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夏目漱石「三四郎」本文と解説3-5 大学図書館は、広く、長く、天井が高く、左右に窓の沢山ある建物であつた

◇本文

 其翌日から三四郎は四十時間の講義を殆んど、半分に減らして仕舞つた。さうして図書館に這入つた。広く、長く、天井が高く、左右に窓の沢山ある建物であつた。書庫は入口しか見えない。此方(こつち)の正面から覗くと奥には、書物がいくらでも備へ付けてある様に思はれる。立つて見てゐると、時々書庫の中から、厚い本を二三冊抱へて、出口へ来て左へ折れて行くものがある。職員閲覧室へ行く人である。中には必要の本を書棚から取り(おろ)して、胸一杯にひろげて、立ちながら調べてゐる人もある。三四郎は(うらやま)しくなつた。奥迄行つて二階へ(のぼ)つて、それから三階へ上つて、本郷より高い所で、生きたものを近付けずに、紙の(にほ)ひを()ぎながら、――読んで見たい。けれども何を読むかに至つては、別に判然した考がない。読んで見なければ分らないが、何かあの奥に沢山ありさうに思ふ。

 三四郎は一年生だから書庫へ這入る権利がない。仕方なしに、大きな箱入りの(ふだ)目録を、こゞんで一枚々々調べて行くと、いくら(めく)つても後から後から新らしい本の名が出て来る。仕舞に肩が痛くなつた。顔を上げて、中休みに、館内を見廻すと、流石(さすが)に図書館丈あつて静かなものである。しかも人が沢山ゐる。さうして向ふの(はづれ)にゐる人の頭が黒く見える。眼口(めくち)は判然しない。高い窓の外から所々に樹が見える。空も少し見える。遠くから町の音がする。三四郎は立ちながら、学者の生活は静かで深いものだと考へた。それで其日は其儘帰つた。

 次の日は空想をやめて、這入ると早速本を借りた。然し借り損なつたので、すぐ返した。後から借りた本は六づかし過ぎて読めなかつたから又返した。三四郎はかう云ふ風にして毎日本を八九冊 (ずつ)は必ず借りた。尤も(たま)には少し読んだのもある。三四郎が驚ろいたのは、どんな本を借りても、屹度誰か一度は眼を通して居ると云ふ事実を発見した時であつた。それは書中 此所彼所(こゝかしこ)に見える鉛筆の痕で慥かである。ある時三四郎は念の為め、アフラ、ベーンと云ふ作家の小説を借りて見た。開ける迄は、よもやと思つたが、見ると矢張り鉛筆で丁寧にしるしが付けてあつた。此時三四郎はこれは到底遣り切れないと思つた。所へ窓の外を楽隊が通つたんで、つい散歩に出る気になつて、通りへ出て、とう/\青木堂へ這入つた。

 這入つて見ると客が二組あつて、いづれも学生であつたが、向ふの隅にたつた一人離れて茶を飲んでゐた男がある。三四郎が不図其横顔を見ると、どうも上京の節汽車の中で水蜜桃を沢山食つた人の様である。向ふは気がつかない。茶を一口飲んでは烟草を一吸(ひとすひ)すつて、大変 悠然(ゆつくり)構へてゐる。今日は白地の浴衣(ゆかた)()めて、背広を着てゐる。然し決して立派なものぢやない。光線の圧力の野々宮君より白襯衣(しろしやつ)丈が増しな位なものである。三四郎は様子を見てゐるうちに慥かに水蜜桃だと物色した。大学の講義を聞いてから以来、汽車の中で此男の話した事が何だか急に意義のある様に思はれ出した所なので、三四郎は(そば)へ行つて挨拶を仕様かと思つた。けれども先方は正面を見たなり、茶を飲んでは、烟草をふかし、烟草をふかしては茶を飲んでゐる。手の出し様がない。

 三四郎は(じつ)と其横顔を眺めてゐたが、突然 手杯(こつぷ)にある葡萄酒を飲み干して、表へ飛び出した。さうして図書館に帰つた。 (青空文庫より)


