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夏目漱石「三四郎」本文と解説3-8 「妹が病気をして、大学の病院に這入つてゐるんですが、すぐ来てくれと云ふんです。なに妹の悪戯でせう。馬鹿だから、よくこんな真似をします」

◇本文

 三四郎は澄ましてゐる訳にも行かず、と云つて無暗に立入つた事を聞く気にもならなかつたので、たゞ、

「何か出来ましたか」と棒の様に聞いた。すると野々宮君は、

「なに大した事でもないのです」と云つて、手に持つた電報を、三四郎に見せて呉れた。すぐ来てくれとある。

何所(どこ)かへ御出でになるのですか」

「えゝ、妹が此間から病気をして、大学の病院に這入つてゐるんですが、其奴(そいつ)がすぐ来てくれと云ふんです」と一向騒ぐ気色もない。三四郎の方は却つて驚ろいた。野々宮君の妹と、妹の病気と、大学の病院を一所に(まと)めて、それに池の周囲(まはり)で逢つた女を加へて、それを(いち)どきに掻き(まは)して、驚ろいてゐる。

「ぢや余程御悪いんですな」

「なに左様(さう)ぢやないんでせう。実は母が看病に行つてるんですが、――もし病気の為なら、電車へ乗つて馳けて来た方が早い訳ですからね。――なに妹の悪戯(いたづら)でせう。馬鹿だから、よくこんな真似をします。此所(こゝ)へ越してからまだ一遍も行かないものだから、今日の日曜には来ると思つて待つてゞもゐたのでせう、それで」と云つて首を横に曲げて考へた。

「然し御出でになつた方が()いでせう。もし悪いと不可(いけ)ません」

左様(さやう)。四五日行かないうちにさう急に変る訳もなささうですが、まあ行つて見るか」

「御出でになるに()くはないでせう」

 野々宮は行く事にした。行くと()めたに就ては、三四郎に依頼(たのみ)があると云ひ出した。万一病気の為めの電報とすると、今夜は帰れない。すると留守が下女一人になる。下女が非常に臆病で、近所が殊の外物騒である。来合せたのが丁度幸だから、明日の課業に差支がなければ(とま)つて呉れまいか、尤も(ただ)の電報ならば()ぐ帰つてくる。前から分かつてゐれば、例の佐々木でも頼む筈だつたが、今からではとても間に合はない。たつた一晩の事ではあるし、病院へ泊まるか、泊まらないか、まだ分からない先から、関係もない人に、迷惑を掛けるのは我儘過ぎて、強ひてとは云ひかねるが、――無論野々宮はかう流暢には頼まなかつたが、相手の三四郎が、さう流暢に頼まれる必要のない男だから、すぐ承知して仕舞つた。

 下女が御飯はと云ふのを、「食はない」と云つた儘、三四郎に「失敬だが、君一人で、後で食つて下さい」と夕食(ゆふめし)迄置き去りにして、出て行つた。行つたと思つたら暗い萩の間から大きな声を出して、

「僕の書斎にある本は何でも読んで()いです。別に面白いものもないが、何か御覧なさい。小説も少しはある」

 と云つた儘消えてなくなつた。縁側迄見送つて三四郎が礼を述べた時は、三坪程な孟宗藪の竹が、(まば)らな丈に一本 (ずつ)まだ見えた。

 間もなく三四郎は八畳敷の書斎の真中で小さい膳を控へて、晩食を食つた。膳の上を見ると、主人の言葉に(たが)はず、かのひめいちが()いてゐる。久し振で故郷(ふるさと)(にほひ)()いだ様で嬉しかつたが、飯は其割に旨くなかつた。御給仕に出た下女の顔を見ると、是も主人の言つた通り、臆病に出来た眼鼻であつた。 (青空文庫より)


◇解説

前話で野々宮の家を夕方に訪れた三四郎。「二人がひめいちに就て問答をしてゐるうちに、日が暮れた。三四郎はもう帰らうと思つて挨拶をしかける所へ、どこからか電報が来た。野々宮君は封を切つて、電報を読んだが、口のうちで、「困つたな」と云つた」に続く部分。

