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夏目漱石「三四郎」本文と解説4-4 広田「古い九段の燈明台と階行社と云ふ新式の錬瓦作りを二つ並べて見ると実に馬鹿気てゐる。けれども誰も気が付かない、平気でゐる。是が日本の社会を代表してゐる」

◇本文

 それから三人は元の大通りへ出て、動坂から田端の谷へ下りたが、下りた時分には三人ともただ歩いてゐる。貸家の事はみんな忘れて仕舞つた。ひとり与次郎が時々石の門の事を云ふ。麹町からあれを千駄木迄引いてくるのに、手間が五円程かゝつた抔と云ふ。あの植木屋は大分金持らしい抔とも云ふ。あすこへ四十円の貸家を建てゝ、全体誰が借りるだらう抔と余計なこと迄云ふ。遂には、今に借手がなくつて屹度家賃を下げるに違ひないから、其時もう一遍談判して是非借りやうぢやありませんかと云ふ結論であつた。広田先生は別に、さういふ料簡もないと見えて、かう云つた。

「君が、あんまり余計な話ばかりしてゐるものだから、時間が掛つて仕方がない。好加減にして出て来るものだ」

「余程長くかゝりましたか。何か画をかいてゐましたね。先生も随分呑気だな」

何方(どつち)が呑気か分かりやしない」

「ありや何の画です」

 先生は黙つてゐる。其時三四郎が真面目な顔をして、

「燈台ぢやないですか」と聞いた。画手(かきて)と与次郎は笑ひ出した。

「燈台は奇抜だな。ぢや野々宮宗八さんを画いて()らしつたんですね」

何故(なぜ)

「野々宮さんは外国ぢや光つてるが、日本ぢや真暗だから。――誰も丸で知らない。それで僅ばかりの月給を貰つて、穴倉へ立籠つて――、実に割に合はない商買だ。野々宮さんの顔を見る度に気の毒になつて(たま)らない」

「君なぞは自分の坐つてゐる周囲方二尺位の所をぼんやり照らす丈だから、丸行燈の様なものだ」

 丸行燈に比較された与次郎は、突然三四郎の方を向いて、

「小川君、君は明治何年生れかな」と聞いた。三四郎は単簡に、

「僕は二十三だ」と答へた。

「そんなものだらう。――先生僕は丸行燈だの、雁首(がんくび)だのつて云ふものが、どうも嫌ひですがね。明治十五年以後に生れた所為(せゐ)かも知れないが、何だか旧式で厭な心持がする。君はどうだ」と又三四郎の方を向く。三四郎は、

「僕は別段嫌でもない」と云つた。

「尤も君は九州の田舎から出た(ばか)りだから、明治元年位の頭と同じなんだらう」

 三四郎も広田も是に対して別段の挨拶をしなかつた。少し行くと古い寺の隣の杉林を切り倒して、奇麗に地平(ぢならし)をした上に、青ペンキ塗の西洋館を建てゝゐる。広田先生は寺とペンキ塗を等分に見てゐた。

時代錯誤(アナクロニズム)だ。日本の物質界も精神界も此通りだ。君、九段の燈明台を知つてゐるだらう」と又燈明台が出た。「あれは古いもので、江戸名所図絵に出てゐる」

「先生冗談云つちや不可(いけ)ません。なんぼ九段の燈明台が(ふる)いたつて、江戸名所図絵に出ちや大変だ」

 広田先生は笑ひ出した。実は東京名所と云ふ錦絵の間違だと云ふ事が解つた。先生の説によると、こんなに古い燈台が、まだ残つてゐる(そば)に、階行社と云ふ新式の錬瓦作りが出来た。二つ並べて見ると実に馬鹿気てゐる。けれども誰も気が付かない、平気でゐる。是が日本の社会を代表してゐるんだと云ふ。

 与次郎も三四郎も成程と云つた儘、御寺の前を通り越して、五六町来ると、大きな黒い門がある。与次郎が、此所(こゝ)を抜けて道灌山へ出様と云ひ出した。抜けても()いのかと念を押すと、なに是は佐竹の(しも)屋敷で、誰でも通れるんだから構はないと主張するので、二人共其気になつて門を潜(くゞ)つて、(やぶ)の下を通つて古い池の傍迄来ると、番人が出て来て、大変に三人を叱り付けた。其時与次郎はへい/\と云つて番人に(あやま)つた。

 それから谷中へ出て、根津を廻つて、夕方に本郷の下宿へ帰つた。三四郎は近来にない気楽な半日を暮した様に感じた。 (青空文庫より)


◇解説

貸家候補の家を見た「三人は元の大通りへ出て、動坂から田端の谷へ下りた」。

与次郎だけが、自分が仕入れたネタを話題に話し続ける。

「麹町からあれを千駄木迄引いてくるのに、手間が五円程かゝつた」。「あの植木屋は大分金持らしい」。「あすこへ四十円の貸家を建てゝ、全体誰が借りるだらう」。「今に借手がなくつて屹度家賃を下げるに違ひないから、其時もう一遍談判して是非借りやうぢやありませんか」。

これに対し広田は、「君が、あんまり余計な話ばかりしてゐるものだから、時間が掛つて仕方がない。好加減にして出て来るものだ」と注意する。

佐々木は気にせず、「何か画をかいてゐましたね。先生も随分呑気だな」、「ありや何の画です」と広田を揶揄する。

続いて話題が野々宮に移る。

佐々木「野々宮さんは外国ぢや光つてるが、日本ぢや真暗だから。――誰も丸で知らない。それで僅ばかりの月給を貰つて、穴倉へ立籠つて――、実に割に合はない商買だ。野々宮さんの顔を見る度に気の毒になつて(たま)らない」。野々宮の待遇のひどさに同情する佐々木。


「少し行くと古い寺の隣の杉林を切り倒して、奇麗に地平(ぢならし)をした上に、青ペンキ塗の西洋館を建てゝゐる。広田先生は寺とペンキ塗を等分に見てゐた」。「古い寺」と「青ペンキ塗の西洋館」が隣り合わせに建っている様に、広田は「時代錯誤(アナクロニズム)だ。日本の物質界も精神界も此通りだ」と批評する。「九段の燈明台」の「(そば)に、階行社と云ふ新式の錬瓦作りが出来た。二つ並べて見ると実に馬鹿気てゐる。けれども誰も気が付かない、平気でゐる。是が日本の社会を代表してゐるんだと云ふ」。

日本の古い伝統と新奇な西洋近代の不調和・混在を、広田は「日本の物質界」と「精神界」の「時代錯誤(アナクロニズム)」と批評する。しかもそのことに「誰も気が付か」ず「平気でゐる」ことへの嘆き。

日本と西洋の文化・文明の融合・進化に至っていない明治の近代化。しかも当時の日本は近代化にあまりにも急ぎすぎており、そうしてその弊害・不調和に誰も気づいていないことへの強い危惧を、広田は痛烈に批判する。


「アナクロニズム」は普通、「時代錯誤。時代おくれ」(三省堂「新明解国語辞典」)という意味だが、広田はここで日本の近代化の西洋文明とのミスマッチ・不調和という意味で用いている。


「それから谷中へ出て、根津を廻つて、夕方に本郷の下宿へ帰つた。三四郎は近来にない気楽な半日を暮した様に感じた」。

もっと大きく社会・世界を見よという広田の助言によって視野が広がり、幾分か心の鬱屈が晴れた三四郎だった。

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