夏目漱石「三四郎」本文と解説11-6 湯から上がつて、二人が、板の間に据ゑてある器械の上に乗つて、身長(たけ)を測つて見た。広田先生は五尺六寸ある。三四郎は四寸五分しかない。
◇本文
湯から上がつて、二人が、板の間に据ゑてある器械の上に乗つて、身長を測つて見た。広田先生は五尺六寸ある。三四郎は四寸五分しかない。
「まだ延びるかも知れない」と広田先生が三四郎に云つた。
「もう駄目です。三年来この通です」と三四郎が答へた。
「左うかな」と先生が云つた。自分を余っ程小供の様に考へてゐるのだと三四郎は思つた。家へ帰つた時、先生が、用が無ければ話して行つても構はないと、書斎の戸を開けて、自分が先へ這入つた。三四郎は兎に角、例の用事を片付ける義務があるから、続いて這入つた。
「佐々木は、まだ帰らない様ですな」
「今日は遅くなるとか云つて断つてゐた。此間から演芸会の事で大分奔走してゐる様だが、世話好きなんだか、馳け回る事が好きなんだか、一向要領を得ない男だ」
「親切なんですよ」
「目的丈は親切な所も少しあるんだが、何しろ、頭の出来が甚だ不親切だものだから、碌な事は仕出かさない。一寸見ると、要領を得てゐる。寧ろ得過ぎてゐる。けれども終局へ行くと、何の為に要領を得て来たのだか、丸で滅茶苦茶になつて仕舞ふ。いくら云つても直さないから放て置く。あれは悪戯をしに世の中へ生れて来た男だね」
三四郎は何とか弁護の道がありさうなものだと思つたが、現に結果の悪い実例があるんだから、仕様がない。話を転じた。
「あの新聞の記事を御覧でしたか」
「えゝ、見た」
「新聞に出る迄は些とも御存じなかつたのですか」
「いゝえ」
「御驚ろきなすつたでせう」
「驚ろくつて――夫れは全く驚ろかない事もない。けれども世の中の事はみんな、彼んなものだと思つてるから、若い人程正直に驚ろきはしない」
「御迷惑でせう」
「迷惑でない事もない。けれども僕位世の中に住み古した年配の人間なら、あの記事を見て、すぐ事実だと思ひ込む人 許もないから、矢っ張り若い人程正直に迷惑とは感じない。与次郎は社員に知つたものがあるから、其男に頼んで真相を書いて貰ふの、あの投書の出所を探して制裁を加へるの、自分の雑誌で充分反駁を致しますのと、善後策の了見で下らない事を色々云ふが、そんな手数をするならば、始めから余計な事を起こさない方が、いくら好いか分かりやしない」
「全く先生の為を思つたからです。悪気ぢやないです」
「悪気で遣られて堪るものか。第一僕の為めに運動をするものがさ、僕の意向も聞かないで、勝手な方法を講じたり、勝手な方針を立てた日には、最初から僕の存在を愚弄してゐると同じ事ぢやないか。存在を無視されてゐる方が、どの位体面を保つに都合が好いか知れやしない」
三四郎は仕方なしに黙つてゐた。
「さうして、偉大なる暗闇なんて愚にも付かないものを書いて。――新聞には君が書いたとしてあるが、実際は佐々木が書いたんだつてね」
「左うです」
「昨夜佐々木が自白した。君こそ迷惑だらう。あんな馬鹿な文章は佐々木より外に書くものはありやしない。僕も読んで見た。実質もなければ、品位もない、丸で救世軍の太鼓の様なものだ。読者の悪感情を引き起す為めに、書いてるとしか思はれやしない。徹頭徹尾故意だけで成り立つてゐる。常識のあるものが見れば、何うしても為にする所があつて起稿したものだと判定がつく。あれぢや僕が門下生に書かしたと云はれる筈だ。あれを読んだ時には、成程新聞の記事は尤もだと思つた」 (青空文庫より)
◇解説
新聞記事の謝罪のために広田を訪れた三四郎。二人で湯に行った場面。
「湯から上がつて、二人が、板の間に据ゑてある器械の上に乗つて、身長を測つて見た。広田先生は五尺六寸ある。三四郎は四寸五分しかない」。
