夏目漱石「三四郎」本文と解説4-2 与次郎「君、此辺に貸家はないか。広くて、奇麗な、書生部屋のある」
◇本文
ある日の午後三四郎は例の如くぶら付いて、団子坂の上から、左へ折れて千駄木林町の広い通りへ出た。秋晴と云つて、此頃は東京の空も田舎の様に深く見える。かう云ふ空の下に生きてゐると思ふ丈でも頭は明確する。其上野へ出れば申し分はない。気が暢して魂が大空程の大きさになる。それで居て身体惣体が緊つて来る。だらしのない春の長閑さとは違ふ。三四郎は左右の生垣を眺めながら、生まれて始めての東京の秋を嗅ぎつゝ遣つて来た。
坂下では菊人形が二三日前開業したばかりである。坂を曲がる時は幟さへ見えた。今はたゞ声丈聞える。どんちやん/\遠くから囃してゐる。其囃の音が、下の方から次第に浮き上がつて来て、澄み切つた秋の空気のなかへ広がり尽くすと、遂には極めて稀薄な波になる。其又余波が三四郎の鼓膜の傍来きて自然に留る。騒がしいといふよりは却つて好い心持である。
時に突然左りの横町から二人あらはれた。その一人が三四郎を見て、「おい」と云ふ。
与次郎の声は今日に限つて、几帳面である。其代はり連がある。三四郎は其連を見たとき、果して日頃の推察通り、青木堂で茶を飲んでゐた人が、広田さんであると云ふ事を悟つた。此人とは水蜜桃以来妙な関係がある。ことに青木堂で茶を飲んで烟草を呑んで、自分を図書館に走らしてよりこのかた、一層よく記憶に染みてゐる。いつ見ても神主の様な顔に西洋人の鼻を付けてゐる。今日も此間の夏服で、別段寒さうな様子もない。
三四郎は何とか云つて、挨拶をしやうと思つたが、あまり時間が経つてゐるので、どう口を利いていゝか分らない。たゞ帽子を取つて礼をした。与次郎に対しては、あまり丁寧過ぎる。広田に対しては、少し簡略すぎる。三四郎は何方付かずの中間に出た。すると与次郎が、すぐ、
「此男は私の同級生です。熊本の高等学校から始めて東京へ出て来た――」と聴かれもしない先から田舎ものを吹聴して置いて、それから三四郎の方を向いて、
「是が広田先生。高等学校の……」と訳もなく双方を紹介して仕舞つた。
此時広田先生は「知つてる、/\」と二返繰り返して云つたので、与次郎は妙な顔をしてゐる。然し、何故知つてるんですか抔と面倒な事は聞かなかつた。たゞちに、
「君、此辺に貸家はないか。広くて、奇麗な、書生部屋のある」と尋ねだした。
「貸家はと……ある」
「どの辺だ。汚なくつちや不可ないぜ」
「いや奇麗なのがある。大きな石の門が立つてゐるのがある」
「そりや旨い。どこだ。先生、石の門は可いですな。是非それに仕様ぢやありませんか」と与次郎は大いに進んでゐる。
「石の門は不可ん」と先生が云ふ。
「不可ん? そりや困る。何故不可んです」
「何故でも不可ん」
「石の門は可いがな。新らしい男爵の様で可いぢやないですか、先生」
与次郎は真面目である。広田先生はにや/\笑つてゐる。とう/\真面目の方が勝つて、兎も角も見る事に相談が出来て、三四郎が案内をした。 (青空文庫より)
◇解説
「例の如くぶら付いて」とは、さまざまな疑問・疑念を解決することや、恋の成就のための行動を起こせない、三四郎の様子。
自然は人間の営為に関係なく推移する。季節は廻り、さわやかな秋となった。
「ある日の午後三四郎は例の如くぶら付いて、団子坂の上から、左へ折れて千駄木林町の広い通りへ出た」。「秋晴」は、「東京の空も田舎の様に深く見える」。ふと故郷を想起する三四郎。彼の鬱屈は、「かう云ふ空の下に生きてゐると思ふ丈でも」「明確する」。「気が暢して魂が大空程の大きさになる」。清涼な秋の空気を感じ、「身体惣体が緊つて来る」。「三四郎は左右の生垣を眺めながら、生まれて始めての東京の秋を嗅ぎつゝ遣つて来た」。涼しい秋の空気・大空は、青年の心の翳りを解き、季節の移り変わりに気づかせる。三四郎は次第に東京という都市の生活にも慣れつつあり、その秋を楽しむ心の余裕も生まれる。