◇解説

大学図書館の蔵書量に圧倒される三四郎の様子が描かれる。


「其翌日から三四郎は四十時間の講義を殆んど、半分に減らして仕舞つた」

…佐々木の忠告に従う三四郎。


彼は、「さうして図書館に這入つた」。建物の広い空間。書庫の奥には、「書物がいくらでも備へ付けてある様に思はれる」。みな静かに調べ物をしている。「書庫の中から、厚い本を二三冊抱へて、出口へ来て左へ折れて行くもの」。「必要の本を書棚から取り(おろ)して、胸一杯にひろげて、立ちながら調べてゐる人」。これらの様子を見て、「三四郎は(うらやま)しくなつた」。

「本郷より高い所で、生きたものを近付けずに、紙の(にほ)ひを()ぎながら、――読んで見たい」というのは面白い表現だ。「本郷より高い所で、生きたものを近付けずに」とは、地上のこの世・現実世界から離れた高尚な書物・学問の世界にたゆたいたいということ。

「けれども何を読むかに至つては、別に判然した考がない」。彼にはまだ具体的な研究内容が定まっていない。「読んで見なければ分らないが、何かあの奥に沢山ありさうに思ふ」。ただ漠然と学問世界に憧れるだけで具体性に欠ける三四郎の様子。


冒頭からここまで読んでいてずっと感じることだが、三四郎が大学に入学した目的がはっきりしない、もしくは無いに等しい。彼はいったい何のために東京まで出てきて、大学に入ったのか。大学で何を学び、それを将来にどう生かすのか。その答えが示されていない。これは、「毎月の学費はちゃんと送るから心配はいらないよ」という母の思いに背くことにならないか。明治時代の大学生は超エリートだ。そこには大学や将来の目的意識が求められるだろう。

つまり、三四郎は憧れで上京したようにしか思えない。確かにたくさんの講義を聞こうという真面目さはあるが、「何のために」という目的の部分がぼんやりしている。学問の世界への漠然としたあこがれ。目的意識を持った確固たる意志が感じられない。

当時の大学生も、こんなものだったのですかね?


「書庫へ這入る権利がない」三四郎は、「仕方なしに、大きな箱入りの(ふだ)目録を、こゞんで一枚々々調べて行く」。昔の図書館はこうだった。「いくら(めく)つても後から後から新らしい本の名が出て来て」、「仕舞に肩が痛くなつた」。館内は「流石(さすが)に図書館丈あつて静かなものである。しかも人が沢山ゐる」。「遠くから町の音がする」。それがかすかに聞こえるからこそ、図書館の静けさが際立つ。「三四郎は立ちながら、学者の生活は静かで深いものだと考へた」。学問の世界へのあこがれ。


次の一言で膝がガクッとした人は多いだろう。「それで其日は其儘帰つた」。いや、そこはとりあえず、何か借りろよ! 何でもいいからさ! だから憧ればかりで具体性に乏しいヤツって言われるんだよ!


次の部分は突っ込みどころ満載なので、カッコでつぶやきます。

「次の日は空想をやめて、這入ると早速本を借りた。(とてもいいことです。やっとですが) 然し借り損なつたので、すぐ返した。(あらま) 後から借りた本は六づかし過ぎて読めなかつたから又返した(よく考えてから借りればいいのに)。三四郎はかう云ふ風にして毎日本を八九冊 (ずつ)は必ず借りた。(意味もなく? 図書館司書が大変だ) 尤も(たま)には少し読んだのもある。(これまで借りてた本は全然読んでなかったの?)」


「三四郎が驚ろいたのは、どんな本を借りても、屹度誰か一度は眼を通して居ると云ふ事実を発見した時であつた」以降は、現代の大学図書館では見られない。自分が初めて開いたのではないかと思われる本の方が多い。さすが東京大学だ。

「書中 此所彼所(こゝかしこ)に見える鉛筆の痕」。「三四郎はこれは到底遣り切れないと思つた」。憧れの学問の世界には、たくさんの先人たちがすでにおり、自分が入り込むすきは到底無いように思ったのだ。よそに関心が移りがちな三四郎は、ここでも「窓の外を楽隊が通つたんで、つい散歩に出る気になつて、通りへ出て、とう/\青木堂へ這入つた」。三四郎は、やや多動性のきらいがある。落ち着きがなく思慮に乏しい。


