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夏目漱石「三四郎」本文と解説3-13 長い廊下のはづれが四角に切れて、表の緑が映る上がり口に、池の女が立つてゐる。

◇本文

 戸の後へ(まは)つて、始めて正面に向いた時、五十あまりの婦人が三四郎に挨拶をした。此婦人は三四郎の身体がまだ扉の影を出ない前から席を立つて待つてゐたものと見える。

「小川さんですか」と向ふから尋ねて呉れた。顔は野々宮君に似てゐる。娘にも似てゐる。然したゞ似てゐるといふ丈である。頼まれた風呂敷包を出すと、受取つて、礼を述べて、

「どうぞ」と云ひながら椅子をすゝめた儘、自分は寝台(ベツド)の向側へ回つた。

 寝台(ベッド)の上に敷いた蒲団を見ると真白である。上へ掛けるものも真白である。それを半分程 (はす)(はぐ)つて、(すそ)の方が厚く見える所を、()ける様に、女は窓を背にして腰を掛けた。足は(ゆか)に届かない。手に編針を持つてゐる。毛糸のたまが寝台の下に転がつた。女の手から長い赤い糸が筋を引いてゐる。三四郎は寝台の下から毛糸のたまを取り出してやらうかと思つた。けれども、女が毛糸には丸で無頓着でゐるので控へた。

 御母(おつか)さんが向側から、しきりに昨夜の礼を述べる。御忙しい所を抔と云ふ。三四郎は、いゝえ、どうせ遊んでゐますからと云ふ。二人が話をしてゐる間、よし子は黙つてゐた。二人の話が切れた時、突然、

「昨夜の轢死を御覧になつて」と聞いた。見ると部屋の隅に新聞がある。三四郎が、

「えゝ」と云ふ。

「怖かつたでせう」と云ひながら、少し首を横に曲げて、三四郎を見た。兄に似て(くび)の長い女である。三四郎は怖いとも怖くないとも答へずに、女の頸の曲がり具合を眺めてゐた。半分は質問があまり単純なので、答へに窮したのである。半分は答へるのを忘れたのである。女は気が付いたと見えて、すぐ頸を真直にした。さうして蒼白い頬の奥を少し(あか)くした。三四郎はもう帰るべき時間だと考へた。

 挨拶をして、部屋を出て、玄関正面へ来て、向を見ると、長い廊下の(はづれ)が四角に切れて、ぱつと明るく、(おもて)の緑が映る上がり口に、池の女が立つてゐる。はつと驚ろいた三四郎の足は、早速(さっそく)の歩調に狂ひが出来た。其時透明な空気の画布(カンバス)の中に暗く描かれた女の影は一歩(ひとあし)前へ動いた。三四郎も誘はれた様に前へ動いた。二人は一筋道(ひとすぢみち)の廊下の何所(どこ)かで()れ違はねばならぬ運命を以て互ひに近付いて来た。すると女が振り返つた。明るい(おもて)の空気のなかには、初秋(はつあき)の緑が浮いてゐる(ばかり)である。振り返つた女の眼に応じて、四角のなかに、現れたものもなければ、これを待ち受けてゐたものもない。三四郎は其間に女の姿勢と服装を頭のなかへ入れた。

 着物の色は何と云ふ名か分らない。大学の池の水へ、曇つた常磐木(ときわぎ)の影が映る時の様である。それを鮮やかな(しま)が、上から下へ貫ぬいてゐる。さうして其縞が貫ぬきながら波を打つて、互に寄つたり離れたり、重なつて太くなつたり、割れて二筋(ふたすぢ)になつたりする。不規則だけれども乱れない上から三分一の所を、広い帯で横に仕切つた。帯の感じには暖味(あたゝかみ)がある。黄を含んでゐるためだらう。

 後ろを振り向いた時、右の肩が、(あと)へ引けて、左の手が腰に添つた儘前へ出た。手帛(はんけち)を持つてゐる。其手帛の指に余つた所が、さらりと開いてゐる。絹の為だらう。――腰から下は正しい姿勢にある。 (青空文庫より)


◇解説

今話で女性たちの素性の答え合わせはとりあえず済むのだが、新たな謎・迷いが三四郎を悩ませる。


「戸の後へ(まは)つて、始めて正面に向いた時、五十あまりの婦人が三四郎に挨拶をした。此婦人は三四郎の身体がまだ扉の影を出ない前から席を立つて待つてゐたものと見える。「小川さんですか」と向ふから尋ねて呉れた」

