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夏目漱石「三四郎」本文と解説4-3 広田「東京はどうです。広いばかりで汚ない所でせう」

◇本文

 横町を(あと)へ引き返して、裏通りへ出ると、半町ばかり北へ来た所に、突き当りと思はれる様な小路がある。其小路の中へ三四郎は二人を連れ込んだ。真直に行くと植木屋の庭へ出て仕舞ふ。三人は入口の五六間手前で留つた。右手に可なり大きな御影の柱が二本立つてゐる。(とびら)は鉄である。三四郎が(これ)だと云ふ。成程貸家札(かしやふだ)が付いてゐる。

「こりや恐ろしいもんだ」と云ひながら、与次郎は鉄の扉をうんと()したが、錠が卸りてゐる。「一寸御待ちなさい聞いてくる」と云ふや否や、与次郎は植木屋の奥の方へ馳け込んで行つた。広田と三四郎は取り残された様なものである。二人で話を始めた。

「東京は如何(どう)です」

「えゝ……」

「広い(ばかり)で汚ない所でせう」

「えゝ……」

「富士山に比較する様なものは何にもないでせう」

 三四郎は富士山の事を丸で忘れてゐた。広田先生の注意によつて、汽車の窓から始めて眺めた富士は、考へ出すと、成程崇高なものである。たゞ今自分の頭の中にごた/\してゐる世相とは、とても比較にならない。三四郎はあの時の印象を何時(いつ)の間にか取り落してゐたのを(はづ)かしく思つた。すると、

「君、不二山を翻訳して見た事がありますか」と意外な質問を放たれた。

「翻訳とは……」

「自然を翻訳すると、みんな人間に化けて仕舞ふから面白い。崇高だとか、偉大だとか、雄壮だとか」

 三四郎は翻訳の意味を了した。

「みんな人格上の言葉になる。人格上の言葉に翻訳する事の出来ない(もの)には、自然が毫も人格上の感化を与へてゐない」

 三四郎はまだあとが有るかと思つて、黙つて聞いてゐた。所が広田さんは()れで已めて仕舞つた。植木屋の奥の方を覗いて、

「佐々木は何をしてゐるのか知ら。遅いな」と独り言の様に云ふ。

「見て来ませうか」と三四郎が聞いた。

「なに、見に行つたつて、それで出て来る様な男ぢやない。それより此所(こゝ)に待つてる方が手間が掛からないでいゝ」と云つて枳殻(からたち)の垣根の下に(しやが)んで、小石を拾つて、土の上へ何か描き出した。呑気な事である。与次郎の呑気とは方角が反対で、程度が(ほぼ)相似てゐる。

 所へ植込の松の向から、与次郎が大きな声を出した。

「先生々々」

 先生は依然として、何か描いてゐる。どうも燈明台の様である。返事をしないので、与次郎は仕方なしに出て来た。

「先生一寸見て御覧なさい。()い家だ。この植木屋で持つてるんです。門を開けさせても好いが、裏から廻つた方が早い」

 三人は裏から廻つた。雨戸を明けて、一間(ひとま)々々見て歩いた。中流の人が住んで恥づかしくない様に出来てゐる。家賃が四十円で、敷金が三ヶ月分だと云ふ。三人はまた表へ出た。

「何で、あんな立派な家を見るのだ」と広田さんが云ふ。

「何で見るつて、たゞ見る丈だから好いぢやありませんか」と与次郎は云ふ。

「借りもしないのに……」

「なに借りる積で居たんです。所が家賃をどうしても弐十五円にしやうと云はない……」

 広田先生は「当り前さ」と云つた(ぎり)である。すると与次郎が石の門の歴史を話し出した。此間迄ある出入りの屋敷の入口にあつたのを、改築のとき(もら)つて来て、()ぐあすこへ立てたのだと云ふ。与次郎丈に妙な事を研究して来た。 (青空文庫より)


