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夏目漱石「三四郎」本文と解説4-1 三四郎の魂がふわつき出した。

◇本文

 三四郎の魂がふわつき出した。講義を聞いてゐると、遠方に聞こえる。わるくすると肝要な事を書き落す。甚しい時は他人(ひと)の耳を損料で借りてゐる様な気がする。三四郎は馬鹿々々しくつて(たま)らない。仕方なしに、与次郎に向つて、どうも近頃は講義が面白くないと言ひ出した。与次郎の答はいつも同じ事であつた。――

「講義が面白い訳がない。君は田舎者だから、今に(えら)い事になると思つて、今日迄辛防して聞いてゐたんだらう。愚の至りだ。彼等の講義は開闢(かいびやく)以来こんなものだ。今更失望したつて仕方がないや」

「さう云ふ訳でもないが……」と三四郎は弁解する。与次郎のへら/\調と、三四郎の重苦しい口の利き様が、不釣合で甚だ可笑(おか)しい。

 かう云ふ問答を二三度繰り返してゐるうちに、いつの間にか半月許り経過(たつ)た。三四郎の耳は漸々(ぜんぜん)借りものでない様になつて来た。すると今度は与次郎の方から、三四郎に向つて、

「どうも妙な顔だな。如何にも生活に疲れてゐる様な顔だ。世紀末の顔だ」と批評し出した。三四郎は、此批評に対しても依然として、

「さう云ふ訳でもないが……」を繰り返してゐた。三四郎は世紀末抔と云ふ言葉を聞いて嬉しがる程に、まだ人工的の空気に触れてゐなかつた。またこれを興味ある玩具(おもちや)として使用し得る程に、ある社会の消息に通じてゐなかつた。たゞ生活に疲れてゐるといふ句が少し気に入つた。成程疲れ出した様でもある。三四郎は下痢の為め許りとは思はなかつた。けれども大いに疲れた顔を標榜するほど、人生観のハイカラでもなかつた。それで此会話はそれぎり発展しずに済んだ。

 そのうち秋は高くなる。食慾は進む。二十三の青年が到底人生に疲れてゐる事が出来ない時節が来た。三四郎は()く出る。大学の池の周囲(まはり)も大分 (まは)つて見たが、別段の(へん)もない。病院の前も何遍となく往復したが普通の人間に逢ふ(ばかり)である。又理科大学の穴倉へ行つて野々宮君に聞いて見たら、妹はもう病院を出たと云ふ。玄関で逢つた女の事を話さうと思つたが、先方(さき)が忙しさうなので、つい遠慮して已めて仕舞つた。今度大久保へ行つて(ゆつく)り話せば、名前も素性も大抵は解る事だから、()かずに引き取つた。さうして、ふわ/\して諸方(ほう/″\)歩いてゐる。田端だの、道灌山だの、染井の墓地だの、巣鴨の監獄だの、護国寺だの、――三四郎は新井の薬師迄も行つた。新井の薬師の帰りに、大久保へ出て、野々宮君の家へ(まは)らうと思つたら、落合の火葬場(やきば)(へん)(みち)を間違へて、高田へ出たので、目白から汽車へ乗つて帰つた。汽車の中で見舞(みやげ)に買つた栗を一人で散々食つた。其余りは翌日(あくるひ)与次郎が来て、みんな平げた。

 三四郎はふわ/\すればする程愉快になつて来た。初めのうちは余り講義に念を入れ過ぎたので、耳が遠くなつて筆記に困つたが、近頃は大抵に聴いてゐるから何ともない。講義中に色々な事を考へる。少し位落しても惜しい気も起らない。よく観察して見ると与次郎始めみんな同じ事である。三四郎は此位で()いものだらうと思ひ出した。

 三四郎が色々考へるうちに、時々例のリボンが出て来る。さうすると気掛(きがか)りになる。甚だ不愉快になる。すぐ大久保へ出掛けて見たくなる。然し想像の連鎖やら、外界の刺激やらで、しばらくすると紛れて仕舞ふ。だから大体は呑気である。それで夢を見てゐる。大久保へは中々行かない。 (青空文庫より)


◇解説

さまざまなことが「気掛(きがか)り」な三四郎。気がかりなのにすべて進展がない。そのために悶々とする一方で、若い生気が心を晴らす瞬間もあるという、青年期特有の様子が描かれる。


「池の女」が野々宮から贈られたリボンを身に付けていたという事実に、三四郎は打ちのめされる。まず、女の素性が分からない。野々宮とどのような関係なのだろう。交際しているのか。結婚まで考えている仲なのか。それにしては彼女は自分を誘惑してきた。それは自分の勘違いだったのか。あるいは自分にもまだチャンスはあるのか。