今話は物語を次につなぐ役割を持った部分だが、普通であれば説明的になってしまうところを、ウィットに富んだ表現をいくつか織り交ぜており、読者は飽きずに読み通すことができる。


野々宮の「困ったな」というつぶやきに、「三四郎は澄ましてゐる訳にも行かず、と云つて無暗に立入つた事を聞く気にもならなかつたので、たゞ、「何か出来ましたか」と棒の様に聞いた」。「棒の様に」が面白い。できるだけ感情を加えずに、わざと機械的に聞くことで、野々宮に配慮・遠慮していることがわかる。

野々宮は、「「妹が此間から病気をして、大学の病院に這入つてゐるんですが、其奴(そいつ)がすぐ来てくれと云ふんです」と一向騒ぐ気色もない」。普通であれば、妹が大学病院に入院しているとあれば、身内であり、しかも重い病気かと心配するだろう。そこから「すぐ来てくれ」という電報が届いたとあれば、真っ先に「すわ危篤か」と動揺するだろう。それなのに野々宮は「一向騒ぐ気色もない」ので、「三四郎の方は却つて驚ろいた」。

「野々宮君の妹(若い女性! どんな人だろう)と、妹の病気(何の病気で入院してるんだろう?)と、大学の病院(重い病気なのか?)を一所に(まと)めて、それに池の周囲(まはり)で逢つた女(この間自分を魅惑した彼女が野々宮の妹?)を加へて、それを(いち)どきに掻き(まは)して、驚ろいてゐる」。「(いち)どきに掻き(まは)して、驚ろいてゐる」も面白い表現だ。女性と病気と魅惑とに関する、様々な?が三四郎の胸に渦巻く様子。しかも彼は様々勝手に妄想しているので、「掻き(まは)して」という能動的な表現なのだ。

その結果出て来たのが、「ぢや余程御悪いんですな」という三四郎らしい短い言葉だった。


野々宮は事情を説明する。

「なに(それほどの心配には及びません)左様(さう)ぢやないんでせう。実は母が看病に行つてるんです(母が付き添っているから大丈夫なのです)が、――もし病気の為なら(急変ということならば)、(母が)電車へ乗つて馳けて来た方が早い訳ですからね。――なに(いつもの)妹の悪戯(いたづら)でせう。(ホントあいつは)馬鹿だから、よくこんな真似をします(いたずらで、困ったものです)。此所(こゝ)へ越してからまだ一遍も行かないものだから、今日の日曜には来ると思つて待つてゞもゐたのでせう(勝手なヤツです)、それで(いつまで待っても兄が来ないから、こんないたずらをわざわざしたのでしょう)」と云つて首を横に曲げて考へた」。妹への疑念と、万一真実の電報であれば対応しないわけにもいかないという困惑が、野々宮の「横に曲げ」た「首」に表れる。

それを見て取った三四郎は、野々宮を(おもんぱか)る。

「然し御出でになつた方が()いでせう。もし悪いと不可(いけ)ません」。

左様(さやう)。四五日行かないうちにさう急に変る訳もなささうですが、まあ行つて見るか」

三四郎の促しに、野々宮は素直に応ずる。

「御出でになるに()くはないでせう」という三四郎の心には、さまざまな思いが存在する。野々宮の妹が池の女なのか。その病気は本当に大丈夫なのか。電報は危篤かいたずらか。いずれにしても、妹は野々宮が来るのを待っている。三四郎には、純粋に野々宮とその妹を案ずる優しさがある。また、若い女性への関心が高まっている。


「行くと()めた」野々宮は、「三四郎に依頼(たのみ)があると云ひ出した」。真実に病気の急変である場合、「今夜は帰れない」。「下女が非常に臆病で、近所が殊の外物騒である」から、「明日の課業に差支がなければ(とま)つて呉れまいか、尤も(ただ)の電報ならば()ぐ帰つてくる」。「佐々木でも頼む筈だつたが、今からではとても間に合はない」。「関係もない人に、迷惑を掛けるのは我儘過ぎて、強ひてとは云ひかねるが」。