…律儀な野々宮の母。


「顔は野々宮君に似てゐる。娘にも似てゐる。然したゞ似てゐるといふ丈である」

…三四郎にとって野々宮の母への印象が薄い様子。彼女に対して、彼の感情は特に動かなかった。しかし野々宮には世話になっているし、今は目の前の女がとても気になっている。粗相があってはならないと三四郎は考えているだろう。


「頼まれた風呂敷包を出すと、受取つて、礼を述べて、「どうぞ」と云ひながら椅子をすゝめた儘、自分は寝台(ベツド)の向側へ回つた」

…ここまでの様子から、どうやら三四郎の来訪について野々宮から既に電報なりが届いていたのだろう。目前のベッドにはとっても気になる女の子。その後ろにはママが控えているという、とても緊張する場面。三四郎の心臓はバクバクだ。

野々宮の母が「「小川さんですか」と向ふから尋ねて呉れた」わけだから、それに従って、「はい、はじめまして、小川と申します。これを野々宮さんから預かってきました」と挨拶してから「頼まれた風呂敷包を出す」べきだのに、三四郎は愛想がなく機転が利かない。23歳の男がこれではずいぶん頼りない。彼に社交の常識がないのではなく、ここは恥ずかしがっているのだが、野々宮ママは、「この人は口がきけないのかしら。非常識ね」と思うだろう。三四郎、減点である。


寝台(ベッド)の上に敷いた蒲団を見ると真白である」~「けれども、女が毛糸には丸で無頓着でゐるので控へた」。

…この部分の説明は、語り手と三四郎が一体化している。つまり、この語りのとおりに三四郎の視線が移動しているのだ。挨拶もろくにせずに、こんなにじろじろ見られたら、非常識な人だと思われても仕方ないだろう。またこれは一方で、気になる相手だから三四郎の視線があちこちに飛んだのだ。


ひとつずつ見ていく。

寝台(ベッド)の上に敷いた真白な蒲団、上掛蒲団も真白…よし子の純粋さ、清純さを表す。

・上掛けを半分程 (はす)(はぐ)つて、(すそ)の方が厚く見える所を、()ける様に、女は窓を背にして腰を掛けている…ベッドの上掛けの折り目が斜めに見え、空いたスペースに座るよし子のしどけなさ。正面から三四郎を見据えるよし子の体のまっすぐな線と上掛けの斜めの線の対照。

・足は(ゆか)に届かない…カワイイ。これをブラブラさせていたら、本当の「子供」になってしまうが。対象の小ささは、庇護の感情を抱かせるだろう。

・三四郎の視線は、次のようにたどる。手に持つ編針→毛糸のたまが寝台の下に転がつた→女の手から長い赤い糸が筋を引いてゐる。

まるで映画の一シーンのようだ。白いベッドから転がり落ちる赤い毛糸の玉。それはよし子の手に続いている。静かであまり動きのない白い病室を転がる赤。とても印象深いこのシーンを三四郎は忘れないだろう。

この場面は、さまざまなことを想像させる。

「赤」は女性性・血を表す。女性は毎月悩まされるものによって「赤」い血が流れる。まるでよし子から流れた血がベッドの下までこぼれているようで、ある意味エロティックな場面だ。よし子の女性性を強く感じさせられるとともに、彼女の病気は本当に大丈夫なのだろうかとも心配される。

また、「赤」は人と人との縁・つながりを表す。「赤」い糸によって、男女は結ばれる。


ごく簡単にさらりと述べられた文章なのだが、読者の豊かな想像を誘う漱石の巧みさに、いつもながら感心させられる。


美しい人から流れた鮮烈な血。

「三四郎は寝台の下から毛糸のたまを取り出してやらうかと思つた。けれども、女が毛糸には丸で無頓着でゐるので控へた」

…ここでよし子が「無頓着」なところがまたいい。物事にこだわらない、さっぱりとした様子。純粋さや素直さ、無邪気さが感じられる。またここは、よし子の興味・関心が毛糸よりも三四郎に向いていることも表す。


御母(おつか)さんが向側から、しきりに昨夜の礼を述べる。御忙しい所を抔と云ふ」

…赤い糸に視線を奪われている三四郎にかけられた、野々宮の母の言葉。礼を述べる常識をわきまえた人だ。また、この言葉によって三四郎は、想像の世界から現実に引き戻される。


「三四郎は、いゝえ、どうせ遊んでゐますからと云ふ」

…初対面の挨拶がちゃんとできなかった彼にしては、ウィットに富む合格点の答えだ。


「二人が話をしてゐる間、よし子は黙つてゐた」

…それを三四郎は意識している。彼の視線は母にあるが、興味・関心はすべてよし子に注がれている。三四郎はよし子を、見ていないけど見ている。自分たちの会話をどう思って聞いているのだろう。彼女は自分をどう評価しているのだろう。