五尺六寸は約170㎝、四寸五分は五尺四寸五分のことで約165㎝。明治時代の成人男性の身長の記録が見当たらないが、160㎝くらいだろうと言われており、広田はそれよりも高身長、三四郎も低いわけではない。(美禰子は身長の高い男が好み)
「まだ延びるかも知れない」という広田の言葉は、三四郎が思う通り、「余っ程小供の様に考へてゐるのだ」。これは身長だけでなく、精神の発達段階や知識・教養の多寡を合わせてのものだろう。
「家へ帰つた時、先生が、用が無ければ話して行つても構はないと、書斎の戸を開けて、自分が先へ這入つた」。「例の用事を片付ける義務がある」と考えての三四郎の来訪だと見抜いてのことだ。
佐々木が二人の話題に上る。
「此間から演芸会の事で大分奔走してゐる様だが、世話好きなんだか、馳け回る事が好きなんだか、一向要領を得ない男だ」と揶揄する広田に、「親切なんですよ」と弁護する三四郎。
「目的丈は親切な所も少しあるんだが、何しろ、頭の出来が甚だ不親切だものだから、碌な事は仕出かさない。一寸見ると、要領を得てゐる。寧ろ得過ぎてゐる。けれども終局へ行くと、何の為に要領を得て来たのだか、丸で滅茶苦茶になつて仕舞ふ。いくら云つても直さないから放て置く。あれは悪戯をしに世の中へ生れて来た男だね」。この広田の的確な佐々木評に、三四郎も「弁護」の「仕様がない」。
佐々木はこの物語においてトリックスターの役割を果たす。突然やってきて場をかき乱し、そうしていつの間にかいなくなる、思慮が無く無責任な存在。トリックスターの働きは、普通であれば、混沌の中から新たに生まれるものがあったり、人々が新たな価値・考え方を獲得したりするのだが、彼の場合はそれがない。ただかき乱し、他者に迷惑をかける厄介者。客観的に見れば、広田も三四郎も、彼によって非常な迷惑を被っている。そうして得るものは何も無い。ただ二人がそのことをあまり気にしないので、佐々木による混乱が、「悪戯」と捉えられている。二人が鷹揚なので、佐々木の罪が深刻化しないだけだ。
「新聞に出る迄は些とも御存じなかつたのですか」という三四郎の問に、「いゝえ」と答えたところから、佐々木の「悪戯」を広田もうすうす勘付いていたことがわかる。
「全く驚ろかない事もない」が、「世の中の事はみんな、彼んなものだと思つてるから、若い人程正直に驚ろきはしない」。「迷惑でない事もない。けれども僕位世の中に住み古した年配の人間なら、あの記事を見て、すぐ事実だと思ひ込む人 許もないから、矢っ張り若い人程正直に迷惑とは感じない」。広田の老成が感じられるセリフ。
三四郎の、「全く先生の為を思つたからです。悪気ぢやないです」という「弁護」に、「悪気で遣られて堪るものか。第一僕の為めに運動をするものがさ、僕の意向も聞かないで、勝手な方法を講じたり、勝手な方針を立てた日には、最初から僕の存在を愚弄してゐると同じ事ぢやないか。存在を無視されてゐる方が、どの位体面を保つに都合が好いか知れやしない」と返す広田。彼も少しは怒っているのだ。先生の怒りに触れ、「三四郎は仕方なしに黙つてゐた」。
「君こそ迷惑だらう。あんな馬鹿な文章は佐々木より外に書くものはありやしない」。「実質もなければ、品位もない、丸で救世軍の太鼓の様なものだ。読者の悪感情を引き起す為めに、書いてるとしか思はれやしない。徹頭徹尾故意だけで成り立つてゐる。常識のあるものが見れば、何うしても為にする所があつて起稿したものだと判定がつく。あれぢや僕が門下生に書かしたと云はれる筈だ。あれを読んだ時には、成程新聞の記事は尤もだと思つた」。佐々木への批判が止まらない広田だった。