青木堂には、広田がいた。「今日は白地の浴衣(ゆかた)()めて、背広を着てゐる。然し決して立派なものぢやない。光線の圧力の野々宮君より白襯衣(しろしやつ)丈が増しな位なものである」とさっそく批評に励む三四郎。また、「様子を見てゐるうちに慥かに水蜜桃だと物色した」と、知らぬ人に勝手にあだ名まで付けてしまった。ただ、「大学の講義を聞いてから以来、汽車の中で此男の話した事が何だか急に意義のある様に思はれ出した」と、その思想は認めているようだ。三四郎は、「正面を見たなり、茶を飲んでは、烟草をふかし、烟草をふかしては茶を飲んでゐる」「其横顔を眺めてゐたが、突然 手杯(こつぷ)にある葡萄酒を飲み干して、表へ飛び出した。さうして図書館に帰つた」。昼からワインを飲んでいる三四郎。しかもその酔いの勢いで図書館に向かう。堕落してるんだか偉いんだかよくわからない男だ。

ただ、酒を飲んだ後に急に勉強したくなる気持ちはわかる。そんな時がある。急にやる気が出てくるのだ。


※東京帝国大学の当時の画像が、国立国会図書館デジタルコレクションにあります


〇「青木堂」について

「文壇昔ばなし」(谷崎潤一郎)

「漱石が一高の英語を教えていた時分、英法科に籍を置いていた私は廊下や校庭で行き逢うたびにお時儀(じぎ)をした覚えがあるが、漱石は私の級を受け持ってくれなかったので、残念ながら謦咳(けいがい)に接する折がなかった。私が帝大生であった時分、電車は本郷三丁目の角、「かねやす」の所までしか行かなかったので、漱石はあすこからいつも人力車に乗っていたが、リュウとした(つい)大嶋(おおしま)の和服で、青木堂の前で(くるま)を止めて葉巻などを買っていた姿が、今も私の眼底にある。まだ漱石が朝日新聞に入社する前のことで、大学の先生にしては贅沢なものだと、よくそう思い思いした」(青空文庫より)


〇余談

昼からワインが飲めるとは、いったいいくら仕送りしてもらっているのだろう。九州の母が気の毒だ。

現在、地方から東京の大学に進学するためには、4年間で1000万円は見ておかなければならない。何校かの受験料、受験滞在費、交通費、滑り止めに支払う数校分の入学金、授業料等×4年分、パソコン代、教科書代、下宿代・生活費・帰省費×4年分……

特に最近はこれに、物価高、家賃の上昇、親の賃金の上昇率の低さ、などが加わり、簡単に言うと金持ちの子供しか、首都圏の大学に進学することはできなくなっている。首都圏の大学に、首都圏出身者の割合が高いのは、教育の機会の地域差だけでなく、様々な格差が様々な要因で、固定化・再生産化されているからだ。それでなくても家庭の経済状況は生徒の進路選択に直結している。

また、学費増額により国公立大の費用面での優位性は低くなっており、高等教育における私費負担率は、OECD平均が31%なのに対し、日本は67%も占める。

地方には、進学をあきらめ、就職を選択せざるを得ない生徒がたくさんいる。その中には、学習意欲が高く、学力的に優秀な者も少なくない。日本学生支援機構の給付奨学金の対象者は限られており、貸与型では、大学卒業時の借金の平均額が300万円にも上る。

このように、社会経済的地位の階層化とその再生産化は深刻な問題だ。これは奨学金や授業料の無償化だけでは対応できないだろう。すべての望む子供たちが高等教育を受けられる環境を整備しなければならない。

これからの日本は、「少数精鋭」を目指すことになる。意欲のある者には望む場所で学ぶ機会を提供し、優秀な頭脳と知識・経験を持った人材を育成することが大事だ。

教育に公的な金を掛けない国は、やがて……


〇明治時代の国立大学授業料について

「三四郎」が発表された明治41(1908)年の、国立大学授業料は、31円。一人当たり消費支出49.4円。一人当たりGNP66.1円。

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