「二人の話が切れた時、突然、「昨夜の轢死を御覧になつて」と聞いた。見ると部屋の隅に新聞がある」…ずいぶんいきなり単刀直入な質問だ。とにかく自分がいちばん興味があることを聞き、心のわだかまりを一刻も早く解決したいのだ。ただここは、話題が話題だけに、ためらいが欲しいところだ。よし子の子供っぽさ、純粋さを感じる。


「三四郎が、「えゝ」と云ふ」…この相手にはこう答えるのがベストだろう。


「「怖かつたでせう」と云ひながら、少し首を横に曲げて、三四郎を見た」

…疑問を抱いた子供のようなしぐさで三四郎を見るよし子。彼女は、「眼の大きな」人だ(3-12)。 首をかしげて大きな目でじっと見つめられたら、相手はその目に吸い込まれるような気がするだろう。


三四郎の視線は、(かし)げられた彼女の首に注がれる。

「兄に似て(くび)の長い女である。三四郎は怖いとも怖くないとも答へずに、女の頸の曲がり具合を眺めてゐた。半分は質問があまり単純なので、答へに窮したのである。半分は答へるのを忘れたのである」

…首が長いのは美人の特徴の一つ。今はそれが幼く折られ、大きな目で自分を見ている。そんなことをされたら、男性は一発だろう。恋に落ちないはずがない。三四郎から言葉を奪ったのも、そのせいだ。よし子の魅力に引き付けられ、まるで自分が馬鹿になったような気分。「答へるのを忘れた」とは、上手な表現だ。答えの内容も思い浮かばないし、そもそも答えることさえ忘れさせるよし子。


自分に見とれる三四郎の様子に「気が付いた」よし子は、「すぐ頸を真直にした。さうして蒼白い頬の奥を少し(あか)くした」。

初対面でのふたりのやり取りは、ふたりにとって大切な思い出となっただろう。こんな経験はめったにできるものではないし、何よりふたりは互いに相手に好感を持っている。ふたりの未来に幸あれと、読者は思うだろう。


ところがそうはならないのです。この後すぐ、あの女が登場するのです。そうして三四郎は、そちらにも気持ちが動いてしまうのです。ほんと多情でダメなヤツです。


「三四郎はもう帰るべき時間だと考へた」

…状況をわきまえる三四郎、グッジョブ。これ以上デレると、「ちょっとあんたたち、なにイチャイチャしてんの! まだ初対面でしょ! いい加減にしなさい!」と、ママに怒られます。


続く「池の女」の描写が詳しいのは、三四郎の視線が彼女にも強く引き付けられたからだ。またこれは、「池の女」が三四郎に自分を観察させるテクニックを使っているからでもある。男を魅了しようとする悪い女。

そもそも男は普通、女性を全体として見る。ここで詳細に述べられるような見方はしない。これは実際、そんなにあちこち細かく見ていたら、「ヘンタイ」と一蹴されるからでもあるが、女性の細部をいちいち鑑賞する趣味を、一般の男は持ち合わせていない。だからこの部分の三四郎の視線とその動きは、やや「ヘンタイ」的だ。これでは、「池の女」に「セクハラ」と訴えられても、勝てる見込みはない。


ここも、語り手の説明と三四郎の視線が一体となっている。

その内容を細かく見ていく。

「玄関正面へ来て、向を見ると、長い廊下の(はづれ)が四角に切れて、ぱつと明るく、(おもて)の緑が映る上がり口に、池の女が立つてゐる」

…正面玄関へ続く途中の廊下に立つ三四郎。長い廊下の外れに玄関はあり、上がり口が四角く切れ、キャンバスのように見える。玄関の外は明るく、その向こうの緑が()える。そこに「池の女」が立っていた。


「はつと驚ろいた三四郎の足は、早速(さっそく)の歩調に狂ひが出来た。其時透明な空気の画布(カンバス)の中に暗く描かれた女の影は一歩(ひとあし)前へ動いた。三四郎も誘はれた様に前へ動いた。二人は一筋道(ひとすぢみち)の廊下の何所(どこ)かで()れ違はねばならぬ運命を以て互ひに近付いて来た」

…以前心を捉われた「池の女」だと一目見て気付いた三四郎は、彼女を意識するあまり、普通に歩くことができなくなる。明るい玄関の四角い上り口は、透明な空気で作ったキャンバスのように見え、そこに立つ女は、まるでそのキャンバスに暗く影のように描かれた画中の人物のようだった。やがて絵の中の彼女は動き出す。それに促されるように三四郎も歩き出す。「二人は一筋道(ひとすぢみち)の廊下の何所(どこ)かで()れ違はねばならぬ運命を以て互ひに近付いて来た」とは、人生において出会うべくして出会う「運命」のふたりだったという意味を表す、象徴的な表現。


