夏目漱石「三四郎」本文と解説3-9 遠い所で「あゝあゝ、もう少しの間だ」と云ふ声がした
◇本文
飯が済むと下女は台所へ下がる。三四郎は一人になる。一人になつて落ち付くと、野々宮君の妹の事が急に心配になつて来た。危篤な様な気がする。野々宮君の馳け付け方が遅い様な気がする。さうして妹が此間見た女の様な気がして堪らない。三四郎はもう一遍、女の顔付と眼付と、服装とを、あの時あの儘に、繰り返して、それを病院の寝台の上に乗せて、其傍に野々宮君を立たして、二三の会話をさせたが、兄では物足らないので、何時の間にか、自分が代理になつて、色々親切に介抱してゐた。所へ汽車が轟と鳴つて孟宗藪のすぐ下を通つた。根太の具合か、土質の所為か座敷が少し震へる様である。
三四郎は看病をやめて、座敷を見廻した。いか様古い建物と思はれて、柱に寂がある。其代り唐紙の立附が悪い。天井は真黒だ。洋燈許が当世に光つてゐる。野々宮君の様な新式な学者が、物数奇にこんな家を借りて、封建時代の孟宗藪を見て暮らすのと同格である。物数奇ならば当人の随意だが、もし必要に逼られて、郊外に自らを放逐したとすると、甚だ気の毒である。聞く所によると、あれ丈の学者で、月にたつた五十五円しか、大学から貰つてゐないさうだ。だから已を得ず私立学校へ教へに行くのだらう。それで妹に入院されては堪るまい。大久保へ越したのも、或はそんな経済上の都合かも知れない。……
宵の口ではあるが、場所が場所丈にしんとしてゐる。庭の先で虫の音がする。独りで坐つてゐると、淋しい秋の初めである。其時遠い所で誰か、
「あゝあゝ、もう少しの間だ」
と云ふ声がした。方角は家の裏手の様にも思へるが、遠いので確とは分からなかつた。また方角を聞き分ける暇ないうちに済すんで仕舞つた。けれども三四郎の耳には明らかに、此一句が、凡てに捨てられた人の、凡てから返事を予期しない、真実の独白と聞えた。三四郎は気味が悪くなつた。所へ又汽車が遠くから響いて来た。其音が次第に近付いて孟宗藪の下を通るときには、前の列車より倍も高い音を立てゝ過ぎ去つた。座敷の微震がやむ迄は茫然としてゐた三四郎は、石火の如く、先刻の嘆声と今の列車の響とを、一種の因果で結び付けた。さうして、ぎくんと飛び上がつた。其因果は恐るべきものである。
三四郎は此時、凝と座に着いてゐる事の極めて困難なのを発見した。脊筋から足の裏迄が疑惧の刺激でむづ/\する。立つて便所に行つた。窓から外を覗くと、一面の星月夜で、土手下の汽車道は死んだ様に静かである。それでも竹格子の間から鼻を出す位にして、暗い所を眺めてゐた。
すると停車場の方から提燈を点けた男が鉄軌の上を伝つて此方へ来る。話し声で判じると三四人らしい。提燈の影は踏切りから土手下へ隠れて、孟宗藪の下を通る時は、話し声丈になつた。けれども、其言葉は手に取る様に聞えた。
「もう少し先だ」
足音は向ふへ遠退いて行く。三四郎は庭先へ廻つて下駄を突掛(つゝか)けた儘孟宗藪の所から、一間余の土手を這ひ下りて、提燈のあとを追掛て行つた。 (青空文庫より)
◇解説
「飯が済」み、「下女は台所へ下が」り、三四郎は「一人になつて落ち付くと、野々宮君の妹の事が急に心配になつて来た」。
・危篤?→野々宮君の馳け付け方が遅い様な気がする。妹が此間見た女の様な気がして堪らない。
・三四郎は妄想のキャンバスに「女の顔付」「眼付」「服装」を貼り付け、「それを病院の寝台の上に乗せ」、「其傍に野々宮君を立たして、二三の会話をさせた」。
・とうとうしまいには「兄では物足らないので、何時の間にか、自分が代理になつて、色々親切に介抱してゐた」。妄想全開の三四郎。しかしこのようなことは、若い男ならだれでもすることだ。だから三四郎は責められない。むしろ健全と言っていい。
いかにも若者らしい健全な空想に励む三四郎だが、漱石は彼に、人生のもう一つの面・裏面を提示する。三四郎の体の中に熱く流れる血も、いつかは死に向かう。続く部分には、轢死事件が描かれる。
