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夏目漱石「三四郎」本文と解説1-2「女の鬢(びん)がふわふわする所が三四郎の眼に這入(はい)つた」

◇本文

 爺さんに続いて下りたものが四人程あつたが、入れ(かは)つて、乗つたのはたつた一人しかない。(もと)から込み合つた客車でもなかつたのが、急に淋しくなつた。日の暮れた所為(せゐ)かも知れない。駅夫が屋根をどし/\踏んで、上から()()いた洋燈(らんぷ)を挿し込んで行く。三四郎は思ひ出した様に前の停車場で買つた弁当を食ひ出した。

 車が動き出して二分も立つたらうと思ふ頃例の女はすうと立つて三四郎の横を通り越して車室の外へ出て行つた。此時女の帯の色が始めて三四郎の眼に這入(はい)つた。三四郎は鮎の煮浸(にびたし)の頭を(くわ)へた儘女の後姿を見送つてゐた。便所に行つたんだなと思ひながら(しき)りに食つてゐる。

 女はやがて帰つて来た。今度は正面が見えた。三四郎の弁当はもう仕舞掛けである。下を向いて一生懸命に箸を突込んで二口三口頬張つたが、女は、どうもまだ元の席へ帰らないらしい。もしやと思つて、ひよいと眼を挙げて見ると矢っ張り正面に立つてゐた。然し三四郎が眼を挙げると同時に女は動き出した。只三四郎の横を通つて、自分の座へ帰るべき所を、すぐと前へ来て、身体を横へ向けて、窓から首を出して、静かに外を眺め出した。風が強くあたつて、(びん)がふわ/\する所が三四郎の眼に這入(はい)つた。此時三四郎は空になつた弁当の(おり)を力一杯に窓から放り出した。女の窓と三四郎の窓は一軒置きの隣であつた。風に逆らつて()げた折の(ふた)が白く舞ひ戻つた様に見えた時、三四郎は飛んだ事をしたのかと気が付いて、不途(ふと)女の顔を見た。顔は生憎(あいにく)列車の外に出てゐた。けれども女は静かに首を引っ込めて更紗(さらさ)手帛(はんけち)で額の所を丁寧に拭き始めた。三四郎は兎も角も謝まる方が安全だと考へた。

「御免なさい」と云つた。

 女は「いゝえ」と答へた。まだ顔を拭いてゐる。三四郎は仕方なしに黙つて仕舞つた。女も黙つて仕舞つた。さうして又首を窓から出した。三四人の乗客は暗い洋燈(らんぷ)の下で、みんな寐ぼけた顔をしてゐる。口を利いてゐるものは誰もない。汽車丈が凄じい音を立てゝ行く。三四郎は眼を(ねむ)つた。

 しばらくすると「名古屋はもう(ぢき)でせうか」と云ふ女の声がした。見ると何時(いつ)の間にか向き直つて、及び腰になつて、顔を三四郎の(そば)迄持つて来てゐる。三四郎は驚ろいた。

「さうですね」と云つたが、始めて東京へ行くんだから一向要領を得ない。

「此分では(おく)れますでせうか」

「後れるでせう」

「あんたも名古屋へ御下(おお)りで……」

「はあ、下ります」

 此汽車は名古屋 (どま)りであつた。会話は(すこぶ)る平凡であつた。只女が三四郎の筋向(すぢむか)ふに腰を掛けた(ばかり)である。それで、しばらくの間は又汽車の音丈になつて仕舞ふ。

 次の駅で汽車が留つた時、女は漸く三四郎に名古屋へ着いたら迷惑でも宿屋へ案内して呉れと云ひだした。一人では気味が悪いからと云つて、(しき)りに頼む。三四郎も尤もだと思つた。けれども、さう快く引き受ける気にもならなかつた。何しろ知らない女なんだから、頗る躊躇したにはしたが、断然断わる勇気も出なかつたので、まあ()い加減な生返事をして居た。其うち汽車は名古屋へ着いた。


(青空文庫より)

◇解説

(もと)から込み合つた客車でもなかつた」車両は、「爺さんに続いて下りたものが四人程あつたが、入れ(かは)つて、乗つたのはたつた一人しかない」ため、「急に淋しくなつた」。閑散とする車内。さらに日も暮れ、駅夫が「屋根をどし/\踏んで、上から()()いた洋燈(らんぷ)を挿し込んで行く」。物語の舞台の範囲が狭められ、三四郎の視線も、当然女に向かうことになる。これがもし舞台であれば、全体を照らしていたライトが、次第に三四郎と女がいる範囲だけに絞られるだろう。客席に座る我々の視線も、ふたりに注がれる。舞台の視界の範囲をライトで区切ることによって、観客の視線を見せたいものに集中させることができるのだ。これにより、三四郎と女二人だけの世界ができ上る。


