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夏目漱石「三四郎」本文と解説3-14 女は角を曲らうとする途端に振り返り、にこりと笑つて、此角ですかと云ふ相図をした。

◇本文

 女はやがて元の通りに向き直つた。眼を伏せて二足許(ふたあしばかり)三四郎に近付いた時、突然首を少し後ろに引いて、まともに男を見た。二重瞼(ふたへまぶち)の切れ長の落付いた恰好である。目立つて黒い眉毛の下に()きてゐる。同時に奇麗な歯があらはれた。此歯と此顔色とは三四郎に取つて忘るべからざる対照であつた。

 今日は白いものを薄く塗つてゐる。けれども本来の地を隠す程に無趣味ではなかつた。(こま)やかな肉が、程よく色づいて、強い日光()()げない様に見える上を、極めて薄く粉が吹いてゐる。てら/\ (ひか)る顔ではない。

 肉は頬と云はず(あご)と云はずきちりと(しま)つてゐる。骨の上に余つたものは沢山(たん)とない位である。それでゐて、顔全体が柔らかい。肉が柔らかいのではない、骨そのものが柔らかい様に思はれる。奥行きの長い感じを起させる顔である。

 女は腰を曲(かゞ)めた。三四郎は知らぬ人に礼をされて驚ろいたと云ふよりも、寧ろ礼の仕方の巧みなのに驚ろいた。腰から上が、風に乗る紙の様にふわりと前に落ちた。しかも早い。それで、ある角度迄来て苦もなく確然(はつきり)(とま)つた。無論習つて覚えたものではない。

一寸(ちよつと)伺ひますが……」と云ふ声が白い歯の間から出た。きりゝとしてゐる。然し鷹揚である。たゞ夏のさかりに(しい)の実が()つてゐるかと人に聞きさうには思はれなかつた。三四郎はそんな事に気のつく余裕はない。

「はあ」と云つて立ち(どま)つた。

「十五号室はどの(へん)になりませう」

 十五号は三四郎が今出て来た(へや)である。

「野々宮さんの室ですか」

 今度は女の方が「はあ」と云ふ。

「野々宮さんの部屋はね、其角を曲つて突き当つて、又左へ曲つて、二番目の右側です」

「其角を……」と云ひながら女は細い指を前へ出した。

「えゝ、つい其先の角です」

「どうも難有(ありがと)う」

 女は行き過ぎた。三四郎は立つたまゝ、女の後姿を見守つてゐる。女は角へ来た。曲らうとする途端に振り返つた。三四郎は赤面する許りに狼狽した。女はにこりと笑つて、此角ですかと云ふ様な相図を顔でした。三四郎は思はず首肯(うなづ)いた。女の影は右へ切れて白い壁の中へ隠れた。

 三四郎はぶらりと玄関を出た。医科大学生と間違へて室の番号を聞いたのかしらんと思つて、五六歩あるいたが、急に気が付いた。女に十五号を聞かれた時、もう一辺よし子の室へ後戻りをして、案内すればよかつた。残念な事をした。

 三四郎は今更取つて(かへ)す勇気は出なかつた。已を得ず又五六歩あるいたが、今度はぴたりと(とま)つた。三四郎の頭の中に、女の結んでゐたリボンの色が映つた。其リボンの色も質も、(たしか)に野々宮君が兼安で買つたものと同じであると考へ出した時、三四郎は急に足が重くなつた。図書館の横をのたくる様に正門の方へ出ると、どこから来たか与次郎が突然声を掛けた。

「おい何故休んだ。今日は以太利(イタリー)人がマカロニーを如何にして食ふかと云ふ講義を聞いた」と云ひながら、(そば)へ寄つて来て三四郎の肩を叩いた。

 二人は少し一所にあるいた。正門の傍へ来た時、三四郎は、

「君、今頃でも薄いリボンを掛けるものかな。あれは極暑に限るんぢやないか」と聞いた。与次郎はアハヽヽと笑つて、

「○○教授に聞くがいゝ。何でも知つてる男だから」と云つて取り合はなかつた。

 正門の所で三四郎は具合が悪いから今日は学校を休むと云ひ出した。与次郎は一所に()いて来て損をしたと云はぬ許りに教室の方へ帰つて行つた。 (青空文庫より)