三四郎が空想に耽っていた「所へ汽車が轟と鳴つて孟宗藪のすぐ下を通つた。根太の具合か、土質の所為か座敷が少し震へる様である」。ここからはしばし、家の建付けやそれに伴う野々宮の待遇についての話題になる。3-7にもすでに、野々宮の家のひどさが述べられていた。
・「いか様古い建物と思はれて、柱に寂がある」。「唐紙の立附が悪い。天井は真黒だ。洋燈許が当世に光つてゐる」。
・「野々宮君の様な新式な学者」は、「物数奇にこんな家を借り」たのではなく、「必要に逼られて、郊外に自らを放逐したとすると、甚だ気の毒である」。「聞く所によると、あれ丈の学者で、月にたつた五十五円しか、大学から貰つてゐないさうだ。だから已を得ず私立学校へ教へに行くのだらう。それで妹に入院されては堪たまるまい。大久保へ越したのも、或はそんな経済上の都合かも知れない……」。
研究者の待遇の悪さは昔も今も変わらない。世界に誇る研究を行っている野々宮への大学(国)の扱いの悪さ。地道な研究は世界に誇るべきものであり、ひいては日本の存在を世界に誇示することになると作者は考えている。
「宵の口」、「しんとしてゐる」。「庭の先で虫の音がする」。「淋しい秋の初め」に「独り」を感じる三四郎。
「其時遠い所で誰か、「あゝあゝ、もう少しの間だ」と云ふ声がした」。この声の主は、これから轢死する若い女性。そのことに三四郎はまだ思い至らない。
「方角は」「遠いので確とは分からなかつた。また方角を聞き分ける暇ないうちに済すんで仕舞つた」。「けれども三四郎の耳には明らかに、此一句が、凡てに捨てられた人の、凡てから返事を予期しない、真実の独白と聞えた。三四郎は気味が悪くなつた」。
「所へ又汽車が遠くから響いて来た。其音が次第に近付いて孟宗藪の下を通るときには、前の列車より倍も高い音を立てゝ過ぎ去つた」。線路に立つ女の姿を認めた運転手が、急ブレーキをかけたからだろう。
「茫然としてゐた三四郎は、石火の如く、先刻の嘆声と今の列車の響とを、一種の因果で結び付けた。さうして、ぎくんと飛び上がつた。其因果は恐るべきものである」。
自殺者の最後の言葉、「凡てに捨てられた人の、凡てから返事を予期しない、真実の独白」という言葉が、三四郎と読者の心に深く沈む。
「凝と座に着いてゐる事の極めて困難」だった三四郎は、「立つて便所に行つた。窓から外を覗くと、一面の星月夜で、土手下の汽車道は死んだ様に静かである。それでも竹格子の間から鼻を出す位にして、暗い所を眺めてゐた」。夜の暗闇は、死の領域だ。そちらをじっと「眺め」る三四郎。
「すると停車場の方から提燈を点けた男が鉄軌の上を伝つて此方へ来る」。「もう少し先だ」と「足音は向ふへ遠退いて行く。三四郎は庭先へ廻つて下駄を突掛(つゝか)けた儘孟宗藪の所から、一間余の土手を這ひ下りて、提燈のあとを追掛て行つた」。
大学での新しい生活、人生においてこれまで出会ったことのないユニークな男と女。希望に燃え、未来を「だらしなく」思い描く彼に厳しく突き付けられた「あゝあゝ、もう少しの間だ」という、「凡てに捨てられた人の、凡てから返事を予期しない、真実の独白」。若い三四郎には、死はまだ遠い存在だ。自分が病気になったり老いたりすることなど、考えたことも無いだろう。それが若さの特権でありいいところでもある。
しかし漱石は三四郎に教えようとしている。生きるとはどういうことか。死とはどういうことか。死に至るには様々な事情があること。それは病気かもしれないし、何か他の理由かもしれない。まだまだ未熟な彼は、さまざまな考え方や人との出会いの喜びとともに、人の死の悲しさや辛さも知らなければならない。そう漱石は考えている。
だから漱石は三四郎を、死の現場に立ち会わせる。死をその目でしっかり見つめよと。
三四郎は「土手を這ひ下りて、提燈のあとを追掛て行つた」