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夏目漱石「三四郎」本文と解説5-1 「中々旨い」と三四郎が画を眺めながら云ふ。「これが?」とよし子は少し驚ろいた。本当に驚ろいたのである。

◇本文

 門を這入ると、此間の萩が、人の丈より高く茂つて、株の根に黒い影が出来てゐる。此黒い影が地の上を()つて、奥の方へ行くと、見えなくなる。葉と葉の重なる裏迄 (のぼ)つて来る様にも思われる。夫程表には濃い日が当たつてゐる。手洗水の(そば)に南天がある。是も普通よりは()が高い。三本寄つてひよろ/\してゐる。葉は便所の窓の上にある。

 萩と南天の間に縁側が少し見える。縁側は南天を基点として(はす)に向ふへ走つてゐる。萩の影になつた所は、一番遠いはづれになる。それで萩は一番手前にある。よし子は此萩の影にゐた。縁側に腰を掛けて。

 三四郎は萩とすれ/\に立つた。よし子は縁から腰を上げた。足は平たい石の上にある。三四郎は今更その脊の高いのに驚ろいた。

「御這入りなさい」

 依然として三四郎を待ち設けた様な言葉遣ひである。三四郎は病院の当時を思ひ出した。萩を通り越して縁鼻迄来た。

「御掛けなさい」

 三四郎は靴を穿()いてゐる。(めい)の如く腰を掛けた。よし子は座布団を取つて来た。

「御敷きなさい」

 三四郎は布団を敷いた。門を這入つてから、三四郎はまだ一言も口を開かない。此単純な少女はたゞ自分の思ふ通りを三四郎に云ふが、三四郎からは毫も返事を求めてゐない様に思はれる。三四郎は無邪気なる女王の前に出た心持がした。命を聴く丈である。御世辞を使ふ必要がない。一言でも先方の意を迎へる様な事をいへば、急に(いや)しくなる。(おし)の奴隷の如く、さきの云ふが儘に振舞つてゐれば愉快である。三四郎は小供の様なよし子から小供扱ひにされながら、少しもわが自尊心を傷けたとは感じ得なかつた。

「兄ですか」とよし子は其次(そのつぎ)に聞いた。

 野々宮を尋ねて来た訳でもない。尋ねない訳でもない。何で来たか三四郎にも実は分からないのである。

「野々宮さんはまだ学校ですか」

「えゝ、何時(いつ)でも夜遅くでなくつちや帰りません」

 是は三四郎も知つてる事である。三四郎は挨拶に窮した。見ると縁側に絵の具 (ばこ)がある。描きかけた水彩がある。

「画を御習ひですか」

「えゝ、好きだから描きます」

「先生は誰ですか」

「先生に習ふ程上手ぢやないの」

一寸(ちよつと)拝見」

「是? 是まだ出来てゐないの」と描き掛けを三四郎の方へ出す。成程自分のうちの庭が描き掛けてある。空と、前の家の柿の木と、這入り口の萩丈が出来てゐる。中にも柿の木は甚だ赤く出来てゐる。

「中々旨い」と三四郎が画を眺めながら云ふ。

(これ)が?」とよし子は少し驚ろいた。本当に驚ろいたのである。三四郎の様なわざとらしい調子は少しもなかつた。

 三四郎は今更自分の言葉を冗談にする事も出来ず、又真面目にする事も出来なくなつた。何方(どつち)にしても、よし子から軽蔑されさうである。三四郎は画を眺めながら、腹のなかで赤面した。 (青空文庫より)


◇解説

 野々宮宅を訪れる三四郎。前話からは予測不可能な三四郎の行動(力)に、読者はやや驚く。しかも野々宮宅を訪れた理由は、「何で来たか三四郎にも実は分からないのである」。


「門を這入ると」以降の野々宮宅の庭の説明は、次のように解釈できる。

「萩」は、「人の丈より高く茂つて、株の根に黒い影が出来てゐる」。萩は三四郎、野々宮を表す。「此黒い影が地の上を()つて、奥の方へ行くと、見えなくなる。葉と葉の重なる裏迄 (のぼ)つて来る様にも思われる」。ここにはふたりの今後が暗示されている。

赤い「南天」は、美禰子だ。「萩と南天の間に縁側が」走っており、野々宮・三四郎と、美禰子を隔てる。


「よし子は此萩の影にゐた。縁側に腰を掛けて」

…よし子は宗八に庇護されている。ここは倒置法が使われているのがいつもと違っている・例外的だ。


「三四郎は萩とすれ/\に立つた」

…三四郎と野々宮は、美禰子に対して同じような運命をたどる。


「よし子は縁から腰を上げた」

…やがてよし子も、兄から独り立ちする時が来る。


「三四郎は今更その脊の高いのに驚ろいた」

…よし子は病気がちだが、比喩的に言うと自分で立つことができる、ひとりの女性だ。


続くよし子の、「御這入りなさい」、「御掛けなさい」、「御敷きなさい」という言葉すべてに、三四郎は素直に従う。

よし子は語り手によって、「此単純な少女」と呼ばれるが、そこに嫌味は無い。「たゞ自分の思ふ通りを三四郎に云」い、「三四郎からは毫も返事を求めて」いないため、「三四郎は無邪気なる女王の前に出た心持がした」。「御世辞」や「先方の意を迎へる様な事」は無用であり、そんなことをすると「急に(いや)しくなる」。だから「(おし)の奴隷の如く、さきの云ふが儘に振舞つてゐれば愉快である」。「三四郎は小供の様なよし子から小供扱ひにされながら、少しもわが自尊心を傷けたとは感じ得なかつた」。