◇解説

「女はやがて元の通りに向き直つた」

(よじ)られた腰の緊張が、解放される。彼女の上体がゆっくり三四郎の方を向く様子が、スローモーションで目に浮かぶ。腰から下は三四郎の方を向いていたからには、今は全身が彼に正対している。彼女は今、真正面からまともに三四郎の視線を受けており、またそれを意識している。しかし彼女の目線はまだ、伏せられたままだ。


「眼を伏せて二足許(ふたあしばかり)三四郎に近付いた時、突然首を少し後ろに引いて、まともに男を見た」

…美禰子はわざと目線をそらしていた。「眼を伏せ」た自分を見せ、「二足許(ふたあしばかり)」歩く自分の姿を見せる。三四郎は暗い廊下の客席におり、玄関口から差し込む明るい照明で照らされたステージ上の美禰子を見ている。美禰子が「三四郎に近付いた時、突然首を少し後ろに引いて、まともに男を見た」のも非常に効果的だ。相手を油断させておいてからの「まとも」なまなざし。これによって、相手に自分を強く印象づける。前回、池の端で初めて出会った時も、美禰子は目を伏せながら三四郎のそばに近づいた。このやり方は、男の気を引く彼女お得意のテクニックなのだ。

男を手玉に取る手練手管を生来身に付けているのか。それともこれまでの恋の遍歴が、彼女をこのような女にしたのか。いずれにしても三四郎にかなう相手ではない。

なお、ここで語り手が三四郎を「男」と性で呼んだのは、美禰子が女として、女の目線で、男である三四郎を見たことを表す。彼女は三四郎を「男」として見ている。また三四郎の方も、彼女のまなざしに「女」を強く感じている。ふたりは今、「男と女」という関係性になっている。もう既に、ただの通りすがりの人・赤の他人ではないのだ。

「首を少し後ろに引いて」「見た」というのも、とても独特で印象的な見方だ。普通は「顔を上げて」とか、「目線を上げて」とかになるだろう。彼女独特の物腰は、それを見る者に強い印象を残す。


「まともに」見られた三四郎の目には、彼女の「二重瞼(ふたへまぶち)の切れ長の落付いた」瞳が映る。それは「目立つて黒い眉毛の下に()きてゐる」。生気があり、意志と意図を持った強いまなざし。それと「同時に奇麗な歯があらはれた」。強い意志を感じさせる「黒い眉」、生き生きと輝く「二重瞼(ふたへまぶち)の切れ長の」目、そうして最後に微笑みとともに表れる「奇麗な歯」。美禰子さん、完璧です。生き生きと輝く目で見られた人は、相手の自分への好意を感じ、さらに微笑まれた日には必ず恋に落ちるだろう。相手は自分を好いてくれている。ならば自分もと、きっと思う。しかも大変な美人だ。従って、「此歯と此顔色とは三四郎に取つて忘るべからざる対照であつた」。忘れようにも、忘れられるはずがない。


今、三四郎はすっかり忘れているようだが、ついさっき、彼は別の女性に心を奪われていた。三四郎君、気が多すぎでは? 多情多恨とならねばよいが。


語り手による美禰子の説明が続く。これはとりもなおさず、三四郎の観察を表す。

「今日は白いものを薄く塗つてゐる」

…三四郎は、前回会った時のことをよく覚えているのだ。

「けれども本来の地を隠す程に無趣味ではなかつた。(こま)やかな肉が、程よく色づいて、強い日光()()げない様に見える上を、極めて薄く粉が吹いてゐる。てら/\ (ひか)る顔ではない」

