夏目漱石「三四郎」本文と解説11-5 三四郎はあぐらをかいて、鉄瓶に手をかざして、先生の起きるのを待つてゐる。先生は熟睡してゐる。三四郎は静かで好い心持になつた。
◇本文
与次郎は夫れなり消えてなくなつた。いくら捕まへやうと思つても出て来ない。三四郎は已を得ず精出して講義を筆記してゐた。講義が済んでから、昨夕の約束通り広田先生の家へ寄る。相変らず静かである。先生は茶の間に長くなつて寐てゐた。婆さんに、どうか為すつたのかと聞くと、左うぢや無いのでせう、昨夕余り遅くなつたので、眠いと云つて、先刻御帰りになると、すぐ横に御成りなすつたのだと云ふ。長い身躯の上に小夜着が掛けてある。三四郎は小さな声で、又婆さんに、どうして、さう遅くなつたのかと聞いた。なに何時でも遅いのだが、昨夕のは勉強ぢやなくつて、佐々木さんと久しく御話をして御出でだつたのだといふ答である。勉強が佐々木に代はつたから、昼寐をする説明にはならないが、与次郎が、昨夕先生に例の話をした事丈は是で明瞭になつた。序でに与次郎が、どう叱られたか聞いて置きたいのだが、それは婆さんが知らう筈がないし、肝心の与次郎は学校で取り逃して仕舞つたから仕方がない。今日の元気の好い所を見ると、大した事件には成らずに済んだのだらう。尤も与次郎の心理現象は到底三四郎には解らないのだから、実際どんな事があつたか想像は出来ない。
三四郎は長火鉢の前へ坐つた。鉄瓶がちん/\鳴つてゐる。婆さんは遠慮をして下女部屋へ引き取つた。三四郎は胡坐をかいて、鉄瓶に手を翳して、先生の起きるのを待つてゐる。先生は熟睡してゐる。三四郎は静かで好い心持になつた。爪で鉄瓶を敲(たゝ)いて見た。熱い湯を茶碗に注いでふう/\ 吹いて飲んだ。先生は向ふをむいて寐てゐる。二三日前に頭を刈つたと見えて、髪が甚だ短い。髭の端が濃く出てゐる。鼻も向ふを向ひてゐる。鼻の穴がすうすう云ふ。安眠だ。
三四郎は返さうと思つて、持つて来たハイドリオタフヒアを出して読み始めた。ぽつぽつ拾ひ読をする。中々解らない。墓の中に花を投げる事が書いてある。羅馬人は薔薇を affectすると書いてある。何の意味だか能く知らないが、大方好むとでも訳するんだらうと思つた。希臘人は Amaranthを用ひると書いてある。是も明瞭でない。然し花の名には違ない。夫れから少し先へ行くと、丸で解らなくなつた。頁から眼を離して先生を見た。まだ寐てゐる。何で斯んな六づかしい書物を自分に借したものだらうと思つた。それから、此六つかしい書物が、何故解らないながらも、自分の興味を惹くのだらうと思つた。最後に広田先生は必竟ハイドリオタフヒアだと思つた。
さうすると、広田先生がむくりと起きた。首丈持上げて、三四郎を見た。
「何時来たの」と聞いた。三四郎はもつと寐て御出でなさいと勧めた。実際退屈ではなかつたのである。先生は、
「いや起きる」と云つて起きた。それから例の如く哲学の烟を吹き始めた。烟が沈黙の間に、棒になつて出る。
「難有う。書物を返します」
「あゝ。――読んだの」
「読んだけれどもよく解らんです。第一標題が解らんです」
「ハイドリオタフヒア」
「何の事ですか」
「何の事か僕にも分からない。兎に角希臘語らしいね」
三四郎はあとを尋ねる勇気が抜けて仕舞つた。先生はあくびを一つした。
「あゝ眠かつた。好い心持に寐た。面白い夢を見てね」
先生は女の夢だと云つてゐる。それを話すのかと思つたら、湯に行かないかと云ひ出だした。二人は手拭を提げて出掛けた。 (青空文庫より)
◇解説
演芸会の切符売りに忙しい「与次郎は夫れなり消えてなくなつた。いくら捕まへやうと思つても出て来ない」。
三四郎は「昨夕の約束通り広田先生の家へ寄る」。新聞報道の説明と謝罪だ。
「先生は茶の間に長くなつて」「相変らず静か」に「寐てゐた」。広田は基本的に静かで沈思黙考タイプ。ただ、これはまるで、亡くなった広田を前に弔う三四郎のようで、不吉な場面。
広田の帰宅は「勉強」のために「何時でも遅いのだが、昨夕のは勉強ぢやなくつて、佐々木さんと久しく御話をして御出でだつたのだといふ答である。」
佐々木の要らぬお節介で迷惑を被った広田は、彼に事情を確認したのだろう。それが「昨夕余り遅く」まで及んだための疲労に、帰宅後「すぐ横に御成りなすつた」。三四郎は、「勉強が佐々木に代はつたから、昼寐をする説明にはならない」と言うが、有益な勉強の疲れと佐々木による無益な疲れとでは、まったく質が異なる。しなくとも良い、自分に落ち度がまったく無い精神的な疲労は、体と心に堪えるものだ。そのあたりを三四郎は理解していない。