それらのことをぐるぐる考えると心は休まらず、「三四郎の魂がふわつき出した」。「講義を聞いて」も全く身が入らない。「甚しい時は他人(ひと)の耳を損料で借りてゐる様な気がする」は面白い喩えだ。自分の頭の側面には、まるで他人の耳がついているようで、他人の耳だからよく聞き取れず、講義内容が頭に入ってこない。しかもそれをレンタル料を払って借りている。だから「馬鹿々々しくつて(たま)らない」という気になる。


三四郎は「仕方なしに」、与次郎に頼ろうとする。愚策である。頼る相手を間違っている。

「どうも近頃は講義が面白くない」と嘆く三四郎に、「与次郎の答はいつも同じ事であつた」。「講義」は「面白い訳がない」し、「開闢(かいびやく)以来こんなものだ」。それを知らない「君は田舎者」だ。「辛抱」するのは「愚の至り」であり、「今更失望したつて仕方がない」。散々な言われようだ。心が弱っている友人にかける言葉ではない。同じ言うにも、言い方というものがある。

予想通りのひどい回答に、「「さう云ふ訳でもないが……」と三四郎は弁解する」。


つまり、「どうも近頃は講義が面白くない」という三四郎の弱音は、講義のつまらなさに由来しているのではないし、そのことを心から相談したいと思っているわけではないということだ。確かに講義はつまらない。けれど今彼が「面白くない」という感情になっているのは、気になる女の素性と気持ちが不明なことに由来する。女の気持ちがわからない。野々宮との関係が分からない。それが「面白くない」のだ。

しかし佐々木にそこまで察しろと期待するのは、それこそ「愚の至り」ということになる。佐々木にそれは無理であり、だから三四郎は、弱音を吐く相手を間違えた。


与次郎はあくまでも「へら/\」している男だ。それに対して三四郎はいま、気持ちが「重苦し」く落ち込んでいる。

語り手は、ふたりの不調和を「不釣合で甚だ可笑(おか)しい」と揶揄するが、三四郎の苦悩は深い。


「かう云ふ問答を二三度繰り返してゐるうちに、いつの間にか半月許り経過(たつ)た。三四郎の耳は漸々(ぜんぜん)借りものでない様になつて来た」。三四郎の心の疲労が、時間とともに次第に回復してきた様子。時間が解決するものがある。

「すると今度は与次郎の方から、三四郎」を「批判し出した」。「どうも妙な顔だな。如何にも生活に疲れてゐる様な顔だ。世紀末の顔だ」。気分が回復しつつある友人にわざとこのような言葉をかけてからかっているのだ。つい以前は深刻な顔だったのに、最近は少しマシになってきた。それはなぜなのかを、わざと「世紀末の顔だ」と深刻に言うことによってからかってやれ」、ということ。


三四郎は、前と同じように、「さう云ふ訳でもないが……」とぼんやりと返事する。続いて、三四郎の心情が語り手によって説明される。ほとんどの文末が、否定表現であることが特徴だ。

「三四郎」の発表は、明治41(1908)年。「世紀末」という言葉と考え方が、当時はやっていた。

・「三四郎は世紀末抔と云ふ言葉を聞いて嬉しがる程に、まだ人工的の空気に触れてゐなかつた」…世紀末思想は、「人工的」だと語り手は捉えている。ことさらに「世紀末」と唱えることは不自然であり、人が勝手に今はそのような時代・状態なのだとはやし立てているだけだという考え方。大学入学したての三四郎はまだ、そのような思想に触れていないこと。


・「またこれを興味ある玩具(おもちや)として使用し得る程に、ある社会の消息に通じてゐなかつた」…世紀末思想を新しく楽しむべきツールとしてもてあそぶ態度が思想界・文学界にはあるが、三四郎はそれもやはり理解していなかったこと。


確かに自分は「生活に疲れてゐる」・「疲れ出した様でもある」。

心労により彼は、「下痢」をしていた!(かわいそう。お大事に)

「けれども大いに疲れた顔を標榜するほど、人生観のハイカラでもなかつた」

…世紀末の退廃的な空気を、語り手は嫌っているようだ。世の思想界は「世紀末」をもてはやしている。その肯定が「ハイカラ」(最先端)であるかのように取り扱うことへの否定。