…前回会った時の美禰子の「本来の地」の色については、次のように説明されている。

「それからうちへ帰る間、大学の池の縁で逢つた女の、顔の色ばかり考へてゐた。――其色は薄く餅を焦がした様な狐色であつた。さうして肌理(きめ)が非常に細かであつた。三四郎は、女の色は、どうしてもあれでなくつては駄目だと断定した」(2-6)

だからこの「本来の地」の色は、「薄く餅を焦がした様な狐色」となる。それを「隠す程」には「白いもの」を塗っていなかったということ。厚塗りは「悪趣味」だと感じる三四郎。「極めて薄く粉が吹いてゐる」化粧の下には「(こま)やかな肉が、程よく色づいて、強い日光()()げない様に見える」。今、季節は夏の終わり。美禰子の肌は太陽の日差しに負けまいと、うっすら焼けている。きめの「(こま)やかな肉(皮膚)が、程よく色づいて」いる。三四郎は、美禰子の顔、化粧、その下にある皮膚すべてを観察する。そんなにジロジロみつめたら美禰子に嫌われるのではないかと心配になるほどだ。しかし彼女は嫌わない。「男」の強い視線をむしろ喜んでいるだろう。


「肉は頬と云はず(あご)と云はずきちりと(しま)つてゐる。骨の上に余つたものは沢山(たん)とない位である」

…キリッと締った顔つき。


「それでゐて、顔全体が柔らかい。肉が柔らかいのではない、骨そのものが柔らかい様に思はれる」

…骨が柔らかければ生活に支障が出る。悪くすると骨折する。だからこの部分の表現は、美禰子の表情の柔らかさを言っているのだ。締りはあるが、相手にとげとげしさを感じさせない顔つき・表情。それを見た相手の心も、柔らかくするだろう。


「奥行きの長い感じを起させる顔である」

…前の部分から続く表現と考えると、柔らかな顔・表情は、美禰子の心の奥行き・余裕を感じさせるということ。

また、これを単体で考えると、美禰子の顔・頭が立体的であること。日本人に多い平板・平面な顔つきでなく、簡単に言うと彫の深さを感じさせる顔つきだということ。


「女は腰を曲(かゞ)めた。三四郎は知らぬ人に礼をされて驚ろいたと云ふよりも、寧ろ礼の仕方の巧みなのに驚ろいた。腰から上が、風に乗る紙の様にふわりと前に落ちた。しかも早い。それで、ある角度迄来て苦もなく確然(はつきり)(とま)つた。無論習つて覚えたものではない」

…美禰子は三四郎を覚えている・認知している。それは当然、相手の三四郎も同じだろうと考えている。だから彼女は何も言わずに挨拶をした。自信があるのだ。それに対し三四郎の方は、相手が自分を認知していると思わなかったので驚いたのだ。さらに彼は、美禰子の礼の仕方の巧みさにも感心する。(「風に乗る紙の様にふわりと」って、いい表現ですね)  「しかも早い。それで、ある角度迄来て苦もなく確然(はつきり)(とま)つた」。腰痛持ちの中年には、こんなお辞儀は不可能だ。あっという間にぎっくり腰。若くて、腹筋・背筋がしっかりしている美禰子だから可能なのだ。顔も体も締まり、身のこなしが軽い美禰子。

また彼女は、自分の行動・しぐさに細心の注意を払っている。三四郎の目に自分がどう映るかをよく考えながら、すべての行動を行っている。

だから、「無論習つて覚えたものではない」のは、お辞儀の仕方だけではない。彼女の行動、しぐさ、男性への対応の仕方はすべて自然で生来のものだということだ。「無論習つて覚えたものではない」という説明に従うと、美禰子は何も考えず、何も意図せずとも、男性にこのような対応を自然にするということになる。自分でも気づかぬうちに、いつの間にか男を虜にする女。我知らず男に恋の魔法をかける怖い女だ。