「坂下」で始まった「菊人形」に彼は赴く。「幟」が見え、「どんちやん/\遠くから囃してゐる」「音が、下の方から次第に浮き上がつて来て、澄み切つた秋の空気のなかへ広がり尽くすと、遂には極めて稀薄な波になる」。「其又余波が三四郎の鼓膜の傍来きて自然に留」り、「騒がしいといふよりは却つて好い心持」になった。何やら楽しそうな気配が三四郎を包み、その心を浮き立たせる。物語が展開しそうな雰囲気に、読者の期待も高まる。
「時に突然左りの横町から二人あらはれた」…物語は「突然」始まる・展開する。
「その一人が三四郎を見て、「おい」と云ふ」…「突然」「あらわれた」人物なので、「二人」→「一人」と数で三四郎は認識し、語り手は表現した。「二人」→「一人」=「与次郎」という認識・表現が巧みだ。
「与次郎の声は今日に限つて、几帳面である」のは、広田先生と一緒だからだ。先生の手前、彼はかしこまっている・よそ行きだ。残りの「一人」は、三四郎の「日頃の推察通り」、広田だった。「青木堂で茶を飲んでゐた人」、汽車の中で一緒に「水蜜桃」を食べた人、「自分を図書館に走ら」せた人。「神主の様な顔」、「西洋人の鼻」、「此間の夏服」(もう秋なのに。貧乏なのか、季節を気にしないのか)。
三四郎の方は、「記憶に染みて」知っている人なので、「何とか云つて、挨拶をしやうと思つたが、あまり時間が経つてゐるので、どう口を利いていゝか分らない」。自分は承知しているが、相手が自分を認識しているかどうかわからない。だから、「たゞ帽子を取つて礼をした」。次の語り手の説明が分かりやすい。「与次郎に対しては、あまり丁寧過ぎる」し、「広田に対しては、少し簡略すぎる」。広田が自分を覚えている確信が持てない「三四郎は何方付かずの中間に出た」。
如才ない与次郎は「すぐ」「訳もなく双方を紹介して仕舞つた」。こういう時は役に立つ男だ。
広田は三四郎を覚えていた。事情を知らない「与次郎は妙な顔をしてゐる」。
なおここで語り手が「広田」から「広田先生」に呼称を変更したのは、佐々木の言い方に合わせたためだ。また、ここから広田は、三四郎にとっても(正式に)「先生」となったことも表す。
「然し、何故知つてるんですか抔と面倒な事は聞かなかつた」…これも、物事にこだわらない佐々木の良さだ。簡略化して済ませるべき場面がある。
佐々木「君、此辺に貸家はないか。広くて、奇麗な、書生部屋のある」
三四郎「奇麗なのがある。大きな石の門が立つてゐるのがある」
佐々木「そりや旨い。どこだ。先生、石の門は可いですな。是非それに仕様ぢやありませんか」
広田「石の門は不可ん」
佐々木「不可ん? そりや困る。何故不可んです」…気に入らないのでは他所を探さねばならず、手間がかかって困る。せっかくよさそうな貸家を三四郎が提案してくれたのだから、そこに決めてしまえばいいのに。家探しは時間もかかるし疲れる。
広田「何故でも不可ん」…気に入らない根拠を示さない広田。説明し出すと話が長くなりそうで面倒なのか。
佐々木「石の門は可いがな。新らしい男爵の様で可いぢやないですか、先生」…適当な理由をつけて、何とか早くそこに決めてしまいたい佐々木。早く決めたい「与次郎は真面目である」。適当な理由付けで早く決めたがっていることが見え見えで、「広田先生はにや/\笑つてゐる」。
「とう/\真面目の方が勝つて、兎も角も見る事に相談が出来て、三四郎が案内をした」。
この会話を見ると、佐々木と広田は菊人形を見るため(だけ)でなく、貸家を探しに出ているようだ。実際この後三人は「石の門」のある家を見て、そのまま帰途に就く。