夏目漱石「三四郎」本文と解説12-2 与次郎が土間の中を覗き込みながら、何か話してゐる。舞台の端に立つた与次郎から一直線に二三間隔てゝ美禰子の横顔が見えた。
◇本文
三四郎は、しばらく先生の後影を見送つてゐたが、あとから、車で乗り付ける人が、下足の札を受け取る手間も惜しさうに、急いで這入つて行くのを見て、自分も足早に入場した。前へ押されたと同じ事である。
入口に四五人用のない人が立つてゐる。そのうちの袴を着けた男が入場券を受け取つた。其男の肩の上から場内を覗いて見ると、中は急に広くなつてゐる。且つ甚だ明るい。三四郎は眉に手を加へない許にして、導かれた席に着いた。狭い所に割り込みながら、四方を見廻すと、人間の持つて来た色で眼がちら/\する。自分の眼を動かすから許ではない。無数の人間に付着した色が、広い空間で、絶えず各自(めい/\)に、且つ勝手に、動くからである。
舞台ではもう始まつてゐる。出て来る人物が、みんな冠を被つて、沓を穿いて居た。そこへ長い輿を担いで来た。それを舞台の真中で留めたものがある。輿を卸すと、中から又一人あらはれた。其男が刀を抜いて、輿を突き返したのと斬合ひを始めた。――三四郎には何の事か丸で分からない。尤も与次郎から梗概を聞いた事はある。けれども好加減に聞いてゐた。見れば分かるだらうと考へて、うん成程と云つてゐた。所が見れば毫も其意を得ない。三四郎の記憶にはたゞ 入鹿の大臣(おとゞ)といふ名前が残つてゐる。三四郎はどれが入鹿だらうかと考へた。それは到底見込みが付かない。そこで舞台全体を入鹿の積りで眺めてゐた。すると冠でも、沓でも、筒袖の衣服でも、使ふ言葉でも、何となく入鹿臭くなつて来た。実を云ふと三四郎には確然たる入鹿の観念がない。日本歴史を習つたのが、あまりに遠い過去であるから、古い入鹿の事もつい忘れて仕舞つた。推古天皇の時の様でもある。欽明天皇の御代でも差支ない気がする。応神天皇や称武天皇では決してないと思ふ。三四郎はたゞ入鹿じみた心持ちを持つてゐる丈である。芝居を見るには夫で沢山だと考へて、唐めいた装束や背景を眺めてゐた。然し筋はちつとも解らなかつた。其うち幕になつた。
幕になる少し前に、隣りの男が、其又隣りの男に、登場人物の声が、六畳敷で、親子差向ひの談話の様だ。丸で訓練がないと非難してゐた。そつち隣りの男は登場人物の腰が据わらない。悉くひよろ/\してゐると訴へてゐた。二人は登場人物の本名をみんな暗んじてゐる。三四郎は耳を傾けて二人の談話を聞いてゐた。二人共立派な服装をしてゐる。大方有名な人だらうと思つた。けれどももし与次郎に此談話を聞かせたら定めし反対するだらうと思つた。其時後ろの方で旨い/\中々旨いと大きな声を出したものがある。隣の男は二人とも後ろを振り返つた。それぎり話を已めて仕舞つた。そこで幕が下りた。
彼所、此所(こゝ)に席を立つものがある。花道から出口へ掛けて、人の影が頗る忙がしい。三四郎は中腰になつて、四方をぐるりと見廻した。来てゐる筈の人は何処にも見えない。本当を云ふと演芸中にも出来る丈は気を付けてゐた。それで知れないから、幕になつたらばと内々心当てにしてゐたのである。三四郎は少し失望した。已を得ず眼を正面に帰した。
隣の連中は余程世間が広い男達と見えて、右左を顧みて、彼所には誰がゐる、茲所(こゝ)には誰がゐると頻に知名な人の名を口にする。中には離れながら、互に挨拶をしたのも一二人ある。三四郎は御蔭で此等知名な人の細君を少し覚えた。其中には新婚した許のもあつた。是は隣の一人にも珍しかつたと見えて、其男はわざ/\眼鏡を拭き直して、成程々々と云つて見てゐた。
すると、幕の下りた舞台の前を、向ふの端から此方へ向けて、小走りに与次郎が走けて来た。三分の二程の所で留つた。少し及び腰になつて、土間の中を覗き込みながら、何か話してゐる。三四郎はそれを見当に覘を付けた。――舞台の端に立つた与次郎から一直線に二三間隔てゝ美禰子の横顔が見えた。 (青空文庫より)
◇解説
劇場の入り口まで来て帰る広田を見送る三四郎。「三四郎は、しばらく先生の後影を見送つてゐたが、あとから、車で乗り付ける人が、下足の札を受け取る手間も惜しさうに、急いで這入つて行くのを見て、自分も足早に入場した。前へ押されたと同じ事である」。孤独な精神世界に戻る広田の「後影」を「しばらく」「見送つてゐた」三四郎だったが、人から「押され」、俗世に立ち入る。
暗闇に去る広田に比し、場内は「甚だ明るい」。「狭い所」にたくさんの人たちが入り込み、「四方を見廻すと、人間の持つて来た色で眼がちら/\する」。「無数の人間に付着した色が、広い空間で、絶えず各自(めい/\)に、且つ勝手に、動くからである」。雑然とした年末の場内の様子。多くの人は広田のように人間の生きる意味などまるで考えていないかのようだ。軽佻浮薄な一般の人たち。
「舞台ではもう始まつてゐる」以下の文章は、日本の芸術の程度の低さを表している。「三四郎には何の事か丸で分からない」とは、その内容だけでなく、価値も理解できないということ。
「三四郎の記憶にはたゞ 入鹿の大臣(おとゞ)といふ名前が残つてゐる」。しかし「実を云ふと三四郎には確然たる入鹿の観念がない。日本歴史を習つたのが、あまりに遠い過去であるから、古い入鹿の事もつい忘れて仕舞つた」。どの「天皇の御代でも差支ない気がする」。日本の歴史にも価値を見出せない三四郎。「入鹿」が彼の耳にはしまいに動物の「イルカ」に聞こえてきただろう。「筋はちつとも解らなかつた。其うち幕になつた」。
「登場人物の声が、六畳敷で、親子差向ひの談話の様だ。丸で訓練がないと非難」する男。「登場人物の腰が据わらない。悉くひよろ/\してゐると訴へ」る人。それに比し「後ろの方で旨い/\中々旨いと大きな声を出したもの」。それぞれ気ままに芝居を楽しんでいる。
「幕が下り」ると、「彼所、此所(こゝ)に席を立つものがある。花道から出口へ掛けて、人の影が頗る忙がしい」。三四郎が「中腰になつて、四方をぐるりと見廻「すと、来てゐる筈の人は何処にも見えない。本当を云ふと演芸中にも出来る丈は気を付けてゐた。それで知れないから、幕になつたらばと内々心当てにしてゐたのである」。彼の目的は美禰子であり、その姿が見つからないので「少し失望」したのだった。
「幕の下りた舞台の前を、向ふの端から此方へ向けて、小走りに与次郎が走けて来た」。「土間の中を覗き込みながら、何か話してゐる」。その様子から「三四郎はそれを見当に覘を付けた」。そこには美禰子がいると思ったのだ。その目測通り、「舞台の端に立つた与次郎から一直線に二三間隔てゝ美禰子の横顔が見えた」。
母の裏切りから人への興味を失った広田。美禰子に執心する三四郎。やがて三四郎も、「先生」と同じ道を歩くことになる。