この手法は、芥川龍之介の「羅生門」にも用いられる。

「雨は、羅生門をつゝんで、遠くから、ざあつと云ふ音をあつめて來る。夕闇は次第に空を低くして、見上げると、門の屋根が、斜につき出した(いらか)(さき)に、重たくうす暗い雲を支へてゐる」

この部分を、私は次のように解釈した。

「私はここを読むといつも、次のようなイメージがわく。羅生門近辺を写していた映像の範囲が次第に狭められ、ますます羅生門を打つ雨は強くなる。あたりの闇はさらに濃くなり、死の世界は、その勢力を、下界へと拡大しつつある。カメラは、羅生門にズームインする。羅生門は死と悪が凝縮した場所となる」(「芥川龍之介「羅生門」を読む4~奇妙な語り手」をご覧ください)


ふたりは次にそれぞれの動きを見せる。

三四郎は弁当を食べ始め、女はトイレへと向かう。これによって舞台上に動きが生じる。読者の視線も、それぞれの動きに応じて移動する。そこまで考えて、漱石は物語を作っている。


「車が動き出して二分も立つたらうと思ふ頃例の女はすうと立つて三四郎の横を通り越して車室の外へ出て行つた。此時女の帯の色が始めて三四郎の眼に這入(はい)つた。三四郎は鮎の煮浸(にびたし)の頭を(くわ)へた儘女の後姿を見送つてゐた。便所に行つたんだなと思ひながら(しき)りに食つてゐる」

…座ることで腰が折れ、見えなかった「女の帯の色が始めて三四郎の眼に這入(はい)つた」。三四郎の視線が女の腰に注がれているエロティックな場面。女の動きに合わせて腰元にくぎ付けになる。女の顔を直視することはできないので、彼女の視線が外れた瞬間を狙って、自分から見える範囲のものをできるだけ見ようとする三四郎。若い男が女性を性的に見ている様子。

彼をはたから見ると「鮎の煮浸(にびたし)の頭を(くわ)へた儘女の後姿を見送つてゐた」という間抜けな状況だ。関心の対象が視界から外れたので、「便所に行つたんだなと思ひながら(しき)りに食つてゐる」。幼く無邪気な子供は、いまは食欲が勝っている。


「女はやがて帰つて来た。今度は正面が見えた。三四郎の弁当はもう仕舞掛けである。下を向いて一生懸命に箸を突込んで二口三口頬張つたが、女は、どうもまだ元の席へ帰らないらしい」。

…「下を向いて一生懸命に箸を突込んで二口三口頬張つた」は、三四郎のポーズだ。女が前に立っているのでそれをまったく気にしていないと思わせるため、そうする必要がないことをわざとしている場面。トイレから帰ってくる女の姿が正面から遠目に見える。それに気づいた三四郎がした演技。彼の目線も「下を向いて」いるから、女の様子がしかとは分からない。自分の前に立っている様子は察せられる。


「もしやと思つて、ひよいと眼を挙げて見ると矢っ張り正面に立つてゐた」。

…当然三四郎は、「何をしているのだろう。何か自分に用があるのか」と、やや驚きつつ見上げているだろう。


「然し三四郎が眼を挙げると同時に女は動き出した」

…女は明らかに三四郎を意識した行動を取っている。


「只三四郎の横を通つて、自分の座へ帰るべき所を、すぐと前へ来て、身体を横へ向けて、窓から首を出して、静かに外を眺め出した」。

…この女の動作にも、演技が感じられる。彼女は自分の姿を、わざと三四郎に見せようとしている。ふたりは今、座席に座り対面している状態。


「風が強くあたつて、(びん)がふわ/\する所が三四郎の眼に這入(はい)つた」。

…女はやはり、「(びん)がふわ/\する所」を三四郎に見せている。男であれば、この状況では、少なくとも何かを話しかける場面。女は明らかに、三四郎からのアプローチを待っている。


「此時三四郎は空になつた弁当の(おり)を力一杯に窓から放り出した」。

…ここで腰が砕けた読者が大多数だろう。ここは何か気の利いた言葉を、男は女に語り掛ける場面だ。それを誘って演技していた女からすれば、「いきなり何すんねん」のひとことだ。社会常識が欠け、女性や恋の経験値がゼロの九州の田舎の学生は、何をしでかすかわからない。甘い恋のムード作りに励んでいた女の驚きと衝撃は極大だったろう。ここでふたりは男と女ではなく、加害者と被害者となった。


「女の窓と三四郎の窓は一軒置きの隣であつた。風に逆らつて()げた折の(ふた)が白く舞ひ戻つた様に見えた時、三四郎は飛んだ事をしたのかと気が付いて、不途(ふと)女の顔を見た」。