しかしともかく「与次郎が、昨夕先生に例の話をした事丈は是で明瞭になつた」。「与次郎の心理現象は到底三四郎には解らないのだから、実際どんな事があつたか想像は出来ない」が、「今日の元気の好い所を見ると、大した事件には成らずに済んだのだらう」。
「三四郎は胡坐をかいて、鉄瓶に手を翳して、先生の起きるのを待つてゐる」。いくら懇意になったからといって、直接の師弟関係でもない赤の他人である三四郎が、就寝中の広田の部屋に許可無く入り込む様子は、当時の「先生」と「学生」・「書生」の関係の近さを表している。この後目覚めた広田も、そばで待機している三四郎をとがめず平気な様子だ。ふたりはともに、相手に気を許している。それは続く説明からも分かる。
「先生は熟睡してゐる。三四郎は静かで好い心持になつた。爪で鉄瓶を敲(たゝ)いて見た。熱い湯を茶碗に注いでふう/\ 吹いて飲んだ。先生は向ふをむいて寐てゐる。二三日前に頭を刈つたと見えて、髪が甚だ短い。髭の端が濃く出てゐる。鼻も向ふを向ひてゐる。鼻の穴がすうすう云ふ。安眠だ」。熟睡している先生を静かに見守る学生。「静かで好い心持」は、まるで先生の夢の世界にいつの間にか自分も入り込むようなトロっとした感覚。「爪で鉄瓶を敲(たゝ)いて見た」り、「熱い湯を茶碗に注いでふう/\ 吹いて飲ん」でみたりする様子は、まるで寝ている親が起きるのを待っている子供のようだ。「先生は向ふをむいて寐てゐる。二三日前に頭を刈つたと見えて、髪が甚だ短い。髭の端が濃く出てゐる。鼻も向ふを向ひてゐる。鼻の穴がすうすう云ふ」などは、先生をあたたかく見守る三四郎の様子。彼も心安く、広田も「安眠だ」。
広田が寝、三四郎がそれを静かに待つというだけの場面なのだが、ふたりの信頼関係がはっきりと分かる。
先生の覚醒まで待つために、「三四郎は返さうと思つて、持つて来たハイドリオタフヒアを出して読み始めた」。
「ぽつぽつ拾ひ読をする」が、やはり内容・意味は「中々解らない」。「墓の中に花を投げる事」、「羅馬人は薔薇を affectする」こと。「何の意味だか能く知らないが、大方好むとでも訳するんだらうと思つた」。「希臘人は Amaranthを用ひる」こと「も明瞭でない。然し花の名には違ない」。「夫れから少し先へ行くと、丸で解らなくなつた」。
三四郎は「頁から眼を離して先生を見た」。「何で斯んな六づかしい書物を自分に借したものだらうと思つた」。
先生が生徒にこのような課題を出す理由は、学問・人生においてはさまざまな困難にぶつかることがむしろ普通であり、答え・解決策を考え続けることや、それについて先生や他者と話し合うことの大切さを教えたいからだ。
だから「此六つかしい書物」は「解らないながらも」、三四郎「の興味を惹くのだ」。「広田先生は必竟ハイドリオタフヒアだと思つた」とは、広田の意図が理解できない三四郎の様子だが、死に近づく広田も暗示する。
以前も述べたが、健康に生きていると思っていても、その人の背中には、「死」が静かに寄り添っている。広田もそうだし、三四郎もそうだ。「生」は「死」と隣り合わせなのだということを、漱石は慎重に作品に潜り込ませる。
やがて幸運にも広田は覚醒する。「広田先生がむくりと起きた」。「命」の復活・再生。
「何時来たの」の問いに、「三四郎はもつと寐て御出でなさいと勧めた」。師弟関係が逆転している物言いだ。しかし生意気には聞こえないのは、そこに心の優しさと互いの信頼があるからだ。
ハイドリオタフヒアの意味が、「何の事か僕にも分からない。兎に角希臘語らしいね」と、外連味無く述べる先生に、「三四郎はあとを尋ねる勇気が抜けて仕舞つた」。意味が分からないものは仕方がない。先生は素直に白状したのだ。
「先生はあくびを一つした」。自分の不理解をまったく気にしない広田。
「好い心持に寐」て見た夢は、「面白い」ものだったと言う広田。「女の夢」らしいが、「それを話すのかと思つたら、湯に行かないかと云ひ出だした」。「二人は」仲良く「手拭を提げて出掛けた」。この後は、裸の付き合いということになる。
師弟ののんびりとした信頼関係がうかがわれるエピソードだった。