「「一寸(ちよつと)伺ひますが……」と云ふ声が白い歯の間から出た。きりゝとしてゐる。然し鷹揚である」

…お辞儀の後に発話という順番がいい。奥ゆかしさや控えめさを醸し出す。しかしその歯は白く、「きりゝとしてゐる」コントラスト。さらにはキリっとしているだけでなく、むしろ「鷹揚である」。押したり引いたりの恋のテクニックが満載だ。


(美禰子について説明していると、だんだん疲れて来る。煩わしく厄介な女だ。しかもそれが自然にやっているとなれば、手の施しようがない。彼女は恋をするために生まれ、恋に生き、恋に死ぬだろう。そうして実際魔性の女・ストレイシープは最後、「絵」に封じ込められる)


「たゞ夏のさかりに(しい)の実が()つてゐるかと人に聞きさうには思はれなかつた」

…美禰子の「鷹揚」さは、「夏のさかりに(しい)の実が()つてゐるかと人に聞きさう」なほどとは「思はれなかつた」ということ。「椎の実」はドングリのことで、秋に実る。だからそれを「夏のさかりに」「生ってゐるかと人に聞」くのはおかしい。美禰子の「鷹揚」さはそんな馬鹿な質問をするほどではなかったということ。

キリっとしてるかと思うと、そうでもない。しかしやはりちゃんと計算して言葉を発し、行動している。まことに捉えどころがなく、手に余る人だ。

従って、三四郎と初めて出会う池の端のシーンでの「実は生っていないの」という美禰子の言葉は、「実は生っていない」ことを分かった上でわざと言ったことになる。その時彼女は、この言葉を言いながら「仰向いた顔をもとへもど」し、「その拍子に三四郎を一目見」るのだ。だからこの言葉は、三四郎を見るための演出でありきっかけだった。

ふたりの初対面での美禰子の言葉の意図が、ここで語り手によって、答え合わせのように説明される。

この一文は、明確に語り手によって発せられた感想であることが珍しい。「三四郎はそんな事に気のつく余裕はない」と三四郎を論評しつつ自説を述べているからだ。三四郎は気付いていないが、自分は美禰子の本質を見抜いていると主張する語り手の姿が、明らかに感じられる。


一寸(ちよつと)伺ひますが……」という美禰子の問いかけに、「はあ」といって三四郎は立ち止まる。ずいぶん間抜けな返答だ。美禰子に心をすっかり奪われていた三四郎が、彼女の問いかけによって正気に戻る様子。


「十五号室はどの(へん)になりませう」…三四郎と初めて出会った時、美禰子は看護師と池の端を散歩していた。この病院にはすでに来ており、その目的はよし子の見舞いだ。「十五号室」はどこにあるかなど、既に彼女は知っており、既に訪れた場所だ。従ってこの言葉は、三四郎に話しかけるための方便だったということになる。美禰子はとにかく三四郎と会話するために、自分が知っていることを知らぬふりして話題に出した。彼女は三四郎との接点をできるだけ持とうとしている。


「十五号は三四郎が今出て来た(へや)である」

…この表現は面白いしテクニカルだ。普通なら、「十五号はよし子の(へや)だ」でよいところをこのように表現することで、彼女の見舞い先・美禰子・三四郎とが線となって結ばれたことを表すからだ。三四郎自身、よし子を媒介として美禰子と自分が関係づけられたことに驚いているだろう。


「「野々宮さんの室ですか」

 今度は女の方が「はあ」と云ふ」

…三四郎が十五号室の住人を名指ししたので、「今度は女の方が」驚いたのだ。美禰子もこれで、三四郎と自分がつながっていることを知る。


「「野々宮さんの部屋はね、其角を曲つて突き当つて、又左へ曲つて、二番目の右側です」

「其角を……」と云ひながら女は細い指を前へ出した。

「えゝ、つい其先の角です」」

…このやり取りをふたりは実際に自分の手指を用いてしているだろうシーンがイメージされる。とても映像的な場面だ。また漱石は、読者にそうしてもらうために三四郎に「其角を曲つて突き当つて、又左へ曲つて、二番目の右側です」とわざと詳しく説明させた。