…自分の行為によって何が起こるのかということに全く思い至らない三四郎。女とは反対方向に投げたつもりの弁当の蓋が、風に吹かれて舞い戻り、運悪く女の額をヒット。狙ったわけでなくても、これは言い訳ができない。そもそも隣の女が開いた窓の外を眺めているところにわざわざ弁当の折を放り投げたのだから。「風に逆らつて()げた折の(ふた)が白く舞ひ戻つた様に見えた」の部分の映像が、目に浮かぶようだ。「飛んだ事をしたのかと気が付」くのが遅すぎる。折を投げる前に気づかなければならない。「不途(ふと)」見られた女も、どういう「顔」をすればいいかわからないだろう。最悪の出会い方だ。


「顔は生憎(あいにく)列車の外に出てゐた。けれども女は静かに首を引っ込めて更紗(さらさ)手帛(はんけち)で額の所を丁寧に拭き始めた」。

…静かに気取ったポーズを取っていた女が、自分の計略にみそをつけられた形。彼女の心は、三四郎の野卑なふるまいへの憎悪と、自分のポーズが台無しになった羞恥とがないまぜになっている。だから女は、「静かに首を引っ込めて更紗(さらさ)手帛(はんけち)で額の所を丁寧に拭き始めた」のだ。ここは、それほど気にしないという冷静な対応が得策だ。


これは三四郎も同じで、「三四郎は兎も角も謝まる方が安全だと考へ」、「「御免なさい」と云つた」。ここは素直に謝罪するに限る。

なにせ女の素性がわからない。暗い車内で若い学生にカマをかける女は、ろくなものではない。また、女の意図もわからない。


「女は「いゝえ」と答へた。まだ顔を拭いてゐる。三四郎は仕方なしに黙つて仕舞つた。女も黙つて仕舞つた。さうして又首を窓から出した」。

…あくまでも落ち着いた女の様子。学生相手に本気で怒っても仕方がないと思ったのか、それまでの自分の誘惑を反省したのか。ふたりとも「黙つて仕舞」い、気まずい空間が広がる。

ここで女が何を心に描いて窓の外を見ているのかが、三四郎も読者も気になるところだ。


「三四人の乗客は暗い洋燈(らんぷ)の下で、みんな寐ぼけた顔をしてゐる。口を利いてゐるものは誰もない。汽車丈が凄じい音を立てゝ行く。三四郎は眼を(ねむ)つた」。

…他には「三四人の乗客」しかいない、「暗い洋燈(らんぷ)の下」。真に覚醒している者は三四郎と女だけという閉ざされた空間。「口を利いてゐるものは誰もない」静けさの中、「汽車丈が凄じい音を立てゝ行く」。長旅の三四郎は、再び「眼を(ねむ)」る。


「うとうととして目がさめると」で始まるこの物語の冒頭部は、このように三四郎が何度も眠りの世界へ移行する。汽車での長旅という設定ではあるが、彼は夢とうつつを行き来し、様々な人たちと出会う。

また、それまで触れ合うことのなかった人々との交流は、上京する汽車の中という舞台設定だからこそ可能だった。三四郎はこれから様々な人と出会い、影響を受け、東京での大学生活を過ごす。青春という限られた時間の中で、彼がどのように成長していくのかを読み取ることが、「三四郎」の楽しみ方だろう。


それにしてもこの女との、衝撃的な出会い。汽車の窓から捨てた弁当の蓋が、運悪く女性の顔に当たってしまうなどという設定は、なかなか思いつかないだろう。この突拍子もない出会いは、この後さらに突拍子もない経験を、三四郎にさせる。


また、当時はゴミを車外へ平気で投げ捨てていたことが分かる。これは三四郎だけでなく、この後に出会う広田先生も同様の行動を取る。マナーの観念が今とは違う。

「散々食ひ散らした水蜜桃の核子(たね)やら皮やらを、一纏めに新聞に(くる)んで、窓の外へ()げ出した。」(1-7)



「しばらくすると「名古屋はもう(ぢき)でせうか」と云ふ女の声がした。見ると何時(いつ)の間にか向き直つて、及び腰になつて、顔を三四郎の(そば)迄持つて来てゐる。三四郎は驚ろいた」。

…「眼を(ねむ)つ」ていた三四郎に突然語り掛けた女。その「声がし」て、三四郎は目を開く。次の瞬間目に入ったのは、いつの間にか自分のすぐそばにあった女の顔だった。かなりの距離の近さに、女に慣れない三四郎には、「驚」きしかない。汽車の座席に対面で座り、しかも相手は及び腰になって顔を近づけているのだから。