「無論野々宮はかう流暢には頼まなかつたが、相手の三四郎が、さう流暢に頼まれる必要のない男だから、すぐ承知して仕舞つた」。臆病な下女を気遣う野々宮の優しさ。また彼が突然このようなことを依頼する・できるのは、三四郎への親しみがあるからだ。ふたりはよき先輩と後輩でありまた男の兄弟のようだ。

「相手の三四郎が、さう流暢に頼まれる必要のない男だから、すぐ承知して仕舞つた」というのが面白い。語り手が三四郎をややバカにしたような表現だがそうではない。三四郎は細かいことにこだわらずに人の依頼を受けてあげる、さっぱりとした優しい人なのだ。だから野々宮は彼に依頼したのだ。


いたずらの可能性が高いにもかかわらず、それでもやはり妹が心配な野々宮は、「夕食(ゆふめし)迄置き去りにして、出て行つた」。これも面白い比喩表現だ。当然「夕食」は人ではない。それをあたかも人のように喩えて「置き去りにして」と表現している。ここも語り手と三四郎が一体となっており、野々宮が慌ただしく家を出るさまをこのように捉える三四郎のウィットを感じる。

この場面から三四郎の、さっぱりとし、人を思い、ウィットに富む性格が感じられる。


「僕の書斎にある本は何でも読んで()いです。別に面白いものもないが、何か御覧なさい。小説も少しはある」と野々宮が言ったのは、大学の文科(文学部)に入学したことを知っている野々宮が、暇つぶしに良いだろうと配慮したからだ。彼も気配りのできる人だ。


「と云つた儘消えてなくなつた。縁側迄見送つて三四郎が礼を述べた時は、三坪程な孟宗藪の竹が、(まば)らな丈に一本 (ずつ)まだ見えた」。

…この表現は、やや不穏な気配を感じる。野々宮は「消えてなくなつた」。後に残ったのは「孟宗藪の竹が、(まば)らな丈に一本 (ずつ)」。この物語ではそこまでには至らないが、このような表現は、やがて野々宮に不幸が訪れ、あとに残された人たちはそれぞれ孤独に(さいな)まれる、という未来に続く伏線となっていることが多い。


「間もなく三四郎は八畳敷の書斎の真中で小さい膳を控へて、晩食を食つた」。

…主人も誰もいない広い「書斎の真中」にいて、「小さい膳を控へて」ひとりぽつんと座る三四郎の姿がイメージされる。「膳の上」には「かのひめいちが()いてゐる」。「久し振」の「故郷(ふるさと)(にほひ)」は「嬉しかつた」。しかし「飯は其割に旨くなかつた」。料理が下手な下女なのだ。「御給仕に出た下女の顔を見ると、是も主人の言つた通り、臆病に出来た眼鼻であつた」。この表現も面白い。「給仕に出た下女は、いかにも臆病そうな顔つきだった」でもいいのだが、「臆病に出来た眼鼻であった」の方が、より具体的にイメージできる。「顔つき」だとぼんやりしているのに対し、「眼鼻」と言われると読者は、福笑いの遊びのように下女の顔の輪郭に眼と鼻を配置するだろう。そのような楽しみも、漱石は我々に与えてくれる。


〇明治時代の「下女」について

漱石の他の物語でもそうなのだが、どんなに貧しい家にも、必ず「下女」がいる。野々宮も貧乏研究者であり、病気の妹もいて治療費もかかるだろうのに、「下女」を雇っている。当時の家に「下女」がいることはごく当たり前のことだったのだ。今ならば家事は自分たちでやるのが当たり前だが、その衣食住の手当てを考えても、よほど安い待遇での雇用だったのだろう。身寄りのあるなしにかかわらず、女性の自立のためには、「下女」という職業が当時はあって、良かった部分もあったのかもしれない。


ところで、三四郎が夕方に野々宮の家を訪れ、急な留守を頼まれるという設定は、この後に続く轢死事件を三四郎に体験させるためだ。

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