◇解説

なかなか帰ってこない間、佐々木は家主と話し込んでいたらしく、さまざまな情報を仕入れてふたりのもとに戻ってきた。おまけに家賃交渉済みのようて、こういうことには有能で、社交的な佐々木。


貸家は、「横町を(あと)へ引き返し」→「裏通りへ出ると、半町ばかり北へ来た所」の「小路」→「真直に行くと植木屋の庭へ出て仕舞ふ」「入口の五六間手前」の「右手」にあった。「可なり大きな御影の柱が二本」、「(とびら)は鉄」。

佐々木は、「こりや恐ろしいもんだ」と感想を漏らす。これは、「鉄の扉をうんと()したが、錠が卸りてゐる」ためなかなか動かなかったことに対してであるとともに、そのような場所に立派で頑丈な門がしつらえてあったことへの感慨。身軽な佐々木は、さっそく「一寸御待ちなさい聞いてくる」と言って「植木屋の奥の方へ馳け込んで行つた」。


後に「取り残された」「二人で話を始めた」。その会話は、旧知の先生と生徒のようだ。

広田「東京は如何(どう)です」…汽車の中で私が言った言葉の意味が分かりましたか?

三四郎「えゝ……」…三四郎は、「今自分の頭の中にごた/\してゐる世相」を思い浮かべている。

広田「広い(ばかり)で汚ない所でせう」…東京はまだ、普請中だ。あなたが希望を求めて来ても、その期待は裏切られるばかりだ。

三四郎「えゝ……」…先生の言うとおりだが、何と答えたものか。

広田「富士山に比較する様なものは何にもないでせう」…日本は、中途半端な近代化の途中だ。


「三四郎は富士山の事を丸で忘れてゐた」…「今自分の頭の中にごた/\してゐる世相(苦悩)」に捕らわれている三四郎は、それで頭がいっぱいなのだ。学問も、恋も、自分を満足させるかどうかわからない。これからの学生生活をどうしよう。今目の前に抱える問題の処理に飽和状態となっている三四郎には、広田がかつて語っていた日本の現在と将来についての危惧は、「とても比較にならない」ほど大きなものだと感じられた。

世界に日本が誇れるものは、昔から自然に存在している「富士」だけ。西洋に追いつき追い越せと汲々としている日本の未来は危うい(「亡びるね」(1-8))という「広田先生の注意」。「汽車の窓から始めて眺めた富士は、考へ出すと、成程崇高なものである」。しかしそれ以外に日本に自慢できるものは何もない。「三四郎はあの時の印象を何時(いつ)の間にか取り落してゐたのを()づかしく思つた」。自分の目の前にあることだけに拘泥し、日本の未来を考える余裕がなかったことを「()づかしく思」う三四郎。

広田は三四郎が今抱えている問題を決して否定しているわけではない。それとともに、世界や未来へも目を向けよと言っている。視野を広げなさいということだ。新たなものの見方や考え方を示す、良い先生だ。


広田「君、不二山を翻訳して見た事がありますか」

三四郎「翻訳とは……」…何を先生はおっしゃっているのだろう?

広田「自然を翻訳すると、みんな人間に化けて仕舞ふから面白い。崇高だとか、偉大だとか、雄壮だとか」

「三四郎は翻訳の意味を了した」…「翻訳」とは、「自然」への評価・評言のこと。他の言葉で喩えること。

広田「みんな人格上の言葉になる。人格上の言葉に翻訳する事の出来ない(もの)には、自然が毫も人格上の感化を与へてゐない」

…「自然」への表現・喩えは、必ず「人格上の言葉」になる。自然への恐れ、美、畏敬の念を表すには、人間に対して用いる評価の言葉によるしかない。また、自然は人格的な存在であり、それ以外のものは人格上の言葉で表すことはできないだけでなく、自然は何の良い感化も与えないということ。「自然」は「人格上の言葉に翻訳する事の出来」るものだから、「人格上の言葉に翻訳する事の出来ない(もの)」とは、自然以外のもの、不自然なもの、人工的なものだ。より具体的には、本来「自然」であるべき人間も、そこに含まれていはしまいか。と、広田は言いたいのだ。また、性急な近代化・西欧化を不自然に進める現代日本に対する批評も、ここにはあるだろう。