女の「細い指」は男の心に刺さる。美禰子はわざと、この「細い指」を出して三四郎に見せている。


「どうも難有(ありがと)う」…困っている人を助けたり助けられたりするのは、互いに気持ちのいいものだ。その体験を、ふたりは共有した。


「女は行き過ぎた。三四郎は立つたまゝ、女の後姿を見守つてゐる。女は角へ来た。曲らうとする途端に振り返つた。三四郎は赤面する許りに狼狽した。女はにこりと笑つて、此角ですかと云ふ様な相図を顔でした。三四郎は思はず首肯(うなづ)いた」。

…「行き過ぎ」る「女の後姿」をじっと「見守」る三四郎。彼女の視線は自分から外れているので、気づかれずに思う存分眺めることができる。女の後ろ姿をたっぷりと鑑賞する三四郎。そこで突然「振り返」られたら、びっくりして心臓が止まるだろう。今までじっと見ていたことがバレてしまう。(セクハラで訴えられる) だから「三四郎は赤面する許りに狼狽した」のだ。

(しかし美禰子は訴えず)「にこりと笑」う。この「笑」は、表面的には、「道を教えてくださってありがとう。それから、ちゃんとたどり着けるか見守ってくださってたんですね、すみません」という意味の愛嬌の「笑」だ。しかしその底には、「あなたにじっと見られていたことに全然気づかないふりしてるけど、ホントは違う。全部お見通し。人のお尻をずっと見てたでしょ、スケベ」という気持ちが隠されている。

そうして美禰子はあくまで上品に、「此角ですかと云ふ様な相図を顔でした」だけだった。

この、「女はにこりと笑つて、此角ですかと云ふ様な相図を顔でした。三四郎は思はず首肯(うなづ)いた」という所の雰囲気がとてもいい。既に二人は、目と目で会話することができる間柄になっている。互いに親しみや、さらに言うと信頼が無ければ、このような事はできないし成立しない。


「女の影は右へ切れて白い壁の中へ隠れた」

…「影」には、「影」と「光」の意味があるが、もしここが前者の意味で用いられているとすると、「女」だけでなく、女の「影」までも三四郎は見送っていたということを表す。彼女と離れがたいのだ。いつまでも見送っていたいのだ。

ところで、細かいことなのだが、先の三四郎の順路説明では、「野々宮さんの部屋はね、其角を曲つて」とあり、左右どちらに曲がるかは言葉では説明されていなかった。だから彼は自分の指で右を指したはずだ。やはり二人はともに自分の指で順路を指さしながら確認したことになる。青春ですね。

「女の影は」「白い壁の中へ隠れた」。繰り返しになるが、物語終末部で美禰子は白いキャンバスに描かれ、いわば絵の中に封じ込められる。ここはその伏線・暗示になっている。美禰子は物語最後の場面でも、三四郎の前から姿を消す。


美禰子との印象的な出会いと別れを経て、「三四郎はぶらりと玄関を出た」。


「医科大学生と間違へて室の番号を聞いたのかしらんと思つて」

…三四郎は文科の学生なので、「優秀な医科大学生と間違えられたかな、そうだとすると困るな」という気持ちが含まれているかもしれない。自分の素性を知ったら、彼女は落胆するのではないかという危惧。


「五六歩あるいたが、急に気が付いた。女に十五号を聞かれた時、もう一辺よし子の室へ後戻りをして、案内すればよかつた。残念な事をした」

…その時にとっさに思いつけず、機転が利かなかった後悔。大切な時に頭が回らず、チャンスを逃してしまう経験は誰にもあることだ。


よし子と美禰子という個性の違う魅力的な女性に出会った三四郎。講義はつまらないが、これからの大学生活への希望や光が見え始めたように思っただろう。


「三四郎は今更取つて(かへ)す勇気は出なかつた」

…そこまでの厚かましさは、彼にはない。そこが三四郎のいいところだ。


しかし彼ははっと気づく。

「已を得ず又五六歩あるいたが、今度はぴたりと(とま)つた。三四郎の頭の中に、女の結んでゐたリボンの色が映つた。其リボンの色も質も、(たしか)に野々宮君が兼安で買つたものと同じであると考へ出した時、三四郎は急に足が重くなつた」