「それで此会話はそれぎり発展しずに済んだ」のも、「世紀末思想」への批判を含んでいる。


「そのうち秋は高くなる。食慾は進む。二十三の青年が到底人生に疲れてゐる事が出来ない時節が来た」。それが若者の特権だ。三四郎の体と心にも次第に元気が湧いてくる。彼は動き出す。「三四郎は()く出る」とは、三四郎の活動する様子。この「出る」は、講義に出ることと、外に出ること・活動を始めることの二つの意味を掛けている。


「大学の池の周囲(まはり)も大分 (まは)つて見たが、別段の(へん)もない。病院の前も何遍となく往復したが普通の人間に逢ふ(ばかり)である」

…「池の女」との再会を願っての行動は、希望が叶わない。


「又理科大学の穴倉へ行つて野々宮君に聞いて見たら、妹はもう病院を出たと云ふ。玄関で逢つた女の事を話さうと思つたが、先方(さき)が忙しさうなので、つい遠慮して已めて仕舞つた。今度大久保へ行つて(ゆつく)り話せば、名前も素性も大抵は解る事だから、()かずに引き取つた」

…三四郎の心情を推察すると次のようになる。

「本当は真っ先に「池の女」の素性を聞きたかったのだが、まず妹の話題になってしまった。残念。ところで妹の病気は何なのだろう。もう退院したとなれば、それほど心配する状態でもなかったのだろう。妹の話はもういい。次はいよいよ「池の女」について聞こう。しかし野々宮君はずいぶん忙しそうだ。自分が「池の女」を知っていることや、野々宮君が彼女にリボンをプレゼントしたことに気づいていることを、野々宮君は知らない。それなのに突然「池の女」を話題に出すのはどう考えてもおかしいし不自然だ。これはなかなか言いずらいなー。どうしよう。やっぱり聞けない。野々宮君の忙しさを理由に、今日聞くのはやめて、今度にしよう」。

このように自分に言い聞かせ、なかなか行動に移せない三四郎。


聞きたいことが結局聞けず、疑問が解決しない三四郎は、「さうして、ふわ/\して諸方(ほう/″\)歩いてゐる」。心のわだかまりが、若者を歩かせる。「こころ」の先生もそうだった。

それにしても随分あちこち歩いたものだ。田端、道灌山、染井墓地、巣鴨監獄、護国寺、新井薬師、大久保の野々宮君の家へ(まは)らうと思つたら、落合の火葬場(やきば)(へん)(みち)を間違へて、高田へ出た→(しかたなく)目白から汽車へ乗つて→国の宿舎に帰る(宿舎は本郷追分にある・2-6)


「汽車の中で見舞(みやげ)に買つた栗を一人で散々食つた」

恋が思うようにいかず、やけ食いの体。しかも「其余りは翌日(あくるひ)」何も知らぬ無神経な「与次郎が来て、みんな平げた」。

ところで、この「見舞(みやげ)に買つた栗」は、野々宮本人というよりも、退院したよし子宛に買ったものだ。三四郎も隅に置けぬ男だ。本命と押さえの両方に色目を使っている。


「三四郎はふわ/\すればする程愉快になつて来た」

…三四郎のとても「被虐的な快感」を感じる。恋と人生の苦悩が次第に妙な喜びへと変化する様子。

「初めのうちは余り」に「念を入れ過ぎた」講義も、「近頃は大抵に聴いてゐるから何ともない」。「講義中に色々な事を考へ」、「少し位落しても惜しい気も起らない」。これは「与次郎始めみんな同じ」で、「此位で()いものだらうと思ひ出した」。勇んで上京したはずの学問が疎かになる三四郎。彼の心は恋に占有され始める。

「三四郎が色々考へるうちに、時々例のリボンが出て来る」。「気掛(きがか)り」、「甚だ不愉快」、「すぐ大久保へ出掛けて見たくなる」。その一方で、「想像の連鎖やら、外界の刺激やらで、しばらくすると紛れて仕舞ふ。だから大体は呑気である」。これは三四郎の気ままな特性というよりも、若さゆえだろう。「それで」自分に都合のいいような「夢を見てゐる」。しかし実際には体は動かず、「大久保へは中々行かない」でそのままにしてある。


三四郎は、さまざまな疑問や疑念を解決すべく行動することがなかなかできないでいる。恋についても、それを成就すべく動くことができず、ただ「夢を見てゐる」だけ。恋に不慣れな三四郎は、自分の「ためらい」をどのような行動で解決すべきかがわからない。

リボンや野々宮と美禰子の関係について野々宮に聞く。よし子と美禰子についても、それぞれに会うきっかけを何とか模索する。そのような直接的・間接的行動がとれない三四郎。今の彼は、ただ事の推移を眺めているだけだ。

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