よし子の純粋さ、素直さが特徴的に現れた場面。よし子が素直なので、三四郎も相手を気遣ったり自分を飾ったりする必要がない。ふたりとも「子供」になれるのだ。そこが美禰子を前にした時と異なる点だ。

美禰子は常に作為的だ。思わせぶり、誘惑を仕掛ける。三四郎はそれに戸惑う。


兄は不在であるが、以前自分を見舞い素性が知れた男なので、安心して迎え入れるよし子。


「「兄ですか」とよし子は其次(そのつぎ)に聞いた。

 野々宮を尋ねて来た訳でもない。尋ねない訳でもない。何で来たか三四郎にも実は分からないのである」

…ここまで読んできて、「何で来たか三四郎にも実は分からないのである」と語り手に言われた日には、読者は戸惑うしかない。青春の熱い興奮・情熱が、男を女に向かわせたのか? そこには理由がなくとも、愛する人のもとに向かうためには、男は何キロでも自転車をこぐことができる。

そもそもこの時三四郎は、自分がどうしていいかわからなかったのだ。よし子と美禰子というふたりの女性への自分の気持ちの整理がついていない。これからの自分の大学生活や進路をどうするかもまだ決まっていない。心がとても不安定だが、若さや体力は有り余っている。何を決めずとも、目的がなくとも、ぼんやりとした何かを求めて体が動くのが、若い男だ。


「「野々宮さんはまだ学校ですか」

「えゝ、何時(いつ)でも夜遅くでなくつちや帰りません」

 是は三四郎も知つてる事である。三四郎は挨拶に窮した」

…言葉をつなぐために発せられたセリフだったが、あまりに愚問であることは三四郎が一番よく知っている。続く言葉が見つからない。


「見ると縁側に絵の具 (ばこ)がある。描きかけた水彩がある」

…これをきっかけに、三四郎は言葉をつなぐ。


「「画を御習ひですか」

「えゝ、好きだから描きます」

「先生は誰ですか」

「先生に習ふ程上手ぢやないの」」

…ここによし子の人柄が表れる。好きだから行動する。上手下手は関係ない。


「「一寸(ちよつと)拝見」

「是? 是まだ出来てゐないの」と描き掛けを三四郎の方へ出す」

…下手を羞恥する人であれば、三四郎に見せない。よし子はそれを気にしない。「見せてくれ」と言われれば、素直に相手に見せる人。


「成程自分のうちの庭が描き掛けてある。空と、前の家の柿の木と、這入り口の萩丈が出来てゐる。中にも柿の木は甚だ赤く出来てゐる」

…入院していたということもあり、手近な場所で手近なものを描いている。彼女にとって「柿」は「甚だ赤」いものなのだ。

なお、「赤」は、自作「それから」では、主人公の危機につながる色だ。


「「中々旨い」と三四郎が画を眺めながら云ふ。

(これ)が?」とよし子は少し驚ろいた。本当に驚ろいたのである。三四郎の様なわざとらしい調子は少しもなかつた」

…すべての物事に素直に対するよし子は、自分の目に不出来なものをいくら三四郎にほめられたからといって、そのまま受け流すことができないのだ。下手なものは下手と、自分も相手も認定するのが、彼女にとっては正しい。美禰子から発せられた「是が」というセリフは、「あなたは絵の鑑識眼がない人ですね」という意味になる。「こんな下手な絵を褒めるあなたは、どうかしてるわ」ということ。

このようにあまりにも自分の心に素直すぎるよし子は、相手によっては「変な人」と思われるだろう。「御這入りなさい」、「御掛けなさい」、「御敷きなさい」もそうだが、彼女は、一般のコミュニケーションの作法とはやや外れた受け答えをする。ただ彼女の場合はそこに悪意が全くない。「子ども」なのだ。


「三四郎は今更自分の言葉を冗談にする事も出来ず、又真面目にする事も出来なくなつた。何方(どつち)にしても、よし子から軽蔑されさうである。三四郎は画を眺めながら、腹のなかで赤面した」

…素直なよし子に、「わざとらし」くおべっかを言わないでと責められたに近い三四郎は、「冗談」で逃げることもできず(冗談ではないとすると、よし子の絵がよほど不出来ということになる)、「真面目にする事も出来」ない(三四郎には絵を見る目が全く欠けていることになってしまう)。

自分の不用意な発言と、その言い訳ができないことが、よし子の軽蔑を誘う。「中々旨い」という発言を、肯定も否定もできず進退窮まった三四郎は、ただ「腹のなかで赤面」する。こういう時には、とぼけて全く別の話題を振るしかない。


無邪気で素直な人は、時に他者を追い詰める。今話はその良い例だ。

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