「この女はいったい何者なのだろう。何のためにそのようなことを自分に対ししているのだろう。自分を気に入っているのか。自分を誘っているのか。ちょっかいを出しているのか。バカにしているのか。それに対し自分はどう対応すればいいのか……」 それらの様々なことが、この時三四郎の心に浮かんだだろう。しかしそれをそのまま直接相手の女に問うことはできない。だから三四郎は、先ほどの女の「名古屋はもう(ぢき)でせうか」という問いの答えとして最も適切な、「さうですね」という曖昧な答えをしたのだ。しかし実際は、「始めて東京へ行くんだから一向要領を得ない」。


「「此分(このぶん)では(おく)れますでせうか」

「後れるでせう」」

…この「後れるでせう」に客観的な根拠はない。相手に合わせたのだ。


「「あんたも名古屋へ御下(おお)りで……」

「はあ、下ります」

 此汽車は名古屋 (どま)りであつた。会話は(すこぶ)る平凡であつた」

…「名古屋 (どま)り」であるからには、当然ふたりとも名古屋で降りることになる。それを知ってか知らずか、会話をつなげるためか、女は「あんたも名古屋へ御下(おお)りで……」と尋ねるとも尋ねないとも曖昧に話しかける。ここには女のためらいが感じられ、その理由は次に明らかとなる。


「次の駅で汽車が留つた時、女は漸く三四郎に名古屋へ着いたら迷惑でも宿屋へ案内して呉れと云ひだした。一人では気味が悪いからと云つて、(しき)りに頼む。三四郎も尤もだと思つた。けれども、さう快く引き受ける気にもならなかつた。何しろ知らない女なんだから、頗る躊躇したにはしたが、断然断わる勇気も出なかつたので、まあ()い加減な生返事をして居た。其うち汽車は名古屋へ着いた」

…先ほどの、「あんたも名古屋へ御下(おお)りで……」の続きが、女の口からやっと語られた部分。「……」と「漸く」がそれを表す。

しかしその依頼内容がどうも怪しい。初対面で素性も分からぬ相手に、「名古屋へ着いたら迷惑でも宿屋へ案内して呉れ」と言い出した女。「一人では気味が悪いから」は、その依頼の理由付けとしては「尤も」なものだ。女性の一人旅である。「けれども、さう快く引き受ける気にもならなかつた。何しろ知らない女なんだから」。「頗る躊躇したにはしたが、断然断わる勇気も出なかつたので、まあ()い加減な生返事をして」いるうちに、「汽車は名古屋へ着いた」。「躊躇」を消したもの・理由は、「断然断わる勇気も出なかつた」からだと考える三四郎。ここで「断わる」のに「勇気」は不要であり、だからこの表現は言い訳だ。次の、「まあ()い加減な生返事をして居た」も併せて、彼は明らかに女の誘いに自ら乗ろうとしているというのが正直なところだ。

この時の三四郎は、旅先であること、これからの新生活に心が躍っていることなどの理由で、新たな出会いに期待しているだろう。そこに現れた異性。しかもこれまでの彼女のふるまいを見ると、何やら自分を誘っているようにも感じられる。チャンスがあれば女性と懇意になろうと期待するのは、若い男性には当然の事だろう。

幸い相手から、「宿屋へ案内して呉れ」と言い出した。この言葉に思わず乗ってしまう三四郎の心は、次第に「躊躇」の範囲が小さくなり、やがて期待で膨らむだろう。


三四郎には、女性の顔に食べ終わった弁当の汚い蓋を当ててしまった弱みがある。その罪滅ぼしとして、彼女の依頼に答える必要もあるだろう。従って、三四郎が女を適当な宿に送るまではいい。この後彼はその(のり)()える。


〇「あんた」という呼称について

「時代区分は大きく前期と後期に二分し、明治初年から二十年代までを前期、三十年代以降を後期として考えながら資料に現れる会話文を対象として考察していく」。

「「アンタ」は男女ともに使用自体が非常に少なく、後期になると男性からは使用がなくなる。女性においてもく表 2>からわかるように一部にしか現れていない。使用者の例については第 3節で扱うことにする」。

「次に「アンタ」について簡単にみたい。前期では男女ともに主に一部の下層階級(男性:奉公人、馬士、茶店の爺さん、女性:下女、茶店の婆さん)が使用していた。しかし、後期になると男性の使用はみられなくなり、また下記の (14)のように上層の女性にも使用がみられるようになる。つまり、「アンタ」の待遇価値は後期になって変化したと考えられる」。

(https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/records/56418)

「三四郎」は明治41年発表。またこの「女」は実家が四日市で、そこから広島の呉に出稼ぎに出ていたこと、夫は大連に出稼ぎに行っていることなどから、貧しく関西を生活圏とする人物であることが分かる。これらの背景から、彼女が初対面の学生に「あんた」を用いるのは、通常の事としてうなずける。

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