「すると女が振り返つた。明るい(おもて)の空気のなかには、初秋(はつあき)の緑が浮いてゐる(ばかり)である。振り返つた女の眼に応じて、四角のなかに、現れたものもなければ、これを待ち受けてゐたものもない。三四郎は其間に女の姿勢と服装を頭のなかへ入れた」

…この後すぐにわかるのだが、「池の女」が振り返ったことに理由は無い。それなのに彼女は振り返る。だから彼女のこの動作の目的は、三四郎に自分の姿を見せるためだ。そうして、三四郎に自分を強く印象付け、記憶させるためだ。この時三四郎は、「池の女」によって心に強くマーキングされたような状態だ。実際、三四郎は、女の思惑通り「其間に女の姿勢と服装を頭のなかへ入れた」。三四郎にそうさせるための、(すき)・時間の余裕を、彼女は与えたのだ。


「着物の色は何と云ふ名か分らない。大学の池の水へ、曇つた常磐木(ときわぎ)の影が映る時の様である。それを鮮やかな(しま)が、上から下へ貫ぬいてゐる。さうして其縞が貫ぬきながら波を打つて、互に寄つたり離れたり、重なつて太くなつたり、割れて二筋(ふたすぢ)になつたりする。不規則だけれども乱れない上から三分一の所を、広い帯で横に仕切つた。帯の感じには暖味(あたゝかみ)がある。黄を含んでゐるためだらう」

…池の表面に映る木の影に、鮮やかな縞が上から下へ流動的・不規則に貫く。波の乱れをスパっと区切る広い帯。とても印象的な着物のデザイン。


「後ろを振り向いた時、右の肩が、(あと)へ引けて、左の手が腰に添つた儘前へ出た。手帛(はんけち)を持つてゐる。其手帛の指に余つた所が、さらりと開いてゐる。絹の為だらう。――腰から下は正しい姿勢にある」

…「鮮やかな縞」の流れが印象的なデザインが、彼女が後ろを振り向くことによって(よじ)れる美。女性の体がひねられる曲線の美。そもそも女性は曲線の美を有しているが、体がひねられることによってそれがいっそう強調される。菱川師宣の「見返り美人図」という絵があるが、「池の女」の表情は見えない。彼女の顔と表情が見えない以上、その心情はこちらで推し量るしかない。それは三四郎の想像をたくましくさせる。今彼女は何を考えているのだろうかと。

さらに「池の女」は、恋のテクニックを駆使する。ハンカチを恋の小道具に利用するのだ。「左の手」を「腰に添」わせて「前へ出」し、その手には「手帛(はんけち)を持つてゐる」。「其手帛の指に余つた所が、さらりと開いてゐる」。何とも(あで)やかな色気を演出する美禰子。開いたハンカチを三四郎は「絹の為だらう」と推測するが、そうではない。わざとだ。彼女はわざとハンカチを開いている。何ならヒラヒラさせようとしている。このハンカチは、喩えるならばルアーだ。今三四郎は、彼女の疑似餌に誘われ、食いつく寸前の魚の状態。田舎から出て来たばかりの若い大学生を誘惑する悪い女。


そうして最後のとどめは、「腰から下は正しい姿勢にある」とあらためて三四郎に認識させていることだ。この不自然にひねられた腰は、エロ以外の何ものでもない。この女、全部わかってわざとやってます。自分を後ろから見つめる男の視線をはっきりと意識して。みなさん試しにやってみて下さい。「腰から下は正しい姿勢にある」まま、「後ろを振り向」くことがどれほど困難なことか! 中年以降の人には、大変危険な姿勢です。たちまちぎっくり腰。


三四郎は、傾けた首やひねられた腰に目が奪われる「屈折・屈曲フェチ」だ。そんなものがあるとは初めて知った。いや、男ならだれでも好きか。


先ほども述べたが、ここは物語にとって非常に象徴的な場面だ。

この後ふたりは、「池の女」=美禰子の動きに従って三四郎の心も動く。そのように「二人は一筋道(ひとすぢみち)の廊下の何所(どこ)かで()れ違はねばならぬ運命を以て互ひに近付いて来た」という象徴的な表現。


物語終幕部で美禰子は、「画布(カンバス)」の中に閉ざされる。

だから今話は、物語の伏線となっている。


それにしても三四郎君。

わずか一話の中でふたりの女性に魅了され、あっちへフラフラこっちへフラフラ。

授業をサボっていることなど、すっかり忘れてる。

そんなに浮かれて大丈夫?

後で手ひどいしっぺ返しが来なければいいのだが……

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