「三四郎はまだあとが有るかと思つて、黙つて聞いてゐた。所が広田さんは()れで已めて仕舞つた」…あとは自分で考えなさい、ということ。

ところで、ここで広田を「広田さん」と敬称を付けて呼んでいるのは、広田の言葉に語り手が(三四郎とともに)敬意を抱いたからだ。


高尚な会話を交わすふたり。鉄砲玉のように飛び出していったトリックスターは、そのまま帰ってこない。

広田「佐々木は何をしてゐるのか知ら。遅いな」…これは完全な「独り言」。三四郎に佐々木の様子を見に行かせる意図はまるでない。だから、三四郎が「見て来ませうか」と言っても、「なに、見に行つたつて、それで出て来る様な男ぢやない。それより此所(こゝ)に待つてる方が手間が掛からないでいゝ」ということになる。


枳殻(からたち)の垣根の下に(しやが)んで、小石を拾つて、土の上へ何か描き出した」…まるで「呑気な」子供の暇つぶし。「与次郎の呑気とは方角が反対で、程度が(ほぼ)相似てゐる」ところが面白いと、語り手は評する。


やっと佐々木が帰ってくる。しかも「先生々々」と「大きな声を出し」て。

「先生は依然として、何か描いてゐる」。ここは佐々木が「先生」と言ったので、それに合わせて広田を「先生」と呼ぶ、語り手のウイット。突然の大声。それは相手の都合を全く無視だ。これは佐々木のいつもの様子であるとともに、彼が勇んでいるのは、良い情報を手に入れたからだ。それを早く「先生」に伝えたい。そうして褒めてもらいたい。という子供のような佐々木の様子。

これに対し「先生」も慣れたもので、気にせず「燈明台」の絵を描き続ける。子供にいちいち構ってはいられない。

「返事をしないので、与次郎は仕方なしに出て来た」。「先生一寸見て御覧なさい。()い家だ。この植木屋で持つてるんです。門を開けさせても好いが、裏から廻つた方が早い」。「いいものみーつけた」ということ。

家は、「中流の人が住んで恥づかしくない様に出来てゐる。家賃が四十円で、敷金が三ヶ月分だと云ふ」。1円の換算が難しいが、1円=1万円だとすると40万円になる。敷金3か月分も、現代の相場からすると多い。普通は多くて2か月分だ。(礼金は無いのかな?) 従ってこの家は、価格だけで考えると高級住宅であり、「中流の人が住」むにはもったいない家だ。

だから広田は、「何で、あんな立派な家を見るのだ」と言ったのだ。

「たゞ見る丈だから好いぢやありませんか」、「なに借りる積で居たんです。所が家賃をどうしても弐十五円にしやうと云はない……」。家賃の価格交渉までしてきたことを褒めてもらいたかった佐々木だったが、逆に叱られてしまったのでちょっと残念という場面。

家賃がそうそう簡単に下がるとは思わない「広田先生は「当り前さ」と云つた(ぎり)である」。


「すると与次郎が石の門の歴史を話し出した。此間迄ある出入りの屋敷の入口にあつたのを、改築のとき(もら)つて来て、()ぐあすこへ立てたのだと云ふ。与次郎丈に妙な事を研究して来た」…こんな役にも立たない雑談をしていたから帰りが遅くなったのだ、と、広田と三四郎は思っただろう。


「40円」で貸せるほどの立派な貸家と敷地を持っていたことから、明治時代の「植木屋」は金持ちだったことが分かる。

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