…(物語が動き始めました。このようにして物語は展開させるのですね)

よし子・美禰子・三四郎の三者の関係に期待と満足を感じてだらしない未来を夢想していただろう三四郎。彼の心を推し量ってみる。

「まさかここに、野々宮君が関係するとは予想だにしなかった。三角関係が、四角関係になってしまった。いや、野々宮は兄妹だから、やはり三角関係か? しかしその登場人物は、【よし子・美禰子・自分】から、【美禰子・自分・野々宮】と入れ替わった。また仮に自分とよし子が結ばれるとしても、そこには野々宮と野々宮ママの承諾が必要だ。これは複雑なことになった。とりあえず、野々宮君が美禰子にリボンをプレゼントしたという事実をどう考えたらよかろうか。ふたりはもう既に良い仲なのだろうか。その可能性は高い。だって、プレゼントをあげ、それを彼女はさっそく身に付けているんだから。さらには、今気づいたんだけど、相手から贈られたリボンを身に付けて相手の前に表れるって、OKっていう意味だよね。ふたりはもう結ばれているのか? そうすると、自分の入り込むスキははなから無いことになる。どうしよう……」


恋のバトルはまだ始まってもいないのに、三四郎の心は憂鬱になるのだった。

「図書館の横をのたくる様に正門の方へ出ると」の「のたくる様に」とは、そういうことだ。どうすればいいか、何をどう考えたらいいかが分からなくなっている三四郎。


そこに、何も知らないトリックスターが登場し、物語を明るく開放する。様々なことに苦悩する三四郎と佐々木の対照の妙。

トリックスターは「どこから」か「突然」やって「来」る。

「「おい何故休んだ。今日は以太利(イタリー)人がマカロニーを如何にして食ふかと云ふ講義を聞いた」と云ひながら、(そば)へ寄つて来て三四郎の肩を叩いた」。物語のこれまでの展開とは全く関係のない話を始めるのが、トリックスターである佐々木の役目だ。

「二人は少し一所にあるいた」。成長過程にある三四郎は、さまざまな人を相手にしなければならない。それが彼の成長につながるからだ。

夏が終わり、季節は秋へと向かおうとしている。「君、今頃でも薄いリボンを掛けるものかな。あれは極暑に限るんぢやないか」という三四郎の質問はもっともだ。恋に悩む彼の気も知らず、「与次郎はアハヽヽと笑つて、「○○教授に聞くがいゝ。何でも知つてる男だから」と云つて取り合はなかつた」。与次郎のアドバイスは、アドバイスになっていない。三四郎は相談する相手を間違えた。

三四郎は、「薄いリボン」は夏に身に付けるものかどうかを尋ねたかったわけではない。秋口にもかかわらずそれを身に付ける女の心情を聞きたいのだ。何も知らない、また事情を説明されていない佐々木が、三四郎の期待に応えることは不可能だ。しかし、ふだんそんなことを話題にしない三四郎の口からリボンの質問が出されたこと自体をとがめるべきだ。友人なのだから、「急にどうしたの? リボンがどうかしたか?」ぐらい聞いてあげるべきだ。でもその役回りは、佐々木には無理だ。


さまざまな苦悩は、三四郎の体と心から力を奪う。「正門の所で三四郎は具合が悪いから今日は学校を休むと云ひ出した」。始まる前に失恋したようなものだ。


「与次郎は一所に()いて来て損をしたと云はぬ許りに教室の方へ帰つて行つた」。友人の傷心に寄り添えないばかりか、不平を漏らす佐々木。普通であればふたりの関係・友情はこれで終わりになっても不思議ではない。


病院の廊下でのわずかな会話で三四郎を「のたく」らせる美禰子。

恐るべし。

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