は減るのだから、妹に対して不親切になる」
・「けれども、あの位研究好きの兄が、この位自分を可愛がつて呉れるのだから、それを思ふと、兄は日本中で一番好い人に違ない」
これらを整理すると、
1、兄は研究心が強い人間なので、人に対しても同じように研究し、情愛が薄くなるはずだ。
2、兄は妹の自分も研究するところは嫌なのだが、まったく不親切にならない。
結論…研究の結果、変わらず可愛がり不親切にならないのだから、兄は自分を認めてくれるいい人だ。
第三者への研究と妹への研究は、内容も心情も異なってくる。それをよし子は全く勘案しない・気づかない。そこが三四郎が感じた「何所か抜けてゐる」ところだ。
しかしよし子の言うとおり、研究の結果変わらず可愛がってくれるのであれば、よし子の欠点を大目に見ていることになり、「日本中で一番好い人」ということになる。
「三四郎は此説を聞いて、大いに尤もな様な、又 何所か抜けてゐる様な気がしたが、偖何所が抜けてゐるんだか、頭がぼんやりして、一寸分からなかつた。それで表向此説に対しては別段の批評を加へなかつた。たゞ腹の中で、これしきの女の云ふ事を、明瞭に批評し得ないのは、男児として腑甲斐ない事だと、いたく赤面した」
…決して言いくるめられたということではないのだが、よし子の説に首肯することしかできなかった自分が「男児として腑甲斐ない」と感じ、「東京の女学生は決して馬鹿に出来ないものだと云ふ事を悟つた」三四郎。
上京の車中の女に負け、美禰子に負け、よし子にも負けてしまった三四郎は、プライドが傷つけられている。
しかし彼にも良さはある。「東京の女学生は決して馬鹿に出来ないものだと云ふ事」をちゃんと認め、また、「よし子に対する敬愛の念を抱」く素直さがある。
下宿に帰ると美禰子から端書が来ていた。「明日午後一時頃から菊人形を見に参りますから、広田先生のうち迄 入らつしやい。美禰子」 これも「いらっしゃい」という上からの物言い。現代の用法で捉えると、いつのまにか三四郎は、関係する人物たちの中で最下位に位置しているようだ。
「其字が、野々宮さんの隠袋とから半分食み出してゐた封筒の上書に似てゐるので、三四郎は何遍も読み直して見た」
…以前、次のような場面があった。
「野々宮君は少時池の水を眺めてゐたが、右の手を隠袋へ入れて何か探し出した。隠袋から半分封筒が食み出してゐる。其上に書いてある字が女の手蹟らしい。野々宮君は思ふ物を探し宛なかつたと見えて、元の通りの手を出してぶらりと下げた」(2-5)
やはりこの時の手紙は、美禰子から宗八に送られたものだった。
ここは様々なことを感じさせる。
・先ほどまで仲良くよし子と交流していたのに、美禰子がしかもはがきだけでの登場なのに、すぐにそちらに気が引かれてしまう三四郎の様子に、気の多さを感じる。たしかによし子に女性性はあまり感じていない三四郎なのだが、変わり身が早すぎないか。しかもそれを「何遍も読み直して見」る様子からは、やや偏執的なものを感じる。(このままいくと確実にストーカーになる)
・美禰子の手紙の内容は用件しか書かれていないのだが、それが逆に三四郎の気をそそる。その文面の裏側を、彼にたくましく想像させる。そこが美禰子のうまさだ。多くを書かない方がいい場合がある。
・その字が以前野々宮のポケットにあった手紙と似ているというのがまた、さらに三四郎の心を揺さぶる。これは美禰子が意図して行ったものではないのだが、意図せざる偶然のいたずらが、三四郎の心をくすぐる。
野々宮と美禰子の関係の深さがまだ未確定だ。美禰子は自分を誘惑しているようにも思える。よし子の無邪気さ、素直さ、母性。三四郎はいま、恋の世界の人となっている。(学問は大丈夫?)
○あとがき
学問といえば、いま、首都圏の私立大学の一般入試が始まっている。たくさんの受験生がこれまでの努力の成果を発揮する季節だ。大多数の人が不如意な結果に終わる受験の現実。だから入試は嫌われる。
本当に真剣に学びに取り組む時期は、人によって異なる。私は大学に入ってからやっと、ものを覚えるということは、こういうことなのかと気づいた。ノート20ページ分くらいの文章をテーマごとに暗記すれば、文学部の作文形式の定期試験はクリアできる。そこで、暗記することやそのコツを知った。受験前にそれに気づけば、確実に結果は違っていただろう。(その反面、別の大学に進学したからといって、自分の人生が大きく変わっただろうかとも思う。結局同じような人生だったのではないか)
ということで、私の場合は、大学に入ってから、それまでよりも勉強しだした。専門もそれ以外の分野も。就職してからは、職業柄もあるが、さらに勉強するようになり、一日中取り組んでも苦にならなくなった。
かつては自分の学校歴を卑下する気持ちもあったが、学校歴は18歳時点での学力の違いだけであり、人はその後も成長を続けることができる。
私がいま、拙い自説をみなさんに披露できるのも、これまでの積み重ねの結果だろう。これまで世に行われていない解釈が、作者の意図に沿うものであれば幸いだ。(2025.2.4 2:30)